第七十四話 閉ざされた紅火工房
ルカが倒れた翌日、そろそろ昼になろうかという頃、エリナはリネットと二人、紅火工房へ向かっていた。
レッタに頼んでいた武器の受け取りのためだ。本当ならばルカとエリナで来るべきなのだが、ルカがまだ身体を休めているので、代わりにリネットが付き添ってくれている。
別に付き添ってもらう必要はないのだが、仕事を丸々外されているリネットは何もすることがない。
指導してくれるルカは軍医とセオに安静にしていろと言われ、まだ療養室で休んでいるし、どうしようかと思い悩んでいたところに、セオから「暇ならルカ殿の課題をこなしながらエリナ嬢と城下を散歩でもしてこい」と放り出されたのである。
「ふぁ……うぅ、まだ眠い……」
職人街を歩きながら、エリナが大きなあくびをする。
昨夜は空が白み始める頃に控室に戻り、仮眠をとっただけなので、いつもより睡眠時間が短いのだ。
「ほらほら、人の多い往来でうら若き乙女が大きな口開けないのー。」
「だってぇ……」
「ふふっ……さ、早く武器を受け取ってルカさんのところに行こう?」
リネットが口を尖らせてむくれるエリナの背中を押して、職人街の中を紅火工房の方へと進んでいく。
気だるそうにしてはいるが、今も《敏捷性強化》の課題をこなしている二人である。一応抑えてはいるが、移動速度はかなり速い。
そのせいだろうか、エリナは時折妙な視線を向けられているように感じていた。危害を加えようとか、そういったものではなさそうだが、こちらを監視しているような、少し不快な感じの視線。
と言ってもこちらは《敏捷性強化》発動中であり、何かあったとしても逃げるだけなら大きな問題はない。エリナは気を抜かないように注意しつつ足を進めた。
程なくして、二人は紅火工房の前に辿り着く。人の気配はするが、扉は閉じられていて、店は開いているとは言い難い雰囲気だ。
二人は怪訝そうな表情で顔を見合わせたが、店先から見ていても中の様子はわからない。仕方なく扉を軽くノックしてみる。
乾いた木材が小気味よい音を響かせるが、店の中からレッタの溌剌とした声は聞こえてこない。代わりに聞こえたのは、何かが床を擦るような音と、くぐもった女性のうめき声。
「……!」
明らかに異常だと気がついた二人が弾かれるように動き出す。
リネットは、即座に扉横の壁に背を付けて警戒態勢を取った。何があるか分からない以上、無警戒に突入するのは危険だと判断したからだが、そんなことは露ほども気にしていないエリナはそのまま突っ込んで行く。
「レッタさん!」
「ちょっとエリナ! あーんもう~!」
突入していったエリナを放っておくこともできず、半ばやけになりながら、リネットも後を追う。
店の中に踏み込んだエリナの目に飛び込んで来たのは、荒らされた店内と、店の奥の方で倒れているレッタの姿だった。
エリナたちのノックの音に反応して聞こえた床を擦るような音は、レッタが動こうとして床を這いずった音だろう。
「ど、どうしたんですか!?」
エリナがレッタに駆け寄る。うつ伏せになっていたレッタの身体を仰向けに返して抱き起こすと、レッタは呻きながら苦痛に顔を歪めた。
「……あぁ! つっ……」
「あ、ご、ごめんなさい!」
仕事道具である槌をレッタは右手で抱え込むようにして持っていた。だが、問題は左腕だ。上腕部が途中で不自然に曲がっている。
「エリナ、無理に動かさないで! 左腕、多分折れてる。ちゃんと手当しないと後に響いちゃうよ!」
「……!」
リネットはレッタの横にしゃがみ込み、その顔を覗き込む。レッタの顔を見ると頬に殴られた痕があり、痛々しい。幸い意識はあるようだ。
「レッタさん、ですね? 私、王国軍の感応術師団に所属しているリネット、と言います。お話できそうですか?」
「あ、あぁ……」
「私か彼女の名前、分かります? ここがどこだか言えますか?」
「あんた、今リネットって名乗ったじゃないか……あんたは……エリナだったね……つっ……ここは、あたしの……店だ。こんなにされちまったけど……うぅ……」
顔を殴打されているのは見てわかるので、リネットは手早くレッタの状態、特に彼女自身の反応に異常がないかを確認していく。
返事はあるし反応も悪くはない。会話も成立しているので、見た目は酷いが、脳や神経などに大きな問題はなさそうだ。
「うん、頭とかには大きなダメージはなさそうだね。レッタさん、すいませんが、身体の方も見せてもらいますね。」
