第八十七話 盟約の始まり
「さすが王城だな。」
一通り料理を食べ終えた後のこと、皆がグラスを片手に席を離れ、思い思いの相手と会話に興じている。
エリナは案の定リィゼに捕まっているようで、セレスを交えながら話し込み、アーヴの方はというと、こちらは意外にもアルヴェインとリュシアという二人と話している。
エアルドは一人離れたところでリィゼたちを穏やかな笑顔で眺めているし、ゲルハルトはエリナの件が決着したことで部屋からは退室していた。
ルカはというと、他の面々とは少し離れ、部屋の壁際に飾られている調度品を眺めて回っていた。
それほど広い部屋ではないこともあり、数は少ないが、絵画や花、置物、甲冑といったものがいくつか飾られている。
すると、何かの石碑の一部と思しきものが目に入った。石碑は途中から砕け、失われてしまっているが、最初の部分は読むことができそうだ。
「……They died to make the desert bloom……"彼らは、砂漠に花を咲かせるために死んだ"……か。」
どこかで見た気がするのは、B.N.I.Cからもたらされる記憶だからだろうか。
目の前にあるのは紛れもない人工物。もちろん直接的な関係などない。だが、今の時代の人々と違い旧時代にルーツのあるルカにとっては、親近感にも似た感情が胸に去来するのは不思議なことではない。遠い昔に人が生きた証ともいえるそれを目にして、ほとんど無意識とはいえ、思わず声が出てしまったのはごく自然なことだった。
ただ一人の重要人物の耳に入ってしまったことを除けば。
『(おや、フーバーダムの記念碑に刻まれていた碑文ですか。そういえばエレドリアのあたりは旧時代だとアメリカのネバダ州やアリゾナ州あたりですし、何かの折に見つかったのでしょうか……よく今の時代まで残ったものですね。)』
「(たまたま安定した地層にでも埋まってたんだろうな。風雨にさらされたままだったらこうはならないだろうし。)」
『(えぇ……遺跡や遺構などで埋もれていた物は、これまでもいくつか出土しているようですし、他のものもそのうち見られるかもしれませんね。)』
旧時代にも恐竜の化石やら古代文明の遺跡やらが古い地層などから見つかったケースは多々あった。であれば、旧時代の物が今の時代に残っていることも不思議ではない。
そんな取り留めもないことをしばらくの間アリスと話していると、不意に背後から声が掛かった。
「その石碑はヴェールスフィア王国の建国時……エレドリアを王都と定め、王城を建設するために地面を掘り返している時に見つかったものだ。」
「陛下……なるほど、建国時の……それでこのように王城に飾られているのですね。」
声の主はエアルドだった。何故かすぐ後ろに感応術師団の人間と思われる男を一人従えている。
突然話しかけられたことに驚きつつも、当たり障りのない返事を返すと、エアルドは後ろの男に何やら視線を向けて手を挙げて合図をした。
すると、男は小さく頷き、囁くような声で何事かを呟いた。
「《風の封壁》……防諜対策、ですか……」
風の防壁がルカとエアルドを中心に、ごく狭い範囲だけ展開されている。他の皆はもちろん、術者も壁の外ということは、エアルドはルカと一対一で何かを話すつもりということだろう。
「いかにも。君のことが少々気になってね……いや、かなり、といったほうがいいな。少し二人だけで話したいと思って術士を連れてきたのだ。よろしいかな?」
「……はい、どのようなお話でしょうか。」
しっかりと防諜対策まで取られた上でのことだ。拒否させるつもりなどないだろう。
だが、一体何の話をするか、見当がつかない。リィゼの護衛についての謝意であればすでに言葉をもらっているし、ルカ自身はリィゼと友人関係と見られているわけではないので、エリナほどの話は無いだろう。そもそもその話なのであれば、エリナへの話をしたタイミングで一緒にいろいろと問われているはずだ。
「うむ。その石碑の碑文なのだが……」
エアルドの視線が碑文に向けられる。ルカも釣られるようにもう一度碑文に目を向けた。
特に何の変哲もない石碑の一部だ。不自然な点は特にない。
「……何故、読める?」
「……!」
その言葉を聞いた瞬間、ルカはハッと息を呑んだ。
嫌な汗が吹き出る。
背中がぞわぞわと総毛立つ。
「(油断してたな……そういえば今の世界じゃアルファベットは失われた古代文字だったか……)」
フーバーダムの記念碑は、当時のダム建設工事で犠牲になった人々を悼む記念碑だ。もちろん刻まれているのは英語。
