第八十二話 王女の帰還
エリナやルカ様と別れた翌日、王都は着飾った人や多くの露店で賑わっていた。
白陽日の今日、私たち王族は「白陽礼」の儀式に臨む。儀式といっても格式張ったものではなくて、王城のバルコニーから王城前の広場に集まった国民の皆に向けて、一人ずつ挨拶するという行事だ。一年の前半を無事終えられたことに感謝して、翌日からの半年を幸せに過ごせるようにと、自分の言葉で伝えなきゃいけない。
バルコニーのある部屋には、国王であるお父様を始め、正妃のリュシアお義母様、第二妃のセレスお母様、王子であるアル兄様とレオ兄様が集まっている。
そして王女である私はミリアとノア様を伴って、最後にこの部屋に入った。
「おはようございます。リィゼ、ただいま参りました。」
家族に向かって一礼してから、バルコニーの外をチラリと見ると、例年通り、広場は大勢の人で埋め尽くされているのがわかる。
自分のために用意された椅子に腰掛けて、私は小さくため息をついた。
「(広場にはエリナも来てるのかしら?)」
約束したわけではないけど、王都にいるのならどこかから見ていて欲しいし、こちら側からも見つけられると嬉しい。といってもバルコニーから広場を見下ろして、一人ひとりを判別するのは難しいんだけど……
「あのお二人なら、どこかにはいらっしゃるでしょう。」
何も口に出してはいないというのに、真後ろに控えていたミリアが言った。
心の内を覗き見られたような気がして驚いてしまったけれど、極力表情には出さないように我慢する。
「そうだと嬉しいね。」
肩越しにミリアの方に視線を向けながら一言そう返すと、すぐ隣に誰かが歩み寄ってきた。
誰かしら。視線をミリアから戻すと、そこには白と青を基調とした王の装いに身を包み、悠然と立つ人影があった。
「お父様……?」
「やぁ、リィゼ。体調はどうだい? どうやらバルディアへの旅は多くの危機があったみたいだが、その分良い出会いもあったようだね。」
お父様の眼差しは、心配と安堵、そして慈しみに溢れた優しいものだった。
お父様もお母様も、本当にいつもお忙しくて、昨日も普段のご公務に加えて今日の準備が立て込んでいたから、お会いすることは叶わなかった。けれど、バルディアへ同行せずに城に残っていた侍女たちからは、お父様も他の家族もそれはもうとても心配していたのだと聞かされている。
自分のせいではないと分かってはいるけど、心配をかけてしまったのは確かだし、とても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
お父様に向き合うように椅子から立ち上がると、いつの間にかお父様のすぐ右隣にお母様が歩み寄って来ていた。
綺麗な淡い青色の優しい瞳は、少し潤んでいるようにも見える。
「はい。お父様、お母様。ご心配をおかけしてしまい、申し訳ございません。」
「詳細はセオさん、ミリアさんから聞いています。大変でしたね……でも本当に無事で良かった……」
「お母様……」
わずかに震えているようにも感じるお母様の声を耳にして、私は思わずお母様の胸に顔を埋めた。お母様が優しくその両腕で抱きしめてくれる。
お母様のつけている香油の香りがふわりと鼻腔をくすぐって、とても心が落ち着く。
「怖いこともたくさんありました。怪我も……しました。でも、護衛部隊の皆さんや友人の協力のおかげで、無事帰還することができました。」
「そうか。皆にもその協力者の方にも礼をせねばならんな。」
私の頭をそっとお父様の手が撫でているのがわかる。
「はい。その機会が持てることを楽しみにしています。」
お母様の胸元を離れ、笑顔を向けると、二人は少し安堵したように表情を緩めてくれた。
そのあと、何かに気が付いたお父様が、お母様に目配せをすると、二人は数歩後ろへ下がった。
今度は二人と入れ替わるように、リュシアお義母様とアル兄様、そしてその後ろにレオ兄様の姿。
「リィゼ、よくぞ無事に戻りましたね。犠牲になった者が出たことは残念ですが、貴女にはまだ為すべきことがあるという、神のご意思もあるのでしょう。王族たるもの、心を強く持たねばなりませんが、貴女はまだ年若い身……辛い時は家族を頼るのですよ?」
