第七十二話 月明かりの告白
静かで薄暗いバルディア城の一角。
救護施設には診療室と、重症者を休ませるための部屋である療養室がある。
療養室となっているその部屋は満月の光が優しく差し込んでいて、室内は照明がなくとも見渡すことができる程度には明るい。
いくつか並んだベッドの一つにルカが寝かされているが、他のベッドには誰もいないようだ。
ルカの表情は穏やかで、今は酷かった汗も止まり、赤かった顔色もだいぶ良くなったように見える。
ゆっくりと上下する胸を見る限り、ルカの容態は落ち着いているようだ。
その静かな部屋の扉が、そっと音もなく開いた。人一人がどうにか通れるくらいの隙間が開くと、小さなランタンと水の入った桶を抱えたエリナが、物音を立てないようにそっと部屋に入ってくる。
ルカの眠るベッドのそばまで来ると、音を立てないように気をつけながら、ランタンをベッド脇の袖机に、桶を床に、それぞれ置く。
額から落ちてしまっている手拭いを拾い上げ、桶に入っている水を含ませてから軽く絞ると、ルカを起こさないようにその額に乗せた。
「まだ寝てる……落ち着いたみたいだけど、一体どうしちゃったんだろ……」
付き添いに来た人のためにと置かれている椅子に腰掛けると、エリナは静かにルカの顔をじっと見つめた。
「(あんな高熱、絶対普通じゃないよね……)」
倒れるルカを抱きとめた時、その腕に抱え込んだ彼の頭は、驚くほどの熱を持っていた。
もちろんこれまでの人生の中で、自分や周囲の人間が体調を崩し、高熱を出すことはあったが、あれほど酷い高熱を出している人を見たことはない。
「軍医さんは何もわからないって言ってたけど、アリスだったら何かわかるのかな? 私も話ができたら良かったのに……」
ルカが倒れた後、セオが連れてきた軍医が診察し、いろいろと手を尽くして調べてくれたが、結局何もわからなかった。
B.N.I.Cを持たないエリナには、ラボやサテライトのような施設の中以外でアリスと意思疎通を行う手段はない。
それでも、ルカや旧人類についての知識がある彼女なら、何かわかるんじゃないかと思わずにはいられなかった。
月明かりに照らされたルカの顔をじっと見ながら、深くため息をつく。
その時だった。
「うぅ……ん……」
小さくルカの口から声が漏れた。瞼が薄く開き、綺麗な碧い瞳が覗く。
「……! ルカ?」
部屋の天井を彷徨っていた視線が、エリナの声に反応して、ゆっくりと呼びかけられた方へと動く。
やがてその視線はエリナの顔を捉えて止まった。
「エ、リナか……ここ、は?」
小さく開いた唇から、ルカが声を絞り出す。
身体が重く、動かすのがなんとも億劫だ。首だけをエリナの方へ傾ける。
「良かった、気が付いたんだね……ここはバルディア城の療養室だよ。えっと、お医者様呼んで来ようか?」
「いや、いい。大丈夫だよ。」
「ちょ、ちょっと……!」
ルカが軍医を呼ぼうとするエリナを止めると、気だるいだろう身体を起こそうとした。
慌ててエリナが背中に手を添え、ルカの上半身を支えて起こしてやる。
「他の、みんなは?」
「セオ様とリネットは部隊用の宿舎に戻ってる。時々様子を見に来てくれてるけどね。私はお医者様にお願いして、付き添いの人用の控室に居させてもらったの。」
「そうか……」
「ねぇ、あの時一体何があったの? お医者様は原因がわからないって言ってたんだけど、ルカは何かわかる?」
心配そうに問いかけてくるエリナから視線を外し、ルカは自分の手元に視線を落とした。
あの時、自分の身体に何が起こっていたのか。自分自身でもはっきりとはわからない。
『(一言で言えばオーバーヒートのようなもの……ですね)』
頭の奥でやれやれと呆れたようなアリスの声がする。
オーバーヒートと言われても、ルカ自身は動き回っていただけで、倒れるほどのことがあるだろうか。
真夏の炎天下ならまだしも、まだそんな季節ではないし、場所も屋内だったのだ。
「(何か分かるのか?)」
『(えぇ……今回は貴方の意識とB.N.I.C、そして時期、ですね……)』
「(それは一体どういう……?)」
腕を組むようにして、右手を顎先に添える。
意識、B.N.I.C、時期。どれもピンと来ない。
『(貴方、セオと言う男が本気になった時、それに応じようと戦闘行為にかなり深く集中したでしょう?)』
「(それはまぁ、そうだけど。)」
『(元々B.N.I.Cには保有者の身体の状態を"最適化"しようとする機能があります。貴方が彼の本気に応じねばならない、より強くならねばならない、などと考えれば考える程、B.N.I.Cは貴方の身体をその意識に沿うように"最適化"しようとするんです。)』
こうありたい、と考えれば、B.N.I.Cが合わせようとする、ということだろうか。
ルカは眉を顰めるようにして、少しうつむいた。
『(ですが、貴方の身体はラボの培養槽による促成栽培で作られた、いわば"急造品"です。本来は旅の中でゆっくりとB.N.I.Cが馴染み、その補助を受けながら"完成品"に近づいていくはずだったのです……)』
「(それが俺の意識に反応して無理やり"最適化"しようとした……?)」
『(はい。無理な"最適化"はB.N.I.Cに過剰な負荷がかかります。負荷がかかればどうしても熱が出ます。多少は問題ありませんが、過剰な負荷がかかり続けた結果、発汗や血流による排熱が追いつかなくなったのでしょう……)』
