第七十八話 リネットは護衛騎士?
ルカがリネットに《治癒》を教え、レッタの治療を始めてから二日が経った。
今日、いよいよリィゼが王都に向けて護衛部隊と共に出立するということで、護衛として同行を依頼されている二人は旅支度を済ませ、槌と麦亭の前でリネットが迎えに来るのを待っている。
旅支度と言っても、出番の少ないものや嵩張るものはアイオン・バングルに入れている。手元にあるのは身につけている装備品やバッグに入れた携行品くらいで、見かけ上の荷物は少ない。
「リネット、遅いね。昨日遅かったからかなぁ……」
「まだ慣れてない《治癒》を何回も使ってたからな、寝過ごしてセオ殿に怒られてなけりゃ良いんだけど。」
リネットはあれからも休憩を挟みつつ《治癒》によるレッタの治療を続け、昨夜遅くには襲撃者によって折られていた左腕も含め、彼女の怪我を完治させるに至っている。
また、どのような話があったのかは聞かされていないが、昨日バルディア城からリネットの様子を見に来ていたセオがレッタと話し合ったらしく、レッタは自宅や工房に戻らずに、最低限の私物を持ってしばらく槌と麦亭に身を寄せることになったらしい。
二人の話し合いの最中に、槌と麦亭の主人夫妻が何やら申し入れをした、というようなことも小耳に挟んだのだが、詳しいことは聞かされていない。ただ、聞く限り彼女の周囲の状況は何も変わってはいないので、このまま自宅に帰し、工房の営業を再開させるという選択肢は無いのだろう。
その点、槌と麦亭ならば主人夫妻の目もあって一人きりになることもほとんどない。加えてギルベルトが警吏の巡回を手配してくれたという話もあるので、ある程度安全は確保できていると見て良さそうだ。また槌と麦亭は普通の宿とは違い、主人自ら槌を振るい、宿泊客の装備品の修繕を請け負うこともあるという一風変わった宿である。彼女が身を寄せている間に手伝える仕事もあるだろうし、もしかすると工房にいる時よりも良い素材、良い仕事に出会えるかもしれない。
「そういえば、レッタさんを襲った犯人の調査とかって、領主様たちの方で進めてくれるってほんと?」
「ん? あぁ、昨日聞いた限りじゃ、ロイナー辺境伯にも随時情報を共有してたみたいで、殿下や俺たちがバルディアを離れたあとは辺境伯自ら調査を引き継いでくれるみたいだな。晩餐会で少し話しただけだけど、誠実で実直そうだったし悪いようにはならないだろ。」
「そっか、早く解決すると良いね。」
「ピッ!」
エリナの言葉に返事をするように、彼女の肩に止まっているピノが上機嫌に鳴いた。ピノの仕事はというと、ここ数日の間にエリナとリィゼの間を何度か往復しただけだ。
おかげで、体力が有り余っているのか、元気そうにぴょこぴょこと動き回っている。
「あ、あの~……」
エリナがピノの小さな額を優しく指で撫でていると、二人の背後から消え入りそうなリネットの声がした。
いつもならもう少し元気な感じだろうに、どうしたのかと振り返ると、そこに居たのはもちろんリネットだ。
だが、いつもの丈の長いローブ姿ではない。黒のインナーに丈の短いスカートと膝上丈のタイツ、加えて鋼の胸甲、腕甲、膝当てを着け、細剣を携えている。どこからどう見ても感応術士ではなく騎士だ。
「お、おはよう、ございますぅ……」
顔を真っ赤にしてもじもじと身を捩るその姿は、装備とは裏腹に騎士らしさの欠片もない。
「リネットさん、おはようございます……」
「リネット、おはよう……っていうか、どうしたのその格好……」
「うぅ……そ、それが、今朝セオ様がいきなり……」
今にも顔から火が出そうになりながら、リネットは早朝に起こったことを教えてくれた。
なんでも起床時間を見計らったかのように現れたミリアに連れられ、向かった先で待ち構えていたセオにいきなり感応術師団からの転属を命じられたらしい。しかもご丁寧に王家と騎士団、さらには感応術師団にも話が通されていて、正式な装備一式まで準備済みだったとか。
