3-12
昼食を終えてから、灯真はソファに座り、タブレットを使ってなにかをしていた。黎は灯真の足元に座り、その様子を眺めた。
「よし、こんなもんかな」
しばらくして、灯真が顔を上げて黎を見た。そのままソファの空いた座面を軽く叩く。
「そこだと画面見づらいだろうし、こっちおいで」
穏やかな声で招かれ、黎はわずかにためらったものの灯真の隣に腰を下ろした。こうしてソファに並んで座るのは初めてだ。いつもより近い距離が慣れなくて、黎はもぞもぞとつまさきをこすりあわせる。
「とりあえず使いそうなものはこっち、あんまり使わなさそうなのはここにまとめたから」
灯真は黎にも見えるようタブレットを寄せながら、画面を指さした。画面の左上に使うもの、右下のほうに使わないものがまとめられているらしい。黎は黙って灯真の話を聞く。
「まずひとつめが、映画とか見れるアプリね。俺がテレビで使ってるのと同じやつ」
そう言って灯真がアイコンをタップすると、画面がぱっと切りかわった。たしかに、いつも映画を見るときに灯真が操作している画面とよく似ている。
「ひとまず俺のアカウント紐付けしてあるから、ここに出てくる作品はどれでも見れるよ。映画も、アニメも、ドラマも」
灯真の指に合わせて画面が動く。みっちりと表示されたサムネイルを見ていると、なんだか目がちかちかする気がした。
「つっても、今は俺にあわせておすすめされてるから、レイには合わないかもしれないけど。まあいろいろ試してみるといいんじゃないかな。使いなれてきたら、レイのアカウント作ってもいいと思うし」
「……なにを見るか、どうやって選べばいいの」
画面を見たままぽつりと訊くと、灯真がやわらかく息をもらした音が聞こえた。
「そうだなあ。どう選んでもいいと思うけど。適当に目についたやつとか、ランキングの上から順に見るとかもありだと思うし、俺と見た映画をまた見てみるとかもありなんじゃないかな」
「そうなの?」
同じ映画をまた見る、ということに驚き、思わず口を挟んでしまった。灯真は「そうだよ」とこともなげに答える。
「一回見たのはもう見ちゃだめとか、毎回違うのにしないといけないなんてことないよ。見てみたけどなんか合わないとかおもしろくないと思ったら、途中でもやめていいし。ぜんぶレイの自由だと俺は思うよ」
自由、という言葉を口の中でつぶやく。明確にどうするか決めてもらえたほうがいいのに。けれど灯真がそれはしないだろうなということももうなんとなくわかっていたから、黎は黙ってうなずいた。
灯真と見た映画をまた見てもいいと思うと、胸の奥がなぜかそわりとする。けれど、黎がタイトルを覚えているものはなかった。どんな話だったか覚えていられればそれでいいと思っていた。タイトルがわからなければ、きっと探せないだろう。もったいないことをしたのかもしれないといまさら気づく。
「とりあえずこれの説明はこんなもんかな。今一気に言ってもわけわかんないだろうし、使ってみてわかんないことあったらまた訊いて」
そう言って、灯真がタブレットを最初の画面に戻した。
「じゃあ次はこれ。本が読めるアプリ」
そう言って灯真は左から二番目のアイコンをタップした。タブレットの画面がまた変わる。
「これも俺のアカウント紐付けしてあるから、読み放題対象の本なら小説でも漫画でも雑誌でもなんでも読めるよ。でもこっちはさっきの映画のアプリと違って、買わないと読めない本もあるんだよね。もしなんか読んでみたい本があったら教えて」
話を聞きながら、黎は知らず知らずのうちに眉間に皺を寄せる。なんの反応も返せない黎を訝しんだのか、灯真が黎の顔を覗きこんできた。間近で目が合い、思わず息を詰める。
「本、興味ない?」
そう訊ねられ、黎は少し迷ってから首を横に振った。
「わかんない。……漢字、読めないから」
自分でもわかるくらい消えそうな声でそう言うと、灯真が一瞬瞠目したのがわかった。けれどすぐにやわい笑みを浮かべる。
「ひらがなも難しい?」
穏やかな声で訊かれ、黎はさきほどよりも勢いを強めて首を横に振った。灯真と目を合わさないようにしながら、もごりと口をひらく。
「ひらがなと、カタカナは読める。あと、簡単な漢字も。でも、むずかしいのは読めないし、むずかしい言葉も、わかんない……」
言いながら声が震えてしまい、黎はぎゅっとくちびるを嚙んだ。
