第七十話 無彩色の世界へ
模擬戦が始まって何分経っただろうか。
十分……いや、まだ五分も経ってないかもしれない。
訓練所の中央でセオとルカが、その手に持ったロングソードとショートソードで激しく切り結んでいた。
セオが大上段に構えたロングソードを振り下ろし、ルカが半身になって小さく横に滑るようにして避ける。
そのまま身体の後ろに構えていたショートソードを、振り下ろされたロングソードの上を駆け上がるようにルカが切り上げ、セオが顔を反らすようにして躱す。
一歩引くようにして距離を取り、袈裟懸け、逆袈裟、そして横薙ぎと流れるように切りかかるセオの斬撃を、ルカは身体を捻ってやり過ごしたかと思えば、剣身を軽く弾いてその軌跡を変えていなす。
攻守が入れ替わり、ルカが鋭く踏み込みながら喉元を突けば、セオは小首を傾げるようにして避け、伸び切ったルカの腕を下から薙ごうとロングソードが迫る。
ルカは身体を回転させながら右手を素早く引き戻し、その勢いのままに後ろ回し蹴りを放つと、セオはその身に似合わぬ軽やかさでトンッと距離を取った。
「「「「……」」」」
模擬戦開始直後、エリナとリネットはお互いを牽制し合い、それぞれ攻撃の機会を探っていた。
だが、一分もしないうちに二人の足は止まり、男性陣の剣舞のような切り合いに目を奪われてしまった。
セオはその一挙手一投足が無駄なく、そしてコンパクトに纏められた実直な騎士としての剣術を体現していた。素早く、かつ力強い、まさに"お手本"とも言うべき基本に忠実な動き。
対してルカは基本を押さえた動きでありながらも、身体をしなやかに操ることで、正面から戦いつつも時折虚をつくような動きを織り交ぜていく。鋭く、そして強かな、いわば"妙手"とも言うべき熟練者の如き動き。
そしてその二人が、決して遅くはないものの、流れるように戦い続けている。
流麗で力強く、鋭い、そんな"剣舞"がエリナとリネットの目を惹きつけて離さない。
「隊長……ルカさんも……」
「すごい……」
セオがリネットに、ルカがエリナに、それぞれ"見せる"ため、敢えて女性陣が目で追えるだろうギリギリの速度域で繰り広げられている"剣舞"は、セオが基本となる八方向のそれぞれの斬撃を"起こり"とする動きを披露した後に変化を見せる。
セオが刺突を皮切りに叩き込む連撃を、ルカは事もなげに躱し、いなす。続けざま、それに応じた動きで反攻に転じて攻め立てた後、二人は大きく飛び退いて距離を取った。
額に汗を滲ませ、頬を上気させたセオと、少し肩で息をしながら頬を伝う汗を拭うルカ。次の瞬間、セオがこれまでに見せたことのないような不敵な笑みを浮かべ、ニヤリと口の端を上げる。
「リネット、すまんが今日の指導はここまでだ。」
「「……?」」
突然セオが謝罪の言葉を口にした。
なぜいきなりそんなことを言い出すのか。エリナとリネットの表情には疑問符が浮かんでいる。
だが、続いて出てきた言葉で、二人はその意図が何であるかを理解した。
「ルカ殿、貴殿がここまでの御仁とは想像もしていなかった。すまないが私の本気にも付き合ってもらおうか!」
"見せる"のはここまでで、これより先は己の全力を出す。だから、見せてやれなくて"すまない"と言っているのだ。
自身と対等に戦える者など久しく現れなかったセオにとって、国のためでも誰かの命のためでもなく、ただ純粋に全力で剣を振れる機会などこれまでなかった。
元々王国騎士団の中でも、護衛騎士の面々は総じて高い剣の技術を持ち、皆、王国内でも上位の強者揃いだが、その中にあってセオは一人次元の違う強さを誇る。それは彼自身の才覚と努力の賜物ではあるが、その異常な強さと護衛騎士団長という彼の立場は、彼から純粋に剣を楽しむ機会を奪ってしまっていた。
実直で、自身も堅物と言ってのけるその性格のせいもあり、腐ることもなく真面目に自身の職務をこなしてはいるが、やはりどこか鬱屈とした気持ちが心のどこかにあったのだ。
だがそこに、ルカが現れた。たった一度成り行きで仕事を依頼しただけの、どの組織や勢力にも属さない、ただの傭兵。
戦えることは知っていたが、それよりは感応術士としての能力の優秀さが目についていたこともあって、近接戦闘の能力は正直なところあまり気にしていなかったのだ。
だがその評価は誤りだった。
リネットの私的な"お願い"としてルカに指導してもらっているところに、彼女の参考になればと始めた模擬戦で、彼はセオの想像の遥か上を行く動きを見せたのだ。
セオの一挙手一投足のすべてに、見事に対応し、その意図に沿って完璧に合わせきったのである。
リネットのためと必死で平静を装いながらも、セオの心の内は大きく揺らいでいた。
こんな相手はこれまでに一人としていなかったのだ。セオの右腕であるノアも、かなりの使い手ではあるが、残念ながらセオの動きに合わせきることはできない。