ラボやサテライトなどで英語は使われているし、ルカもB.N.I.C経由でその知識を持っているが、今の世界ではただの"読めない文字"なのだ。
「その石碑に刻まれている文字のようなもの……王立学院や学術都市シルヴァーレンの研究機関でもいろいろ調べている者はいるが、今のところまともに解読できるところまで研究は進んでおらんはずだ。しかし君は先ほど何と言った? "彼らは、砂漠に花を咲かせるために死んだ"だったか……」
エアルドは、一見話しかけてきた時のように穏やかな雰囲気のままだが、その瞳だけが冷たく鋭い光を放っている。
言葉にしてはいないが、嘘偽りを述べることは許さないというプレッシャーを感じる。
「もう一度聞く。君は何故、あの碑文が読めるのだ?」
「……」
ルカが生唾を飲む音が聞こえる。すぐに言葉が出てこない。
英語、つまり今の世界で解読されていない文章を読むことができ、その内容を理解できるということがエアルドに露見してしまった。
彼の目を見る限り、英語を解読できるまでに至っていないのは本当だろう。となると、目の前の碑文の持つ意味に関係なく、古代の遺物を作ったであろう古代文明について知っている可能性がある男の存在や、その目的について情報を掴んでおこうと考えるのはごく自然なことで、国王という立場を考えれば見過ごすという選択肢はないはずだ。
エアルドの二度目の問いかけから数秒。おそらくそう長くは待ってくれないだろう。
答えそのものでなくとも、何かしらの言葉を返さねば、都合の悪いことを黙秘していると受け取られかねない。
「……陛下、他に私があの文を読めると気が付いている方は?」
「幸いなことに誰もおらんよ。私が気が付いたのもたまたまだ。他の者たちが楽しそうに話をしているのを眺めていたら聞こえてしまった……というだけだからな。あまり他の者に聞かれて良い話ではない、と思ったのはただの勘だが、あながち外れでもあるまい。」
「で、私がぼんやりしているのを良いことに感応術士を?」
「うむ……これでも国王として、国内外から寄せられる大量の情報を基に日々国家のための判断をし続けているのだ。決断の速さには多少自信があるぞ?」
「なるほど……感服いたしました。」
エアルドの声音を聞く限り、今のところはそれほどルカに対する悪感情は持っていないと見て良さそうだ。
碑文が読めたことについても、その言葉を信じるのであれば、知っているのはエアルドのみということになる。
ルカはエアルドへと頭を下げた。臣下の礼というよりは、何をどう話すかを考えるための時間稼ぎだ。
もちろん何も話さずにここから逃げる、という手も取れなくはない。自分一人であれば、バルコニーからでも飛び出し、空を飛んで遠く逃げてしまえばどうとでもなる。だがその選択肢はエリナを連れて行っても置いていっても、彼女にとって良い未来には繋がらない。
連れていけばリィゼとの関係は途絶え、ブレーヴェ村の家族にも少なからず影響が出るだろうし、置いていけばルカとの関係を問われて厳しく聴取を受けることになる。ただの聴取で済めばいいが、ルカが国に害をなす可能性があると思われてしまった場合、ただでは済まないはずだ。
となるとやはりここから逃げる選択肢はない。
「《風の封壁》を使わせている以上、ここでの会話が外に漏れる心配は不要だ。どうしてもというのであれば、この場での話は私の胸の内のみとしても良い。といっても国や民に害をなすものでなければ、という条件付きだがね……さて、私の問いかけへの答えだが、そろそろ聞かせてもらえるかな? "何故、あの碑文が読める"のか……」
三度目の問いかけ。
その瞳の冷たく鋭い光に変化はない。
「(夕食会は断っておけば良かったか……いや、違うな。)」
ルカは大きくため息をついた。
夕食会に出ることになった原因。それは、もとを辿ればブレーヴェ村で護衛依頼を請けたことに始まっている。
あの時点では王族に関与する未来も、旧時代の遺物を目にすることになる未来も、予見できなかった以上、どうしようもない。
『(今更隠すことはできないでしょう。事が事だけに伏せられる情報は多くなさそうですね。)』
「(だな……)」
大きく息を吸い、意識して背筋を伸ばす。
荒唐無稽な話と受け取られかねない以上、居住まいを正すくらいはしておかねば、信じてもらえるものも信じてもらえなくなってしまう。
「決定的な瞬間を見られてしまった以上、言い逃れはできそうにありませんね。わかりました……まず、この場での会話は陛下のご提案の通り、陛下お一人の胸の内に留めていただけますでしょうか。」
