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第三話・外道賤記

 猟銃男が狙撃に成功し、稲妻男が徒競走を制し、氷結男が罠を無効化し、怪力男が金貨を根刮ぎにし、鼻息男が追手を吹き飛ばす――五人はまんまと、莫大な金貨を王国からせしめた。

 だがそれは、彼らにとって前哨戦、本戦はこれからだ。六人が既に大一番に照準を定め、多少の温度差こそあれ、同様の思いを胸に抱いているのは、掌を指すが如くに明らかだった。

 分母が大きすぎる――という思いを。戦利品を巡る争いは今、火蓋を切ろうとしていた。

 さて、王の追手を蹴散らした六人は、頭目が予め手配しておいたという隠れ家を目指し、森の中を進んだ。正確には、そういう体で歩を進めた――よほどの馬鹿もでない限り、自ら進んで罠に飛び込んでいく者はいない――。一応、隊列らしきものを組んでの行軍だったが、外敵による襲撃を想定してというよりも寧ろ、さりげなく互いを牽制する意味合いが強かった。


 自ら買って出た索敵斥候、進路偵察はおざなりに、稲妻男は素早く頭を回転させる。二軍級の二人――鼻息男と氷結男は、ものの数ではない。問題は怪力男だ。奴を確実に仕留めるためには、同じく厄介な猟銃男と、場合によっては一先ず、共闘せざるを得ないだろう……。


 隊列の前衛を担う千里眼の猟銃男は、未来を見通すように目を眇める。二軍の二人はそれぞれ、一発の銃弾で始末出来る。ところが、残り二人はそうはいかない。ならば両者を争わせて、趨勢がはっきりしたら、一方に加担するのが得策だろう。勝ち馬に乗ればいいのだ……。


 金剛布の風呂敷に包んだ、大量の金貨を背負って歩くのは、怪力男だ。最強の男は、至って慎重だった。膂力だけが力ではない。弱者には弱者の戦略がある。侮ってはならない。それ故、真っ先に襲う二人の弱者は、予め十分に油断させておいて、虚を衝かねばならない……。


 後衛を務める二人のうち、より鼻息が荒かったのは、鼻息男だ。こうしている間にも見縊られていると思うと、腸が煮え繰り返る思いだ。だがそれは、平素から道化を装い、相手の慢心を誘う作戦の賜物でもある。決着の時は近い。間抜けどもよ、目にもの見せてやる……。


 後衛のもう一人、氷結男は独り、冷めた目でこの状況を見ていた。誰もが金貨の総取りを目論んでいる。熾烈な争奪戦となるのは必至だ。ゆめゆめ巻き込まれる訳にはいかない。目的達成のためには殺しも厭わないが、手を汚さずに済むなら、それに越したことはない……。


 とこうするうちに、鬱蒼とした森の木立ちが途切れたかと思うと、一気に視界が開けた。

 六人の眼下に豁然と広がったのは、大海原かと見紛うばかりの、だだっ広い湖だった。

 ここで、藪から棒に事態が動く――。

 短兵急な行動を起こしたのは、怪力男だった。風呂敷を前方に背負い投げ、背後を振り返るが早いか、後衛二人の顔面を正面から鷲掴みにする。鼻息男は鼻孔を塞がれ、氷結男は帽子を押さえられ、各々の特技を使うのも儘ならない。手足をバタつかせるのが、精一杯のようだ。

 突然のことに、猟銃男は絶句した。だが、これはこれで面白そうなので、暫く静観することにする。見ると、稲妻男も半笑いで眺めていた。野郎もまた、高みの見物を決め込むらしい。

 怪力男がここで、更に驚くべき所業に出る。矢庭に片膝を突いたかと思うと、二人の顔を掴んだ儘、先ず跪かせ、次いで腹這いにし、そこから上半身を徐々に海老反らせていき、挙句に体を二つ折りにしてしまったのだ。猟銃男はその時、確かに見た。二人の上体があり得べからざる角度に折れ曲がり、頭頂部がべったりと臀部に接するという、世にもえげつない光景を。

 怪力男はやおら立ち上がると、上半身を綺麗に折り畳まれ、それ以外のぐったりとした肉塊を、汚物を掃き溜めにでも打ち捨てるように、木立ちの間に無造作に投げ入れる。圧倒的な力を見せ付けられ、猟銃男も安閑としていられなくなった。うかうかしていると、こちらまでもの云わぬ肉塊にされる。今ここにある馬鹿でかい危険を、すぐにも何とかしなければ――。

