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所詮はお坊ちゃん

 この世界にも暗い部分がある。私がいる世界にだって清潔な服を着て化粧をして着飾って美味しい物を食べに行こう。それが当たり前に出来る人もいれば、着る服が選べる程に無く、お洒落は二の次で、食べる物が今日あるかどうか分からないぐらいに生活が困窮している人も必ずいる。

 様々なネットワークで細かな部分を見られるようになった私の世界でもそれなのだ。アリヤの世界はこのゲームの開発者曰く中世ヨーロッパをモデルにしているらしく、当時の時代はどこまで福祉に手を差しのべていたのか。

 恐らく私が想像するよりも、ずっと届いていないのかもしれない。

「…ん?」

 スマホゲームを起動すると叔父様の家に呼ばれているアリヤはいない。ホテルの中のアリヤの部屋が見えており…確か彼女はエリザだ。アリヤがいない間は彼女がアリヤの部屋の掃除を担当する事になったらしい。ホテルの清掃ですっかり慣れた手付きでアリヤの部屋を掃除する。普段私がアリヤと話す時に使う手鏡も磨かれて輝くと、やはり私の事はアリヤ以外に見えないのかエリザは普通の鏡として扱い最後に身支度を整えて部屋を出ていく。

 部屋の扉の向こうから声が聞こえる。おはようございますと朝の挨拶を交わしながら彼らは仕事へと向かった。


「シャーリィちゃん。ラウンジのお花取ってきてくれる?」

「はーい!」

「行ってらっしゃい」

 アリヤがクラウス様のお屋敷に向かってから四日。初めに言った通りであれば明日明後日には戻る予定だ。

 彼女に任せられた通りにロアさんと私がアリヤとミアがいない間のホテルの責任者として責務を真っ当しなければ。初めこそは緊張していたがやれば出来るもので今はいつもと変わらない気持ちで穏やかに仕事が出来る。

「朝食の用意は…」

「大丈夫ですよ。もう出来るので」

「お疲れ様。アレックス」

 ミアが最近警戒しているアレックスが顔を出して仕事を終えていた。それじゃあ掃除の手伝いに行ってきますとホテルの中を走り回り張り切っている。

 彼は驚く事にアリヤを追いかけて来たそうだ。

 子どもの頃に会った事があり、それからアリヤの事を忘れる事無く成長して今に至る。ミアが言っていた異国の商家の息子でありご実家は裕福らしいがアリヤのように洗練された所作はあまり見受けする事はなく、本人曰く長男ではないし割と自由に育てられたらしい。一応目上の人間に失礼が無いように礼儀作法は指導された事があると。

 容姿は…背は高い。ここで働いている男性陣の中でも一番大きい。健康的な褐色の肌に黒髪。今はホテルの制服として着ているバトラーの服だが私服は涼しげな異国の服だ。

 頭のてっぺんから爪先まで立ち振舞いを教えられたであろうアリヤの雰囲気と反対に貴族は貴族らしいが人を拒む事が無いような雰囲気を持つアレックスは合わないようにも見えるが…。

(アリヤには丁度いいかもね)

 経営者として頑張っている彼女の側でそれを手助けする人懐こい青年。勝手な想像、勝手な願望だが二人が並んでいるとアリヤも年相応に見えるのだ。

 理不尽な状況で早く早く自立しなければならなかった彼女に年相応に楽しめる時間をアレックスが与えてくれたら良いのだが。

「失礼する」

 そう思っているとお客様だろうか。

 朝食の時間にもなっていないのに何の用事だろうか。

「いらっしゃいませ」

「……ここに以前妻が来たはずだ」

「…奥様が?」

 受付に来たのは若い男性だ。

 質の良い生地の服を着て、手には値が張りそうな結婚指輪。どこかの貴族だろうか。

 いや…貴族なら緑の看板のここに来るはずは無い。

「奥様がこちらへ?」

「そうだ。その時随分理不尽な扱いを受けたと」

「え?理不尽な扱い?」

 記憶を巡らし最近何かトラブルがあったか思い出す。奥様がかここに来たのなら女性一人のお客様であったトラブル。

「…どのような物だったか教えていただいても?」

「宿泊を拒否された。しかも録に理由も言わずに出ていくように怒鳴られたと」

「宿泊を拒否?」

 今は従業員が足りているから全室泊まれるようにしており宿泊を拒否するなら満室の時だ。しかしその場合はきちんと理由を話している。不満そうに帰るお客様もいたがわざわざそんな事で来るだろうか。