「よかろう。ただし、先ほど言った通り、あくまでも国や民に害をなさないのであれば、だ。そこは譲れん。」
エアルドの言葉に首肯する。国王として譲れない一線であることは理解できるし、仕方がないだろう。
問題はルカの言葉がその一線を越えると判断されないか、なのだから。
「陛下もすでにお気づきの通り、私はこの文字を扱っていた文明について知っています……」
「そのようだな。だが、専門の研究者でも解読に至っていない、と言ったはずだが?」
「知らない者が解き明かそうとするのは困難、というだけです。私の場合は、言ってしまえば関係者から教えられた、という感じでしょうか……」
ルカの言葉に、エアルドがわずかに眉を顰める。ヴェールスフィア王国だけではなく、他国も含めいまだ解読には至っていないはずで、「関係者」がいるとは到底考えられないのだ。
「関係者が……いるのか?」
「いいえ、もう存在しません。はるか昔に滅んでいますので。」
エアルドの問いかけに対するルカの回答は、何ともあっさりしたものだった。
一瞬身構えたエアルドだったが、肩透かしを食らったような表情を浮かべている。
ふと見ると、ルカとエアルドが風の防壁の中で話していることに気が付き始めたのか、何人かがチラチラとこちらに視線を向けていた。
気にはなるが、何ができるわけでもなく、また耳をそばだてたところで話の内容は聞こえない。
結果、いつ話が終わるのかと時折視線を向けて確認するくらいしかできないのだろう。
だが、エアルドはそんな周囲の目を気にせず続ける。
「教えられたと言いながら、その相手ははるか昔に滅んでいると言う……明らかに矛盾しているぞ?」
「えぇ、そうです。もちろん説明できるのですが……ご理解いただける自信がありません。」
ルカは少し顔を伏せた。
言葉通り、自信がないからだ。サテライトという物証をその目で見ているエリナに説明するのですら躊躇うほどだったのに、その前提もないエアルドに言葉だけで説明できるとは到底思えない。
「……それは私の学が足らんと言っているのか?」
「まさかそんなことは。ただ……世界の常識の枠に収まらないような話でして……」
「つまりはおとぎ話にしか聞こえん、ということか……なるほど、それで……」
ルカの言葉にエアルドが一瞬眉を跳ね上げる。
だが、ルカの言葉に何か思い当たったのか、エアルドは足元に視線を落とした。
「……陛下? どうかなされましたか?」
「いや、エリナ嬢同様、セオやミリアから、君についても報告は受けているのだ。だが、あやつら、普段はっきりと詳細まで報告してくるというのに、君についての報告だけはどうにも歯切れの悪い物言いに聞こえてな。その時は気にも留めんかったが、報告を躊躇いよったか……おとぎ話にしか聞こえんような話なら、わからんでもないが……あやつらめ、内容によっては反逆とも取られかねんのだぞ……」
エアルドがため息混じりに部屋の反対側へチラリと視線を向ける。
視線の先にいたのは壁際に控えているミリアだった。
彼女は知的だし頭も切れる。報告自体もそうそう疑われるような言い方はしなさそうなものだが、それ以上に目の前の男の観察眼が優れているということだろうか。
今日見た限りでは暗愚な国王には見えないし、理解もある。であればルカのことも理解してくれる可能性はあるのではないだろうか。
そう感じつつも、表情には出さないように注意し、気を引き締める。情に訴えるのは下策だ。エアルドは国益に資するか、害はないか、そういった点の方が重要なのだから。
「なるほど……それはやはり私のせいでしょう……ミリア殿の負傷について、耳にされていると思います。衛生担当者からは、もう手遅れと言われていたところをお助けしたのですが、その際に私の言動について一切他言無用とお願いしていましたから……そのことを殊更どうこう言うつもりはありませんが、"命の恩人からの頼み事"と思われているでしょうし、報告とはいえ言い難かったのではないでしょうか。ですのでその……どうか穏便に……」
「気にせずとも良い。知っての通り、あやつらは優秀だからな。今の立場から外すのは愚かというものよ。君の行動も、その優秀な人材を失わずに済んだという意味では感謝こそすれ、処罰などありえん。それよりも、今は君のことだ。」
「お二人のこと、ありがとうございます……」
セオとミリアになにかあっては、さすがに良い気はしない。現時点で特に咎められることはないとわかると、自然と安堵のため息が漏れる。
