第九十話 セルディアへ
セオからセルディアの調査依頼の手紙が届いた三日後、ルカたちはセルディアへ向かって出発した。
エレドリアからセルディアまでは、徒歩で八日の道のりだ。おおよそ二日分の距離ごとに、名前すらない宿場町が点在していることもあり、携行する食料に困ることもなければ、野宿で身体を痛めることもほとんどない。
三つ目の宿場町を越え、ルカたちは最後の野宿の準備に取り掛かっていた。
日が落ちてすぐの空は群青色だ。西の山際に薄く朱が差しているが、それももうすぐ青に染まるだろう。
ルカたちは、例によって以前に通ったであろう旅人が残した野営跡で火を起こしていた。季節もだいぶ暑くなってきていて、焚き火の近くにいると汗ばむくらいだが、明かりの確保と食事の準備のためには仕方がない。
「干し肉切れたら持ってきてー。」
「わかったぁー」
焚き火の前で鍋を片手にエリナが自分の後ろにいる人影に話しかける。
返ってきたのはエリナとさほど変わらない年頃の女性の声。パーリングナイフで細かく切った干し肉を入れた器を手に女性がエリナの横へ歩み寄った。
「はい、これ。」
「ありがと。」
エリナの隣に現れたのは、リネットだった。
護衛騎士団の所属になった彼女だが、その装いは普通の傭兵のそれで、騎士装ではない。
女傭兵らしく、ブラウンのシャツと膝丈のスカートに、灰色の鋼の軽鎧と腕甲、すね当てを身に着けている。
護衛騎士団の装備品のような装飾もなければ、王国軍らしい紺色も見当たらない。
「なんか、美味しそうな匂いしてきた……エリナ、料理上手なんだね。」
「そうかなぁ……? 村にいた時、リサのお父さん……あ、陽だまり亭の大将のことね。あの人に色々教えてもらってたんだ。兄さんもお義姉ちゃんも雑貨屋の仕事があるから、たまには私が、って思って始めたんだけど、意外に楽しくって。半分趣味みたいなところあるかも。」
「へぇ~……エリナ、いい奥さんになりそう。」
「え~? そうかなぁ? でもお義姉ちゃんには勝てそうにないんだよね~。」
「……お転婆なとこあるけど。」
「いやいや、お転婆っぷりならリィゼの方が上でしょ。」
「……わかる!」
「だよねぇ?」
笑い合う二人の目の前、鍋の中には水と日持ちする根菜類が入っていて、ふつふつと沸騰し始めていた。
リネットが持ってきた干し肉を加え、味が濃くなりすぎないように気をつけながら調味料を加える。ひと煮立ちさせ、最後に香草を使って味を整えると、スープの出来上がりだ。
すると、ちょうど良いタイミングで、男が二人、焚き火のそばに近寄って来た。焚き火の明かりに照らされて浮かび上がったのは、ルカとアーヴだった。
「帰ったぞー。とりあえず一回りしてみた限り、近くに危険な獣はいねぇな。」
アーヴはもう一度周囲を確認するように視線を巡らせると、焚き火から少し離れた場所に腰掛けた。
「そっか、じゃあ一安心だね。スープもできたし、夕食にしよっか。」
「じゃあ私はパンと水、準備するね。」
アーヴとルカが戻ってきたのを見て、エリナとリネットは出来上がったスープとパン、水をそれぞれに渡していく。
アーヴに続けて座ったルカは、受け取った器から立ち上る温かなスープの香りに頬をほころばせた。
「今日も美味そうだな。じゃあいただくよ。」
「うん、まだ少しあるから、おかわり欲しかったら言ってね!」
嬉しそうにスープを口にするルカを見て、作ったエリナも笑顔を浮かべている。
料理を作ることは半分趣味なのだとは言うものの、やはり作った料理を喜んで貰えるのは嬉しいものだ。
特にルカは少し大げさなくらい喜んでくれる。気恥ずかしくもあるが、それでもやはり嬉しさが勝つ。
「そういや明日にはセルディアに着くけどよ、ここまで来るとさすがにリネットもマシになってきたんじゃねぇか?」
「いやぁ……正直、全身筋肉痛ですし、野宿の翌日は疲れも取れてないので、ヘロヘロですよぉ……」