「リュシアお義母様……ありがとうございます。」
軽くリュシアお義母様が抱きしめてくれると、先ほどのお父様のようにアル兄様も頭を撫でてくれた。
「リィゼ、怖かっただろう? 本当はすぐにでも飛んで行きたかったんだけど、地方へ公務に出ていたから、報告を受けた時にはもうリィゼがバルディアに到着した後だったんだ。一番大変な時にそばにいてやれなくてすまなかったね。」
「いいえ、アル兄様こそご公務で忙しかったのに、ご心配をおかけしてしまって、ごめんなさい……そのお気持ちだけで十分です。」
アル兄様とリュシアお義母様が一歩下がると、レオ兄様と目があった。
二人の後ろで腕を組んだまま、少し機嫌が悪そうにしている。
「リィゼ、無事に戻ったのは良かった……」
そこまで言ってから、何故か視線を私の椅子の後ろにいるノア様に向ける。
「だが、少し周りが不甲斐ないのではないか? やはり平民上がりの……いや、貴族としての矜持も志も持たぬ者など、護衛部隊に入れるべきではなかったのだ。今一度貴族や血統というものが何たるか、考え直すんだな。」
「……!」
突然のことに、私ははっと息を呑み、言葉が出てこなかった。
レオ兄様の視線の先にいるノア様も、護衛部隊として隊列に随行してくれた兵士の皆も、そしてエリナやルカ様も、必死に頑張ってくれたのに……
ギュッと胸を締め付けられたように感じながら、恐る恐る後ろにいるノア様の方を振り返ると、ノア様は直立不動のまま口を真一文字に結んで、答えることも反論することもなく立っていた。
直接話しかけられたわけでも、発言を許されたわけでも無い以上、この場でのノア様は何も口にはできないし、ただ無言で耐えるしかない。
「レオニス! 言葉が過ぎるぞ! リィゼが無事に戻ってきたのだ! 護衛部隊は十分その職責を果たしたではないか! 何をもって不甲斐ないなどと言うつもりか!」
「そうだぞ、レオ。お前も報告を聞いただろう! 彼らは感謝されることはあっても、批判されるようなことなどないじゃないか!」
普段は穏やかなお父様とアル兄様が、珍しく語気を荒げ、怒気をはらんだ声を上げた。
あまりの大声に驚き、悲鳴を上げてしまいそうになる。
「チッ……父上、兄上、申し訳ありません。失言でした。」
叱責するようなその言葉に、レオ兄様は顔を伏せ、小さく舌打ちをした後、気持ちの感じられない謝罪の言葉を口にした。
レオ兄様は、どうしてそんなことを言うのだろう。以前はアル兄様と同じように優しくて、得意の剣で私の細剣の訓練に付き合ったりしてくれていたのに、ここ数年はいつもどこか機嫌が悪いように見える。無事を喜んでくれてはいるみたいだけど、その心の内がどうしても見えない。
悪くなってしまった空気を察したのか、お父様の後ろに控えていた宰相のゲルハルト卿が口を開いた。
「陛下。もうそろそろお時間になります。ご準備を。」
「……わかった。」
お父様は何かを振り払うように頭を振ると、大きく深呼吸をしてから、バルコニーの方へ歩みを進めた。
大きな両開きの扉の前まで来ると、その両隣にリュシアお義母様とお母様が並び、リュシアお義母様の斜め後ろにアル兄様とレオ兄様が立つ。
私も沈んだ心を落ち着かせようと両手を胸の前で重ね、大きく深呼吸してから、お母様の斜め後ろに進んだ。
私がすぐ近くまで来たことに気がついたお母様が、私の手を握って優しく微笑みかけてくれる。
「今夜、時間を作るから、お話を聞かせてちょうだい。お友達のことも、ね?」
小声でそう話しかけられて、ほんの少しだけ心が軽くなる。
「……はい!」
精一杯の笑顔を返すと、お母様はにこりと微笑み返してくれたあと、前の方に向き直った。
もうすぐバルコニーに続く扉が開かれて、私たちは大勢の国民の前に出ることになる。
さっきのことは一度忘れて、このあとの公務のことに集中しよう。
扉の横に控えていた近衛兵がゆっくりと扉を開いていく。
「陛下、前へお進みください。」
「うむ。」
ゲルハルト卿の声に促されて、お父様がゆっくりと進み出す。
私は目を閉じてもう一度大きく息を吐くと、お父様たちがバルコニーに出ていく背中を追うように、きれいに晴れた大空の下へ、歩み出たのだった。




