二人の女
アリヤは私を別の世界の自分だと言う。
幼い頃から夢に見て、私の夢を描かせてくれたもう一人の自分のような存在だと言うのだ。
確かに同一人物と言ったら同一人物なのかもしれない。ゲームのプレイヤーとゲームの主人公は一心同体のような存在だ。
ならば私にとってアリヤは向こうの世界の私になるだろう。
お互いを認識したのは祖父母の屋敷に来た夜だった。
何とか寝れるようになった部屋の軋むベッドの上で荷解きをしていると身支度を整えるための手鏡を覗くと私の顔が映らず真っ暗な鏡に首を傾げていると線が引かれたように鏡が光り、そこに映ったのは一人の女性だ。
こちらに気付いていないのか独り言を話しており何処かに行ったかと思うと何か…飲み物だろうか?それを飲み一息ついていた。
彼女は、彼女を知っている。
何故か彼女の事を私は知っていた。不思議な感覚だ。鏡に映る彼女は着ている服や髪型などから私が夢に見ていた世界の住人だろうと分かる。
声は聞こえていないのだろうか。話をしてみたいが届かない。
「…ミア」
「はい。おじょう…」
まあそれならこの鏡を通じて彼女の世界を更に見る事も出来るだろう。そして少しでも彼女の世界に近付けるようにまずはこれだ。
ミアを呼んで荷物の中から髪切り鋏を取り出すと彼女に差し出す。青ざめて慌てた彼女は首を振るが私は引かない。
「髪を切ってちょうだい」
そんな、お嬢様。
考え直してください。お嬢様のお綺麗な髪を切るだなんて私にはとてもとてもとミアは言うが最後には折れてくれて私の長い髪を切り落としてくれた。
「あなたは髪を切るのが上手いわね」
「…お嬢様の髪を切り揃えるのをずっとしていましたから…」
「そうね。ずっとあなたに任せていたからね」
長い髪は女の魅力の一つだ。髪を結い飾りを着けて煌びやかにするのが当たり前で髪が短いとまるで男のようだと言われてしまう。だから当たり前に長い髪をしていたが、それは周りに求められているからであって…私の意思ではない。
好きにさせてもらおう。
向こうの世界の私の髪も短い方だ。肩に触れるか触れないぐらいの黒髪でとても軽やかに見える。
「お嬢様…鏡をもう少し…」
「あ、うん」
ミアには鏡の向こうの彼女は見えていないらしい。ただの鏡のようでそこに映っているのはどんどん髪が短くなる私とそれを寂しそうに見つめるミアだけだ。
(何だか…)
向こうは私を認識していないはずなのに…何故かずっと見られている。
「お嬢様。終わりましたよ」
「ありがとう」
「…いかがですか?」
「新しい私の誕生ね」
「…そうですね。片付けて参ります。お嬢様…今夜はもうお休みになって下さい」
「えぇ。ありがとう…おやすみ」
「おやすみなさいませ」
「ミア…」
「はい?」
「着いてきてくれてありがとう」
「…当然の事ですよ?私はアリヤお嬢様の側にいるのが幸せなんですから」
例え断られてもお嬢様の側にいるつもりです。
そう言ってミアは優しく笑って部屋を後にした。
(…さて)
すっかり軽くなった頭を振りながら鏡の向こうの彼女を見る。髪を切る場面を見ていたのか少し驚いたような表情をしていたが彼女は笑って。
“似合ってるよ。格好いい”
そう言った。
はっきり聞こえたその声に内心驚きながらも彼女が私を認識して声が聞こえるようになった事を理解して、必要以上に大声を出さないように冷静に落ち着いた声で。
「ありがとう。嬉しいわ」
そう返すと彼女は口を開けて驚いた。
私と彼女は初めてここでお互いが認識出来ると知った。
驚き夢だと思いながらも言葉を交わしていくに連れて向こうの世界の彼女、リリナ曰くすまほげーむと言うものをしていて私はそのゲームの存在らしい。
それは正直信じがたい。私の世界は確かに存在しておりそれを言えば私が見ている彼女の世界もまるでゲームのようなファンタジーな世界である。
細かな部分や説明が出来ない部分は目をつむり、とにかく私の世界とリリナの世界は別物であるがお互いを認識出来る程に世界が繋がった。
この世界の話をしながらリリナは私に共感して協力してくれる事を承諾してくれた。やはりリリナは私が思った通りの優しい女性だ。
まずはホテル経営をするための情報収集。この屋敷を掃除して綺麗にするところから始まった。
“掃除機とか無いもんね。全部手作業か…”
「掃除機?」
“吸引してごみを吸い取ってくれるの。私の世界だと当たり前だからね”
「すごいわね。発展の極みだわ」
鏡を介してリリナと話す。
あの後分かった事だが夢の中でお互いの世界を見たり知ったりする事は出来るが夢の中ではお互いの世界に干渉は出来ない。
会話をしたり情報交換が出来るのは顔が映る場所、鏡が一番良い。無ければよく磨かれた窓や水溜まり。しかし姿を映せばいつでもと言う訳ではなく…リリナが向こうの世界で“すまほげーむ”を起動させた時のみらしい。
今は仕事の昼休みで自由に出来るらしい。
“夢で見たけど掃除用具は箒とぞうきん?”
