第七十五話 癒しの手
「まったく……少々短慮と言わざるをえんが……」
城塞都市バルディアの一角、槌と麦亭の客室の一つに、セオとリネットの姿があった。
狭い部屋の中には二人しかおらず、部屋の外の音が全く聞こえないことから、リネットが《||風の封壁《|ウインド・シール》》で音を遮断しているようだ。
「……はい。」
軽く小言を言われ、小さくなっているリネットの目の前で、セオが腕を組んで眉間にシワを寄せている。
だが、不思議と機嫌が悪いようには見えない。
「まぁいい。結果的には対象を助け、護った。防性術の効果も十分だったようだし、任務ではなかったが要人護衛としては及第点だろう。だがな、今回のような場合は、できれば先に応援を要請してくれ。もちろん殿下のように命を賭してもお守りせねばならん場合もあるが、怪我人を保護できてもお前たちが傷ついてしまっては意味が無いんだ。」
困ったように苦笑いを浮かべ、セオの手がリネットの頭を撫でた。
「……ほぇ?」
「……まぁ今日のところは、よくやった。」
「あ……はいぃ……」
強く叱られることは無いだろうと思ってはいたが、まさか褒められるとは思っていなかったリネットが、何とも言えない顔になっている。
まだ信じられないのか、撫でられた頭に手をやり、ぽかんと呆けていた。
「いつまで呆けている。レッタ、だったか? ルカ殿が彼女の治療を申し出てくれているが、お前に立ち会って欲しいとのことだ。術はもういいから、さっさと向こうの部屋へ行ってこい。」
「あ、はい! 失礼します!」
セオに促され、リネットは頭を下げると、駆け足で部屋から飛び出していく。
ドタバタと騒々しく、すぐ隣の部屋へ駆け込んでいった。
「……扉くらい閉めんか。」
リネットが開けっ放しで出ていってしまった部屋の扉をため息交じりに閉め、一人部屋に残ったセオは部屋の壁際に置かれている椅子に腰掛けた。
ちょうど今日の昼頃のこと、エリナと共にバルディア城へと戻ってくるはずだったリネットが、何故か一人で戻ってきたのだ。
なんでも、紅火工房でその店主が襲撃されていただの、当人を保護して槌と麦亭でエリナに護衛させているだのと、いつの間にか独自にあれこれと動いていたものだから、目を丸くしたのである。
もともとルカたちから店の商品に使われている素材が、店主の腕に見合っていないという話を聞き、ユージンたちを使って多少の調査は進めていた。
調達の問題だけなら時間を掛けても良かったが、怪我人が出たとなればゆっくりとはしていられない。少なくとも被害者の安全は確保しなければならないだろう。
「《にしても、襲撃とは……調査報告と合わせてギルベルト様と今後の方針を決めておかねばならんな……)」
セオの視線は遠く窓の向こうに見える、この地を治める領主の居城へと向けられていたのだった。
リネットが部屋に入ると、ルカとエリナ、そしてノアが待っていた。
部屋の奥のベッドには、レッタが寝かされている。左腕の骨折だけではなく、他にも身体中に打ち身や擦り傷があり、顔色も悪い。眠っているようだが、とても安らかという感じには見えない。
「あ、リネット。セオ様とのお話は終わった?」
「うん。」
リネットが来たことに気がついたエリナが声をかけると、彼女は小さく頷いた。なぜだか少し嬉しそうなのは気のせいだろうか。
「ルカ殿、リネットも来たことですし、彼女の治療を。」
「そうですね。早くレッタを楽にしてあげたいですからね。リネットさん、こっちへ。」
ノアに促され、ルカはリネットを手招いた。
レッタに近寄り、改めてその身体を見ると、細かいものも含め、あちこちに傷があるのがわかる。
「えっと、ルカさん、治療の立ち会いって聞いてるんですけど、何をしたら良いんですか?」
「実は立ち会いではなく、治療そのものをリネットさんにしてもらおうと思いまして……」
「えっ? いやいやいやいや! 何を言ってるんですか! ルカさんみたいな超高度な術、できませんよ!」
リネットが驚き後ずさった。顔の前で大きく手を振ってルカの提案を拒否する。
確かにルカがミリアを治療している様子を目の前で見てはいるが、あれがどんな感応術なのか、リネットには皆目見当もつかない。
仮に説明されたところで、使える気がしない。
だが、ルカはリネットの想像を即座に否定した。
「あぁ、ミリアさんに使った《再生》では無いですよ。《抽出》も《結合》も使いません。使うのは《治癒》の方です。」
「ひ、《治癒》……?」
