3-6
鍵のあく音がして黎ははっと目を覚ます。少し目を閉じただけのつもりだったのに、気づけば部屋の中は真っ暗になっていた。玄関のほうから物音も聞こえてくる。灯真が帰ってきたのだ。黎は混乱しながら体を起こし、廊下に続くドアを呆然と見つめた。
「ただいま。電気つけるぞ」
灯真の声が聞こえた直後、ぱっと部屋が明るくなった。まぶしくて反射的に目をつむる。
「……あれ、昼食ってねえの?」
その呟きに、黎はひゅっと息を呑んだ。朝から眠りつづけていたせいで昼食どころか水すら飲んでいない。せっかく用意してくれたのに。水は飲めと前に言われたのに。言われたことも、できない。
「レイ? 大丈夫か?」
青ざめる黎のところへ、灯真が足早に寄ってきた。そのままソファの前でしゃがむ。灯真を見下ろすかたちになっていることに気づき、ソファを降りようと腰を浮かせた。
「おい、急に動くな。危ないから、座ってなって」
しかし慌てた様子の灯真に止められてしまい、黎は座りなおすしかなかった。灯真はうかがうように黎を覗きこんでくる。
「どうした? 寝てたのか?」
灯真がじっと目を見て訊いてくる。正直に答えるのがこわい。けれどごまかすのはいけないと思い、黎はためらいがちにうなずいた。灯真がわずかに眉を寄せる。
「体調悪いか? 頭、まだ痛い?」
続けて訊かれ、黎ははっと息を吸った。あんなに頭が痛かったのに、今はもうなんともない。寝たからだろうか。それとも、灯真のくれた薬のおかげなのだろうか。黎は首を横に振って答える。朝は頭を動かすと痛みが走ったのに、今はそれもなかった。灯真がほっと息を吐いた音が聞こえる。
「なら、よかった。ちょっと待ってな」
そう言って、灯真が急に立ちあがった。食卓から水のペットボトルを取って戻ってくる。
「ぬるいけど、いきなり冷たいもん飲むよりはこっちのほうがいいから。ゆっくり飲みな」
灯真にそのペットボトルを手渡され、黎はうなずいてから口をつけた。少し飲んで終わるつもりだったけれど、自分で思っていた以上に喉が渇いていたらしい。一息で半分ほど飲んでから口を離すと、灯真が目元をゆるませる。
「腹減って気持ち悪かったりする? 平気?」
次の質問に答えようとして、黎は首を傾けながら目線を落とした。気持ち悪さはないが、そもそも空腹かさえよくわからなかった。しかし灯真は黎が空腹なことを前提として訊いてきている。それなら、どう答えるのが正解なんだろう。悩んでいると、灯真の眉尻がやんわりと下がった。
「今日、シャワーで済ませるつもりだったんだけど、レイはどうする? やめとくか?」
やめる、という選択肢があることに、黎は驚いてしまった。目を丸くし、言われたことについて考える。
灯真に拾ってもらってから、黎は毎日風呂に入っていた。灯真が以前、清潔でいるために風呂に入る、みたいなことを言っていたのを思いだす。風呂に入れば清潔でいられることはさすがにわかる。でもかつては入らないことだってよくあったし、今も絶対風呂に入りたいわけではない。だからといって、入らないのはゆるされることなんだろうか。
「やめても、いいの」
「いいよ。もちろん。ずっと入らないのはよくないけど、いちにちくらいなら俺もやめとくことあるし、体調悪いのに無理して入るほうが危ないし」
そうなのか、と黎は目をしばたたく。前に聞いた、歯磨きと同じだ。ずっとしないのはよくないけど、いちにちくらいなら大丈夫。でも今体調が悪いわけではないと思う。それなら、どっちがいいんだろう。どっちが正解なんだろう。灯真は着替えすらせず黎の様子を見ている。待たせている。はやくしなければ。黎の中で焦りがふくらんでいく。
「……どっちがいいの」
結局決められずぽつりと訊くと、灯真が少しだけ目を瞠った。
「どっちでもいいけど……入りたいなら入っていいし、やめとくならそれでもいいと思うし」
灯真が戸惑っているのが伝わってくる。灯真の返事を聞いても、どちらが正解なのかわからなかった。どっちがいいの。わからない。どっちか決めないといけない。……でも、灯真が、清潔にすることは大切だと、前に言っていたから。黎は息を吸い、灯真を見る。
「はいる」
短く言うと、灯真はそっと眉を下げ、黎の膝をぽんと叩いた。
「わかった。じゃあ、行っておいで。なんか変だなと思ったら、途中でも出ていいからな。髪は乾かしたげるよ」
そう言って灯真が立ちあがった。黎の持っているペットボトルを指でさす。
「シャワー行く前に、もうちょっと水飲んどきな。脱水で倒れたら大変だから。でも、無理して一気に飲むなよ。俺、着替えてくるわ」
灯真は黎に指示を残し、寝室に行った。言われたとおり水を飲みながら、黎は眉を寄せる。
なんでこんなに寝てしまったんだろう。昨日たくさん寝たと思ったのに、朝から夜まで一度も起きずに眠るなんて。今までも灯真を見送ったあとに寝ていたことはあるけれど、それでもあまり長い時間は眠れず起きていたのに。
そこまで考えて、黎ははっと気がついた。いつもはテレビの音が気になって目を覚ましていたけれど、今日は、テレビがついていない。部屋がずっと静かなままだった。だからだろうか。わからない。でも、静かだったことは確かだ。
黎は息を吐き、今度はテーブルに置きっぱなしになっている昼食へ目を向ける。用意してもらっておいて食べなかったのに、灯真は黎を責めることも怒ることもなかった。なんで、と黎は思う。怒ればいいのに。怒られるようなことをしたのだから、怒ればいいのに。
そう思うくせに、頭の隅では怒られるのは嫌だと思ってもいることに、黎は自分で気づいていた。
初めてのオリジナル小説です。
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