3-10
今日はふたりとも映画に集中しすぎたらしい。ピザもサイドメニューも半分ほど残ってしまい、夕飯はその残りにスープを合わせたものになった。「こんな日もたまにはいいか」と灯真が笑っていたのがまぶたの裏に残っている。
黎は夕飯を終えても、まだ映画の余韻から抜けきれないでいた。映画を見る前に聞いた灯真の話が頭から離れない。今日の映画も、知らない世界だった。
「なあ、ゲームしていい?」
ぼんやりとラグに座っていたら、夕飯の後片付けを終えた灯真が訊いてきた。迷うことなくうなずく。
「レイ、なんか飲む?」
灯真が冷蔵庫の前から声をかける。黎は結んだくちびるに力をこめてしまった。灯真はいつも黎に飲み物を聞いてくる。昼だってそうだ。選べないのに。なにか飲みたいのかすらわからないのに。
「レイー?」
ふたたび呼ばれ、黎は意識を戻す。考えこみすぎてしまったらしい。灯真を待たせている。
「い、いらない」
とっさに返事をしたあとで、はっとした。これまで、なにか飲むか訊かれていらないと答えたことはない。いらない、はよくないのではないか。せっかく言ってくれたのに、拒むなんて、そんな。
「そ? わかった」
しかし灯真はあっさりと返事をして、冷蔵庫を閉めた。戻ってきてすぐ、持ってきた炭酸水に口をつける。おそるおそる様子をうかがってみたが、機嫌が悪いようには見えなかった。むしろゲームの準備をしながら口角をゆるく上げている。……じゃあ、大丈夫なんだろうか。
黎は小さく息をもらし、テレビの画面に目を向ける。するとまたタブレットの箱が視界に入ってしまい、慌てて目を背けた。
どうして灯真はずっとそこに置いているんだろう。黎はタブレットが見えないように、それでいて灯真の邪魔にならないように、座る場所を調整する。灯真はすでにゲームを始めていた。そういえば、いつも同じゲームだ。
「……久我さん、そのゲーム好きなの?」
「ん、好きだねえ」
黎が訊くと、灯真が軽い調子で即答した。その言い方から、これも映画と同じ好きだ、と黎は察する。灯真はテレビ画面を見たまま話を続けた。
「ゲームは他にもやるけど、いちばんハマってるのがこれかな。もう五年くらいやってるかも」
五年、という言葉に黎は静かに目を瞠る。すごい長さだ。
「どこが好きなの」
「んー……そうだなあ……」
灯真はゲームを続けたまま、考えているようだった。少しの間を置いてまた話しはじめる。
「いろいろあるけど、どこって訊かれたら、やっぱシナリオだなあ。おもしろいんだよ、これ」
「しなりお?」
知らない単語を思わずなぞる。灯真は「このゲームの物語のことね」と説明してくれた。物語。映画と同じ、物語だ。黎はふたたび画面を見る。画面の中では灯真のキャラクターが森の中を走っていた。
「これも、物語があるの?」
「あるある。つっても、俺はもう終わっちゃってるんだけど」
「終わってるの?」
「そうそう。最新のシナリオまでクリアしてる」
「……終わってるのに、遊んでるの?」
「ふは、そうだよ」
首をかしげながら訊くと、灯真がやわく笑った。
「このゲームは何ヶ月かごとにアップデート……物語とかいろいろ新しいのが追加されるんだけど、そもそもやれることいっぱいあるんだよ。次に新しい話が追加されるまで、今は違うことやって遊んでるの」
そうなんだ、と黎はふたたびゲーム画面を見る。灯真がゲームをしているところはこれまでも眺めていたけれど、ゲームの中でなにをしているのか気にしたことはなかった。今はたしかに、なにか物語が進んでいる気配はない。じっと見ていると、灯真がふいにこちらを振りかえった。
「……レイ、やってみる?」
「えっ」
突然提案され、黎はぎょっと目をむいた。重心が後ろへ傾く。
「い、いい、やらない」
「そう?」
首を振って拒むと、灯真はテレビに向きなおり、またゲームを再開した。ほっと息を吐いた直後、また拒絶してしまったことに気づき血の気が引く。さっきも飲み物を拒んだところなのに、あんなふうに嫌がるなんて。
「興味なかった? ごめんな」
しかし怒られるどころか謝られ、黎は困惑する。謝るべきはこちらのはずだ。なのに、なんで。
「まあ、もしやりたくなったら声かけて。そしたら、レイのキャラ作ろうぜ」