「あー、あれかぁ……」
レッタのいるベッドの反対側にいたエリナは思い当たる感応術があるようで、何かを思い出すかのように腕を組み、視線を上に向けている。
「ほら、私の左足を治療する時に使ってくれてた術だよ。リネットも手の怪我、治してもらったでしょ?」
そういえば、と先日のことを思い出してみる。エディルとの戦いの後、ミリアとは別にエリナ、リネット、リィゼの三人もルカに治療してもらっていたのである。
「ルカさん、あの術もルカさん以外にできる人はいないんですよね? 一度見たとは言っても、私ではどうにも……」
「いえ、大丈夫だと思います。俺以外に使い手がいないのは確かですが、それは俺のオリジナルでまだ誰にも教えていないというだけですよ。傷ついた身体を治すためのイメージがちゃんとできれば使えるはずです。」
「そ、そうでしょうか……」
「リネット。君はその術を身に付けるべきです。」
まだ自信が持てないのか、小さくなっているリネット。そこに声を掛けたのはノアだった。
「我々は軍人です。その行動には必ず戦闘行為がついて回ります。であれば、その術はきっと必要になる……」
そう、軍に所属している以上、戦闘行為は必ずある。今は戦時では無いが、この先戦争にならないとは限らないし、そうでなくとも賊や害獣の討伐任務という形で戦闘行為を行うことはあるだろう。
その時誰かが怪我をすることは容易に想像できる。
「ルカ殿は傭兵です。一緒に行動してもらえるのは依頼の間だけですから、君には今のうちに何としてもその術を身に付けて欲しい……この通り、お願いします。」
ノアは真っ直ぐにリネットを見て言うと、静かに頭を下げた。
「ち、ちょっと待ってください! 頭なんて下げないでください~!」
まさか頭を下げられると思っていなかったリネットは酷く慌てふためいた。
リネットから見るとノアの方が階級は上だ。滅多なことでは頭を下げられることは無い。
だが、ノアは頭を下げた。それは《治癒》を是が非にでもリネットに習得してもらわねばならないと考えたからだ。
今回、王都エレドリアを出てから今日までの間、襲撃や裏切りという形で三度の戦闘行為があったが、残念ながら怪我人も死者も出ている。
即死を避けられなかった者は仕方がないが、《治癒》の使い手がその場に居さえすれば、余裕を持って切り抜けられた戦闘も、助かった生命もあったかもしれないのだ。
そして今後も戦闘行為が行われる度に「ここに《治癒》の使い手が居れば……」と思い続けるだろう。
であれば、本来自分の手札を開示することを嫌うはずの傭兵が、その手札の一つである《治癒》を教えると言ってくれているのに、乗らない手はない。
そして教えてもらえることになったリネットの背中を押すためならば、自分の頭くらいいくらでも下げて良いと、そう思ったのだ。
「自信が無いなら無いで良いです。結果、習得できなかったなら、それでも構いません。でも可能性があるなら挑戦しましょう。それは国を、王国軍を、そして君と君の大切な人たちを救う一手になる。」
表情を引きつらせて呻いていたリネットだったが、ノアの言葉にやがてその表情を変えた。
相変わらず自信は無いように見えるが、たとえダメでもやってみようという小さな決意を胸に秘めた、そんな表情だ。
「わかりました、やってみます……」
リネットの返事を聞いたルカは、エリナにも視線を向ける。
突然目が合ったエリナは、何故だかわからずきょとんとしていた。
「エリナも、今から説明する内容をちゃんと覚えておいてくれ。今日はリネットさんに教えるけど、俺はエリナにも使えるようになって欲しいんだ。」
「えっ? あ、うん……わかった。」
両手で小さな拳を作り、エリナはやる気を見せる。
こちらは特に焚き付けたりしなくても頑張ってくれそうだ。
「じゃあ、始めましょうか。」
ルカの呼びかけにリネットとエリナが頷く。
新たな《治癒》の使い手になるべく、二人の少女は真剣な眼差しをルカへと向けたのだった。
人間や動物など、生き物の身体は、怪我という身体の異常を治そうとする。
傷ついた組織を修復し、折れた骨をつなぎ、あるべき姿に戻ろうとするのだ。
だが、自己治癒能力と呼ばれるそれは、本来とても緩慢なものだ。数日から数週間、場合によっては数ヶ月と長い時間を掛けて身体を治すのである。
そこで《治癒》という感応術を使う。この感応術は、自己治癒能力を無理やり喚起し、活性化して、損傷部位の回復を速めてやる術だ。