「まぁ行軍訓練としてはまだ軽い方だが、同時にルカからの感応術の授業付きだからな。俺なら御免被るね。」
スープを吸わせたパンを口に放り込みながら、アーヴがリネットに話しかける。
今回、調査依頼はルカとエリナに加えてアーヴにも声がかかっていた。
黒狼戦の際、新兵たちばかりの部隊を率いて見事な遅滞戦を展開し、急場をしのいでみせた戦術眼に加え、食事会の席で見せた洗練された宮廷作法から垣間見える知性。そして長年の傭兵業で培った経験に基づく視点。どれも調査に資するとセオは判断したらしい。
そしてリネットはというと、護衛騎士団とのつなぎを取るため……といえば聞こえはいいが、実際のところは違う。
感応術師団の一等兵から、かなり強引に護衛騎士団の騎士見習いに引き上げられたリネットのための訓練なのだ。八日間に渡って、一通りの装備を身に着けて歩く。周辺の警戒を継続して行う。少人数での野宿を通して、野営の経験を積ませる。安全を確保しやすい立地の選定から、火起こし、寝床の確保、不寝番まで。感応術士としてではなく、騎士として。女性としてではなく、一兵卒として、多くのことを経験させておきたい。
それに加えてルカに指導してもらうことで、感応術に関する能力を養う時間も得られる。
セオにしてみれば、騎士団駐屯地で訓練させるよりも、遥かに効率よくリネットを育ててやれるこの好条件を見逃す手はなかったのだ。もちろんその旨は直接セオからルカに伝えられていて、報酬にはその分の金銭も上乗せされている。
「感応術の指導をしてもらえるのは、楽しいですし、身体の疲労から意識を逸らせるので一石二鳥といいますか……あはは……」
「それは良かった。リネットさんもエリナも例の"課題"は順調みたいですし、結果が出るのもそう遠い未来ではなさそうですしね。」
「はい! 今回の依頼が終わるまでには次のステージに到達してみせます!」
「リネットは元感応術士だからってのもあると思うけど、術の扱いがスムーズなんだよね。負けたくないけど、今のところは一歩先を行かれちゃってるかなぁ……」
アーヴの手前、明確に口にしないが、二人が目指しているのは、もちろん《敏捷性強化》の無詠唱発動だ。
"常時《敏捷性強化》"の課題を通して、《敏捷性強化》の発動状態の感覚を身体に叩き込み、反射で発動できるところまで慣らしていく。術の発動そのものを、意識することなく、言ってしまえば呼吸するかの如く使えるようになれば、戦闘における大きなアドバンテージになるだろう。実はルカとしてはその先まで見据えているのだが、今はまだそれを二人に伝えることはしていない。
楽しそうにしているリネットも、苦笑いしながらもやる気を見せているエリナも、ルカと知り合ってから感応術に対する常識を、良い意味で木っ端微塵に打ち砕かれている。これまでの知識にないことであっても、ルカができると言ってくれることなら、きっとやれるはずだと信じられる。
特にリネットは、考え方一つ、アイデア一つで、自分が行使する感応術が変わっていくのが楽しくて仕方がないのだ。
「意気込みはいいが、護衛騎士としても成長しとかねぇと、本隊との合流後の訓練が厳しくなるぞー。」
「うっ……それはっ……」
アーヴの指摘にリネットが言葉をつまらせると、どっと笑い声が巻き起こる。
食後の団欒は楽しいが、その分時間が過ぎるのも早い。四人はそれぞれ寝床を整えると、この移動最後の休息を取ることにした。
周囲はもうすっかり暗くなっている。明かりと言えば、焚き火のほかは星の瞬きと月明かりだけだ。見通しの良い場所ではあるが、警戒しないわけにはいかないので、二組に分かれて不寝番を務める。
その後、何事もなく朝を迎えた四人は、他愛のない会話を挟みながら街道を進み、日が傾き始めた頃になって港湾都市セルディアに到着したのであった。