 猟銃男は透かさず得物を構え、巨漢の眉間を狙って発砲した。が、着弾よりも一瞬早く、分厚い掌が的を覆い隠す。稲妻男も動く。呪詛の言葉を囁くべく、標的の耳元に飛び付くが、呪文を唱える前に弾き飛ばされてしまう。寄せ手の二人は同様の攻撃を幾度も繰り返すが、屈強な守り手はその都度、危なげなくそれらを躱し、びくともしない。とはいえ、眉間と耳孔の防御は徒や疎かには出来ぬようで、怪力男が反撃し倦ねているのは、傍目にも明らかだった。

「おい、相棒、俺に考えがある」稲妻男が猟銃男に叫んだ。こいつを相棒と思ったことはないが、まあいい、乗っかってやる。「お前は野郎を撃ち続けて、注意を引き付けておいてくれ」

 猟銃男が指示に従っていると、稲妻男はその隙に、怪力男の投げ捨てた金剛布の風呂敷をごそごそ弄り始めた。野郎、上手いこと云いやがって、火事場泥棒を働こうって魂胆だな――。

 稲妻男にはしかし、大量の金貨を持ち去るだけの腕力はない。そうする代わりに奴は、風呂敷からほつれた一本の糸口を指先で摘み上げ、発砲を続ける猟銃男の鼻先へと持ってきた。

「こいつで奴を縛る」と云うや否や、稲妻男はその場から忽然と消えた。自慢の動体視力でその行方を追うと、奴は糸口を摘んだ儘、常人の目には留まらぬ速さで、仁王立ちする怪力男の周りを周回し始めた。風呂敷から解けた金剛糸は忽ち巨体に巻き取られ、あれよあれよという間に、巨大な糸巻きが出来上がる。怪力男はこれで文字通り、手も足も出なくなった訳だ。

 怪力男は流石に、動揺を隠さない。藻掻いても足掻いても、金剛糸の塊は、そう簡単には外れまい。この期に及んで初めて、奴は悲痛な叫び声を上げるのだった。「風よッ……吹けッ」

 風よ吹け、だと? 何だそりゃ? 苦笑に顔を歪ませた瞬間、猟銃男は真横にいた稲妻男もろとも、前触れもなく吹き荒れた突風により、広大な湖の中ほどに投げ出されてしまう――。


 能力者の子供を保護し、正道へと導く《豪傑学園》では、各々の特技の研鑽以外にも、様々な基礎訓練を生徒に課す。《身体柔軟術》はその代表格で、生徒の多くが自身の得意技と同等の技量を獲得する。鼻息男と氷結男も、その巧者だった。学園主催の慈善興行で、同窓生の怪力男と組んで、斯かる余技を披露したこともある。先刻は、当時の出し物を再演したまでだ。

「そろそろ、いいかい?」《後屈》の姿勢を維持しながら、氷結男が鼻息男に小声で尋ねた。

「――いいぞ」同じ姿勢で、茂みから他者の動静を窺っていた鼻息男は、連中の間で戦闘が始まったのを見て取ると、体勢をゆっくりと通常のそれに戻した。「よく伸ばしとくんだぞ」

「うん」氷結男も体勢を解き、体を伸ばし始める。「久し振りだから、硬くなってるよね」

 どうでもいい感想を聞き流すと、鼻息男は怪力男らの戦闘に視線を戻した。怪力男と二人で書いた筋書きの通りで、寄せ手は手数こそ多いものの、決定打を与えるには至っていない。

「じきに二軍のどっちかが、金剛糸でデカチンを縛り上げる作戦を思い付く。そいつを早漏野郎が実行したら、俺らの出番だ。符牒は『風よ吹け』だ。おい、とんがり帽、抜かるなよ」

「その呼び方、ダサいし、止めてくれよ、ハナチン」さも不服そうに、氷結男が口を尖らす。

「て、てめえこそ、今度そう呼びやがったら」ぶっ殺すからな――と怒鳴ろうとした矢先、鼻息男の視界の隅に、巨大な糸巻きが屹立した。「おい、とんがり帽、出番は近いぞ、集中しろ」