灯真と暮らすまではまともに字が読めなくても気にしていなかった。同じように字が読めない飼い主もいたし、読まないといけない、あるいは書かないといけない状況もあまりなかったから。
けれど灯真と暮らすようになってから、なにが書いてあるのかよくわからないことがたくさんあった。映画だけでも、最初に選ぶとき、始まってからタイトルが出てきたとき、字幕というものを読むとき、その他にも、たくさん。
それを灯真に伝えたことはない。伝えられなかった。灯真が当たり前のように読めるものを、自分は読めない。それを恥ずかしいと思ってしまったから。
耳が、頬が、目の奥が熱い。灯真は少し間を置いてから体を起こし、「なるほどなあ」とどこか気の抜けた声をもらした。
「そっか。それは、困っただろ」
ばかにされることもなく受けとめられ、黎は目を瞠る。灯真はそのまま話を続けた。
「もしなんか読みたいって気持ちがあるなら、絵本とか児童書から手出してみるのもありかもな」
絵本、という言葉を聞き、黎の顔がますます熱くなる。むっつりと黙りこんでいると、灯真がかすかに息をもらしたのが聞こえた。
「嫌だった?」
「……だって、絵本って、こどもが読むやつじゃん」
気を抜けばまた声が震えてしまいそうで、黎は顔をしかめたままぼそぼそ言う。
「えー、そんなことねえよ」
灯真は軽い調子で言って、タブレットを操作した。画面になにかの絵本が表示される。
「絵本とか児童書ってさあ。こどもも楽しめる本じゃん。ってことは、おとなが読んでも楽しめるものだと俺は思うよ。確かにこども向けかもしれねえけど、おとなが読んだらだめなんてルールはねえよ」
灯真は指を動かし、絵本のページをめくる。黎は灯真の言葉を反芻しながら目を瞬かせた。
「……俺が読んでもいいの」
「当たり前だろ」
「間違いじゃないの」
「いや、なんも間違いなんかじゃねえだろ。実際、おとなでも児童文学好きなひとは世の中たくさんいるし。つうか、俺だってこどものころに好きだった本、今も本棚にあるよ」
「あるの?」
黎は声を上げて灯真を見る。黎の視線に気づいたのか、灯真も黎を見た。すぐそばで目が合う。けれど灯真もこども向けの本を読むということに驚いてしまい、それどころではなかった。
「あるよ。おとなになってからも、たまに読みかえしてる。何回読んでもおもしろい」
そう言って灯真が少しだけはにかむ。そうなのか、と黎は目をしばたたいた。灯真はいつも、黎にはタイトルも読めないような難しい本を読んでいると思っていた。けれど、こども向けの本も読むのか。おとななのに、ほんとうに読んでもいいんだ。
おとなの灯真もおもしろいと思える、こども向けの本。それは、いったいどんな本なんだろう。考えているうちに、くちびるの端がむずりと動く。
「……レイ、その本読んでみる?」
灯真に訊かれ、黎ははっと灯真に目線を戻す。思わずうなずきそうになったけれど、眉を寄せて踏みとどまった。少しの間を置いて、小さくかぶりを振る。
「……いい。読めないから」
黎が呟くと、灯真が「あー」と小さく声をもらした。
「じゃあさ、俺が読み聞かせしようか? おまえが嫌じゃなければ」
「よみきかせ?」
言葉の意味がよくわからず、黎は首をかしげる。灯真はうなずいてから話を続けた。
「俺が文章読むから、レイは聞いてて。そうだな。最初からひとりで読むよりも、そっちのほうがいいかもな。それなら読めない漢字とか、知らない言葉とかあっても、説明できるだろ?」
灯真の説明を聞き、黎の口から浅く息がこぼれる。けれどやはりうなずくことはできず、黎は目線を落とした。
「……でも、それ、久我さんに迷惑かけるから」
「なに言ってんの」
からりと返され、黎はそっと灯真の様子をうかがう。
「なんも迷惑じゃねえよ。迷惑だったらそもそも提案しねえって。ひとりで読み方とか言葉の意味調べながら読むのは大変だろ。頼っていいんだよ」
灯真がやわく笑う。それを聞いて、喉の奥がぐっと詰まったような気がした。軽く息を整えてから口をひらく。
「……いいの」
「いいよ。もちろん」
黎が訊くと、灯真はすぐにうなずいてくれた。いいのか、と黎は灯真の返事を嚙みしめる。
「俺が読むだけじゃなくて、俺が読んだところを次はレイが音読してみるとかも、楽しいかもしんないね」