「そうね。ここのところ毎日一部屋一部屋箒で掃いてるわ」
“ミアさんは?”
「食料の買い出しに行ってる」
“今の時点で何か協力出来たらいいけど…”
「大丈夫よ。気持ちだけ受け取るわ」
“何か差し入れとか…あ、昼休み終わるわ”
「またね。リリナ」
“うん。無理しないでねアリヤ”
壁にかけていた鏡はリリナの姿を消してつい最近までドレスを纏っていたとは思えない十六歳の女の姿を映した。
短くなった髪に何の後悔も無い。頭が軽くなり心なしか気持ちも軽い。加えて今はこの屋敷に自分とミア以外の住人はいない。
一応この地方に貴族の令嬢が引っ越してきた事にこの地の領主に挨拶に伺ったが、婚約破棄されて家族からも厄介払いされて来た娘に対して領主は何の興味も持っていなかった。
目も合わせずに“どうぞよろしく”と一言だけだった。気にかけてもらえるとは思わないが後ろ楯が無くなった女にはとことん厳しい世界だ。
しかし今は興味を持たれないおかげで人目を気にすること無く掃除が出来る。毎日一部屋一部屋時間をかけて床を掃き、ごみをまとめて濡らした雑巾で床を窓を拭いていく。力仕事だが自分の力で綺麗になっていく様子はとても楽しい。
そしてたくさんある部屋には家具が残されており、流石にベットシーツや寝具、カーテンなどは劣化しており掃除に使えそうなものは切って雑巾にしているが殆どごみだ。
このごみも処分しなくてはいけないが…どうすればいいだろう。
(自分の手で綺麗にするのもいいけど…リリナが言っていた掃除機って言うのがあればもっと楽になるのかしら)
「お嬢様」
「おかえりミア」
「あら…お嬢様…またそんな」
「いいじゃない?誰も見てないんだから」
買い物から帰ってきたミアは私の姿を見てため息を吐いた。それもそのはず汚れてもいいようにとエプロンを着けたのはいいが、私はドレスを膝下まで捲って縛りだらしくなく足を出していた。
こんな姿を見られたらはしたい、だらしない、あの家の娘は女としての品性が無いと言われるだろうが今は誰も、ミアしか見ていない。
「動きやすいのよね。足を出すって」
「淑女が足を出すのは駄目ですよ?」
「あれは…素足をさらすのがはしたないって意味よね…それなら私、お掃除する時に殿方みたいなズボンを履きたいわ。あれなら今のドレスより動けて邪魔にならないし」
「確かに…動けますけど売ってはくれないでしょうね」
「そうよねえ…」
しばらくはこの動きづらいドレスを捲って動くしかないか。
「とりあえず今日は休んで食事を」
ミアがそう言うと窓に何か当たった音がした。怪訝な表情でその方向を向くと屋敷に入り込んできたのか知らない男の子達が笑っていた。
「…あらやだ」
「…何の用事でしょうね」
領主に自分の事情が知られている事からどこかしらで噂が流れるだろうと思っていたが、やはり私の事を男に捨てられたみじめな女だとからかっていい女だと思っているらしく、屋敷の外からせっかく綺麗にした窓に向かって石を投げている。
男に捨てられたのならこちらが慰めてやろうか?と落ちつぶれた貴族様。情けない。可哀想に。お恵みをあげようか?けらけらと笑って私を侮辱する言葉をかけている。
「…屋敷の門は閉めたはずなのに…どこから入ってきたのか…私!注意してきますね!」
ミアが怒りながら彼らに向かっていこうとするがそれを止める。
「お嬢様!おんな無礼な殿方にはしつけが必要ですよ!」
「いいのよ。その内飽きるでしょう?」
「ですが」
「いいのよ。それにあちらは男三人、こっちは女二人。力で叶わないしあぁ言う人は正論を言っても屁理屈こねて聞かないでしょう?」
