第八十九話 三通の手紙
「ピィッ!」
食事会の二日後の昼下がり、「白銀の鴎亭」に借りているルカの部屋。
窓は開け放たれていて、優しい風が吹き込んでいた。
そんな室内に青い小鳥が飛び込んでくる。ピノだ。
鳥が飛ぶにはかなり狭い空間だが、器用に旋回すると、リビングにあるテーブルの上に降り立った。
「おかえり! お返事貰ってきてくれた?」
「ピピッ!」
昨日リィゼへの手紙を持たされ、王城へ飛んでいっていたピノは、背中の革袋に何通かの手紙を詰めて戻ってきたようだ。
ピノの帰りを待ち構えていたエリナが、革袋の中身を取り出し、差出人や宛先を確認している。
「う~ん……私に一通、私たち二人に一通、ルカに一通……かな。ピノ、三通も持たされて大変だったでしょ? よく頑張ったね~!」
「ピッピィ~♪」
「そうなの? すごいねぇ~」
全然平気! まだ持てるよ! といった様子で胸を張って見せるピノに、エリナは目尻を下げていた。
可愛がるのはいいが、このままでは、いつになったら自分宛ての手紙が手元に来るのかわかったものではない。
小さくため息をついて、ルカはエリナの手から自分宛ての手紙を引き抜いた。
「俺宛ては……まぁそうだよな。」
ネクサバードに持たせる革袋は小さい。となると、持たせる手紙も小さくなるし、封蝋も同様だ。
ルカが手にした自分宛ての手紙に押された小さな封蝋には、王家ではなく、国王本人のみが使うという専用の紋様が見て取れる。
つまり差出人は国王エアルド本人ということだ。
二日前の食事会。主従関係ではなく協力関係を結ぶことになったルカとエアルドは、エリナのネクサバードであるピノを介して情報をやり取りすることになっていた。
その記念すべき一通目ということだろう。
「一体何が書いてあるのやら……」
丁寧に封を切り、手紙に目を通す。
ネクサバードによるやり取りの特性上、紙の枚数が最小限になるようにしなければならない。自ずと字数を減らす必要があるため、時候の挨拶や貴族にありがちなややこしい比喩表現は一切省かれている。良い意味でシンプルかつストレートな文章だ。
書かれていた内容はルーメリア大河下流域で頻発する水害と、その対策のための治水事業についての意見を求めるものだった。
王都エレドリアから川沿いに下っていくと、ルーメリア大河は平野部で大きく蛇行する。その地域はちょっとした増水で様々な水害が発生するらしく、何か良い対策についての知見があれば教えてもらいたいということだ。
もちろんいろいろと知見はあるが、そもそもこの世界には重機がない。感応術をうまく使えば、やってやれないこともないと思うが、工事の内容によっては困難だろう。
加えて治水事業というものは、被害が出る可能性をいかにゼロに近づけるか、発生してしまった場合の被害をいかに小さく抑えるか、というものだ。要は直接的な儲けが出ない。マイナスをゼロに近づけるものであって、プラスに転じることがない、とも言える。こういった公共事業は厄介なもので、効果が見えないと、すぐに民から無駄遣いだの意味がなかっただのと言われてしまうのだ。
「(それと、本当に俺が"旧時代の知識を持っているのか"って確認も、だろうな……情報の出し方が難しそうだ……)」
『(仕方がないでしょう。取り急ぎ今の文明レベルでできそうなものを見繕いましょう。間違っても大規模ダム建設なんて進言してはダメですよ?)』
「(わかってるよ……)」
捷水路の開削や遊水地の整備、霞堤の築造、水害多発地域にある集落の高台移転、定期的な川底の浚渫、このあたりだろうか。水が流れるルートを調整したり、溢れた水を受ける池を作ったり、水が川下へ抜ける量が減らないようにしたり。王国の技術者たちにできるかはわからないが、方法と効果が分かっていれば、取り掛かるかどうかはエアルドが判断するだろう。
詳細な説明や効果は、後でアリスと相談しながら手紙にしたためることにした。
「エリナ、いつまでピノと遊んでるんだ? そろそろ俺たち宛ての手紙を読みたいんだけど……」
「えっ? あ、あははは……ごめんごめん。じゃあ、はい。これ。」
ピノと遊んでばかりで、一向に手紙を読もうとしないエリナに話しかけると、彼女は苦笑いしながら二人宛てになっている手紙を差し出した。
「で、この手紙は……セオ殿からか。」