「こちらが拒否しているならきちんと理由をお話しているはずですが」

「いいや。妻は泊まりたいと言ったのにここの従業員が出来ないと一点張りで拒否をした!どういう理由であっても金を払っている客を断ると言うのはおかしくないか!」

 男性は声を大きくして話す。

 朝食を食べに来た宿泊客が驚いて受付を見て、朝食案内をしている従業員もこちらを見たが目で「大丈夫」と伝えておく。

「お金を払っても泊まれないと言うのは理由があります。満室の場合は勿論泊まれませんし…不当な理由で拒否をしたりは」

「妻が言ってるんだ!拒否されたと!しかも犬に吠えられて恐ろしい思いをしたと泣いていたんだ!」

「…犬?」

 ここで首を傾げる。

 犬、ジャスは確かにいるが彼は宿泊客には吠えない。何ならきちんと守ってくれる。この間だって一人で宿泊している女性にしつこく言い寄って来る男性客に吠えてその女性客の側にいた。

 吠えるなら…この人間は害をなすと判断した時だ。

「……あの、その吠えられた奥様の名前は?」

「客の名前も覚えていないのか!ルルアだ!俺の妻だ!」

 この男、あの厄介な女の夫か。

 参った。夫もこれまた話が通じなさそうな雰囲気を醸し出している。娼婦時代にもこう言う客はいた。こっちが嫌だと駄目だと断っているのに自分の都合の良いように解釈して進めるのだ。その時と同じ対応でいいなら棒でも何でも振り回して威嚇して出入り禁止にしてやるのに、お客様の目があるここではそんな振る舞いが出来ない。

(やったらやったで暴力を振るわれたなんて噂を立てそうだし)

 とにかくここは話は通じないだろうが理由を話そう。

「…奥様は…宿泊したいと言いましたがその日は既に満室でした。にも関わらず泊まりたいと譲らず…しかも宿泊客専用のアメニティバーを勝手に使うような行為をして…」

「満室でも妻のためなら一人ぐらい追い出して部屋を用意するのが当たり前だろう!大体泊まると言っていたんだからその宿泊客専用とやらのも使っても何も問題が無い!」

「いけません…きちんと予約をしていたお客様を追い出すような真似は出来ません」

「…分からない奴だな…ここは所詮平民が泊まる安っぽい宿だ。それに妻のような高貴な身分が泊まってやると言っていたんだ。どちらを優先するか分かるだろう?」

「高貴?」

 とても高貴な身分には見えなかったが。アリヤのような洗練された雰囲気も無く…ただただ自分勝手な。

「貴族の方でしたか?」

 騒ぎを聞いたセイラがやって来る。男にそう尋ねるとわざとらしくため息を吐いて答えた。

「そんなの見れば分かるだろう?…お前らみたいな下品な雰囲気とは違う…明るく可愛らしい雰囲気…何より俺が選んだ女だ高貴な女で当たり前だ」

「いや、貴族かどうかを聞いてるのですが…」

「そんなの答える必要も無い」

 そこから男は止まる事無くこちらを卑下するような事ばかり話し始めた。

「少し噂になっていると思ったが…何だこれは?犬が徘徊して不衛生極まりない。しかもさっき薄汚れた男が歩いていて目障りだ…極めつけはおまえ達のような生意気で下品な女がお出迎えとは」

 ここは豪華な見た目の娼館か?