「……」
「でも屋敷の敷地内に入ってくるのはまずいわね」
「そうですね…古い屋敷ですからどこが朽ちて出入り自由になってもおかしくないですし」
まずは屋敷の内部を綺麗にしようと思ったが…こんな妨害もあるのか。
窓にひびが入ってしまった頃に、私達が何の反応も返さないのがつまらなくなったのか、見知らぬ男三人は帰っていく。
「屋敷を綺麗にしたら…庭の方も整えておきたいけど」
「外に出るとどうも…今と同じ様にからかう輩がやって来そうですね」
部屋の中にいるなら屋敷の扉は鍵をかけれるし安全だが、外に出ている時にまた石でも投げられたら逃げ場がない。打ち所が悪いと怪我ではすまないのだ。
「警備してくれるような男性でも雇えたらいいけど…」
「…悲しい事にそこまでお金が無いんですよね」
ましてや女に仕える男がいるのか。
よっぽど高い位にいないと難しいものだ。
「外での作業が必要な時は私がやりますよ。メイドが外に出て働くのは自然ですし、殿方より大きい私にどうこう言うのは比較的少ないと思います」
「でもねえ…外での買い物も任せてしまってるし」
「平気ですよ。お嬢様は身の安全を優先してください」
「考えておくわ…何か対策を」
仕事が終わりスマホゲームを起動する。しかしアリヤの姿を見えない。どうやら眠っているらしい。
確かに今日は忙しく残業して帰って来たため家に着いて休めたのは夜十時を過ぎてからだった。明日が休みで良かった。
アリヤはどうやら屋敷の掃除をしていたらしく確認すると二部屋が綺麗になっているらしいが窓が傷付いていると表示されていた。
(私が仕事中に何かあったのか…)
アリヤに協力をしたいが私自身がどこまでスマホゲームの世界に干渉出来るだろう。汚れている部屋の数や、屋敷をぐるりと囲む柵のここが壊れているなどと把握は出来るがそこをタップしても特に“直す”“掃除する”などの選択肢は出てこない。
(現代の知恵を与えるしかないのかな…)
そう思っていると屋敷の裏庭だろうか。そこには昔はそこで作物でも育てていたのだろうか。溢れる程の緑の雑草の中に何かが実っている。拡大して見るとどうやら野菜のようだ。
(あ、こんな所に野菜なんて…無農薬かな?そしたら)
アリヤに教えてやろうと思いながら実っている場所をメモしているとそこに何か、白い影が近づく。
「…ん?」
四足で歩行している…これは、犬だ。
「あ、ワンちゃん」
声に出すと白い犬はこちらを見たがやはり私の姿は見えないらしくすぐにそっぽ向いてしまった。
そして放置されて実っている畑に近付くとそれを遠慮無く食べ始めてしまう。驚いて声を上げるとスマホの向こうからも音がして寝ていたアリヤが起きてしまったらしい。
“リリナ?”
「あ、ごめん…起こして」
“いいえ?平気よ…何かあったの?”
「えとね…」
私はこの屋敷の裏庭に畑がある事とそこに今恐らく野生の犬が入り込んで作物を食べている事を知らせた。
“裏にお野菜が?”
「うん。何の野菜かは分からないけど」
“そこを今…野生の犬が荒らして…”
「うん」
“なるほど”
「…アリヤ?待って待って危ないからアリヤ?」
どうして明かりを持って寝巻きのまま外に出ようとしているの?蝋燭の火の明かりはアリヤの何故か興奮した顔を照らしている。
「何を考えてるのアリヤ?」
“昼間に不届き者が窓に石を投げたわ”
「あの窓ガラスのひびの原因それ?」
“女二人で屋敷にいるのは危ないわ”
「……アリヤ、もしかして」
“番犬になってくれるような子だといいけど”
「アリヤ!待って!?」
“お嬢様!?”