受け取った手紙に視線を移し、封筒を確認すると、手紙の差出人はセオだった。
中身を取り出し、さっと目を通す。彼らしい芯の通った豪快な字だ。
「セオ様のお手紙、何て書いてあったの?」
「うーん……レッタの件についての現状報告と調査の依頼かな。」
バルディアを離れる時、槌と麦亭に身を寄せることになっていたレッタ。
今までは宿の主人であるドルクが、利用者の装備品の修復や調整を個人的に請けていたのだが、最近は彼女がその仕事を引き受けているらしい。
自分の店を開けられない現状に時折辛そうにはしているが、宿の主人夫妻とはうまくやっているようで、元気に過ごしていると書いてある。
調査の方は、やはり組合周りが怪しいというところは変わらない。だが、領軍内にも関係する情報が出てきたらしく、内通者を警戒して、調査が難航している、ということだった。
「え? 職人街だけの話じゃないの? というか軍が関係してるとか、私たちに教えちゃっていいのかなぁ……」
「レッタはもちろんだけど、店を閉めてた他の職人も鍛冶師や武器、防具に関係する職人だったんじゃないか? 商品の販売先として領軍は大口顧客だろうし、教えなくても勘の良い人なら気づくだろうさ。俺たちは当事者じゃないけど、レッタの関係者として、一応情報共有しておこうってことだろ。その上で"領軍内にも関係する情報"ってのは具体的に書かれてないし、本当に教えちゃいけない情報はちゃんと伏せられてるよ。」
「そっかぁ……」
"領軍内にも関係する情報"とはなんともきな臭い話だ。獅子身中の虫がいるとなれば、ギルベルトが動きにくいことも想像に難くない。
次に行く予定のサテライトで設備の修復を終えたら、一度バルディアへ戻ってレッタに武器のメンテナンスを頼みたいところでもあるし、早く事件が解決してくれればと願うばかりだ。
「調査依頼っていうのは?」
「えっと……殿下が公務でセルディアに行くらしくて、先行して現地に入って調べておいてほしいってことみたいだな。詳細は……依頼を請けてくれるなら教える、だってよ。」
「先行かぁ……同じセルディアには行くけど、リィゼと一緒には行動できないんだね。ざぁんねん。」
ルカの手元を覗き込んでいたエリナが、残念そうに眉尻を下げた。
これまでは護衛としての同行だったこともあって、リィゼとは長い時間一緒に過ごしていられたが、今回の依頼は先行調査だ。行き先は同じでも行動は別になる。
「でも、友だちの助けになるならやりたいんだろ?」
「うん。やりたい! ……でも、いいの? その分ルカの予定も遅れちゃうけど……」
エリナは自分の希望を通すことで、ルカがアリスの指示通りにサテライトを巡って修理や調整を行い、"妹"を迎えに行く行程に遅れが出ることを気にしているのだろう。
アリスからは、"大怪我をして数ヶ月足止めを食らってもいい"くらいには余裕があると聞いているし、多少の寄り道や足止めはその分頑張って移動すればいいだけのことだ。
「そのくらい気にするな。猶予は十分にあるから。」
「ほんと? じゃあセオ様の依頼は請ける方向で進めたいな。いいよね?」
「あぁ。」
「へへっ……ありがと。」
エリナが白い歯を覗かせながら笑顔を見せる。
この屈託のない笑顔が見られるなら、まぁ悪くない。
不意に胸の中に温かいものを感じて、ルカも思わず微笑みを浮かべた。
「さて、そうと決まればさっさと返事を書いて、買い出しだな。」
ルカがアイオン・バングルからネクサバード用の便箋を取り出す。
エアルドとセオに返事を出したら、きっと忙しくなるだろう。そうなる前に旅に必要な物を買い足しておきたい。
「ほら、エリナも殿下からの手紙を読んで、返事書けよ。俺の返事だけ持たせてピノを飛ばしたら、殿下が寂しがるぞ?」
「あー、ダメダメダメダメ。絶対ダメ! 待ってて、すぐ書く!」
慌ててエリナがリィゼの手紙を読み出したのを横目に、ルカは返事を書き始める。
ペンを取り、治水対策についてどう書けばいいかと考えていると、ふと脳裏によぎる。こうやって献策することで、どこかの誰かを助け、喜ばせ、わずかながらも幸せにすることができるんじゃないか、と。
期せずしてできた縁から、そんな未来につながるなら、なんだか少し嬉しい。
隣から聞こえてくる楽しそうな独り言を聞きながら、ルカは静かにペンを走らせたのだった。




