5-4
浅い眠りに落ちては嫌な夢を見て目を覚ますのをくりかえしているうちに、気がつけば朝になっていた。
「寝れた?」
灯真に訊かれ、黎は黙ってうなずいた。昨日に比べれば眠りは浅かったけれど、眠れたことに変わりはなかったから。灯真はかすかに訝るような表情は見せたものの「そっか」と言い、それ以上はふれなかった。
朝食の時間も、灯真はとりとめもないこと以外は話題に出さず、一緒に寝ることについても、「今日もお試しする?」としか聞いてこなかった。黎は少しためらったけれど、首を縦に振って答えた。断る理由がなかったから。灯真はそれを見て目元をやわらかくゆるませていた。
灯真が仕事に行ってからも、黎は悶々と灯真のことを考えつづけていた。
これまでもたびたび、捨てられたくないと、ここにいたいと思うことはあった。けれどここまで切羽詰まった願望ではなかった。いつかそうなったときのことを漠然と想像し、ここにいたいと漠然と願う程度。
それなのに今は、生々しい想像ばかりをしてしまっている。
仕事から帰ってきた灯真の隣にいる人間。顔も服装も性別もなにもかもぼやけてよくわからないその相手と灯真はぴったりと寄りそっている。
このひととつきあうことになったからもういらない。さっさと出てって。そう黎に言ったのは誰だっけ。ひとりやふたりじゃない。どの飼い主だったかははっきり思いだせないのに、捨てられる感覚だけはこびりついている。灯真もいつか、そうするときがくる。そうしたら、自分は、もうここにいられない。ここにいられなくなったら、自分は。
朝、灯真を見送ったあと、黎は昼食を摂ることすら忘れて鬱屈としたことばかりを考えていた。ほとんど眠れていなかったからときどき意識を飛ばし、嫌な夢で起きてはまたぐるぐると考えこむ。そんなことをずっと続けていたら、真っ暗なリビングに灯真が入ってきた。鍵の音すら聞こえてなくて、黎は体が飛びあがるかと思うくらい驚いてしまったし、そんな黎の様子で灯真まで驚きの声を上げていた。
「ただいま。どうした? 体調悪かったりする?」
灯真に声をかけられてようやく、もう夜になっていることに気がついた。灯真が用意してくれた昼食を食べずに放置していたどころか、夕飯も作っていない。今日も作ると灯真に言ったかどうかも覚えていなかった。体調が悪いわけではないと思い首を振って否定したら、灯真はそれ以上はなにも言わず「そっか」とうなずいていた。
体調が悪いわけでもないのになにもしていなかったなら、そっちのほうがよくないのではないか。こんなことでは役立たずとして捨てられる。けれど灯真は黎を咎めることもなく入浴をうながし、黎が風呂に入っているあいだに夕飯の準備も済ませていた。
「ごめんなさい」
キッチンに立つ灯真に黎が言うと、灯真は困ったように笑った。
「なんで謝ってんの。おまえはなんも悪いことしてないだろ」
灯真はそう言ったが、黎からしてみれば、悪いこととしか思えなかった。夕飯を用意しなくたって間違いでも咎められることでもない。灯真にはこれまで何度もそう言われていたけれど、どうしようもない罪を犯したとしか思えなかった。
灯真はそんな黎の胸中を見透かすように眉を下げ、「なんも悪いことしてないから謝らなくていいんだよ」とくりかえした。けれど黎は、その言葉に素直にうなずけなかった。
黎は夕飯として、食べなかった昼食を食べると言ったが、灯真はそれを受けいれてくれなかった。「おまえのぶんはこれ」と灯真が出してくれたのは、たくさんの野菜と少しの肉が入ったかきたまうどんだった。灯真は黎の残した昼食と味噌汁を食べるらしい。
灯真は「気にすんな」と言ってくれたけれど、黎は申し訳なくてしかたなかった。萎縮しているうえに少し気を抜けば思考が昨晩の灯真の話に飛躍してしまうせいで、灯真との会話もまともに続かない。灯真は眉を下げて物言いたげな表情を浮かべてはいたものの、深く追及してくることはなかった。
「今日はいろいろ休みにしよ。のんびりしてな」
食後、灯真は黎にそう言い、夕飯の後片付けもぜんぶ済ませてしまった。役に立っていない、と黎は内心強く思う。役に立つために家事をしているわけじゃないはずなのに、役に立たなければ捨てられるという恐怖がふくれあがっていく。
灯真はそんな黎の様子に気づいているのかもしれないがなにも言わず、ゲーム機を起動した。それを見て、今日が金曜日なことに気がついた。
「眠かったら寝ててもいいよ。俺寝るとき、声かけるから」
灯真にそう言われ、黎ははっとする。いつも金曜日は灯真が遅くまでゲームをしている。黎はそれを眺めているうちに寝落ちてしまうことが何度かあった。これまでは目を覚ましたら灯真がすでにおらず、暗い部屋にひとりになっていたが、今日はお試しをするから起こしてくれるらしい。
今夜も、灯真と一緒に眠る。それを考えるとなんだか気持ちがおちつかなくて、まとわりつくような眠気もどこかへ消えてしまった気がした。
黎はぼんやりと灯真とゲーム画面を眺める。灯真はやはり、いつもどおりに思えた。ゲームをプレイする表情はリラックスしているように見える。黎の様子がおかしいことには気づいているだろうが、なにも言わない。しばらくゲームの音とコントローラーの操作音だけがリビングに積もったあと、ふいに灯真が黎のほうを向いた。予期せず目があって、黎の心臓がどきりと跳ねる。
「黎、ココア作るけど飲む?」
灯真に訊かれ、黎はほとんど反射で首を横に振った。灯真は「わかった」と軽い調子で言い、キッチンへ向かった。
その姿を目で追いながら、そういえば今夜はビールを飲んでいないんだなと気がついた。
梅雨の、灯真が薬を飲んで調子悪そうにしていたころは飲酒を控えていたけれど、最近はまた飲むようになっていたのに。どうかしたんだろうか。また体調が悪いんだろうか。それにしては、顔色はいいように見える。背筋もしゃんと伸びているし、あのころのようにぐったりとした雰囲気は感じられない。
それなら、どうして。気分ではなかったんだろうか。気にはなったけれど、今話しかけたらよけいなことまで言ってしまいそうだったから、黎は口をつぐんだままでいた。
灯真はマグカップ片手に元の場所に戻り、また黙々とゲームのプレイを再開した。あちこち走りまわり、敵と戦っている画面をぼうっと見る。
やってもいいと言われたけれど、結局ゲームには手を出したことがない。灯真がいないときにひとりでさわるのはこわいし、灯真がいるときなら灯真にやってほしかった。自分でやるより、灯真がやっているところを見ていたい。最近はなにをしているのかも、なんとなくわかるようになってきた。
けれど今日は頭の中がごちゃごちゃしているからかゲームの画面にほとんど集中できない。気づいたらさっきまでいたところとはまったく違う風景が広がっていることばかりだった。