灯真は画面を見たまま続けた。そのあっさりとした態度に、こわばっていた体から力が抜けてしまう。
せっかく灯真が声をかけてくれたのに、黎はそれを拒んだ。にもかかわらず、灯真はいつもと変わらないように見える。なんで。わからない。拒むなんてことがゆるされるのだろうか。
黎は一度深呼吸をしてから画面に目を向ける。気づけば森の中から街中に景色が変わっていた。
興味、とさっき灯真に言われたことを考えながら、黎は首をひねる。やりたくないと言ったのは、灯真が大切にしているゲームをやって、壊してしまわないかと思ったからだ。興味がなかったからではない、と思う。そもそも興味があるとかないとかがぴんとこない。理由も含めてうまく説明できる気もしなかった。……でも、灯真が好きなゲームのことは、知りたい、と思う。
「……それ、なにするゲームなの?」
「え、なにする……?」
灯真が首をひねる。それに合わせて画面の動きがしばらく止まった。「うーん」と灯真がうなったのと同時に、また灯真のキャラクターが動きはじめる。
「ぱっと説明すんの、難しいな。なんでもできるよ。さっき言った物語を読みすすめるとか、敵と戦うとか、ものづくりとか、釣りとか、まじでいろいろ」
「いろいろ……」
「このゲームは、特に自由度が高いからなあ。まったく同じ遊び方してるひとってあんまりいないんじゃないかな。レイ、画面見える?」
灯真がテレビの画面を指さした。その指先をたどるように、あらためて画面を見る。
「これ、世界中のいろんなひとたちが同時に同じゲームで遊んでるんだよ。ネット使って、オンラインで。で、ここに映ってるキャラは、ほとんどが画面の向こうで誰かが操作してるキャラなのね」
黎は画面を見ながら目をしばたたく。今見える範囲だけでもたくさんのキャラクターが映っている。このほとんどが、誰かの操作しているキャラクターだというのか。これほど多くの知らないひとたちと、同じ時間に同じゲームを遊んでいる、と言われても、なんだか現実味がない。
「で、この表示されてるキャラクターのほとんど全員が、それぞれ違うことしてるんだよ。中にはともだち同士で一緒に遊んでるひとたちもいるけど、遊び方がまるっきりぜんぶ同じってのは珍しいんじゃないかな。斎もこのゲームやってるけど、やってることぜんぜん違うから一緒に遊ぶことは少ないし」
頭の中にぱっとイツキの顔がよぎる。あのひともやっているのか。灯真とイツキはとても仲が良さそうに見えたけれど、それなのに遊び方が違うのか。それほどたくさん、することや遊び方があるということなのか。なんだかうまく飲みこみきれないまま、すごい、と漠然とした感想をいだく。
「まあ、だから、なにするゲームって訊かれても難しいな。プレイヤーの数だけ遊び方があるっていうか」
話すあいだも動いている灯真のキャラクターを、目で追う。それだけたくさんすることがあるのに、灯真はあまり迷っていなさそうに見えた。これも選び方があるんだろうか。ピザのときのように。
「……久我さんは、どうやって選ぶの?」
「ん? なにを?」
「すること」
「あー……、え、気分かも」
これまでと違ってあまり時間をあけず返ってきた答えに、黎はわずかに眉を寄せる。また気分だ。
「絶対これやるぞって決めてるときもあるけど、ログインしたけどなんもする気分じゃないとかもあるよ」
灯真の話を聞いて、「え」と小さく声がもれる。
「なにもしないの?」
「うん」
「ゲームしてるのに?」
「うん。なんもしないで放置して他のことしてるときもある」
「そんなことしていいの?」
黎が質問を重ねると、灯真がかすかに肩を震わせて笑った。
「いいだろ。誰かに怒られるわけでもないし。遊び方はそれぞれだよ」
笑みまじりに返され、黎は目を丸くしてしまった。することがたくさんあるゲームで、なにもしないことも選択肢にある。ゲームをしているのになにもしなくてもいい。それでも怒られない。そんなこともあるのか。
「……遊び方、みんな違うの?」
「そうだねえ」
「なにしても、なにもしなくてもいいの?」
「そうだよ」
「それもぜんぶ、正解なの?」
「ん? うん」