「ではご指摘の矛盾について……そもそもすでに滅びている者の知識を私が持っているのは、文字通り"持たされている"からです。その者たちがあることを願い、仕組んだ結果、私が今この世界にいる、ということです。」
「今一つ要領を得んな……まず君がいる以上、君の両親がいるだろう? 君が生まれた時点までは少なくとも母親はいたはずだ。」
人間は父親と母親の間に生まれるものだ。その二人がいなければ、そもそも妊娠することはないし、妊娠後に父親は死亡したとしても、出産時点で母親が生きていなければ、子どもが生まれてくることはない。ルカが古代の文明に関する知識を持っている以上、母親か周囲の人間がルカに教えるだけの期間は共にいたと考えられる。
そう考えたエアルドの言葉だったが、ルカは首を横に振った。
「そういう意味では、私を産んだ母親という存在はいません。もちろん私の父親と母親に相当する存在自体はいたのですが、その母親の腹から生まれたわけではないのです。にわかに信じがたいと思いますが、人を創り出すことのできる"仕組み"があり、それによって生まれた、ということです……」
ルカが口を噤み、エアルドの表情が曇る。ルカの言葉の意味はわかるが、その意味するところを信じることができない、といったところだろうか。
だが今この場でルカが嘘偽りを述べる必要があるかと考えると、それも考えにくい。
荒唐無稽な嘘の話を国王にしたとあっては、エアルドの心証を悪くするし、最悪、国王への虚言を弄した罪に問われることにもなる。どうせ嘘をつくのであれば、それらしい嘘でこの場を乗り切った上で、適当に姿を眩ませた方が良い。といっても観察眼の鋭いエアルドに適当な嘘をついたところで、おそらくすぐに見透かされるだろう。それならば事実で乗り切った方が良いはずだ。
もうほとんど話したようなものだが、ルカは小さく息を吐き、腹を括る。
次の瞬間ルカの口から飛び出したのは、彼の存在の異質さを決定づける言葉だった。
「つまり私は、人の手で創り出された生命、ということですよ、陛下。」
「……!」
「そしてその過程の中で、少しばかり身体に手を加えられています。といっても他の人よりも強い身体を持ち、多くの知識を持つように、といった程度ですが……」
ルカの言葉にエアルドの目が見開かれる。
息を呑み、思わず一歩後ずさったエアルドの表情から、色が消えた。
時折こちらの様子を伺っていた周囲の面々には、二人の声は聞こえていない。だが、明らかにエアルドの様子が変わったのはわかる。
万が一の可能性を考えたのか、アルヴェインが駆け寄ろうと動き出す。だが、エアルドは小さく手を上げ、歩み寄る彼を制した。
「話の内容から多少は想像していたが……そういう話になるか……にわかには信じがたい話ばかりだが……まぁよい。見た感じそれほど剣を極めているようには見えんがセオに勝ったと聞くし、知識についても細かくは報告されておらんがミリアが手放しで称賛しておったからな。おいそれと信じるわけにはいかんが、嘘と断ずるのも難しかろう。それに以前から報告通りの能力を持っていたならば、もっと若いうちにその片鱗くらいは見せていただろう。であれば地方に置いた役人か貴族から、優秀な人材として噂の一つもあるだろうからな。」
「セオ殿に勝った、というのはいささか言い過ぎかと。模擬戦の後、私は倒れてしまいましたので、贔屓目に見ても引き分けが良いところでしょう。いずれにしても、私の生まれは常識では考えられない経緯を辿っている、ということです。碑文を読めたことも、その経緯が関係している……いかがでしょう。ご理解いただけましたでしょうか。」
「バカを言うな。理解などできるわけがなかろう。経緯はわかったが、それだけだ。まだ聞かねばならんこともある。」
エアルドは諦めたような表情を浮かべ、大きくため息をついた。
出てくる話が常識の埒外過ぎて、何を問うても判断に困る答えしか出てこない。エアルドにとっては何とも頭の痛い話だ。
「と、言いますと?」
「君と君を生み出した者の目的は何だ? 何やら突拍子もない目的が飛び出てきそうな気がするが、一応、な。」
「私の目的、ですか……妹を迎えに、でしょうか。」
「……妹?」
どんな答えが返ってくるかと多少なりとも身構えていたエアルドの耳に入ったのは、意外な言葉だった。
思わず気の抜けた返事を返してしまう。
「はい。どうやら妹がいるらしいのです。といってもまだ生まれていないようなんですが……とはいえ、お互いこの世界でたった一人の肉親になりますから、迎えに行ってやりたいと思っています。」