だが、ルカという人間は、今の自分にちゃんとついて来る。いや、ついて来るという程度ではない。セオはルカにまだ先があると確信を持ってしまった。
もしかして、今この瞬間、自分は何も気にすることなく存分に剣を楽しめるのではないか。
そう思った瞬間、セオは柄にもなく自分の欲望が抑えきれなくなってしまったのだ。
「セオ殿、それは買いかぶりすぎですよ……それにどこまでお付き合いできるか……ではその胸、お借りすることにしましょうか!」
応じる素振りを見せたルカに、セオは目を見開き、高揚した表情を見せる。自然と口角が上がり、白い歯が覗く。
ロングソードを真っ直ぐ正眼に構えたセオと、少し腰を落としてショートソードを下段の脇構えを取ったルカ、両者の動きが止まったその刹那。
エリナとリネットの視界から、二人が"消えた"。
もちろん消失したわけではない。二人の踏み込みのあまりの鋭さが、二人の動体視力を完全に上回ったのだ。
「はぁっ!」
「おぉっ!」
驚き、目を瞬かせた直後、二人が交錯し、裂帛の気合と共に不可視の衝撃がエリナとリネットを襲った。
「うわぁっ!」
「きゃあ!」
エリナとリネットがたまらず壁際に後ずさり、リネットに至ってはそのままヘナヘナと座り込んでしまった。
目の前ではすでに剣を振り抜いた二人が次の行動に移っている。
と言ってもリネットの目には二人がそこで切り合っていること以外、はっきりと見極めることができない。
足を止めての激しい剣の応酬があったかと思えば、瞬き一つしている間に鋭く踏み込んだ二人の位置が入れ替わる。
続けざまに放たれる両者の剣戟は凄まじく、攻守は目まぐるしく変わっていく。
「ははっ! まだまだ余裕がありそうだなっ!」
「さぁ、どうでしょうねっ!」
ルカが自分の攻めについてきていることが、セオには嬉しくてたまらない。
その事実にセオの動きはどんどんと速く、そして鋭くなっていく。
だがそれに引きずられるようにルカの動きもどんどん洗練され、流れるような剣技でセオの攻めをいなす。
二人がその腕を振るたびに、空気を切り裂く音と共に甲高い金属音が響き渡り、黄色い火花が二人の周りで激しく飛び散っている。
「俺についてくるヤツなんて! 本当に久しぶりだっ!」
「それは……光栄ですねっ!」
おそらくセオ自身は本来こういう言葉遣いなのだろう。
立場もあって大人な接し方をしていたはずが、戦いに集中するあまり、次第に言葉が素に寄っていく。
少しずつ、しかし確実に、剣を交える二人の速度が速まっていく中、ルカは不思議な感覚に陥っていた。
「(……なんだか、熱っぽい?)」
頭、その奥の方だろうか、うっすらと熱を持っているような感じがする。
動き回っている身体ももちろん熱を持っていて、汗もとめどなく吹き出しているが、逆にそちらはまったく気にならない。
頭の奥が熱くなるのに従って、視界はだんだんと色彩を失い、無彩色の世界になっていく。
激しかった剣戟の音は次第に聞こえなくなって、周囲の景色がだんだんと間延びしたようになり、世界全体が遅くなっていく。
そんな中、自分の身体だけが周囲と切り離されたように、何の抵抗感もなくするすると動き続けていた。
そこにルカ自身の意志はほとんどない。自分の身体の少し後ろ、見下ろすような場所から意識だけが自分とセオを見ているような感覚。
「(身体が、動く……まだ、もっと……速く……)」
猛然と続くセオの攻撃にしっかりと、確実に対応して動いていた身体は、次第に彼の攻撃を見切り、皮一枚の距離で躱し、その一切にショートソードを交えることすらなくなっていく。
『(……っ! ……ルカっ! ……止ま……さい!)』
音の無くなった世界で、ザリザリとノイズの乗ったアリスの声が、遠く、小さく聞こえた気がした。
呼ばれているのだろうか。慌てているような焦っているような、そんな声だが、何を言っているのかはっきりしない。
無音で無彩色になったスローモーションの世界が視界の端から少しずつ、じわじわと侵食されるかのように、暗く、黒くなっていく。まるで空を見上げながら、底のない穴に延々と落ちていくかのように。
「(……あぁ……落ち……る……?)」
「はああぁぁぁぁーーーー! これならばどうだー!!」
訓練所にセオの雄叫びが響き渡る。周囲の空気がビリビリと震える。
短いバックステップの後、着地と共に身体を深く沈み込ませ、強烈な踏み込みと共に大きく前に飛び出した。
その速度は、もはやエリナとリネットの目で追える限界を凌駕している。
対するルカも、まるで合わせ鏡のように短くバックステップしていた。セオとは違い、そのまま前方に倒れ込み、地面すれすれのところからまるで流れる水のように前へ出る。
二人の足元、訓練所の地面は彼らの踏み込みに耐えられず、大きな轟音と共に放射状のヒビが入っていた。
次の瞬間、二人の身体は周囲の轟音を置き去りにし、甲高く透き通るような金属音と一瞬の眩い火花を一つ散らして交錯したのだった。