夜中に明かりを持って庭に出ようとする異様な姿の主人にミアも起きて驚いた。事情は聞いたが危ないですからと止めるミアの言葉を聞かずに外に出て裏庭に真っ直ぐ行くと想像以上に生い茂った裏庭の中で野菜を食べる白い犬がいた。
「こんばんわ…お犬さん?」
「お嬢様…危ないですから」
見たところなかなか大きいお犬様だ。真っ白で黒い目、家ではお兄様が犬嫌いであったため私が欲しいと言っても聞き入れてもらえなかった。
その夢が叶いそうだ。興奮してきた。
こちらに気付いて野菜を食べるのを止めて渡さないとでも言うように睨み付けていた。じっと目を見つめて伝わるかどうか分からないがミアに明かりを渡して私はあなたを攻撃するような人間ではないと言わんばかりに手を広げて見せた。
「…警戒してるかしら」
「だと、思います」
「そうねえ…あら?」
「どうされました?」
「怪我をしてるわね」
「え?…本当ですね。足の部分か」
「人にやられたのかしら…」
「だとしたら…警戒するのも納得ですね…」
「無理に仲間になってもらおうとするのは難しいかしら…」
「そうですね…」
一歩引いてそのままあなたのお腹が満たされるまでお食べなさいと白い犬の前からゆっくり去って行く。
「…大丈夫ですかね」
「ミアも何だかんだで心配してるのね」
「それは…まあ…そうですよ」
屋敷に戻り部屋で寝直そうとするがやはり気になりリリナに尋ねる。
“下手に近付いて…噛まれたら怖いしね。そっちの世界のワンちゃんが狂犬病の予防接種してるか怪しいし?”
「何それ?」
“とりあえず…お家でも作ってあげたら?”
「ワンちゃんの?」
“屋根がある場所に寝られるだけでも御の字かもよ?”
「おんのじ?」
“屋根のあるお家で眠って…温かいお布団に包まれる…こんな良くしてくれるなんてって感動するよ”
「ワンちゃんが?」
“そう。動物は素直だよ。受けた愛情を返してくれるもん”
「…受けた愛情を」
だから迎え入れるなら家族として迎え入れるんだよ?
リリナにそう言われて考えを改める。
この世界で動物と言えば家畜か番犬。平民の間では暖を取るための生き物でもある。可愛がるために飼うのは貴族の特権だ。
自分はこんな珍しい動物を所有している。お茶会で訪れたご令嬢の屋敷でリボンを着けた大きな犬がいたが、その犬がいかに珍しいかどれだけ高額かと言うばかりであったのを思い出す。
「…まだいてくれたのね?」
私もその考えが抜けていない。自分を守る番犬として所有しようとしていた。その考えを見抜いたのか未だに警戒されている白い犬の彼?彼女?に頭を下げておく。
「この屋敷にはね…たくさんの古い家具があるの…」
その中の一つであるテーブルを持って、使えなくなった布切れを綺麗に荒いテーブルの下に敷き詰める。
これで屋根のある…お家っぽくはなっただろうか。
「どうぞ好きに使ってね。あなたが気に入らなければ勿論どこにでも自由に生きるといいわ」
人間よりもずっと大きな目でこちらを見つめる姿にもう一度頭を下げて去る。
さて、今日も残っている部屋の掃除だと屋敷に戻り同じ作業を繰り返していると、また私をからかう声が聞こえた。
「…暇なのかしら」
相変わらず男に捨てられたみじめな女。縁談があるから持ってきたぞ。お前を娶ってもいいと言っている酒くさい爺さんがいる。顔を見せたらどうだ?慰めてやるから出てこい。
「…毎度毎度」
そしてまた笑いながら石を投げようとすると、彼等に向かって大きく吠える声が聞こえる。驚いて私を罵倒していた男達は石を投げるのを止めて怪我をしているにも関わらず吠えながら男達を追い回しあっという間にこの屋敷から去らせた。
慌てて向かうと白い犬は警戒していたのが嘘のように私の元にゆっくり向かいまるでずっと前からそうであったように懐いてくれた。
「…驚いた…助けてくれるなんて」
どこからどう撫でればいいのか悩んだが、頭をゆっくり撫でると私にすり寄り甘えてきてくれる。
「ありがとう…ねえ。怪我の手当てをさせてくれる?私の大切な家族だもの」
ミアが買い物から帰ってきたら報告しなくちゃね。
「へぇ凛々しいワンちゃんだね」
仕事から帰ると画面にアリヤと白いワンちゃんがいた。何事かと事情を聞くと対等に話して迎え入れ、家族になったと言う。
子どもの頃からこんな風に動物が側にいるのが憧れだと言っていたアリヤは嬉しそうだった。
“ミアは驚いたわ。持ってた買い物袋をひっくり返すのかと”
お嬢様!どうして屋敷内に犬が!?
“外で放し飼いが基本だから…家にいるのに驚いて”
天気が良い日中は外で、天気が悪い日と夜は中に入れて過ごすと言う。
「にしても…勇敢だねえ。名前は決めたの?」
“ええ決めたわ”
ジャスティスパワーファイナルよ。
アリヤ。もう一回考え直しな。




