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ほんとうは毎日料理を作れるようになりたい。けれどなにかあったときにひとりだとどうしていいかわからなくなると思うから、料理をしたくなったら、しばらくは灯真もいる土日に作ってみるということになった。
なにを作るか、なにを食べたいかはまだなかなか選べない。灯真に好きな料理や食べたい料理を聞いたり、冷蔵庫にある食材から灯真がおすすめしてくれた料理を作ってみている。レシピはタブレットで検索しているけれど、料理の最中に汚したくなくて、苦肉の策で灯真に買ってもらったノートにレシピを書きうつしてから作ることにした。ノートなら、汚れたとしてもタブレットよりはまだ罪悪感が小さいと思ったから。
でもそうすると、今度はノートの中身が映画やレシピでごちゃごちゃとしてしまった。なんだか少し気になると思っていたところに、灯真が「ノート分ける?」と提案をしてくれた。
黎は最初、申し訳なさから断るか悩んだ。けれど最終的に灯真にお願いして、灯真の案でルーズリーフとバインダーをレシピ専用のノートとして買ってもらった。
キッチンで使うときは、そのレシピのページだけをクリアファイルに入れておく。そうしたらページそのものは汚れにくいし、ファイルも拭けばきれいになる。そのおかげで、料理の最中にノートを汚してしまうかもと不安になることが少なくなり、料理に集中できるようになった。
黎は作ったレシピのページの一角に、灯真に言われたことや感想も書きとめるようにした。黎にはまだ味や仕上がりについてこまかいことはわからないし、灯真はお世辞を言わないと最初に言っていたとおり、素直であけすけな感想やアドバイスをくれるから。
灯真は黎の作る料理を、いつもおいしいと言ってくれる。しかし、一度盛大に鮭を焦がしてしまったときばかりはおいしいとは言わず、「さすがに苦いな!」とあっさり笑って、食べられるところだけを食べてくれた。
失敗してしまったからもう作らないほうがいいのではとおちこんでいたら、灯真は「そういうこともあるよ。俺もいっぱい失敗してきた」と言ってくれた。その言葉に励まされ、それからも料理を続けられている。
自分で料理をするようになってから、黎は以前よりも食事に対して興味を持つようになった。
まずは灯真の作ってくれる食事がどんな名前で、どんな具材が使われているのか、どんなふうに作られているのかを知りたくなった。黎が訊くと、灯真は嫌な顔ひとつせず黎の質問に答えてくれた。そこで初めて知ったが、灯真の作る夕飯にははっきりとしたメニュー名がないものがずいぶん多かった。今あるものからレシピを見ずに自分の感覚と勘を頼りに料理をする灯真は、ほんとうにすごいと思う。いつか自分も、そうなれる日が来るのだろうか。
ひとりのときに料理をするのはこわいけれど掃除ならできるかもしれないと思い、黎はメモを見ながら家の掃除をやってみることにした。灯真は半日もかからずに家中の掃除を終わらせていたけれど、黎はいちにちかけても灯真の半分程度を終わらせるのがやっとだった。
「今日はどうだった?」
その日の夕飯のとき、灯真からいつものように訊かれ、黎は掃除していたと答えた。灯真は「そっか」と言い、そこからは掃除の大変さについてお互いに話した。
けれどそれが三日続いたとき、灯真は難しい表情になった。
「……新しいことに手出したとき、楽しくてたくさんやりたくなるみたいなのは、俺もわかるよ。おまえがやりたくてやってるなら、ぜんぜん、いいと思う。でも別に、掃除は黎の義務でも仕事でもないからな。やってもやらなくてもいいことだよ」
灯真にそう言われ、黎ははっとした。やってみたいと思ってやっているつもりだ。けれど、昨日やったのに今日はやらないというのは間違っているのではないかと思う自分がいたのも事実だった。自分はもしかしたら、掃除を自分の役割にしようとしていたのかもしれない。灯真が望んだわけでもないのに、勝手に。黎はそれに気づき、ぎゅっと手を握りしめた。
「おまえが掃除してくれたからって、俺も自分で掃除するのやめない。それは、おまえの掃除の腕が信用できないからじゃなくて、俺が習慣を変えたくないだけ。おまえがやってなかったとしてもなんにも言わない。感謝はしても、責めたりしない。それだけは覚えておいて」
やわらかく笑んでいる灯真の言葉に、黎は黙ってうなずいた。
その言葉どおり、灯真は毎週土曜に家中の掃除をするルーティンを変えなかったし、黎も灯真のうしろをついてまわるのをやめなかった。
自分でも掃除をするようになって、灯真の手際のよさと丁寧さがよりわかるようになった。すごいと思う。いつか灯真のようにてきぱき掃除できるようになるのだろうか。想像できないまま、毎日少しずつ、ほどほどに、掃除を続けている。
灯真は黎が掃除や料理をしたらありがとうと言ってくれるし、できたことを褒めてくれる。黎からしてみればささいなことでも、灯真は喜んでくれる。灯真に拾ってもらってから、こんなにたくさん感謝されたり、褒められたりするようになった。
それは黎にとって蜜であり、毒のようでもあった。灯真に感謝されるたび、褒められるたび、体の奥が震えて動きまわりたくなるのに、灯真の目を見ることも、ちゃんとした反応を返すこともできず、口をつぐんでしまう。
もっと褒めてほしい。もっと役に立ちたい。灯真のためになることをしたい。
そうすれば灯真は、自分を追いださずにいてくれるだろうか。役に立てば、この家にいてもいいだろうか。
そんな考えが頭をよぎるたび、黎は自分が嫌になった。
掃除も、料理も、この家にいるための役割ではない。灯真のためになにかしたいからしているだけで、自分がここにいてもいい理由としてやっているわけではない。たとえ黎がそういうことをしなくても、いまさらそれを理由に灯真が黎を追いだすことはないと、さすがにわかる。
にもかかわらず、この家にいるためにはもっと役に立たなければと思ってしまうことがある。そんなこと考えたらだめだとわかっているのに、一度考えはじめたら止まらなくなって、足元がぐらりとかしぐような、言いようのない不安感にも襲われる。
役割がなくても、なにもしなかったとしても、それを理由に灯真が黎を追いだすことはきっとない。
でも、ここにいることを保証されているわけでもない。
黎がなにかを間違えれば、灯真はきっと黎を追いだす。家事をしないというのがその理由にならないだけで。だって灯真は、次はない、と言っていた。あの間違えた夜について話していたときに、もう二度とするな、と。じゃあ次になにかを間違えたら、そのとき、自分は。
――ねえ、俺、役に立ってるよね。だからここにいてもいい? もっと役に立てるようにがんばるから、ずっと、ここにいてもいい?
灯真に感謝されるたび、褒められるたび、喉元までそんな問いがせりあがってくる。黎はそれを必死に腹の底へ隠した。そんなことを聞いてしまったら、もうここにはいられなくなるような気がしたから。
気づけば季節はすっかりと夏になり、灯真は日々暑さにうなってはいるものの、もう毎日薬を飲むようなことはなくなっていた。黎はひとりでもできることが増えてきて、自分が嫌になることも、増えている。




