第八十話 ミラベルという女
レイヴは決して優しい男じゃない。元はどうだったか知らないけれど、今は脛に傷を持つ者の集まりを束ねる頭領。もちろん彼の手は汚れているし、血にも染まっている。
でも冷血漢かというとそれは違う。仲間を雑に扱ったりはしないし、決して友好的じゃない依頼主との連絡役である私に対しても同じ。口では否定的なことを言うけど、それとなく気を遣ってくれる。
仄暗い裏の世界で生きるしか無かった私は、その厳しい世界で、生まれ持った容姿だけを頼りに生きてきた。
生き残るためにこの身体を差し出し、仕事のために心を殺して望まない相手と肌を重ねる。
今回の仕事もどうせそんな感じなんだろうなって思ってた。
どうせなら、どこかの貴族の愛人のふりをして連絡役になる方が、清潔感の欠片もない荒くれ者の相手をしなくていいだけマシなのに、なんて最初は考えていたの。
そうして半分死んだような心のまま主人に命じられて、向かわされた先にいたのが彼だった。
賊の頭領なんてその辺のごろつきよりも多少頭が回るくらいで、自己中心的で乱暴な連中ばっかり。拠点にいる間は毎晩のように夜の相手をさせられるんだろうなって覚悟していたけど、その予想は見事に外れちゃった。
彼は私を娼館に入れはしたけど、その娼館には姿を見せずに、毎回自分の部屋に呼び出した。
おかげで隻鷹団の団員はもちろん、拠点の関係者たちは私のことを「頭領が自室に呼び出すほどのお気に入りなんだ」と思ったみたいで、毎日娼館に出てるのに、誰も私を買わなくなった。しかも彼は、自室に呼びつけはしても仕事の話しかしないし、身体を求めてくることもなかったの。
彼が一体何を考えているのか、最初はまったく理解できなくて、落ち着かない日々だった。
けれど、ある日、不思議と安心している自分がいることに気がついた。望まない行為をしなくていいってこういうことなんだ、って。
それと同時に、乾ききってひび割れだらけの死にかかった私の心に、言葉にならない一雫の温かい感情が染み込んだ。
「(彼って、今までの男たちと、ちょっと違うのかしら……)」
そう思った途端に、毎日の景色が鮮やかに色づきだしたの。
鬱蒼と暗く見えていたはずの森が、こんなにも鮮やかで美しいんだって。
木々の間を飛び交う鳥たちの煩わしい鳴き声が、こんなにも心地よく響き渡るんだって。
澄み渡る青空も、茜色に染まる夕焼けも、大地を潤す雨も……この拠点で過ごす生活が、私の死にかけの心に染み渡って癒してくれる。
娼館の他の娼婦たちにはレイヴとの関係を茶化されるし、そんなレイヴには時々呼び出されては彼の自室で仕事の話をした後、それらしく時間を潰すために、他愛のない会話をして過ごす。
あぁ、なんて幸せな日々なんだろうって初めて思った。この仕事がこのままずっと続けば良いのにって。
それと同時に、幸せな時間をくれた彼に何かしてあげられないかなぁ、とも。
でもそう考えた時、私の手には何もないって気が付いちゃった。
多くの団員のように戦えるわけでも、団の運営を助けられるほど頭がいいわけでもない。あれもない、これもない……必死に考えた末に、私にあったのはこの身体だけだった。
それでも良かった。わずかでも、一つでも、あったから。
だからある夜、彼の部屋に呼び出されて仕事の話をした後、彼を誘った。
「一応娼婦として来てるのよ? 仕事の関係らしく、後腐れがないんだから、楽しめばいいんじゃない?」
精一杯の笑顔でそう言いながら、本当は泣きそうな程辛かった。
だって抱いて欲しいと思った人には、ちゃんと愛されて抱かれたかったから。
でも実際に彼と身体を重ねたら、そんな思いは消し飛んでしまった。
口数は少なくて、ぶっきらぼうなのは変わらないけど、優しく慈しむように抱いてくれたから。
言葉はなくても、愛されているように感じられたから。たとえそれが勘違いだったとしても。
だからその時、連絡役の仮面でこの秘めた思いを覆い隠すことにした。
彼の行く道を邪魔しないように。重荷になどならないように。
それがほんのささやかな、私の望み。
血に塗れ、虚構に彩られた、私を私たらしめる、一雫の愛をこの胸に秘めて。
◇◇◇
そろそろ夜も更けた頃合いかしら。
騒がしかった外の様子も落ち着いてきて、この隻鷹団の拠点も森の夜らしい静かな空気に包まれてる。
汗ばんだ肌に薄いシーツだけを掛けたまま、私はベッドの上でレイヴの腕枕を堪能していた。
「前から聞いてはいたが、行き先に変更はないんだな? ルメリアの、しかもサルモルの近く……戦火が一番酷かったところだ。一つ間違えばまた戦争だぞ……」
「えぇ、変更はなしよ。リスクも分かった上でのことみたい。それ以上に何か狙いがあるみたいだけど、そこまでは私も聞かされてないわ。」
サルモル共和国と言えば、ルメリア諸国連合の構成国の一つ。
昔、王国と諸国連合が戦争をしていた頃は、激戦区だったはず。
そのため、終戦からずいぶん経った今でも、国境警備部隊が常駐している。