ルカの視線が遠く東の方を向く。そこはただの壁でしかないが、エアルドにはその方角が何を意味しているのかわかった。
ルカが言う"妹"が、その先にいるのだろう。
なるほど、この男は本当にその妹を迎えにいくつもりなのだと理解させるには、十分な表情だった。
「……そうか。ではそのために報告にあったように世界中を回るのか?」
「はい、知らされている限りでは、いくつかの場所を経由しないと、無事に会うことはできない、と……」
「では君を生み出した者の目的はどうかな? そちらも妹かね?」
困ったような笑顔を浮かべていたルカは、小さく頭を横に振った。
「大したことは何も。滅びの未来を予見していたようですから、子どもにはただただ自由に、そして精一杯人生を謳歌してほしいと願っていただけでしたね。ですので、妹に無事会うことができたら、どこかでそのように生きてみようかと思っています。」
ルカの脳裏にラボで見たホログラム映像の両親がよぎる。
両親に対して思うことは正直なところほとんどないが、どうやら自分が生まれることを望んでくれていたことだけは確からしいと感じられたのはあのホログラム映像を見たからに他ならない。
「どんな常識外の話が飛び出てくるかと思ったが、いささか拍子抜けだ……だが、同じ子を持つ親としては、妙に納得してしまうな。」
ルカの表情に何を思ったのか、エアルドはやけに柔らかい眼差しでルカを見ている。
「(ふむ……話した限り、危険な思想を持っているタイプではない、か……現時点では接点を維持しつつ監視を継続、といったところだろう……)」
ルカという人間の処遇については、おおよそ固まりつつあるが、彼の背後関係はまだ見えない。となれば、エアルドとしては何かしらの接点を持ちながらも陰から継続して監視するのが得策だ。
エアルドの視線の先で、ルカは照れたように視線を逸らしている。さすがに、国王から旅の目的を問われ、その答えが"妹を迎えに行く"となれば、気恥ずかしさを感じるなという方が無理がある。
そんな若者の様子に、エアルドは小さく肩を震わせると、そういえば、と口を開いた。
「セオが仕官の話をしたが蹴ったらしいな。今からでもどうだ?」
見れば口角を釣り上げ、エアルドがニヤリと笑っている。
「ご冗談はおやめください。先ほどの話の通り、妹を迎えにいくために世界中を渡り歩こうとしているのです。協力するだけならいいですが、お仕えするのは難しいですよ。」
目的を言ってすぐのことである。仕官などできないと分かっているはずなのに、何故なのかと訝しみながらルカが答えると、エアルドの表情は人を食ったような笑みになった。
「言ったな? では仕官は諦めよう。その代わり"個人的に協力"を願うことにしようか。」
個人的に協力する、つまり役職や爵位のような"首輪"はつけないが、協力関係という名の"縁"は結んでおこう、ということだ。
ルカにとっても、下手に支配下に組み込まれてしまって国外での活動に困る事態になるよりは良い。
「陛下……困ったお方ですね……」
「優秀な人材は貴重ゆえ、そう簡単に手放すわけにはいかんよ。そうだな、とりあえずは有用な知見の提供を頼みたい。人を生み出す仕組みを作るくらいなのだ。技術力は今の我々よりも上だろう。どうかな?」
「何でもとは参りません。危険性がなく、再現可能なものについて、必要に応じて陛下へお伝えする、でいかがでしょう?」
優秀な人材と見定められてしまったのは光栄なことだが、代わりに簡単には解放してもらえそうにない。
ルカは仕方がないと諦め、協力関係の内容を詰めてしまうことにした。
チラリと見やると、他の面々、特にエリナが二人の会話が長くなってきたこともあってか、少し不安そうにしている。
早々に安心させてやりたい。
「私へ直接、か……つまり、この場でのことは他言無用に、ということだな?」
「はい、私の持つ知識は、必ずしも露見して良いものではないと考えていますので……特に王侯貴族には。」
「だというのに、よりにもよって私にバレてしまったか……ははっ! 難儀なものよ。」
ルカの懸念を吹き飛ばすかのようにエアルドは笑って見せる。それが本心かはわからないが、少なくとも今のルカの懸念を払拭するには十分だった。
とりあえず今の時点では、この人は信じられる。
「ですね。幸い、陛下は私を抑えつけてまでご自身の支配下に組み込もうとはなさらない方のようですので、安心しております。」