 怪力男が件の合言葉を口にすると、先ず鼻息男が森の木立ちを飛び出し、絵に描いたように油断しきっている猟銃男と稲妻男を、猛烈な鼻息で狙い撃ちにした。二人が湖の真ん中にまで吹き飛ばされると、氷結男が倒けつ転びつ茂みから躍り出る。が、鼻息男はこれを制止した。

「慌てる必要はねえや。見ろよ」鼻息男の指差す先には、大の大人二人があっぷあっぷやっている、無様なこと夥しい光景があった。「豪傑面して、泳げねえでやんの、いい気味だぜ」

「僕はもう、手を下さなくてもいいよね」と、氷結男が見るからに安堵した様子で云った。

「んな訳ねえだろ」口の端から思わず、失笑が漏れる。「苦しませておいて、それからさ」

 嫌がる氷結男を無理矢理に水際まで連れて行き、溺れる二人が同時に水面に顔を出すのを待って、ここぞという瞬間に、指向性の強力な冷気を湖全体に放出させる。湖水は瞬く間に巨大な氷の塊と化し、浮き沈みしていた二つの頭が、遠目にも判るほどぴたりと動きを止めた。

「ご苦労だったな、とんがり帽」鼻息男は口先だけで氷結男を労うと、森の際に予め隠しておいた氷上滑走靴を履き、矢鱈と柄の長い木槌を肩に担ぎ、湖の中央を目指して滑走し始めた。

 似而非豪傑どもは既に凍死している。だが、氷漬けになって、それで終りだと思ったら、大間違いだ。他人を散々、虚仮にしやがって。精々、溜飲を下げさせて貰おうじゃねえか――。

 目的の地点に辿り着いた鼻息男は、凍死者二名の傍らに立つと、氷結男達のいる岸辺に向かって、西瓜大の二つの的を一つずつ、渾身の力を込めて木槌で叩く。冷凍西瓜は無数の赤い破片となって、宛ら宝石箱を引っ繰り返したように、巨大な鏡の表面にばら蒔かれるのだった。


「馬鹿にされてたしね」氷結男が、ぼそっと呟いた。「ああして、溜飲を下げてるんだねえ」

 学園時代に習得した《脱出術》を駆使して、服を脱ぐように造作なく金剛糸の戒めを解きながら、怪力男は思った。鼻息男は、昔は気のいい男だった。しかし、『鼻息とは、笑える』、『何だか汚い』、『すごく、臭そう』、『見苦しい』などなど、強ち偏見とも云えない、どちらかというと的を射た評価を頻々と受けているうちに、性格がすっかり、ひん曲がってしまったのだ。

 そんなかつての同級生を、怪力男は、露ほども気の毒とは思わなかった。気にしなければいいではないか。それが出来ないのは、自らの抱える劣等感の所為だろう。情けないにもほどがある。己れの心に負けるような弱い者に、豪傑を名乗る資格などない。怪力男は、戦略上の理由から狡猾な弱者を警戒することはあっても、弱者に同情を抱くことはなかった。この世は力が総てだ――心身ともに、人類最強を以てを自任する男の、それが揺るがざる価値観だった。

「――だよねえ」氷結男がまだ何か、ブツブツと云っている。「デカチンは、どう思う?」

 全く、鬱陶しい野郎だ。劣等感といえば、こいつも鼻息男と五十歩百歩だ。いや、鼻息男にはまだ、気骨がある。胆力がある。こいつには欠片もない。ダサさからくる劣等感をこいつから取ったら、何も残らない。こいつと話をするのは時間の無駄だ。だから、無視してやった。

 そうこうするうちに、悪趣味千万な儀式を終えた劣等感の化身が、こちら岸に戻って来た。

「よう、デカチン、決着、付けるか?」岸辺に腰を下ろし、靴を履き替えながら、鼻息男が訊いてきた。「降伏するなら、命だけは助けてやろう。但し、金貨は全部、俺のもんだからな」

「巫山戯るな」虚勢に反応したくもないが、一応、売り言葉に買い言葉だ。「やってやる」

「まあ、だろうな」と云いながら立ち上がると、鼻息男は氷結男の許につっと、歩み寄った。

 怪力男は度肝を抜かれた。鼻息男があろうことか、氷結男の帽子に手を掛けたのだ。下手をすれば自分だけでなく、その場の全員が凍り付き兼ねない、それは危険極まる行為であった。