この術を使えば、軽微な怪我はもちろん、先日のミリアのような大怪我であっても、負傷後すぐであれば助けることができる。
もちろんメリットばかりではない。人の身体が負傷した部分を回復する時、通常気にもならない程度とはいえ体力を使う。《治癒》を使って無理やり自己治癒能力を活性化させると、回復するための体力を一気に要求されることになるのだ。
怪我が重いものであればあるほど、消費する体力も増えるし、これは扱い方を間違えれば、《治癒》によって体力を消費し、衰弱死を引き起こしかねないということを意味していた。
そんな話を、ルカはゆっくりと丁寧に、リネットやエリナへ教える。
時折二人から投げかけられる質問にも、ルカはわかりやすく答えていた。"身体が治る"とはどういうことなのかを理解してもらうには必要なことだからだ。
「どうですか? なんとなくで構いません。イメージできそうですか?」
「う、うん……多分。」
「私も、なんとか……」
ルカの問いかけに二人とも自信の無さが出てしまっているが、挑戦し、目に見える結果が出れば、自然と自信がつくだろう。
となれば、やってみるしかない。
「ではリネットさん、早速やってみましょう。怪我をしているところに手をかざしたら、自分の掌から放たれた術が負傷している場所を包むような感覚を想像してみてください。そうしたら次は、傷が治る。傷が塞がる。血が止まる。切れた筋肉や折れた骨が繋がる。そういった相手の"身体が治っていく"様子を強くイメージしながら術を使ってみましょう。」
「はい……」
リネットがレッタの脇腹にある殴打されたであろう痕に手をかざし、大きく深呼吸をした。
怪我を包み、その怪我が治るイメージを強く意識する。
真剣な面持ちで、じっと手をかざした先にある赤黒く変色した打撲痕を見据えると、リネットは小さく術の名を口にした。
「――《治癒》」
リネットの詠唱に応じるように、彼女の手がうっすらと光って見える。淡く弱々しいが、優しい光だ。
すぐ隣にいるルカと、向かい側にいるエリナの視線は、その手がかざされた先を見つめている。
「今の集中状態を維持してください。大丈夫、効果は出ているはずです。」
「は、はい……」
感応術を切らさぬよう、リネットは自分の意識を手のひらの先に集中し続ける。
その額に汗が滲み始めるのにしたがって、もどかしいほどにゆっくりではあるが、リネットの《治癒》は確かにレッタの怪我に作用していた。
レッタの脇腹に見える痛々しい打撲痕は、リネットがかざした手の放つ光に包まれながら、少しずつその色を薄めていく。大人の拳より大きかった赤黒い痕跡も、半分以下にまで縮んでいた。
「……効いてる……リネット、効いてるよ!」
エリナが興奮気味に声を上げる。
邪魔にならないようにと少し離れたところからその様子を窺っていたノアも目を見開き、驚きの表情を浮かべていた。
そうして打撲痕が赤子の手ほどの大きさまで来た時だった。
「……うぅ……!」
小さく呻き声を漏らした次の瞬間、リネットの身体が膝から崩れ落ちた。
「リネット!?」
「はぁ……はぁ……」
床に座り込み、汗を滴らせながら肩で息をしている。明らかに酷く消耗しているのが見て取れた。
初めての術への挑戦、もし発動しなかったらという不安、ノアたちからの期待、今後の軍への影響、加えてルカという優れた術者の作り出した術というプレッシャー……そういった様々な感情はリネット自身の体力や精神力といったものを大きく消耗させる。
「リネットさん、大丈夫ですか? 一度、休憩にしましょう。」
ルカがリネットの手を取り、近くの椅子に座らせる。
たった数分ではあるが、慣れない感応術の維持は、リネットの体力をごっそり奪い去るのに十分だったようだ。
「ルカ、さん……私、ちゃんと……できて、ました?」
「えぇ、初めてであれだけできれば十分すぎますよ。」
「うん、ほんとだよ! リネット、凄い!」
「ほんとですか? よ、良かった……」
ちゃんと感応術は発動したのだろうか。効果は出たのだろうか。ルカやエリナ、ノアたちの期待に応えられたのだろうか。
少し不安そうに聞くリネットに、ルカとエリナは手放しで称賛した。
その様子にリネットがほっとした表情を浮かべる。良かった、皆の期待を裏切らずに済んだとリネットは大きく息を吐いた。
エリナはすぐにリネットが汗を拭けるようにと手拭いを渡し、喉を潤すためにと果実水を準備し始める。