 男は下品に笑ってこちらを見下す。薄汚れたとは、大浴場担当の従業員だろう。毎日癒しを与えてくれる大浴場を提供する彼らをそんな風に笑い、私達を勝手に見下し笑う男に受付カウンターの下にあるデッキブラシに手が伸びそうになる。

「…残念だな」

「…何が残念でしょうか?」

「もしお前らが妻への非礼を詫びるようであれば許したが…よく分かった」

 何度目か分からない大きなため息をを吐いて男は言う。

「俺も宿を経営しているからよく分かるが…客が求めるものを最大限提供するのが当たり前だ。それがここは何一つ出来ていない」

「何を勝手に決めて…」

「この町は様々な人間が集まるんだ。その地でこんな無礼な宿はあってはならないな…」

「はあ?」

「俺は領主に顔がきくんだ。だからこんな宿はすぐに潰せ…」


「ディン?」


 静まり返り男の声だけが響く受付でよく知った男性の声が響く。

 男が驚きその方向を見ると、エリザが呼んだのかロアさんとアレックスがいた。

「…は?」

「ディンじゃないのか?」

「え?レオさん?」

「へ?レオ?」

「ええ…あの人は…」

 エリザが呼んできたロアさんとアレックスは状況を説明されていないまま掃除中に呼ばれたのか手には掃除道具を持ったままである。しかし様子がおかしい、二人ともこの腹が立つ男の事を指差しながら二つの名前を言っている。

「ど、どういう事です?」

「この男性が…覚えてますか?カップを投げつけた女性の旦那さんだそうです」

「…カップ…ルルア!」

 ロアはルルアの事を知っているためすぐに思い出した。そして男が驚き固まっている間にそのルルアの夫が妻が不当な扱いを受けたとしてやって来て次第に従業員への誹謗中傷をいい始めたと説明する。

「…いやそれは…そもそも奥様が悪い事でしたし」

「…そ、れは」

 ロアさんが説明を受けて当たり前にそう返す。おかしな事にロアさんとアレックスが来た途端分かりやすく動揺していた。

「と言うか…二人とも、この人知ってるの?」

「知ってます。私が前に働いていた宿で…私の代わりに入った人です。」

 代わりにと言うか追い出して入った人だが。

「レオさんです。あなた何してるんですか?」

「レオ?」

「はい。レオさん」

「…ディンじゃないのか?」

「ディン?」

「ちょっと待ってくれ…」

 受付に小走りで近寄って来るアレックスは男の顔をよく見ようとして肩を掴む。振り払われたがすぐに掴まりアレックスは男の顔を見つめて言った。

「…やっぱりディンじゃないか…?」

「知らない。お前は誰だ?」

「覚えてないのか?アレックスだ。アレックス・シオール」

「知らん。分からない。離せ」

「…まあ成長したからな……お前…何か人相悪くなったか?」

 首を傾げながら男と話すアレックス。どんどん焦った表情になっていく男は何とか離れようとしているがアレックスが強く肩を握っているためなかなか抜け出せないでいた。

「人相だけじゃないな…率直に言うが太ったな…どうしたんだよ。俺が知ってるディンは剣の腕を磨いて勤勉で真面目だったはずなのに」

 どう見てもそんな言葉が似合う男には見えない。アレックスは本当は勘違いしているんじゃないか?

「……お前」

「もう結構だ。帰る」

「いや…勝手に来て騒ぎを起こして勝手に帰ろうとするな!こっちの話は終わってないんだぞ!」

 これ以上アレックスと話すのは何か不利益があるのか。話を強制的に終わらせて出入りに向かおうとするがアレックスの手は男を離さず勝手に退場する事は許さなかった。

 先程の男の理不尽な物言いにひりつくような雰囲気から面白いものが見れるとばかりに見学人が増えている。朝食が冷めてしまう、せっかく作ってあるのに。

「ディン!お前はどういうつもりだ!アリヤとの婚約を捨てて駆け落ちしたと思ったら!」

「だから俺はディンなんかじゃない!経営者のレオ・グランゼだ!」

「お得意様の顔を俺が間違う訳がないだろう!人相が悪くなっても!太っても!お前はディン・レーゼだ!」

 男、ディンとアレックスの言い合いがどんどん大きくなっていく。このままどうなるのかと思いながら呆然と見ていると、ロアさんがこちらに目を合わせて来て見物人と化としたお客様を指差し無音で口の動きだけで伝える。

