第七十三話 夜明け前に思う
東の空が白み始めてきて、遠く大地の向こうに太陽の気配がする。
バルディア城の療養室の隣にある控室で、簡易ベッドの上に小さなクッションを抱えて横になりながら、私は窓越しに見える薄い東雲色の空をぼんやりと眺めていた。
もちろん眠くないわけじゃない。
身体も疲れているし、瞼も重いけど、意識が眠りに落ちるのを拒否してる感じ、だろうか。
原因ははっきりしてる。さっきまでルカが打ち明けてくれた話のせい。
ルカのことやアリスのこと、旧時代のこと、他にもいろいろ聞かせてもらった。
今でも信じられないことばっかり。サテライトの中を見て回って、アリスとお話したあの経験がなかったら、絶対に信じなかったと思う。
旧時代がどんな世界だったのか。
ルカのお父さんとお母さんはどんな人だったのか。
ルカはどうやって生まれたのか。
アリスは一体どういう存在なのか。
一緒に行ったサテライトやルカが生まれた"ラボ"って場所が、何のための建物なのか。
ルカの頭の中に何があるのか。
そういった話をとつとつと口にするルカは、時々口を噤んでは不安そうに私の方を見た。
多分、異質な自分が私に受け入れられないんじゃないかって心配だったんだと思う。
そんなの、サテライトで過ごした数日のことを思えば今更なのにね。
でもルカが不安になるのも、ちょっとわかる気がする。
彼の近くにいるのって、アリスと私だけ……というか、アリスとはいつでもどこでも話せるわけじゃないみたいだし、実質一緒にいるのが私だけだもの。
私から拒絶されたら、一人ぼっちになっちゃうもんね。妹さんがいるらしいことは聞いたけど、会えるかどうかわからないみたいだし、もし会えなかったらと思うと、ね。
うーん、友達が欲しくて、でもできなくて寂しがってたリィゼと、境遇が似てる……かも? あ、でもあっちは家族がいるか……
というか、サテライトの一件の後、必死でついてきた私が、そんな簡単に拒絶するかもって思われたのはちょっとムカつく。
はぁ……自信がないんだろうな。誰かに愛された、大事にしてもらった、好きだと言ってもらえた……本当は親や友達からもらえたはずの"それ"をもらった経験が、ルカにはないから。
でもさぁ、ルカ、愛されてたと思うよ?
確かにご両親とは会えなかったし、抱きしめてもらえなかったし、声を交わすこともできなかったかもしれないけど、二人は貴方のためにラボやサテライト、アリス、妹さん、それにびーにっく? だっけ? できる限りの……ありとあらゆることをしてくれたって、わかるもん。
ちゃんと望まれて生まれてきたんだなぁって、私でもわかるんだから相当なことだよ。
なのにいっちょ前に悩んじゃってさ……生まれて二か月の赤ちゃんのくせに、あれこれ心配してんじゃないわよ……
気がつくと、綺麗な東雲色の空に浮かんでるちっぽけな雲が、じわりと滲んでた。
目の端から、東雲色を映した雫が、ぽろりとこぼれ落ちる。
あぁ、そういえば、サテライトから家に帰る時、夜空の下でルカの瞳を見て泣いちゃったんだっけ。
あの時はルカがどうしようもないほど寂しそうで、それに耐えられなくて涙が出ちゃったけど……今日は違う。
私は嬉しい。ルカやアリス、ご両親のことが知れて、本当に嬉しい。
ルカ、大丈夫だよ。寂しがる必要なんかない。貴方はちゃんと愛されてた。
それに、これからもそういう人は増えるよ。きっと。
リィゼも、リネットも、ミリアさんも、セオ様も、ノア様も……もちろん私も。
抱えていたクッションに顔を埋めると、かすかに香るお日さまの匂いが、もう休みなさいと言っているようで、私は重たい瞼を閉じることにした。
身体中から力が抜けて、意識がふわりふわりと揺れて、溶けて。
そうして眠りに落ちた私は、夢の中で久しぶりに両親に会うことができた。
お父さん、お母さん、兄さん、そして私。
夢ってものはときどき都合のいいことが起こるもので、なぜかお義姉ちゃんもリサもいて、リィゼがミリアさんと遊びに来たりするの。
そして部屋の片隅でピノを肩に乗せて微笑むルカがいて……
そんなありえないけど、素敵で、優しくて、幸せな夢、だった。
◇◇◇
エリナが幸せな夢を見ていた頃のこと。バルディア城内の客室の一つにセオの姿があった。
王都エレドリアの王城内に自身の執務室を持つ彼だが、いわば出張先であるバルディアにそのような部屋はないため、一時的に部屋を用立ててもらっていた。
部屋の窓からは、遠く城下を見渡すことができる。朝日に照らされたバルディアの城下町を眺めながら、セオは昨夜の出来事を思い出していた。
ルカが倒れた後のこと。
軍医の診察を受け、その後、療養室へ運び込まれたルカの様子を見るため、セオは数時間おきに療養室を訪ねていた。
そうして何度目だったか、夜が深まった頃、エリナがちゃんと閉めなかったのか、少し開いたままになっていた扉に手をかけようとしたところで、ルカとエリナが何か話していることに気が付いたのだ。
ルカの意識が戻ったことが分かり、喜ばしく思ったのも束の間、聞こえてきた会話の内容に、セオは耳を疑い扉をノックすることを躊躇った。
それがルカの出自に関わる話だったからだ。
培養槽という聞き慣れない物で創り出された、人らしき何か。古い人類を基にした、自分たちとは違う何か。頭の中に自分たちにない何かを持ち、その何かによって常人ならざる能力を持つ存在。
とてもではないがそのまま聞き耳を立て続けていて良い話ではなかった。
語られたすべてが本当かどうかはわからないし、信じられる根拠もない。いや、荒唐無稽と言ってもいいほどだ。
だが、すべてが本当のことだと仮定すれば、ルカ自身が王国に対して敵対的とは考えられない。
さらには、敵対的な組織や勢力とのつながりがある可能性もかなり低いと言える。
むしろその場で聞いてしまったことを悟られた場合の方が問題だ。ルカは確実にこちらを警戒するだろうし、良好な関係性の維持も絶望的になる。
そう思ったセオは、罪悪感を覚えつつも、物音を立てぬようその場を去ることを選択したのだった。
「どうしたものか……いや、聞いてしまったのが私だけだったことがせめてもの救いか……」
セオは罪悪感を振り払うように頭を振り、思考を切り替えた。
聞いてしまった事実は胸の奥に秘め、誰にも明かさず、されど今後彼とどう関わっていくべきかを考えねばならない。
「こそこそと策を弄するような真似は苦手なのだがな……」
セオは小さくため息をつくと、気が進まないといった表情のまま、テーブルの上に置かれていたグラスを手にする。
飲みかけの果実水をグッと飲み干した後、セオの表情は何かを決断した者のそれに変わっていた。
腹を括ってしまったならば、あとは自身の判断を信じて進むのがセオという人物である。
セオはいつも通りに見えるよう、背筋を伸ばし、つとめて悠々と部屋を出て行く。
「さて、今日の皆の予定はどうだったか……悪いが何人かは巻き込まれてもらうとしよう。」