「ぜんぶ正解なら、間違いがないから、なにしても怒られないの?」
「ん? いや、ちょっと待って」
それまでゲームをしながら相槌を打っていた灯真が、ぴたりと手を止めた。それからうなじをさする。灯真に言われたとおり口をつぐんで待っていると、しばらくして灯真が小さく息を吸った音が聞こえた。
「なにしてもいい、は違うな。ごめん、間違えた。そりゃ、やっちゃだめなことはあるよ。ゲーム内にもルールがあるし、たくさんのひとが遊んでるんだから守らないといけないマナーだってあると思う。そういうのをやぶったら、そりゃ怒られるよ」
さっきまでとは違い、真剣な声音で灯真が言う。それを聞き、黎の喉がひゅっと鳴った。あの夜の記憶が一気によみがえる。
灯真にセックスしようと言ったら、怒らせた。誰かを怒らせるようなことは、やったらだめなこと。自分は、やったらだめなことをした。だって灯真を怒らせた。あの夜、たしかに黎は間違えたのだ。
なのに、灯真はあのとき怒っただけで、そのあとは怒っていない。黎を叩くことも、怒鳴ることも、追いだすこともない。黎は捨てられないまま、今もここにいる。
「……なんで」
喉の奥から震えた声がこぼれる。
「なんで、おこらないの」
「ん? なに、ゲームの話?」
「おれ、まちがえたのに、なんでおこらないの」
なんで。なんで。腹の中でふくらみつづけていた疑問があふれるように口から出ていく。暗い寝室で顔を歪める灯真が脳裏をよぎった。
「あー……」
灯真が言いよどむように声をもらす。
「それは、このあいだの夜の話をしてる?」
少しの間を置いて、灯真は顔をこちらに向けた。このあいだの夜。その言葉に黎の肩がびくりと揺れる。
ずっとふれないようにしてきたあの夜が、ふたりのあいだに浮いている。ふれたら終わりだと思っていた。ふれた瞬間、ぜんぶ壊れて、終わるんだ、と。だから、今から、終わるんだ。
黎は返事もできないまま体をこわばらせる。灯真はかすかにうなったあと、テレビを消して黎に向きなおった。
「ちゃんと話するか」
灯真は黎をまっすぐに見て言ったあと、目線を外し頭を掻いた。
「いや、もっとはやく話するべきだったんだろうけど……俺も、どうしていいかわかんなくて、なあなあにしてた自覚はある。ごめん。これは俺がよくなかった」
いきなり謝られ、黎は瞠目してしまった。慌てて首を横に振る。灯真が謝る理由がわからない。謝ってほしくない。謝るべきなのはこちらだ。それなのに、まだ、一度も。
「……まあ、怒ってはいるよ。今も」
静かに、けれど重い声で告げられた言葉を聞いて、黎の呼吸が一瞬止まった。今も。灯真は今も、怒っている。
「ふざけんなとは思った。……まあ、そりゃ思うだろ。つうか、あんときもブチギレちゃった自覚はあるし。誰かの胸ぐらなんて、初めて掴んだわ」
はは、と灯真が笑う。はは、という音をただ口にしたみたいな、乾いて力のない笑いだった。
「うん、そうだな。ちゃんと言っておく。怒ってるよ。おまえが俺のこと、ゲイだからって雑に扱おうとしたこと。しねえっつってんのにしつこかったこと。おまえがなにを考えてたのかはわかんねえけど、しないっつったらしないんだよ。しないって、同意してねえどころか拒否ってんのにヤろうとしてくんのは、そんなもん、暴力と一緒だ。それこそやったらだめなことなんだよ」
同意もないのにセックスするのは暴力で、やったらだめなこと。灯真はそう言っている。じゃあ、今まで自分がされてきたことは、なんだったんだろう。してもいいなんて言ったこと、あったっけ。呆然としていると灯真が息を継いだ音が聞こえて、はっと意識を戻す。
「あんときも言ったけど、俺はおまえとはしたくねえ。これから先もしたいと思わねえだろうし、誘われたってなんも嬉しくねえ。こんだけ言ったうえでまた同じこと繰りかえされたら、どんな状況でも次は出てけって言うよ」
きっぱりと言われ、黎の心臓が大きく跳ねる。
「いや、そもそもあの時点でそうしたほうがよかったのかもしれねえけど……俺に危害を加える可能性があるやつと一緒に暮らしてくなんて、そんなん、無理だろ」
訥々と灯真が話すのを聞きながら、黎は心臓が握りつぶされたかのような痛みを感じていた。出てけと言われる。捨てられる。息が短く、荒くなっていく。