音読、という言葉に黎ははっとする。懐かしくて苦い響きだった。小学校のころの遠い記憶がよみがえる。当てられてたどたどしい音読しかできないのも、その最中にからかわれるのも、嫌だった。すごく嫌だった。それを思いだしたせいか、黎のくちびるが尖る。
「どうした?」
灯真がふしぎそうに首をかしげる。黎は表情を戻せないまま、小さく息を吸った。
「音読、苦手だった」
「そうなの?」
「うまくできなかったから」
「そっか、なるほど」
黎の返事を聞き、灯真が考えこむようにくちびるに指の背を当てる。
「……でも、俺しか聞かないよ。俺いないときなら誰も聞いてないし」
それを聞き、黎はぱちりと瞬きをした。そうか、と思った途端、肩の力がふっと抜ける。
灯真の言うとおりかもしれない。ここには、灯真と黎しかいない。灯真はたとえ黎が読み方を間違えても、たどたどしかったとしても、からかってこないだろう。確かめたわけではない。けれど、そうだと思えた。だって灯真は、黎が字を読めないと知っても、音読が苦手だと知っても、笑わなかった。
黎は一度深呼吸をしてから、まっすぐに灯真を見る。
「……音読、聞いてもらっても、いいの」
「もちろん。聞かせてもらえるなら、いくらでも聞くよ」
そう言って灯真がくしゃりと笑う。黎はまた心臓が勝手にどきどきしているのを感じながら、くちびるを強く結んだ。
「ひとりのときになんか読んでて、読めない漢字とか、わかんない言葉とかあれば、そのままにしないでメモとか残しておくのもありかもな。そうしたら、俺があとで教えることもできるし」
メモ、と言われ、黎はふたたび苦い顔になる。メモを残すなら、自分で文字を書かないといけない。
「……字、書くのも、苦手」
かぼそい声でうちあけると、灯真が「そうなんだ?」と反応した。黎は小さくうなずいて続ける。
「きたないから……」
黎は膝の上で組んだ手をじっと見る。学校に行かなくなってからはほとんど文字を書いていないし、いまだに自分の名前すら正しく書けない。以前なにかを書いたとき、汚くて読めない、とそのときの飼い主に笑われたのを今でも覚えている。その飼い主の名前も顔も覚えていないのに。
「んじゃ、字の練習もしてみる?」
なにげない調子で訊かれ、黎は手元に目線を落としたまま瞬きをした。字の練習。そんなの、考えたこともなかった。灯真は言ったあとで「うーん」とうなじをさする。
「もし字の練習がしたかったら、タブレットよりも紙と鉛筆のほうがいいかもな。字の練習専用の……テキストっていうのかな。そういうのとかもあるし。さっき言ってたメモを書けるようなノートと鉛筆も一緒に買ってこようか?」
その提案に、黎は慌てて首を横に振った。灯真の眉がやんわりと下がる。
「いらない?」
「……だって、これも、買ってもらったのに……」
視界にはずっとタブレットが映っている。言いながら申し訳なさが募り、語尾が消えていった。少しの沈黙のあと、灯真が口をひらく。
「遠慮しなくていいと俺は思ってるけど、気にする気持ちもわかる。でも、ほんとうに遠慮しなくていいんだよ」
そう言われても、と思いながら、黎はくちびるの内側をそっと嚙む。
「たとえばおまえがなんかやりたいと思って、百万とかするもの買ってほしいって言いだしたら、さすがにね、いいよいいよとは言えない。でも本とかノートは安いっていうか、そんなとんでもない金額じゃないじゃん。おまえが練習したいなら、買ってくるよ」
黎は目線を落としたまま、灯真の話について考える。本やノートがどれくらいの金額なのかはわからない。灯真は安いと言っているけれど、だからって買ってもらってもいいのだろうか。でも、練習をしないと、ずっと字が汚いままだというのもわかる。
困りはてて灯真を見てすぐ、あれ、と黎は思う。灯真の頬が、あきらかにゆるんでいる。……なんだか、嬉しそうに見えるかもしれない。けれどどうしてそんな表情をしているのかわからなくて、黎は訝るように首をかしげる。
「ん? なに」
「久我さん、なんでそんな、……うれしそうなの?」
「え? 俺、嬉しそう?」
灯真に訊きかえされてしまい、黎は戸惑いながらも顎を引く。勘違いだったのかも、と灯真の様子をうかがっていると、灯真は少しの沈黙のあとでうなじをさすった。
「いや……なんか、わかんないけど……苦手なものとか、初めて教えてもらえたなあ、って、思ってた」
そう言って、灯真がはにかむ。黎はきょとんと目を丸くしてしまった。