 幸いにも、惨事は起きなかった。些かも冷気を発生させることなく帽子を奪うと、盗っ人はその持ち主を突き飛ばした。そして、無様に尻餅を搗いた被害者の目の前で、犯人は被害品を掌に載せて、二哩先の七基の風車を回転させる鼻息で、山の彼方まで吹き飛ばしてしまった。

「これでお前は常人だ」言葉にならない、甲高い怒鳴り声を上げて抗議する氷結男に、鼻息男は云い放った。「豪傑は常人を殺さないから、お前は死なずに済むってことだ。感謝しろよ」

 さもありなん。この間抜けには、常人の人生がお似合いだ――大きな男は小さく苦笑した。

「さあ、デカチン、これでもう、邪魔者はいない。かかってこいよ、相手になってやるぜ」

 怪力男は、ほくそ笑んだ。確かに、鼻息男の肺活量は尋常ではない。奴はしかし、この天下一の膂力を見縊っている。体中の筋力を総動員して大地を踏んまえれば、村が丸ごと一つ吹き飛んだとしても、持って生まれたこの巨躯は、ここから一歩たりとも動くことはない――。

 豪傑の情けだ、一撃であの世に送ってやる。鼻息男の脳天を目掛け、怪力男は拳を振り下ろした。だが、拳は空を切り、大地を叩く。奴は間一髪、鼻息を地面に噴射して、海老のように飛び退っていた。おいおい、そんな一時凌ぎで、逃げきれると思うのか? さあ、手間をかけさせるな、大人しく潰されるのだ。刹那、怪力男は目を焼かれ、一切の光を奪われた――。


 吹き飛ばされるのを警戒して、怪力男は我が身の重心を低く保っている。そこへ、こちらが急に後退すれば、奴は追ってこようとして、前のめりになる。読みは当たり、奴の高い目線が俄然、引き下げられる。今だッ。奴の目元を狙い澄まして、《鼻毒》をお見舞いしてやった。 

 何を隠そう、鼻息男の鼻腔の奥には、小さな毒嚢があった。ここに溜まった毒液を鼻息で噴霧すれば、大抵の敵は撃退出来る。十分な量の鼻毒が蓄積するには長い年月を要するので、これまでに数回しか使ったことがないし、使い勝手のいい武器だとは云い難いものの、いざという時には抜群の効果を発揮する。単純思考の筋肉馬鹿の出端を挫くには、打って付けだった。

 視力を失った怪力男は最早、脅威ではない。慌てず焦らず、隙を見て弱点の眉間を突けばいい――とは、見込み違いだったようだ。野獣の断末魔の如くに喚き散らし、無茶苦茶に、滅多矢鱈と両腕を振り回すものだから、迂闊に近付けない。鼻毒を噴霧したばかりだし、鼻の粘膜が回復するまでは、呼気にさしたる威力は期待出来ない。参ったな、どうしたものやら……。

 大体、首尾よく眉間を突けたとして、こいつ、本当に死ぬのか? まあいい、死ぬとしよう。でも、こいつの亡き後、金貨の運搬はどうする? 馬車はおろか、猫車すらないぞ。鼻息で吹き飛ばすか?……意味ねえな。生産性のない己れの特技を今更、恨めしく思う鼻息男だった。

 精度の低い攻撃と侮って、注意散漫になっていた。気が付けば、出鱈目に放たれた相手の手拳が、こちらの脳天を直撃しようとしている。こうなると、鼻粘膜の回復が云々などと、悠長なことは云っていられない。鼻息男は肺腑一杯に空気を吸い込んだ。喰らえ、化け物め――。

 世紀の相打ちはしかし、実現しなかった。第三の力が、両雄を瞬時に、呑み込んだのだ。


 これだから、豪傑は馬鹿にされる。あの薄ら馬鹿の猟銃男でさえ、予備の実包を山ほどとナイフを何本も、常に携行するくらいの用心深さは備えていたのに。武器の不具合、故障、損壊、紛失、消耗、枯渇に備えるのは当然だろう。そこに思い至らないのだから、開いた口が塞がらない。氷結男は溜め息混じりに苦笑すると、真新しい予備の帽子を斜めに被り直すのだった。

「頭目……じゃなくて、普段は門番なんだっけ? まあ、どうでもいいけどさ、お前さん、この近くで露営してる《回収部隊》に報せに行ってくれ。『全員死亡、任務完了』って――」

 頭目を演じていた門番は、ものの一〇分もしないうちに《回収部隊》を案内してきた。もう少しのんびりしたかったのに、気の利かない奴だ。気が利かないから、門番か。アハハ……。