「……でも、できなかったんだよなあ」
険しかった灯真の表情が、かすかにほどける。それを見た瞬間、少しだけ息を深く吸えたような気がした。灯真が目線を落としてうなじをさする。
「俺ひとりじゃどうしたらいいかわかんなくて、斎にも相談した。かなりプライベートな話なのに、勝手に第三者に話してごめんな」
あのひとも知っているのか、と黎は思った。けれどどうして謝られたのかはわからなかった。灯真が話したかったのなら、誰になにを話したって黎に謝る必要はないのに。
わずかな沈黙のあと、灯真が息を吸いなおして黎を見る。
「おまえさ、なんであんなことしたの? 俺がしてほしそうに見えた? それともおまえがしたかった?」
まっすぐに訊かれ、黎の顔がぐしゃりと歪む。歯の根が合わない。「だって」とひらいたくちびるは情けなくわなないていた。
「だって、おれ、それしかしらなくて、おれ、それしかできないし、それしか、わかんない、おれ、おれには、それしかないから」
「……それ、あんときも言ってたよな。なんなんだ、それ」
灯真が声に困惑をにじませて呟く。
「おまえがなにを思ってそう言ってんのかはわかんねえけど、少なくとも、それしかないなんてことはないだろ。なんだよそれ。……そんなこと、ないだろ」
言いながら、灯真がぎゅっと眉を寄せる。なにかに耐えるような、痛そうな表情だった。灯真がそんな顔をする理由がわからない。
「それしか知らないってのもわかんねえし、それが理由だったとしてなんであんなことしようと思ったのかもわかんねえ。それしか知らねえからってなんであんなことしないといけないんだよ」
「だって、だって、そうしないと、おれ、おれは」
捨てられる。そう続けようとして、はっと言葉が詰まった。
ほんとうに? ほんとうに捨てられる? セックスで対価を渡さないと、捨てられる? これまでなにもしなくても、灯真は自分を捨てなかったのに?
「……わかんねえや。なんでそんな話になるんだよ」
灯真の声に意識が引きもどされる。わからない。黎にもわからない。捨てられたくない。じゃあ、じゃあ、謝らなきゃ。捨てられないために。
「ご、めんなさい」
のろのろと体を折り、額をラグにつける。灯真が息を呑んだ音が聞こえた気がした。
「いや、レイ、待て、体起こせって、おまえ、そんなん」
灯真に言われ、黎は浅く息をしながら体を起こす。謝るときはこうじゃないのか。わからない。でも灯真に言われたとおりにしなければ。あからさまに戸惑っている灯真の顔が、じわりとぼやける。
「ごめん、なさい、くがさん、ごめんなさい」
謝罪とともにぼたぼたと涙があふれてくる。泣きたいわけではないのに、止まらない。泣いたらだめだ。うるさいって言われる。ほんとうに? 灯真はそんなこと、言ったっけ?
「……それは、なにに対するごめんなさいなの?」
少しの間を置いて、灯真にぽつりと訊かれる。なにに対して? わからない。ぐちゃぐちゃの頭で必死に考える。
「まち、まちがえ、て、おこらせて、ごめんなさい」
間違えたこと。怒らせたこと。それ以外には、なにがある? まだ足りない? なにを言わないといけない? わからない。いつもは、どうしてたっけ。
「ごめ、なさ、まちがえ、っ、て、ごめん、なさ、も、まちが、っえ、ない、から、ごめ、っ、なさい、いい、こ、いいこに、なるから、すて、ないで、くださ、ごめん、なさい、ごめ、なさい」
「なんだそれ、いいこって……」
嗚咽の合間に灯真の声が聞こえる。いいこにならなきゃ。そうじゃないと捨てられる。ほんとうに? わからない。なにも、わからない。
「謝られても、どうしていいかわかんねえ。謝られたからってゆるして、なかったことにしていいのかわかんねえし、もう二度とすんな、で終わらせていいのかもわかんねえ。まだおまえのしたことには怒ってるし、傷ついてるよ。そりゃそうだろ。おまえからあんなんされると思ってなかった。ショックだったよ」
黎はくちびるを強く嚙みしめる。灯真はまだ怒っている。足りてない。謝らなければ。でも灯真を困らせている。黎が謝ったから。じゃあ次は、どうすればいい? どうすれば、捨てられない?