「今までのローブじゃダメなのかなぁ……いきなりこんな短いスカートに着替えさせられちゃって、すーすーするし、恥ずかしいし、落ち着かないし……」
「ふっ……うふふっ……あははっ!」
「ちょっと! 笑わないでよー!」
リネットが顔を赤らめたまま、片手でスカートの裾を押さえ、もう片方の手を振り上げてエリナを追いかけ回す。
「でも似合ってますよ。慣れるまでの辛抱です。」
「そうそう、可愛い可愛い! 慣れたら大丈夫!」
「ちょっ……んもー!」
可愛らしい追いかけっこを眺めているのは楽しいが、このままだと集合に遅刻しそうだ。
「ま、まぁまぁ……リネットさん、もう部隊の人たちは集合してるんですよね? 遅れないうちに俺たちも行きましょう。」
「うぅ~~……は、はい……」
からかわれて目尻に涙を浮かべるリネットを落ち着かせると、三人はバルディア城へと歩き出した。
まだ活気が出てくる前の朝の街は、うっすらと靄が出ている。そのせいか、バルディア城は霞んでいてはっきりとは見えない。
「次は、いつ来れるかなぁ……」
「さぁな。でも出来れば剣の手入れをレッタに頼みたいし、近くに来たらまた寄ろう。」
「そうだね。」
今日ここを出立したら、次に来るのがいつになるかはわからない。そう思うと、ルカとエリナの足は自然と遅くなる。
そんな二人の腰にはレッタに打ってもらった獲物が下げられていた。
ルカのショートソードはシンプルで一般的な形状ではあるが、バランスが良く手に馴染む。重心が少し手元に近い位置になっていて、軽く手首を返すだけで刃先が思うままに操れそうだ。鍔や柄の部分に邪魔にならない程度に装飾が施されていて、レッタが実用性を重視しつつ、細やかな仕事をしてくれたことがよく分かる。
エリナのダガーは、切っ先が両刃になっているが、手元の近くは片刃になっていた。片刃になっている峰の部分には、浅い溝がいくつも刻まれていて、相手の刃物を受け止めた時に滑らないようにと考慮されている。さらに先日レッタの店で買ったものと同じように、柄頭に指が通せる穴も開けられていた。また、女性が扱うということを意識したのか、少し可愛らしい装飾が刻まれている。
また、二人は暇を見つけて追加で見繕っていた腕甲やすね当ても身につけていた。あまり重いものはルカたちのスタイルには合わないので、比較的軽いものを選んでいる。
程なくして、道中ずっと続くリネットのため息を聞きながらも、三人はバルディア城の城門前にある広場までやってきた。
セオやノアをはじめとした護衛部隊の面々はほとんど準備を終えていて、あとはリィゼが来るのを待つだけのようだ。
「お、二人とも来てくれたか。」
「おはようございます。もう準備はだいたい終わっているようですね。」
「あぁ、君たちも来たことだし、あとはミリア殿が殿下をお連れし次第出発だ。」
準備を終え、各員が自身の持ち場近くで思い思いにリィゼが来るのを待っているようだ。
移動中リィゼとミリアが乗る馬車は、エディルによって破壊されてしまったが、辺境伯家が所有しているものを譲ってくれたらしい。王女が乗るには少し落ち着きすぎている気もするが、国境を守護する辺境伯の物らしく、実用性や堅牢性を兼ね備えた立派な馬車だ。
ルカは久しぶりに会うユージンたちとも挨拶を交わし、事前にセオから聞かされていた配置につく。今回ルカは徒歩ではなく、馬に乗っての移動だ。
馬は元々ノアが駆っていたものだ。気性は穏やかで落ち着いていて、言うことをよく聞く良い馬だという。代わりにノアは御者台で馬車を操ることになっている。
エリナは前回と変わらず馬車周辺で警備にあたるが、今回はそれにリネットも加わるのだそうだ。
立場上、彼女も馬に乗るのが通例ではある。だが、今回は体力づくりを兼ねてあえて徒歩での移動が指示されていた。感応術師団から護衛騎士団へ転属となり王女付き護衛騎士の見習い扱いとなった彼女の装備は、騎士としてはかなり軽装な部類ではある。だが、以前のローブ姿と比べると、装備の重量はかなり増えているし、その状態で動き回るための体力は絶対に必要だ。