「冗談はよせ。セオとまともにやり合える上に感応術士としても凄腕なのだろう? そういった手合いは抑えつけて従わせたところで信頼できん。であれば、手を差し伸べて協力関係を築いたほうが良かろう。」
「なるほど、ご慧眼かと。」
無理に抑えつけた関係では信用も信頼もできない。当たり前のことだが、身分の高い者にはこれを理解できない人間も一定数いるのだ。
現在この国が大過なく比較的平穏なのは、こういったエアルドの考えもあってのことだろう。
「この先、エリナ嬢と行動を共にするのだろう? ではやり取りは彼女のネクサバードを使ってセオを通すこととする。文書は、後ほど専用の封蝋印を渡すゆえ、それで封をして送るように……して、報酬はどうする? 何が望みだ?」
「報酬、ですか?」
「手を差し伸べて協力関係を築くと言っただろう。今回の場合、こちらに知見を齎すことに対して報酬を渡さねば、協力関係を築いたことにはならんよ。さぁ、言ってみるがいい。可能な限り応えよう。爵位はいらんだろうが……金か? それとも宝物か業物の武具の方がいいか?」
エアルドはやり取りの手筈を淀みなく口にする。ネクサバードを使って信頼の置ける部下を通す手順に加え、やり取りする密書の封印に使う封蝋印まで準備済みとあっては、はなから何かしらの接点を持つ展開を想定していたとしか考えられない。
「(この展開を予想して準備していたのか、すごい人だな……)」
ルカは空恐ろしいものを感じながら、苦笑いを浮かべるのが精一杯だった。
やはり二人での話は早々に終わらせたい。これ以上話が続くと、どんどん雁字搦めにされてしまいそうな気がする。
「では、お言葉に甘えて……」
少しだけ考えるような素振りをした後、ルカはその希望を口にした。
一拍の間をおいて、聞こえてきたのはエアルドの笑い声だった。
「くくっ……はっはっは! なんだ、そんなもので良いのか? 良い良い、気に入った! では必要になった時はすぐに知らせるように。」
そして一頻り笑った後のエアルドの瞳には、ルカの目から見ても、先ほどまでのような強い疑いの光はほとんど感じられなくなっていた。
「(国に仇なすつもりなら、あんなものは望まん、か……)」
どうやら少しは信用してもらえたらしい。
さすがに無条件ではないだろうが、荒唐無稽な話でも正直に話したことと、ルカが伝えた報酬の内容がエアルドの姿勢を軟化させたのだろう。
これで山を一つ越えられたような気がしたルカは、少なくともこの場では受け入れてもらえたことへの感謝を胸に、深く頭を下げた。
「……承知いたしました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。」
「うむ。では私と君の協力関係については、我々に加え、セオとエリナ嬢を含めた四人のみの極秘事項とする。セオには私から直接命じておくゆえ、エリナ嬢へは君から説明しておくように。もちろんこの件について故意に漏らした場合は厳罰に処されるものと肝に銘じておくように。」
エアルドは一度だけ深く頷くと、風で作られた防壁の外で《風の封壁》を維持し続けていた術者に目配せで合図を送る。
術者は術を解き、頭を垂れると、静かに部屋を去っていった。
「何やら注目を集めてしまったようだな。なぁに、ただ男同士で語らっただけのこと、気にするな。さぁ、そろそろ良い時間だ。もう少し皆で親交を深めたらお開きとしようではないか。」
エアルドはあえてその場にいる全員に分かるように、声を張った。二人の間にどんな会話があったのか、暗に探るなと釘を刺しているのだ。
何人かは顔を見合わせ、怪訝そうな表情を浮かべる者もいたが、国王が宣言した以上、この話題を口にすることはできない。
「そうしましょう。そろそろ陛下も眠たいでしょうし。」
「あら、そうなのですか? リュシア様、それならば添い寝が必要でしょうか……」
「そうねぇ……陛下ってば意外に寂しがり屋ですし……ねぇ、セレス?」
「お、お前たち……子どもたちの前でそういう物言いはだな……いやいや、客人の前だぞ!?」
「父上……」
「ふふっ……お父様っ……」
どっと沸き起こる笑い声。
楽しげな両妃殿下、たじろぐ国王、困惑する王子、ころころと笑う王女。微笑ましい家族の様子に、先ほどまでの少し重かった空気が一変する。
程なくして、食事会はお開きとなった。
この日の出来事は、後の歴史書にこう記されている。
この会食での出会いこそ、ルカという男と国王エアルドの立場を越えた盟約の始まりであった、と。