少し離れたところからその様子を見ていたノアは、リネットの様子が少し落ち着いたのを見て、ルカに歩み寄り話しかける。
「ルカ殿、状況を教えてもらえますか?」
「ええ。まず術については本人にも言いましたが、ちゃんと発動しています。効果も初めてとは思えないくらいですよ。」
ルカはリネットが《治癒》を掛けていた場所に目をやりながら答えた。
当たり前のことだが、初めて挑戦する感応術を実際に発動させ、効果を得るのは難しい。
しかもこの世界ではまともな回復系の感応術など存在しないと言われているのだ。それが当たり前とされる世界で、"自己治癒能力を活性化する"などというイメージを描き、感応術として具現化するのはさらに難しいと言って良い。
だが、リネットはその最初の壁を乗り越え、《治癒》を発動させてみせた。加えて効果が目で見てわかるほどだったのだから、ルカから見ても彼女には確かに感応術の才はあると言える。
エリナから果実水の入ったマグを受け取るリネットを見て、ルカは少し目を細めたあと、改めてノアに向き直った。
「あとは数をこなせば良いでしょう。しばらくはキツいでしょうが、慣れれば消耗は減り効果は高まります。治療にかかる時間も短くなりますよ。」
「そうですか……ルカ殿、本当にありがとうございます。今後は彼女と我々次第ですが、これで無駄に命を落とす者が減るかと思うと、貴殿には頭が上がらなくなりそうですね。」
「いえ、それほどのことではありませんよ。使い手が増えれば私という存在がその他大勢に埋もれやすくなる、という打算も込みですから。」
今回の《治癒》の伝授の意義は、ただリネットが《治癒》を使えるようになったというだけに留まらない。
特定の誰かにしか使えない特別な感応術を「固有術」と言うそうだが、《治癒》が「固有術」ではなく、他の者でも行使可能であるならば、それは王国軍内で共有し展開できる。結果、全軍で損耗率を低下させられることは明白だ。もちろん何らかのルートで情報が外部に漏れることはあるだろうが、それでも他の組織に先行できる分、自軍側が優位であることは間違いない。
明らかに国の軍事力や国力の増強に大きく寄与する功績だ。だがルカはその功績を讃えられたり、報奨を与えられたりといったことは望んでいない。本人の言う通り"その他大勢に埋もれたい"のだから。
「ふふっ……なるほど、であれば本来大々的に顕彰式を催すところではありますが、やめたほうが良さそうですね。」
「是非そのようにしてください。有名人になるのはご免ですから……皆さんの前から姿をくらませなければならなくなってしまいますよ。」
「もちろんです。ルカ殿とは末永くお付き合いさせていただきたいと思っていますからね。私も、皆も。」
半ば軽口のように言葉をかわした後、ノアはセオと今後について話し合うと言い残し、早々に部屋を後にしていった。
ルカはその背中を見送ると、エリナとリネットに歩み寄った。エリナと一緒になってリネットを褒めそやしながら、今後の治療の進め方を相談する。
「さて、また疲れているところすいませんが、この後の話をしておきましょうか。」
「あ、はい! 次いつやるかですよね!?」
「えっと……そこまで前のめりにならなくて良いですよ。今日は……そうですね、夜にもう一回だけ頑張りましょう。続きは明日、ということで。」
「わかりました!」
リネットは気恥ずかしそうにはしていたが、感応術の発動に成功したことで、どうやら少し自信がついたのだろう。まだ見るからに疲れているというのに、次を急かし始めたのにはさすがにルカも驚かされたのだった。
ルカとエリナは、興奮気味のリネットを何とか落ち着かせながら夜まで休憩を取らせ、その後、二度目となる《治癒》を行わせた。
一度目の成功体験のおかげか、レッタの腹部にうっすら残った打撲痕や、細かい擦り傷や切り傷をリネットは見事に治療して見せたのだった。
「で、できた~~!」
自分の感応術が、目に見える形で効果を発揮したことがよほど嬉しかったのだろう。リネットは滞在用に新たに手配してもらった部屋に行くまで、疲労困憊で青い顔をしながらも、終始上機嫌という、何とも奇妙なテンションになっていた。
「《この状態で今夜ちゃんと寝れるのかなぁ……)」
相部屋で過ごすことになったエリナが、少し嫌そうな顔をしながらリネットを部屋に押し込んでいくのを見届けると、別室で休むルカは内心でエリナを応援しながら、自分は被害を受けずに済みそうだと一人安堵したのであった。




