5-2
電子音が聞こえて目が覚める。まぶたをあけるとすぐそこで灯真が眠っていて、黎は息を呑んでしまった。なんでここに灯真が。寝起きだからかまだ頭が働いてない。アラームの音がずっと鳴っている。
のっそりと腕を伸ばした灯真が、手探りでスマホを取り、アラームを切る。途端に部屋が静かになった。
灯真は起きることなく、小さくうなりながらふとんへ潜っていく。その様子をぼんやりと眺めているうちに、昨夜の記憶がよみがえってきた。そうだ。灯真の寝室で一緒に寝たのだ。
眠る前はあんなに緊張していたにもかかわらず、気づいたら朝だった。ソファで眠っているときはよく夜中に目を覚ましているし、前回ここで寝たときは灯真の体調が気になってほとんど眠れなかった。なにが違うんだろう。わからない。よく眠れたということだけは確かだと思う。
黎は灯真を起こさないよう、慎重に腕を伸ばす。いつもながら一晩中枕にしていた腕は痺れ、自分のものではないかのように重い。首も凝っている。手をにぎったりゆるめたりをくりかえしているうちに、二度目のアラームが鳴った。突然の音に黎の体が跳ねる。
灯真はやはりうなりながらではあるものの、さっきよりもはやくアラームを止めた。今度はふとんへ潜ることなく、大きく伸びている。ソファで昼寝している灯真は何度も見たことがあるが、それとはなんだか違う雰囲気だ。動きがかなりにぶい。これもソファと布団の違いなんだろうか。
長く息を吐いた灯真がもったりと目をあける。緩慢に瞬きをしたあと、その視線が黎をとらえたのがわかった。「え」と灯真が声をもらす。
「なに、おまえ、ずっと起きてたの?」
驚いたように訊かれ、黎は寝転んだまま首を横に振った。
「アラームで起きた」
短く言うと、灯真の表情がふっとゆるんだ。
「そっか。もしかしておまえ、寝起きいいのか?」
灯真は手の甲で目をこすりながら言った。そうなんだろうか、と黎は考える。眠くて起きられなくなったことはない。小さい物音でも起きてしまう。それは、寝起きがいいということなんだろうか。
考えているあいだに、灯真がもう一度伸びてからゆっくりと上体を起こした。
「おはよ」
「おはよう」
あくびまじりに声をかけられ、黎もつられてあくびをこぼした。灯真に続いて起きあがる。
「寝れた?」
「……わかんない。たぶん」
「途中で起きたりとかした?」
黎は首を小さく横に振った。それを見た灯真の瞳がゆるやかに細くなる。
「ならよかった」
灯真はそう言って、黎の頭をくしゃりと撫でたあとベッドを降りた。そのうしろをついていく途中で、今日はいつもの朝の流れがなかったな、と思った。頭を撫でたあと、毛布を直してくれるあの流れ。灯真より先に起きていたからだろうか。いつもみたいに寝たふりをしておけばよかったかもしれない。
並んで歯磨きをしながら、朝にこうして一緒に歯を磨くのは初めてだな、と気づいた。急にそわついてしまい、黎は立ったままつまさきをもぞもぞと動かす。けれど灯真は普段と変わらないように見えた。どうしてこんなにいつもどおりなんだろう。昨日も、今日も。
黎は疑問に思いながらも口をゆすぎ、顔を洗う。灯真は「先行くね」と黎に声をかけ、リビングへ戻っていった。
少し遅れて黎も戻ると、灯真はすでに朝食の用意を始めていた。黎は食卓につき、手際よく動く灯真を眺める。コーヒーの香りが鼻先にふれた。
灯真は今日もあっという間にふたりぶんの朝食と黎のぶんの昼食を作ってくれた。黎の向かいに座った灯真が手を合わせる。黎も同じように手を合わせ、ふたりそろって「いただきます」と挨拶をした。
「んで、お試しはどうだった?」
しばらく食べすすめてから、灯真が切りだす。どうと訊かれても、なんと答えればいいんだろう。黎はわずかに眉を寄せる。
「わかんなかった」
「そっか」
黎の返事を聞き、灯真が目元をかすかにゆるませる。
「まあでも、寝れたんだろ? 体痛かったりとかは?」
「平気。痛くない」
答えたあとで、腕が痺れていたり首が凝っているのは痛いに入るんだろうかと気になった。でも黎自身は痛いと思っているわけではない。迷っているあいだに灯真が「ならよかった」とうなずいたので、じゃあいいかと思うことにした。
「どうする? 今日もお試し続けてみる?」
灯真に訊かれ、黎は考えこむ。ソファとベッドの違いは、まだよくわかっていない。途中で起きなかったくらいだろうか。お試しを続けた先でなにかが変わるのかもわからない。だからといって、やめたいと思う理由も今のところなかった。黎は悩んだ結果、黙ったまま小さくうなずいた。灯真がにっと口角を上げる。
「んじゃ決まりな」