「場所も場所だが、よりにもよってルメリアを装っての行動だからな。王国側はルメリアが暗躍してると考えるし、ルメリア側は王国が事を起こすための自作自演だと騒ぐぞ。」
「多少のトラブルはもみ消す算段がついてるみたい。あの人は一体どんなルートを持ってるのかしらね。」
腕枕の感触を後頭部に感じながら、私は自分の主のことを思い出していた。
不思議、と言うか、本心を悟らせない感じがする人物なのよね。
「さあな。俺たちみたいな傭兵団崩れやエディルの野郎、その上どこのどんなやつらかは知らんが、あの怪しい狼を作り出した組織とも繋がってるんだ。それ以外があっても不思議じゃねぇ。」
レイヴは長く裏の世界で生きてきた人。協力者や敵対組織の情報にも敏感で、私が話さなくてもそれとなく感じ取っている。
けれど、私の主に関してはそうもいかないみたい。
話をしながら、ふと気になったことを口にしてみる。
「あ~……あの黒いワンちゃん、ノクスハウンド、だったっけ? あの笛で言うこと聞いてくれるからいいけど、ちょっと気味が悪いわよね。」
私が口にしたのは、レイヴの部下のガルザが管理している黒い狼のこと。
主から詳しくは聞かされてはいないのだけど、どこか他の国にある怪しい組織が作り出したみたい。
野狼や森狼よりは一回り小さいけれど、身体全体がかなり強化されている……とかなんとか言ってたっけ。しかも笛を使って指示することができて、主からは、野戦で練度の低い部隊とぶつかれば圧倒できる、と聞いている。
「ありゃあ、普通の生き物じゃあねぇ。あんなのはただ強い個体を掛け合わせたとかじゃ生まれてこねぇはずだ。作った組織ってのは相当頭がイカれたヤツらだろう。お前に言うのも何だが、首を突っ込みすぎて下手打つんじゃねぇぞ。」
「あら、心配してくれるの? 大丈夫、ちゃんとわきまえてるわよ。裏の仕事をする人間にとって好奇心ってのは、人を簡単に殺すんだから。それに私、今の立場を結構気に入ってるのよ。」
「ふん……」
心配してくれているのかしら。少し嬉しくて、熱のこもった視線で見つめてみる。でも彼は鼻で笑っただけで、私の方を見てはくれなかった。
ただ軽く、私の頭を撫でてくれる。
彼にバレないように顔を伏せながら、私はその心地よさにうっとりと目を細めた。
「ふふ……」
思わず漏れそうになった笑い声を、無理やり娼婦らしく艶っぽくしてごまかす。
彼に気取られないように、慌てて話題を逸らす。
「それで、いつ出発するの?」
「五日後だ。戦闘員は全員連れて行く。」
今回、主からの依頼内容に対応するためには、かなりの人数が必要になっている。少人数での対応は難しい。
「わかったわ。今回は私も近くの街に入ることになってるから、一足先にあっちに行ってるわね。」
「向こうではどこに潜伏するんだ?」
連絡役として動く時、普段は最初に指示を伝えて役目は終わりなんだけど、今回は違う。指示の数も多いし、途中で状況を見て追加指示があるって聞かされていた。
だから隻鷹団の活動場所の近くに潜んで連携しやすくしておく必要がある。
そうなると、どこか適当な潜伏先が必要なのよね。
潜伏先を問いかけてくる彼を見ていると、私のことを心配してくれているような気がして、少し嬉しい。自然と顔が緩んでしまう。
「うふふ……心配しないで。娼館に行ったりしないわ。そうね……酒場の看板娘にでもなってたら、仕事がなくても会いに来てくれる?」
「……考えておく。」
私の場合、潜伏するなら娼館に入ってしまうのが一番手っ取り早い。艶っぽく、それでいて少し影のある感じで話せば、すぐに採用してもらえるから。
でもそれはどうしても嫌だった。できるだけ、この人以外には触れられたくないから。
だから何も用事がなくても、彼が会いに来てくれるかも知れない場所として、酒場に潜伏することにする。
娼館には行かないと伝えた時、気のせいか少しだけ彼の表情が和らいだように見えた。
もしかして心配してくれてるのかな? 妬いてくれたんだったら嬉しいな……
その後も彼は何度か私の頭を撫でてくれていたんだけど、しばらくすると不意にその動きが止まった。
どうしたんだろうと不思議に思っていると、頭に添えられてた手がトンッとシーツの上に落ちて、小さく寝息が聞こえてきた。
「……寝ちゃった?」
私の問いかけに返事はない。
見上げると、警戒心のない、緩んだ寝顔がそこにはある。
歳を重ねた小皺も、雑に剃った跡からまばらに伸びだした髭も、「昔ヘマした時にな……」と気恥ずかしそうにしていた頬の刀傷も、何もかもが愛おしい。
そんな彼をしばらく眺めていた私は、いつの間にか静かに身体を起こし、彼の頬にそっと口付けてしまっていた。
ハッとして慌てて身を引き、彼の様子を見る。どうやら起こさずにすんだみたい。
ほっと胸をなでおろして、私はゆっくりと彼の腕の中に戻る。
「……おやすみなさい。愛してるわ……」
彼の耳にすら届かないほどの小さな小さな声で呟く。
届けられない秘密の愛を囁いて、彼の腕の中、私は幸せを噛み締めながら目を閉じた。