少し口をつぐんでいた灯真が、大きく息を吐いた。ぼやけた視界で頭を掻いたのが見える。
「でもさあ、俺、こないだも言ったけど……おまえといるの、楽しいんだよなあ。今日だって、おまえとしゃべって、映画見て、ピザ食って、楽しかったし」
楽しかった、という灯真の言葉に、黎の喉がぐっと鳴る。
「今までどおりがいいよ、俺。そんなんだめだろとも思うけど、でも俺、今日、楽しかったんだよ……」
力ない灯真の声に、また涙が落ちる。今までどおりがいい。黎だって、そう思う。でも、そんなことがゆるされるのだろうか。間違えたのに。間違える前だって、なにひとつできず対価も渡せず、ただ世話をしてもらうだけだったのに。
捨てられたくない。でも、捨てられるべきだ。間違えて、怒らせたのだから。いいこじゃなかったのだから。それなのに、灯真がどうしてそうしないのか、わからない。
「怒ってるのも、傷ついてるのもほんとう。あれをなかったことにはできねえ。だからって、おまえのこと捨てるとか、いやその言い方も嫌なんだけど、でも、そんなん……それも、できねえよ」
「……なんで」
「え? なにが?」
「なんで、おこ、てるのに、すてないの」
「なんでって言われても……それとこれとは話が別じゃねえか? 俺はそう思うけど、違うんかな。わかんねえよ、そんなこと」
別なんだろうか。灯真がそう言うのなら、そうなんだろうか。わからない。今までは、怒らせたらゆるしてもらわないといけなかった。ゆるしてもらえなかったら追いだされた。出ていけと、いらないと言われた。言うことを聞けないペットは、いらない。
灯真はゆるしてないと言う。まだ怒っていると言う。でもいつもどおりがいいと言うし、黎のことも捨てないと言う。なんで。わからない。意味がわからない。
「もう二度とすんな。次はない。それ以上なにを言えばいいのか、今はわかんねえ」
灯真の言葉に、黎は小さく息を呑む。もうするな。次はない。じゃあ、次間違えたら捨てられるということだ。もう間違えたくない。セックスは違う。それなら、なにをしたらいい? なにをすれば、灯真に対価を渡せる?
「……おれ、それしかわかんない。おれ、なにしたらいいの」
「なんもしなくていい。昼間も言ったけど、なんかしてほしくて一緒にいるわけじゃない。……つうか、おまえはいろいろつきあってくれてるじゃんか。映画見るのも、メシ食うのも。今日はいっぱいしゃべったし、ぜんぶ楽しかったんだってば。それじゃだめなの? なんでおまえはそんなに切羽詰まってんの。なんか他のことしなきゃいけないの?」
しなきゃいけない、と黎は思う。ここにいるためには、なにかをしなければ、対価を渡さなければ。けれど灯真はなにもしなくていいと言う。黎はなにもしていないのに、していると言う。じゃあなにが正解なんだろう。なにもわからないまま、黎の目からは涙がこぼれつづけていた。
しばらくの沈黙のあと、灯真が「あー、もー」とこぼした。雑に頭を撫でられ、黎は瞬きをする。
「どうすりゃいいんだろうな。俺も。おまえも。ちょっと待ってな」
そう言いのこして灯真がどこかへ行く。どうすればいいんだろう。どうすれば、ここにいてもいいんだろう。考えているうちに灯真が戻ってきた。
「ほら、使いな。顔びしょびしょじゃんか」
灯真に手渡されたタオルをじっと見る。使っていいのか。なにもできないのに。言われたとおり目元をぬぐってみたが、次から次に涙があふれてくるせいできりがなかった。タオルに顔を押しつける。それでも涙が止まらないどころか、ずっと我慢していた嗚咽までまたもれてきてしまった。
「……間違えましたごめんなさいで、ぜんぶ解決することじゃないとは思う。間違えたあとどうするかが大事だとも思うし……ごめん、うまく言えねえわ。おまえがやろうとしたことは消えないけど、だからって今すぐ出てけって追いだしたりはしねえよ。そんなん、俺は……俺も……」
嗚咽の合間に灯真の声が聞こえてくる。なんで追いださないの。間違えたのに、まだここにいていいの。今までどおりでいていいの。これからどうすればいいの。わからない。わからない。……わかりたい。
初めてのオリジナル小説です。
楽しんでいただけると嬉しいです。
感想・コメントなどいただけると励みになります。