リネットがレッタの首から下をゆっくりと観察していく。怪我の状況によっては無理に身体を動かすと状態が悪化する可能性もあるので、慎重に進めなければならない。
一通り見られる範囲を確認したところでリネットが顔を上げた。その表情は渋い。
「右腿と左の脇の下が酷く変色してる。内出血のせいだけど、もしかしたらそっちも骨が折れたりしてるかも……」
「早くお医者様に見てもらわなきゃ。歩くのは難しいよね? 担架になりそうなものは――」
「止めときな……表は……あいつらの、目に……つく。あんた、たちも……巻き込ま……うぐっ……!」
店内をぐるりと見回すエリナをレッタが止めた。その言葉が襲撃者の存在を匂わせている。
「だからってこのままではダメですよー。怪我も軽くないですし……」
「うーん……あいつらってさっきのやつらかなぁ……?」
レッタを心配するリネットをよそに、エリナが呟いた。
そういえば、工房に到着する前に感じた不快な視線。レッタを襲った犯人が様子を窺っていたのだろうかと思い立ったのである。
だがその姿をちゃんと確認したわけではないし、ここで考えていても情報を持っていないエリナとリネットには何もわからない。かといって、今の状態でレッタにゆっくりと話を聞くのは危険だ。
「とりあえず、何とかしてうまくここから出なきゃね。誰かいるなら逃げるか押し通るしかないけど……」
「重症者を連れて押し通るとか言わないでよ?」
「いや、意外とアリかなぁと思うけど。」
「えぇ~?」
リネットは一体何を言い出すのかという表情をエリナに向ける。
怪我人を抱えた状態で、どこにいるのかもわからない襲撃者を警戒しながら、押し通るなど無茶というものだ。
「私たちだけなら《敏捷性強化》で無理やり走り抜けちゃえば良いけど、そうじゃないでしょ? それよりは私が《膂力強化》でレッタさんを抱きかかえて、リネットが《風の封壁》で防壁作っちゃえば、そのまま行けると思わない?」
「いや、普通はそうかも知れないけど、私の《風の封壁》じゃ……」
エリナの提案自体は組み合わせ的にはアリだが、リネットはまだ自分の《風の封壁》に自信がない。
防壁は作れても、本当に襲撃があったとしたら守れると思えないのだ。
「りぃねっとぉ~? 《灼空の封盾》なんて術の使い手のくせにいつまでウジウジしてんの! ルカにも自信持てって言われたんでしょ?」
「そ、そうだけど……」
バルディアへ到着する直前のこと、自分の術は弱いと肩を落とすリネットは、ルカから「貴女には力があるのだから、そんなものは思い込みだ。自分の術は強いはずだと思えば良い。」と言われていた。
その言葉が嬉しくて、晩餐会の時の女子会でエリナたちに話していたのである。
もちろんその後エリナだけではなく、リィゼとミリアにまでしこたま弄られたのだが。
「うぅ……でもちょっと頑張れそうな気がする……」
リネットが小さく拳を作って気合を入れていた。今ならそれなりの防壁が作れそうな気がする。
だが、二人が動き出すのをレッタは止めた。
「待ち、な……」
「な、何?」
「表は、ダメだ……迷惑が、かか……る……」
レッタが小さく首を振った。この状態でも周囲へ迷惑がかかるのは避けたいらしい。
エリナはどうしたものかと少し眉を顰めた。とは言え、このままここにいても事態が好転するとは思えない。
リネットと二人、店内に視線を巡らせる。事態を打開する手助けになるものがないかと目を凝らすと、店の奥に裏手へ出る扉が見えた。
リネットと目を合わせ、小さく頷き合う。
「リネット、周囲の探索お願い。店の扉も閉めて、閉店してるっぽくしちゃおう。」
「うん、わかった!」
リネットはすぐに動き出した。
一度《敏捷性強化》を解除して開いたままになっている入口の扉へ向かう。
「――《音波探査》」
一度扉の前で《音波探査》を発動し、その後店先に掲げられている赤い炎の絵が描かれた紅火工房の看板を外す。
看板が掲げられていると、その店は開店中と見なされるからだ。逆に看板を下げておけば閉店と見なされる。
外した看板を小脇に抱え、リネットは少しゆっくりと店の中に戻ってくる。最後に店の扉を閉めるために取っ手に手をかけたところで、もう一度小声で《音波探査》を発動してから扉を閉めた。
「レッタさん、どうしても持っていかないといけないものってあります? 財布とか!」
「やめ……巻き込ま、れるって……言ってる……」
