第七十九話 他人の鎖
ヴェールスフィア王国中西部、人里離れた丘陵地帯にある森の奥に、それはあった。
そもそもが森の中だというのに、周囲の目から隠れるように塀や柵で囲まれたその中は、小さな集落のようになっている。
行き交う人々はお世辞にも一般人とは言い難い、無法者のような風体の人間ばかりだ。
そこは普通の街や村ではない。傭兵団崩れの賊である"隻鷹団"の拠点だった。
彼らが人里離れた場所で生活しているのは、構成員のほとんどが大なり小なり犯罪を犯していて、普通の街で生きていくことが難しくなってしまっているからだ。
だが、息を潜め、日陰に隠れるように生活しているふうではない。
集落を形成できるほどの人数がいるため、集会所や宿舎はもちろん、飲食店、酒場、果ては娼館までが揃っており、仕事を請けていなければ各々が好きに過ごしている。
そんな拠点の最奥、周囲のものよりも一回り大きい建物の一室に、頭領であるレイヴがいた。
周囲には何人かの手下と、団の部隊を束ね、最初のリィゼ襲撃に加わっていたラズロ、そしてもう一人、巨漢の男と見紛うほどの立派な体躯をした女がいる。
「で? 奴さんは王都に向かって進んでるみたいだけど、もう一当てするのかい?」
乱雑に束ねられた髪、露出した手足に刻まれた無数の刀傷。見るからに荒事を好みそうな彼女は、次の襲撃を考えてか、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら、レイヴに問いかけた。
「いいや、クソジジイが今回は無しだとよ。癪だが俺も同じ意見だ。短期間にこれ以上突っかかると痛くもねぇ腹を探られるからな。っつーわけだからバルナ、早まるんじゃねぇぞ。」
酒の入ったジョッキを片手に、レイヴがバルナと呼んだ女にその鋭い目を向ける。
「なんだぃ、つまんないねぇ~。ラズロんとこの次はアタシのとこかと思ってたってのに、犬っころのテストだって出番を先延ばしにされて、やっとかと思ったらお預けかー!」
大げさに天を仰いでみせたバルナは、テーブルに置かれた自分のジョッキを持ち上げ、中身を一息に流し込む。
「んぐっ……んぐっ……ぶはぁ~! おーい! 次ー!」
「へーい!」
手下が持ってきた次のジョッキの中身を、バルナは次々と喉の奥に流し込んでいく。
「で? 次はどーすんのさ? しばらく仕事は無しかい?」
目の前に次々と空のジョッキを量産しながら、バルナは気だるげにレイヴを見た。大量の酒のせいか、ほんのり上気して見える。
対してレイヴは椅子の背もたれに身体を預けたまま、その眉間に深い皺を寄せていた。
バルナを一瞥して、小さく言い放つ。
「次の仕込みだ。西へ行く。」
「仕込みねぇ……」
見るからに武闘派らしいバルナは、追加の酒を呷りながら面白くなさそうに漏らしている。
その向かい側にいるラズロも、同じだ。好きに暴れることができず、こそこそと暗躍することなど性に合わないのだろう。
「仕方ねぇだろう。前回の仕事は指示通りにやりはしたが、クソジジイの狙い通りにはならなかったからな。」
「つっても、こっちとしちゃあ、ちゃんと仕事をしたわけですし、しったこっちゃないんですがね。」
「まぁな。」
ラズロのぼやきを聞きながら、レイヴが酒を呷る。
街から離れ、隠れ住んでいる自分たちには、旨い酒が回ってくることはほとんどない。あるとすれば仕事の報酬か、はたまた略奪品に偶然紛れ込んでいたかのどちらかだ。
ひどく不味い、酔うためだけの安い酒。
反吐が出そうな悪辣な仕事。
なんとも気分が悪い。
「(ルメリア諸国連合の仕業に見せかけた偽装工作……いくらなんでもきな臭すぎる……何が狙いだあのクソジジイ……)」
ヴェールスフィア王国の西方にある、四つの小国からなる連合国家。その勢力に成りすまし、王国内で様々な工作活動をする。