黎は自分でうなずいたものの、今日も灯真と寝るのか、と内心考えていた。灯真はやはりいつもどおりに見える。なんでそんなに平然としているんだろう。黎は今夜のことを思うともう緊張しはじめているのに。……慣れているんだろうか。
黎が悶々と考えているあいだに、灯真は朝食を食べおえ、テレビのニュースを見ながらのんびりとコーヒーを飲んでいた。黎も少し遅れて食べおえると、灯真がぱちんと手を合わせた。黎も同じように手を合わせ、そろって食後の挨拶をした。
「洗い物する」
「ん、ありがとね」
黎が食器をまとめて立ちあがると、灯真はそれを見ながらゆるく眉を下げた。
最近、朝食のあとの洗い物は黎がしている。黎からそうしたいと灯真に言った。灯真は少し考えていたけれど、やりたいなら、とうなずいてくれた。
黎が洗い物をしているあいだに、灯真が仕事の準備をする。余裕ができたぶん準備もゆっくりになり、それでも時間が余ったら着替えおわったあとに少しおしゃべりをする日もあった。
今日はどうやら余裕がある日らしい。スーツに着替えおわった灯真がダイニングチェアにふたたび座る。黎も食器洗いを終え、灯真の向かいに腰を下ろした。
「ねえ、久我さん」
「んー?」
「今日の晩ごはんも、俺が作っていい?」
硬い声で訊くと、灯真は目元をゆるませて「お、いいよ」とあっさり返してくれた。黎はほっと息をもらす。
先週から、灯真が仕事でいない平日にも少しずつひとりで夕飯を作ってみている。何度か作ったことのあるレシピなら手順もわかるようになったし、灯真につきっきりで見てもらうこともなくなって、灯真がいなくてもなんとかなる気がしてきたから。
ひとりだとそれはそれで緊張や不安もある。けれど、ひとりでも料理を完成させられたときのなんともいえない感情は黎の中にしっかりと残っている。初めて自分で洗濯できたときとよく似た感情。
「なに作んの?」
「久我さん、なに作ろうと思ってたの?」
黎が訊きかえすと、灯真が「うーん」と首をひねった。
「鶏肉使おうかなとは思ってた。あとはなんにも」
「じゃあ、俺も、鶏肉のなんか」
「わかった。楽しみ。作れなくても大丈夫だからな」
灯真に言われ、黎はうなずく。灯真は口元をほころばせながら立ちあがった。どうやらもう仕事に行く時間らしい。玄関へ向かう灯真の背中を追う。
「外出たくねえー。絶対暑いじゃん」
あからさまにげんなりした様子で灯真が言う。先日買い物に行ったときの灼けつくような陽射しを思いだし、首のうしろに汗が浮いた気がした。
「んじゃ行ってきます」
「うん、行ってらっしゃい」
灯真がドアをあけると、蒸した外気がむわりと入りこんできた。灯真が顔をしかめて出ていく。見送りを終え、黎はとろとろと部屋へ戻った。ラグに腰を下ろしてすぐ、昨夜の記憶がよみがえってくる。
これまでも誰かとベッドで一緒に眠ったことはある。今までの飼い主たちとはたいていそうだった。
けれど昨晩のように、なんの役割も求められないまま眠ったことはない。ベッドで眠るときはセックスがついてくるか、それがなければ彼女たちの恋人という役割に合うよう、癒したり甘やかしたりを求められるかだった。
灯真はそのどちらも黎に求めたりしない。セックスにいたっては禁忌だ。必要以上に身を寄せることなく、ひとりとひとりでひとつのベッドとひとつの布団を共有して寝るだけ。灯真がさみしくならないように一緒に眠ったあの夜ともどこか違ったと思う。黎にとっては初めてで、ふしぎな感覚だった。今もまだ、昨晩のそわそわとした気持ちが胸の奥に残っている気がする。
でも灯真は、昨晩も、今朝も、どこまでもいつもどおりに見えた。灯真にとって、あれは緊張しないできごとなのだ。つまり、それほど慣れているということなんだろうか。誰かと、一緒に眠ることに。
さっきかき消された疑問がまた腹の奥から湧いてくる。灯真がそういうことに慣れているのではと思うほど、胸がなんとなくもやもやして、息苦しいような気になった。
どうしてこうなるのかわからない。黎はタブレットの検索アプリで、胸がもやもやする、と検索してみた。結果は、ストレスや自律神経の乱れと書かれている。自律神経は確か、灯真が乱れやすいと言っていたなにかだ。黎にはよくわからないもの。
今度は自律神経で検索してみたら、あまりにも難しい言葉がたくさん出てきた。黎はタブレットから顔を上げ、息をもらす。
ストレスという言葉は黎にもわかる。しかし、自分はストレスを感じているのだろうか。こんなに恵まれた環境にいるのに? なにに対してストレスを感じているというのだ。
黎はくちびるの端をかすかに歪め、ふたたび息を吐いた。映画のアプリをひらく。今は、なにか別の世界に没頭したい。
そう思っていたはずなのに、映画にはほとんど集中できなかった。黎の頭の中はずっと、誰かと一緒に寝ることに慣れている灯真でいっぱいだった。