「私たちこの街の人間じゃないですし、街を出ることも決まってるから気にしないでください。それにいろんな意味ですごい協力者もいるので!」
努めて明るい笑顔でエリナが話しかける。予定では来週にはこの街は出てしまうし、多少のトラブルなら街を出てしまえば良い。
トラブル自体も内容次第ではあるが、レッタ側に非がないのであれば戦力的にも立場的にも"すごい協力者"の当てはある。
レッタはこのまま頼っても良いのか、逡巡するような表情でエリナを見ていた。
「エリナ、店の外、通りは特に怪しい動きしてる人影はなさそうだよ。でも……左右どっちも、数軒先に動きのない人がいるね。多分こっちの様子を窺ってるんじゃないかな。」
「ありがと。店の看板下げたから、このまま動きが見えないと距離を詰めてきそうだね。中を覗かれる前に裏から出なきゃ。レッタさん、何もなければこのまま逃げます。良いですか?」
迷うレッタの前で、二人は話をどんどん進めていく。
ここからレッタを連れて安全な場所へ移動するのは既定路線であり、このままでは着の身着のまま連れ出されてしまうだろう。
レッタは諦めたような表情で視線を落とした。その視線の先には彼女の槌がある。
「あたしは、この槌があれば……」
倒れていた時に大事そうに抱えていた槌。使い込まれてはいるが、よく手入れの行き届いたそれを、レッタはしっかりと握っている。
「わかりました、じゃあ……」
「あと、奥の、鍛冶場に……頼まれていた物が、ある……できあがってる、から。それも……」
一瞬だけエリナと視線を交わしたリネットが、奥の鍛冶場へ入っていく。レッタが頼まれていた物、つまりルカとエリナが依頼したショートソードとダガーだ。納品用に準備されていたのか、すぐに見つかったらしく、リネットはそれを納品用と思われる布で包んで戻ってきた。
「よし、リネット、行こう!」
「うん。消音と防壁は任せて。」
エリナは《敏捷性強化》を解除して《膂力強化》に切り替えると、レッタを抱えて立ち上がった。
「……うぐっ……」
肋骨が折れているか、ヒビが入っているのだろう。抱え上げたことで響いたのか、レッタが苦悶の表情を浮かべて呻く。
顔が青く、額に脂汗が滲んでいるところを見ると、必死に声を抑えているがかなりの痛みがレッタを襲っているのが分かる。
できるだけ早く安静にできる場所で医者に診てもらわなければ。
「じゃあエリナ、行くよ。《風の封壁》」
薄い風の防壁が、店の裏口の前に立つ二人と扉を包み込む。外の雑踏の音が消え、自分たちの息遣いの音しか聞こえない。
「これで周りに音は聞こえないはず。さあ、出よう。」
リネットがそっと扉を開けて外の様子を窺うと、一歩二歩と外へ出た。
すぐ後ろを、レッタを抱えたエリナがついてくる。
リネットはエリナの後ろに回り込んで扉を閉め、《風の封壁》を解除して《音波探査》で周辺を確認し始めた。
先ほど同様、少し時間を置いて二回目を発動してから、もう一度《風の封壁》を張り直す。
今度は自分たちだけが入るように範囲を調整した防壁が展開された。こころなしか先ほどの防壁よりも厚みがあるように見える。
「ふぅ……監視役っぽいのはまだ動いてないみたい。防壁も……うん、ちゃんとできたよ! これなら多少の攻撃は防げそう!」
「ほら、やっぱりリネットはちゃんとできるじゃない! さ、今のうちにここを離れよう。防壁内の声や音が向こうに聞こえないとは言っても、店の中を見られたら逃げ出したのがバレちゃう。」
「そうだね。とりあえず、ある程度人の目のあるところを通って、安全なところに行こう。」
エリナとリネットはもう一度顔を見合わせて頷き合うと、足早に歩き出す。
レッタのうめき声も、二人の足音も、リネットが抱える剣が鳴らす音も、周囲には一切漏れていない。
怪我人を抱えつつも無音で動いているというのは、周囲からするとかなり不自然な光景だ。行き交う人々の視界に入れば、それなりに注目を集めてしまう。だが、追跡されている可能性を考えれば、人の目が多いこと自体は悪くない。
二人は狙い通り人目の多いところをうまく通りながら中央広場へ進んでいく。
この後どこへレッタを連れて行くべきか。
相談しながら歩き続けるが、二人はバルディアの人間ではない以上、候補地はそれほど多くはない。
バルディア城か、はたまた別の場所か……数少ない候補地から二人は目的地を決めると、雑踏の中へと消えていった。