排熱が追いつかなければ、溜まった熱で意識は朦朧とするだろうし、倒れもする。
アリスの説明に納得はできたが、これをエリナにどう説明すればいいだろうかと、ルカは表情を曇らせた。
エリナは旧時代やルカ自身について、ある程度知っている。それでもぼかして説明するのは少し難しい。
そう考え込んだルカの脳裏に、アリスの声が響いた。
『(ルカ。この際エリナにはすべて話しましょう。旧時代のことも、私のことも、そして貴方のことも。)』
「(えっ? ……どうしたんだ、いきなり……)」
突然のアリスの提案に、ルカは驚き目を見開いた。
これまでいろいろと情報が漏れることをリスクだと渋っていたアリスの判断とは思えなかったからだ。
確かにアリスはエリナを多少なりとも気に入り、認めている節はあったが、そこまでだったとは。
『(確かに彼女に情報を渡すことは大きなリスクです。最初にサテライトを知られてしまったことも、望んだことではなかったかもしれません。ですが今日まで一緒に過ごしてみてどうでしたか?)』
どうだったか、と問われても何と答えればいいのか少し困ってしまう。
なんとなく思い浮かぶのは、自分の周囲を元気に動き回り、屈託なく笑うエリナの笑顔や、旅への同行を訴えかけてきた時の真剣な眼差しだ。
アリスは続ける。
『(姿形のない声だけの私を受け入れ、貴方同様に分け隔てなく接し、貴方の異質さを拒むことなく受け止めてみせた。少しおっちょこちょいで危なっかしいところはありますが、彼女から進んで貴方や私、旧時代の話を第三者に話すこともありませんでした。十分信に足ると思いませんか? それに私は……)』
珍しくアリスが口ごもった。どうしたのだろうかと訝しんでいると、アリスはいつになく優しげな声音で言葉を続けた。
『(……私には……ルカとエリナの出会いが、貴方の人生の中で最初に訪れた幸運なのではないかと……そう思うのです。)』
アリスらしからぬ、と言えばいいだろうか。
一時はエリナを見殺しにする提案までしていたはずのアリスが、ここまで言うなどルカは思いもしていなかった。
てっきり今日も「過度な情報開示は推奨できません」と警告されると思っていたのに。
「(……ありのまま話してしまって大丈夫だろうか……)」
『(心配いりません。エリナなら受け入れてくれるでしょう。)』
一体その自信はどこから来るというのか。
何だかアリスの妙に自信満々な言葉に、ルカは困ったような表情のまま、口元がわずかに緩む。
「……ねぇ、ルカ。」
「ん? ど、どうした?」
「どうした? じゃないでしょ! 何があったのって聞いてるのに! さっきから困った顔したり、腕組んだり、首を傾げたり、眉間に皺寄せたり、かと思ったら笑ってるし……どーせアリスでしょ!? 二人で勝手に分かり合ってないで、私にも教えてよ!」
エリナが酷く不機嫌そうに頬を膨らませながら、ルカに詰め寄る。
だいたいルカの表情がコロコロと変わる時は、裏でアリスにあれこれと言われている時なのだ。
「あ、いや……ごめん。心配してくれてたのに、悪かった。」
エリナの言うことももっともである。
ルカは謝ってからエリナの頭をそっと撫でた。
「あ、ちょっと……も、もう……」
「ふふっ……」
少し照れたのか、顔を赤くしながら目をそらすエリナがなんだか可愛らしくて、ルカの口から笑みがこぼれた。
「で? け、結局何だったの?」
照れて俯き加減のまま、視線だけ少し上目遣いにルカを見て、エリナが改めて聞いてきた。
「そうだな、少し長くなるけど、聞いてくれるか?」
「えっ? 今日倒れたことの話だよね?」
不思議そうな表情で可愛らしく小首を傾げるエリナに、ルカは首を横に振った。
「いや……それもあるけど、旧時代のこともアリスのことも、そして俺のことも。全部だ。」
窓から差し込む月明かりの下、微笑むルカの瞳は真っ直ぐエリナを見つめていた。
エリナはその視線から目を逸らさなかった。不思議と照れや恥ずかしさといった気持ちも湧き上がらない。
今から彼が語るであろう話が怖くないと言えば嘘になる。知ってしまえば何かが変わってしまうかもしれない。
それでも、一度付いて行くと決めたのだから、どんな話であってもちゃんと受け止めよう。
そう決心したエリナは満面の笑みを湛えて答えた。
「うん、聞かせて。話せること全部!」
そうしてルカはポツリポツリと話しだした。
旧時代に存在した二人の研究者のこと。
その二人によって、自分がラボの培養槽でこの時代に創られたこと。
培養槽を出てから、まだ二ヶ月ほどしか経っていないこと。
旧人類を模しただけではなく、脳内に特殊なデバイスが存在すること。
そのデバイスのおかげで感応術の複数同時発動ができたり、一般人よりも運動能力が高いこと。
アリスがラボ用に作られたシステム上で動いている人工人格であること。
自分と同じように培養槽で創られようとしている生命が他にいること。
その培養処理のために、アリスに指示されたサテライトを修理して回っていること。
難しくて理解できないこともあった。驚き、耳を疑うようなこともあった。それでもエリナは、ルカの語るすべてを何も言わずに聞き続けた。
ルカが話しやすいように、時折小さく相槌を打ち、言いづらそうにしているならば、急かさずにじっと待つ。
そうしてルカの声だけが響く療養室の時間がゆっくりと過ぎていく。
いつしか月明かりに照らされた二人だけを残して、夜は静かに更けていくのだった。