 氷結男は畏まって、部隊を率いる指揮官の許へと歩み寄った。「殿下、金貨はこちらです」

「大儀であったな」と鹿爪らしく応じながらも、仔細らしい瞬きを送ってくる、見目麗しくも茶目っ気たっぷりのこの貴人こそが、この国の王女にして、氷結男の直属の上官なのだった。

 王女は王女でありながら、希代の軍師でもあった。王国に蔓延るならず者の豪傑どもを成敗すべく、突飛とも云える稲妻男との駆け較べを催し、そこからの流れで、同人とその仲間を巧みに唆し、潰し合いをするように仕向ける――それは総て、王女の立案した作戦だったのだ。

 豪傑学園在学中に王国軍に徴募された氷結男は、王女自ら長を務める情報部に配属され、豪傑としては軍史上で初めて諜報員となる。今回の作戦行動にも、工作員として参画していた。

 しかし――。入隊から早、一〇年。氷結男はもう、骨の髄まで軍人だった。こうなると、いつまでも現場工作員として汚れ仕事をこなし、危ない橋を渡り続けるのが、厭わしく思えてくる。王国軍の軍規にいい加減なところがあり、階級の昇進も長いこと棚上げにされている。もう下働きにはうんざりだ。この辺で派手な武勲を立てて、そろそろ士官に任用されたいよ……。

 そう、氷結男にとって、今回の《豪傑無力化作戦》が、またとない出世の好機だったのだ。

 金貨の運搬作業を監督していた王女が、氷結男の許へとやって来た。「ちょっといい?」

 二人きりで話がしたいようだ。他の者には聞かれたくないのか? ひょっとして、昇任の話だったりして……違うのかな? 期待と不安とで、氷結男の胸は立ちどころに一杯になった。

 部隊から少し離れたところで二人きりになると、王女は満面に笑みを浮かべて切り出した。「お手柄ね、《雪男》。任務が成功したのは偏に、貴官が現場で連中を誘導してくれたお陰よ」

「お褒めに預かり、有り難き幸せです」と応ずるものの、次の一言が気になって仕方がない。

「でね、貴官にいい報せがあるの」王女は確かに、そう云った。決して聞き違いではない。きたぞ、きたぞ、おいッ。「この度の武功を賞して、貴官を士官に任用することとします――」

 痺れるような快感が、氷結男の脳内を駿馬のように駆け巡った。背中に羽を生やした裸の天使が何体も、祝福の角笛を吹きながら頭の周りを輪舞する。士官、士官、士官、士官……。これでもう、辛い下働きともおさらばだ。これからは、兵を指揮する立場になるのだから……。

「もう士官なんだから、もっと立派な帽子を被らないとね」と王女は云って、後ろ手に隠していた厳めしい軍帽を氷結男に差し出した。「ほら、今度からはこれよ。ちょっと被ってみて」

「左様ですか……では、憚りながら」逸る気持ちを抑えきれず、氷結男はいそいそと氷結帽を脱ぐと、漸く手にした士官の証を頭に被せた。「やはり、身の引き締まる思いが致しますな」

「ふーん、そう?」急に素っ気ない口調になって、王女が云った。そして、二、三歩、ゆっくりと後退すると、悪戯っぽい笑みを満面に湛えて、「《豪傑無力化作戦》、これにて完了――」

 ん? えッ? どういうこと? 王女の一言に、氷結男は大いに混乱した。しかし、すぐにその意味するところを察し、軍帽を脱……脱げないッ、脱げないぞッ、どうしたんだ?……。

「それね、脱げないから」王女の口元が、改めて薄笑いに歪む。「だって、嵌め殺しだもの」

 あれだけ賑やかに祝福してくれていた天使達が、次から次に、バタバタと墜落し始める。

「王国内の豪傑は一人残らず無力化する――そういう作戦だもの、貴官も例外じゃないでしょうに。でも安心して、無力化しても見捨てはしない。貴官は苟も、王国軍の軍人ですもの」

 氷結男は軍帽を脱ぐのを諦め、特殊能力を諦め、立身出世を諦め、人生の総てを諦めた。

「ああ、それから、その帽子、門番の制帽なの。明日からは立哨担当士官よ、頑張ってね」

 肩を叩かれて振り返ると、明日から相棒となる《頭目》が、乱杭歯を見せて笑っていた。

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