“止めなきゃ”

「…!」

 そうだ。このまま喧嘩でも始まってしまったらとんでもない。私とロアさんはアリヤから留守を任されているのに。

「…お客様!朝食が冷めてしまいますので朝食会場へお戻りしましょう!」

 私がお客様を二人から引き剥がそうとすると他の従業員も気付いたようにお客様を誘導する。

「駆け落ちしたと思ったら!宿経営の真似事か!所詮はお坊ちゃんのお前に出来るのか!大体何だ!?朝から下らない文句を言いに来て!」

「黙れ黙れ黙れ!俺は経営者だ!町で一番の宿の主人!ここに泊まるような貧乏人共が一生かけても稼げない程に富がある!」

「稼いだ金で偉いなら!俺のが上だろうが!」

「止めなさい!二人とも!」

 あと一瞬遅かったら殴り合いが始まっただろうか。ロアさんが二人の間に入り大浴場担当の二人がアレックスとディンを羽交い締めにして止めた。

 アレックスはそうされた事で自分がとんでもない大声で騒いだ事に気付き大人しくなったが、ディンは羽交い締めにしている従業員を罵倒しながら暴れている。

「…アレックス君。お客様の前ですよ」

「…申し訳ないです」

 すぐに頭を冷やしたアレックスは素直に騒いだ事をロアさんと朝食会場に向かうお客様に向かって謝った。

 しかしそのすぐ後ろで変わらず騒ぐディンと言う男をどうするのか見守っていると、羽交い締めにしている従業員とロアさんとアレックスが目を合わせて出入り口を指差す。

「…お帰りください。迷惑です」

 ロアさんが扉を開けると引き摺られるようにして男はホテルから追い出された。外にはこの男を連れてきた馬車だろう。随分と豪華な馬車が待っていた。

 扉が閉まる直前に静かにしていたアレックスが走りディンと目を合わせる。ロアさんが止めようとしたがそれを振り切り彼は言った。

「…レーズ夫妻は今も探してるぞ」

「……」

「お前がこの町にいるのを伝える事も出来る」

「…好きにすればいいだろうが」

「そしたらまた別の町に逃げるのか?きりがないぞ」

「俺の人生だ。俺が決める。俺は自分のしたいように生きるんだ」

「その人生は」

「何だ」

「人を罵倒して思う通りにさせる人生か?」

 下らない。

 アレックスの小さく囁くような声はディンにもはっきり聞こえただろう。それに対して何も言い返せずに口を魚のように動かすディンは背中を向けて馬車に乗り込み早く行くように怒鳴っていた。

「……」

「……」

「…夫婦共々…すごいわね」

「…本当、そうですね」

「すいません本当に…恥ずかしい」

「いいのよ。アレックス」

「それと、聞きたいことが色々とあるんだけど」

「ですよね…」

  一先ず嵐は去ったが朝からとても疲れてしまった。

「どうしたの?」

「あぁシャーリィ…」

 ジャスと共に外にいたシャーリィは小さな手で摘んだ花を持ちながら異様な雰囲気を察して尋ねる。ロアさんはそんな彼女の頭を撫でて「何でもないよ」と安心させていた。

「何でもないの?」

「そうだよ。何でもない」

「でも怒ってる声がしたよ?」

「聞こえちゃったか…」

「喧嘩したの?」

「……そうだね」

 シャーリィの純粋な問いかけが大人の私達にはひどく眩しかった。

「そしたらね、ごめんなさいするの」

 そうしたら皆仲直り出来るんだよ?

 本当に目が眩む程に眩しい純粋さがあった。

 私達はその言葉に「はい」とも「いいえ」とも取れない曖昧な笑みを浮かべて彼女の摘んできた花を褒めた。

 

 


 


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