加えて、ルカから出されている「常時《敏捷性強化》を維持すること」という課題も継続とあって、出発前だというのに本人の表情は暗い。
「リネット、しばらくは大変そうだね。」
「うん……でもやるしかないし、頑張るよ。でもエリナも課題があるのは一緒でしょ?」
「まぁね。あとは夕方の自由時間にルカとの訓練を追加だって。」
「「……はぁ……」」
二人は顔を見合わせて苦笑すると、一呼吸の後、同時に大きなため息をつくのであった。
ミリアを伴ってリィゼが現れたのはその後すぐのことだった。
傍らには彼女の祖父であるギルベルトの姿もある。
移動を念頭に置いた少し身軽な旅装に身を包み、軽やかな足取りで馬車の近くまで来ると、リィゼはくるりとギルベルトの方へと向き直った。
「お祖父様、短い間でしたがありがとうございました。お忙しい事は重々承知していますけど、王都にもお越しくださいね。」
「ハッハッハ! もう少しゆっくりできれば良かったのだがなぁ……公務があるとなれば仕方あるまいよ。近々陛下へ国境の状況をご報告に上がるゆえ、その時にセレスにも会いに行くと伝えてくれるか?」
「はい! もちろんです!」
ギルベルトは目を細めながらリィゼの頭を撫でている。
本来祖父とはいえ、王女の頭を撫でたり気安く話したりするのはあまり褒められたものではないのだが、ミリアやセオたちを見ている限り、リィゼにとっても周囲にとってもあれが自然な二人の関係性なのだろう。晩餐会の時にはリィゼから気安く話しかけていた様子からも、王女と辺境伯というよりはごく普通の孫と祖父のそれだ。
「ミリアよ。王都へ赴くのに併せてあちらのご両親にも久方ぶりに挨拶に伺いたい。その旨も伝えておいてくれるか?」
「御意に。王都にお越しになる日程が近くなりましたら、会食場所と日程の調整を行いますので、改めてご連絡くださいませ。」
「うむ。よろしく頼む。」
"あちらのご両親"とは、リィゼの母親であるセレス第二妃の実の両親のことだ。
セレス第二妃は平民の家の生まれで、王家への輿入れのためにロイナー辺境伯家の養女となった経緯がある。もちろん実の両親は平民だが、言葉を聞く限りギルベルトはその身分の差よりも、人としての筋を通すことに重きをおいているようだ。
リィゼとギルベルトが別れを惜しんでいる間、セオたちは出発前の最終確認を進め、予定通りバルディアから出発することになった。
バルディアから見て王都エレドリアは南南東の方角にあり、街道自体はほとんどまっすぐ伸びている。大きな都市を結ぶ街道ということもあり、整備も行き届いていて、初日の移動は途中何度か野狼を見かけたこと以外に、大きな問題はなかった。
予定通りバルディアの南に広がる森林地帯まで隊列は進む。その先にある少し開けた場所が初日の野営地だ。
バルディアまで同行していたメンバーは元より、ギルベルトが融通してくれた追加要員も野営には慣れているようで、準備は滞りなく進んでいた。
一通り野営の準備が終わり、夕食が振る舞われると、後片付けや哨戒の担当者以外は短い自由時間になる。
予告通り、ルカとエリナは訓練のために野営地のすぐ外側に行き、向かい合って立っていた。
日が落ちてすぐということもあり、空はまだうっすら明るいが、深い森の中はかなり暗い。野営地から漏れる光だけでは明るさは十分とは言えない。
セオからいくつかランタンを借り、二人の周囲に置くことで最低限の明るさを確保している状況だ。
「さ、て、と。じゃあ今日の訓練お願いしまーす!」
ダガーの代わりに適当な長さの木の枝を持ったエリナが、軽く伸びをして訓練の開始を待っていた。
相対するルカも同じようにショートソード程の長さの木の枝を手に立っている。
「よし、じゃあ軽く何本かやるか。」
「はーい。」
向かい合った二人は、軽く腰を落とす。
始まりの合図は特にない。どのタイミングで始めるのかはエリナの自由だ。
十秒ほどだろうか、不意にエリナが踏み込もうと重心を前に傾ける。ルカもそれに合わせるように一歩踏み出したその瞬間だった。
