弟・その四
全四話を、一度に読ませて欲しかった……兄さん、この連話は断じて、駄作ではないよ。
これまで書き連ねてきた本連話の読後感想を、私はここに、大幅に訂正せねばならない。
最終話において、前三話はいずれも、豪傑達を再教育、再訓練する目的で施された、訓話形式の暗示であったという、思いがけない真相が判明する。そうなると、事情は変わってくる。
私は当初、第一話の低俗さを痛烈に批判したが、これが実は、被暗示者の知性、品位、倫理観などに照らして、物語の程度を定めた結果だったのだから、根本的に見方を改める必要があろう。暗示である以上、被暗示者を物語に引き込む魅力は肝要であり、語り口も、うんざりさせる訓話調、説教調であるより、血湧き肉躍る活劇調、剣劇調である方が効果的に違いない。
これは奇しくも、理想的な童話の精神に通ずるものがある。凡俗に堕すのも辞さず、手に汗握る展開で読者の心を掴み、教戒を押し付けるのではなく、自らそれを見出だすように仕向ける手法が、優れた童話に共通して見られるのは、周知の事実であろう。本話でも、再教育前の豪傑達に見られる幼児性に鑑みるなら、右が至適な教化法であることに疑いの余地はない。
怪奇趣味や残酷趣味と空想科学的薀蓄との同居も槍玉に挙げたが、これも暗示の物語を紡ぐ上での創意工夫であるなら、何ら不都合はない。肝心なのは一般論ではなく、個別の適合性である。効果的であれば、それでよいのだ。些細な不整合性やご都合主義にしても、しかり。厳密な妥当性を遮二無二求めるよりも、如何に感興をそそるかに重きを置くべきだ。尚、第一話から第三話までに一貫性がないのは、それぞれが独立した話であるからで、不整合ではない。
登場人物の処遇が不公平であるとの指摘も、ここに撤回する。猟銃男と稲妻男は依怙贔屓されたのではなく、個別の指導が必要と判断されたのだ。他方、鼻息男、氷結男、怪力男の三名は、一斉指導だけで十分だったのだろう。こう云うと、恰も前者二名が劣等生であるかのように聞こえるが、そうとも限らない。猟銃男が統率者として負うことになる責務の重さや、稲妻男の会得すべき飛行術の難度に照らせば、他三名よりも手厚い教化が必要だったとも考えられるではないか。彼らは差別されたのではなく、個別に対応されたのだ。尚、第三話における視点の頻繁な移動についても、これが一斉指導なら、多数の視点に対応するのは当然だろう。
頭目の存在感の薄さにも説明が付く。暗示の物語の中で同人の言動が印象的であればあるほど、現実における将軍の振舞いが顧みられ兼ねず、結果、工作が看破されないとも限らない。
このように、前回までに呈した苦言を私はここに逐一、撤回する次第である。しかしながら、当該連話には一つも瑕疵が見当たらない、などと云うつもりもない。先ず、如何に構成上の都合だとはいえ、やはり刺激の強すぎる表現、場面が多見される点が挙げられる。最後には大団円となって、微笑ましい結末を迎えるにしても、児童文学としては如何なものかと思われる。
しかし、それは第三話までの傾向であって、我々は既に、右に関して告白と謝罪を受けているではないか。最終話で王女は、『黒い諧謔に走って』、『筆が滑って』しまったと告白している。そう打ち明けて、可愛くぺろりと舌を出すだけでも、お姫様にとっては立派な謝罪なのだ。
私は何を隠そう、この王女様が大好きになってしまった。父王の決断を受け、王国を救うべく、一心不乱に健筆を振るったに違いない。その過程でつい、あるいは已むなく、幾分はしたない記述をしたのだろう。そこから浮かび上がる人物像は、恥知らずで品のないそれではなく、少々、お転婆で茶目っ気たっぷりのそれではなかろうか。そうに違いない。また、彼女こそが新生豪傑集団結成の立役者であり、今後、自ら彼らを率いて戦わねばならぬ宿命であるのも、忘れてはならない。豪傑の一人との恋愛まで予感させる彼女は、従来の凡庸な王女像を打ち破る、強く、行動的で、進歩的で、それでいて親近感を覚えさせる、次世代型の主人公なのだ。
時に、第三話までに通底する殺伐さとは裏腹に、清々しく毒気のない最終話の風合いに、ある種の白々しさを覚える向きもあろう。人によってはそれを、鼻持ちならない小便臭さと受け取るかもしれない。しかし、今一度、思い出して貰いたい。我々が収集しているのは他でもない、児童文学としての昔話である。大人が読んだら乳臭く感じるのは、当然だ。物語は読者の予想を超えた紆余曲折を経て、戻るべきところに戻ってきた。それだけのことだ。ただ……。