たしかに、こんなことを話すのは初めてだ。文字が読めないことも、音読が苦手だったことも、字を書くのが苦手なことも。灯真にどころか、これまで誰にも自分からは言ったことがない。……でも、灯真なら言えると、思えたから。
灯真の小さな咳払いの音が聞こえて、黎ははっと意識を戻す。
「まあ、迷惑じゃないのはほんとうだし、おまえが嫌じゃなければ買ってくるよ。どうする?」
灯真に訊かれ、黎はくちびるを結んで考える。
迷惑かもしれないと思うけれど、灯真は迷惑ではないと言っている。申し訳ないと思うけれど、灯真は遠慮しなくていいと言っている。金額にかかわらず、これ以上なにかを買ってもらってはいけないとも思う。でも、嫌だとは思っていない。
黎は息を吸い、灯真を見ながら口をひらいた。
「……久我さん、迷惑じゃないの」
「ぜんぜん。迷惑じゃないよ」
「お金かかるのに、買ってもらってもいいの」
「いいよ。字の練習する?」
灯真に訊かれ、黎はまだ悩みながらも浅く顎を引いた。灯真が「わかった」と答える。
「じゃあ、明日帰りに買ってくるわ」
そう言って、灯真がタブレットの画面を操作した。また最初の画面に戻る。黎は胸の奥があたたかいような、むずがゆいような気持ちになりながら、タブレットに視線を落とした。
「で、これが調べものできるアプリね」
灯真がまた別のアプリをひらき、画面が変わる。
「これを使うと、どういう意味かわかんなかった言葉とか、いろいろ調べられるかさ。なんか気になることあったら、一緒に調べよう」
「……いいの?」
「なにが?」
「そういうの、面倒くさくないの」
「ええ? なんで。ぜんぜん。面倒だと思ってたら、最初からこんな提案しないよ」
からりと返され、黎はつまさきをもぞもぞと動かす。さっき、読み聞かせの話をしていたときにも同じようなことを言っていた。ほんとうに、迷惑でも、面倒でもないのだろうか。
「あとは、動画見れるアプリとか、俺がよく使ってるアプリもいちおう入れてある。まあ、このへんはまた今度教えるわ。気になることがあれば、なんでも相談して。くりかえしにはなっちゃうけど、迷惑だとも、面倒だとも思ってないから」
灯真に言われ、黎は小さく顎を引いた。映画と本だけでもじゅうぶんたくさんなのに、まだ他にもあると言われても今の黎には想像もできなかった。
「んで、これが俺と連絡取れるアプリ」
灯真と連絡。その言葉に黎は目を瞬かせる。タブレットの画面は、またこれまでと違うものに変わっていた。
「おまえと連絡取る手段ないの、ちょっと気になってたんだよな。なんかあれば、これでメッセージ送ってくれたら俺のスマホに届くから。仕事あるし、送ってもらってもすぐ確認はできないと思うけど、そんでも家出て帰るまで連絡できないよりはいいだろ」
「なんか、って、どんなこと?」
黎が訊くと、灯真が「うーん」とうなった。灯真の横顔を見ながら、話の続きを待つ。
「たとえば、体調悪いとか、今すごく困ってることがあるとか、そういうのははやめに教えてほしいかな。でもそうじゃなくても、なんか言いたいことあればなんでも送っていいんだよ。もちろん、これだって無理強いはしないけど」
「なんでもいいの?」
「いいよ。俺もなんかあれば送るかもだし」
灯真がどこかいたずらっぽく笑う。黎はまた胸の奥がそわりとしているのを感じながら、タブレットに視線を戻した。
これまで、誰かと連絡を取りあったことはない。スマホやタブレットを持っていなかったから。言いたいことと言われても、なにかあるのか今は思いつかない。
でもこれからは、灯真が仕事に行ったあと、家でじっと帰りを待つだけではなくなるということだ。なにかあれば、灯真に連絡ができる。黎にはそれが、とても特別なことのように思えた。
「じゃあ、最後にカメラの使い方も説明しておくか」
そう言って、灯真がまた別のアプリを起動した。画面がなんだかもやもやとしたよくわからないものに変わる。
「このタブレットで写真とか動画撮れるし、なんでも好きに撮ってみるといいよ。このボタン押したら写真撮れる。試しに撮ってみる?」
灯真がタブレットを黎に差しだしながら訊く。画面の中にはローテーブルとふたりの足元が映っていた。黎はこくりと唾を飲む。さわるのはまだこわい。でも、教えてもらうと、自分で決めたから。おそるおそるタブレットを受けとった手は、緊張でかすかに震えていた。