『(ルカ……ちょっと待っ……!)』
頭の中でアリスの声が聞こえた気がするが、エリナの動き出しに合わせて、ルカもつま先に力を込める。
その刹那、ルカの身体は何の抵抗もなくするりと前に飛び出した。
ルカの視界に映る周囲の風景が音もなく流れる。
「(身体が……軽い?)」
別に本気を出したわけでも、極端に集中して臨んだわけでも無い。ただひたすらに身体が軽く、思うがままに動く、そんな感覚だった。
地を這うように深く沈んだルカの身体が、衣擦れの音を置き去りにして加速していく。
瞬く間に距離が詰まる。
「わっ!」
次の瞬間、ルカの姿はエリナの真後ろにあった。右手に持った枝がエリナの喉元にピタリと付けられている。
エリナは一歩目として片足を踏み出した姿勢のまま、軽く顔を反らせた格好で固まっていた。
「る、ルカ……?」
「あ、あれ?」
かろうじてエリナが漏らした上擦った声に、ルカが驚いたように手を引っ込めた。
そんなつもりではなかったのに、とでも言いたげな表情のまま、ルカがエリナから離れる。
「ご、ごめん……」
「あ、うん……」
いつもと身体の動きも感覚も全く違っていた。一体何だったのか。
『(……ごめんなさい。もう少し早く呼びかければ良かったですね……)』
頭の中に申し訳なさそうなアリスの声が響いた。
アリスは何か知っているのだろうか。
少し混乱しながらも、ルカはアリスの声に耳を傾けた。
『(ルカ、貴方の身体ですが、先日の模擬戦の時にB.N.I.Cが無理やり"最適化"したでしょう? そのせいで、身体能力がかなり高まっているんです。セオという男の本気の状態と普通に戦えるレベルになっていると考えてください。)』
「それは、ちょっと……」
「……?」
『(そういうわけですから、かなり意識してエリナに合わせてあげてください。いつものつもりで相手をしようものなら、今の貴方では彼女との力量差が大きすぎて相手になりません……)』
不思議そうにしているエリナの視線の先で、ルカはアリスの言葉に表情を曇らせていた。
B.N.I.Cのことは、頭のどこかで「自分の能力を上げてくれる便利なもの」という程度にしか考えていなかった。
感応術を使おうとすれば、それを補助してくれるし、ラボやサテライトと繋いでアリスとのやり取りを可能にしてくれる。
それは自分がやりたいと思ったことをサポートしてくれる便利なものだ。
だが、自分の意思とは無関係に想定以上の効果を発揮するとなると、無条件に喜べるものではなくなってしまう。
もしかしたら自分の知らぬ間に、恐ろしい効果を及ぼすのではないか。数日前の失神のようなことが、ここぞという時に起こってしまうのではないか。
自分の身体が制御不能なものになりかねない、そんな不安や焦燥のようなものが背筋を冷たく這い上がる。
「ルカ? 大丈夫?」
「あ、いや、大丈夫だ。それよりさっきはごめんな、加減を間違えたよ。さ、仕切り直そう。」
不安げな表情でルカの顔を覗き込むエリナの声に、ルカは脳裏で渦巻いていた不安を、頭を振って追い出した。
元の立ち位置に戻りながら、無理やり笑顔を作ってエリナに続きを促す。
「(これはゆっくりと向き合わなきゃダメな問題だな……)」
気を取り直して、ルカは今日のエリナの訓練を進めることにした。
アリスの言葉を思い出しながら、エリナの力量に合わせてギリギリの攻防になるように"調整"しながら動く。
彼女が踏み込んで来たなら、その手が届くかどうかの場所に位置取り、突き出された枝にこちらの枝を合わせる。
回り込んできたなら相対するように、後ろに下がったなら距離感を合わせて踏み込む。
身体が軽い。思い通りに動く。エリナの動きを正確に捉え、彼女の訓練相手として完璧な動きができる。
気持ちが悪いほどに。
幸いエリナは動きやすいのか、楽しそうに訓練に取り組んでいるようだ。
だが、ルカの心の奥底には仄暗い澱のように一抹の不安が漂ったままだった。