過去に領土で争ったことがあり、王国との関係性が良いとは言えない国だ。その勢力を装って行動するなど、まともな仕事ではない。
「(そろそろヤツとの関係も何とかしねぇとな……)」
レイヴは隻鷹団の今後に思いを巡らせながら、一人心の内で呟く。
しばらく他愛のない会話を続けた後、ラズロとバルナがそれぞれ部屋から出ていくのを見送ると、レイヴも席を立った。
「おい。ミラベルに部屋まで来いと言っておけ。」
「はい!」
部屋に残る手下に一言そう言い残して、レイヴも部屋をあとにした。
レイヴがシャワーを浴びに行き、汗を流してから戻ると、殺風景な部屋に置かれたソファに一人の女が腰掛けていた。
腰まで伸びた美しい緑の髪、女性らしい艶やかな曲線を描く身体、憂いを帯びた深緑の瞳。賊の拠点にいるなどとは思えない、美貌と妖艶さがあった。
シンプルな刺繍で飾られたドレスは、太ももの上まで届く深いスリットが入っており、ソファの上で組んだ細い足の白い肌が覗いている。
「ミラベル……来いと言ったのは確かだが、やけに早いな。」
「うふふ……娼館の仕事がないのよ。貴方のお気に入りと思われてるみたいだから、団員たちは手を出してこないし、ね?」
少し目を細めて柔らかな笑みを浮かべる彼女の名はミラベル。
拠点内の娼館に身を置く娼婦だ。だが、それは表向きの顔であり、レイヴと"依頼主"をつなぐ連絡役というのが彼女の裏の顔である。
「どうだかな。」
ミラベルは目の前の小さなテーブルに置かれた水差しからグラスに水を注ぐと、自分の隣に腰掛けたレイヴに手渡す。
レイヴがグラスを受け取り、水で喉を潤すのを横目に、ミラベルはレイヴに身体を寄せ、その肩に頭を乗せた。
「そこは"俺の女だからな"くらい、言ってもらいたいところだけど。」
「ふん……"他人の鎖"に繋がれた女なんざ、どんなにいい女でも願い下げだ。」
「まぁ、それもそうね。ざぁんねん。」
細腕をレイヴの腕に絡ませながら顔を上げ、蠱惑的な笑みをレイヴに向ける。
そして、細くしなやかな指をその薄い唇に添えるようにして小首を傾げた。
「でも、いい女とは思ってくれてるのかしら?」
いたずらっぽく笑って見せるが、レイヴはその表情を一瞥しただけで何も言わなかった。
確かにミラベルはいい女だ。容姿もそうだが、自分の立場や相手との関係性を弁え、よく観察し、懐深くに入り込みはするが、触れられたくない場所は絶妙に避ける。時間を共にするのにこれほど心地よい相手はそういない。
それもこれも賊の頭領と連絡役という関係性でさえなければ、だが。
「減るもんじゃないし、口に出してくれたっていいのに。ちゃんと伝えた方が女は……ううん、私が喜ぶわよ?」
一瞬いろんな意味で"仕事相手"だということを、この女は忘れているのではないかと錯覚するような微笑みを向けてくる。
「冗談はよせ。仕事の話は――」
少し呆れたようにため息交じりに話しだしたレイヴの唇に、ミラベルはそっと人差し指を添え、言葉を遮った。
「秘密のお話の続きは、ベッドの中で、ね?」
「……」
仕方がない、といった感じの表情を浮かべたレイヴは、手にしたグラスをテーブルに置くと、ミラベルを抱きかかえた。
彼女をベッドに寝かせると、部屋の中を薄暗く照らしていた明かりを消し、ミラベルの隣に腰掛ける。
「じゃあまずはゆっくりと楽しみましょうか……」
「……好きにしろ」
部屋の中にカーテンの隙間からわずかに差し込んでいるのは、篝火の明かりだけだ。
上体を起こしたミラベルの影が、ゆっくりと横たわるレイヴの影に重なる。
シーツの擦れる音と艶めかしい吐息だけに支配された部屋に、酒を呷った荒くれ者たちの喧騒が届くことは無かった。