落とさないように両手でしっかりと支えながら、画面を目の前にかかげる。画面の中では、灯真の部屋が四角に切りとられていた。自分でなにか写真を撮るなんて初めてだ。
心臓がどきどきと鳴っているのを自覚しながら、タブレットを動かす。試しに撮ってみると言われても、なにを撮ればいいのかわからない。助けを求めるように横目で灯真を見たが、灯真はにこにこと黎を眺めるだけでなにも言ってはくれなかった。
どうしよう。なにを撮ればいいんだろう。テレビ、ダイニングテーブル、キッチン、窓。あちこち画面に映したあとで、黎ははっと思いついた。タブレットを灯真へ向けると、画面いっぱいに灯真の顔が映る。
「え、俺?」
灯真が気の抜けた声をこぼす。黎はゆっくりとうなずいた。
「久我さんのこと、撮ってもいい? だめ?」
声をうわずらせて訊くと、灯真の口がぽかんとあいた。それからすぐに顔をくしゃくしゃにして笑う。
「えー、すげえ恥ずかしいけど、いいよ」
「いいの?」
「撮りたいんだろ。いいよ」
タブレットを向いたまま笑っている灯真の耳は、ほんの少し赤くなっていた。黎はぱちぱちと目を瞬かせたあと、タブレットに視線を戻す。くちびるを結び、指を伸ばす。震えた指先でボタンを押した瞬間、少しだけ息を止めてしまった。かしゃ、と音が鳴る。でも画面の中の灯真は今目の前にいる灯真とまったく同じように動いていた。写真は撮れたのだろうか。
「撮れた?」
「わかんない……」
眉を寄せてじっと画面を見ていると、灯真が「そっか」と笑みまじりに言った。
「じゃあ、撮れてるか見てみようぜ。画面、俺にも見せてもらえる?」
黎はうなずいて、タブレットを灯真に差しだす。けれど灯真は首を横に振っただけだった。
「レイが持ってて。でも、ちょっと画面さわってもいい?」
わざわざ確認され、黎は首をかしげる。聞かなくてもさわっていいのに。うなずきつつも膝の上にタブレットを乗せると、灯真が横から画面を操作した。
「このアプリの中に、撮った写真とか動画が保存されるよ」
その言葉とともに画面が変わる。そこには写真が一枚だけ保存されていた。さっき撮った灯真の顔だ。灯真がそれにふれると、画面いっぱいに写真が表示された。写真の中の灯真は照れくさそうにはにかんでいる。この写真だとずいぶん幼く見えて、黎の口元がかすかにゆるんだ。
「写真も動画も、これから好きなだけ撮りな。でも恥ずかしいから今はもう見るのおしまい」
灯真は早口で説明を終わらせ、写真のアプリを閉じた。それを残念だなと思い、そう思ったことに自分で驚いてしまった。なんでそんなこと思ったんだろう。画面を見ながら目をしばたたかせる。
「この右下にまとめてあるのは、設定とか、あんまり使い道なさそうかなって思ったやつ。いっぱい並んでるとごちゃごちゃしてわかりにくいかなと思ってここにまとめただけで、さわったらだめとかはないから。なんでも好きにひらいてみるといいよ」
黎はさっきの動揺から抜けきれないまま、浅くうなずく。灯真はタブレットから手を離し、黎の頭を軽く撫でた。
「すぐにぜんぶの使い方理解するのはむずかしいと思う。わかんないこと出てきたら、なんでも聞いていいから。とはいえ、今はなにがわかんないかもわかんないと思うし、とりあえずなんでもさわって眺めてみるといいよ。それはもう、レイのものだから。俺も勝手にはさわらない」
黎のもの、と言われ、小さく喉が鳴る。これはもう、自分のものなのか。こんなに高くて大切なものが。それにふれていることに、じわじわと緊張が高まってくる。こわい。やっぱりやめたと返したい。でも、使うと、自分で決めたから。黎は一度深呼吸をしてから灯真に顔を向けた。
「久我さん、ありがとう」
まだ少しうわずった声で言うと、灯真がゆるやかにほほえんだ。
「どういたしまして。好きなこと、嫌いなこと、気になること、興味のあるものないもの、なんでもいいから、見つかるといいな」
灯真が穏やかに言う。黎はタブレットに視線を戻し、ぎこちなくうなずいた。
このタブレットを使って、灯真の言うようななにかを見つけられるのかはわからない。でも、見つけられたらいいな、と思った。見つけられたなにかを、灯真に聞いてもらいたい、とも。
初めてのオリジナル小説です。
楽しんでいただけると嬉しいです。
感想・コメントなどいただけると励みになります。




