第六十八話 食卓の密談
「何度も呼び立ててしまってすまないな。」
何かと最近声を掛けることの多い相手を前に、私は苦笑いを浮かべた。
貴族の住居が多い地区にほど近い場所にある飲食店、その中でも少し奥まった場所にある個室。
今、私はその個室にいる。隣には共に殿下の護衛任務をこなしたリネットが座っていた。
そして正面に座る青年がルカ殿、その隣にいるのはエリナ嬢だ。
彼らがバルディアで滞在している赤旗館や槌と麦亭で出てくるようなものとは少し違う、見た目も味も上品な料理が目の前に並んでいる。スープの入った器から立ち上る湯気が、バルディア近隣の海で取れる魚介類の香りを漂わせていた。
個室の中には我々四人以外には誰の姿もなく、時折料理を運んでくる給仕も最低限の仕事だけをこなし、ごく短時間で部屋を出ていく。それはこの店がただの食事だけではなく、機密性を求められる"密談"で使われることもあるという、少し特殊な店であることを示している。
無論、今夜私はその特殊さを目的にこの店を選んだわけだ。単に二人を食事に誘うためではない。
「いえいえ、突然だったので少し驚きましたが……でも予定が空いていてよかったです。」
「ほんとですよ。私たちの都合がつかなかったらどうするつもりだったんですか?」
「はっはっはっ! そこはあまり深く考えてはいなかったな!」
軽く他愛のない会話をしつつ、それぞれのコップで乾杯をし、喉を潤す。
私とルカ殿はあっさりと爽やかな味のする食前酒、リネットとエリナ嬢は果実水だ。
「さて、もう少し雑談に興じていたいところではあるが、酔ってしまう前に真面目な話を済ませてしまおうか。リネット、頼む。」
「あ、はい。――《風の封壁》」
何を、とは言わなかったがリネットは私の考えを即座に理解し、個室内での会話が外に漏れないよう《風の封壁》で防諜対策を取ってくれた。
「優秀、ですね。」
「まったくだ。正直なところ、ここ数日少し驚かされている。」
「えっ? あ、えっと……その……ありがとうございます……」
自分の意図を素早く正確に理解し、即座に動いてくれる部下というものは、私のような上に立つ人間からするととても助かる。雑事に意識を割くことが減れば、その分他のことに注力できるということにもなるからだ。
不意に私とルカ殿に褒められ、顔を真っ赤にしたリネットは感謝の言葉を口にしつつも小さく縮こまっている。どうにもリネットは褒められ慣れてはいないらしい。今後は少し意識した方が、伸びるだろうか。
そんな彼女をエリナ嬢がニヤニヤと眺めているのを横目に、私は話を切り出した。
「さて、話はいくつかあるのだが……まず先に、ルカ殿とエリナ嬢。二人は共に旅をすると聞いているが、この後の予定を教えてもらうことはできるだろうか。」
「予定、ですか?」
旅の予定を問うと、ルカ殿は一瞬答えに詰まった。
予定らしいものがないのか、あるが言いづらいのか、どちらなのかその表情からはまだ読み取れない。
下手な嘘でも言おうものならそれに勘付くくらいはできるだろうが、はたして彼はどんなことを言うのだろうか。
「そう、ですね……南西の港湾都市セルディアへ向かおうかと思っています。ここからだと、王都かリヴィエナのどちらかに立ち寄ってということになりますかね。」
「ふむ……それは急ぎ、なのかね?」
「いえ、それほど急ぎではありませんよ。無限に時間があるわけではありませんが、そのあと東の端まで行ってこようかと思っています。」
"東の端"という言葉に、私は酒を飲む手を一瞬だが止めてしまった。リネットの表情も一瞬だけだが変わったのがわかる。
それは彼の言う"東の端"は、おそらくヴェールスフィア王国の外を意味しているはずだ。
落ち着きを取り戻そうと、私は一呼吸の間をおいてから口を開く。
「……目的を聞いても?」
室内の空気感が変わったことに、エリナ嬢の表情も少し固くなっている。
「あまり明確な何かがあるわけではないんですが、一度東の端まで行っていろいろと見て回ろうかと。王国からベルゼア、グランフェルト、ナヴァルシアまでですね。」
ルカ殿は一言で言えば異質だ。私ほどではないが剣の腕が立ち、一見すると旅の剣士に見えるが、実際は感応術士としての能力が異様に高い。
いや、"高い"という言葉で表すのは不適切だろう。術の威力や扱い、そのセンスはもちろんのこと、独自の術を使いこなし、さらには感応術師団の誰も成し得ていない複数同時発動までやってのける。
是非とも味方としておきたいところではあるが、ミリア殿とは最低でも敵対関係にはならないようにしようと話し合っていた。
その彼が、ベルゼア神聖皇国、グランフェルト共和国、ナヴァルシア帝国の三カ国を旅すると言う。であれば、国外へ出てしまう前に縁を繋いでおきたい。
エリナ嬢とネクサバードの取り決めがあるとはいえ、国境を越えてベルゼア神聖皇国に入ってしまえば、彼らの動向を追うことはかなり難しくなる。
「まぁ、エリナの里帰りもあるので、一年くらいで一度戻ってくると思いますけど。」
あれこれと必死に頭の中で思考を巡らせているのを知ってか知らずか、ルカ殿は柔和な笑みを浮かべていた。隣のエリナ嬢の若干不安そうにも見える表情との落差が、妙な違和感を抱かせる。
彼のあの笑みに裏があるのか、ただ人柄がそうさせているのか。彼女の表情は国を遠く離れることへの不安か、ルカ殿の目的を知るがゆえの不安か。
帰ってくるという話も、一年くらいという話も、エリナ嬢という王国出身者がいる以上、嘘をついているようには聞こえないが、このまま手を打たないまま国外へ出してしまうのは避けるべきだろう。
特にその行き先に、王国との関係性が良いとは言えない国があるとなればなおさらだ。
私はもう一つ踏み込んでみることにした。
「東の端まで見て回ること自体が目的ではないだろう。見て回ったあとに何かあるのではないのかね?」
エリナ嬢の表情は相変わらずだ。いやむしろにじみ出る不安が増したようにも見える。
そして当のルカ殿はというと、こちらはあまり表情に変化は見られない。
そう、表情に変化は見られないのだが、何か少し妙な、ここにいない誰かの気配とでも言える何かを感じたような、そんな気がした。
その瞬間、ルカ殿の表情は片方の眉が跳ね上がり、次第に苦虫を噛み潰したような表情にと変わっていく。
やがて大きくため息を吐き、笑顔ではあったが、少し困ったような、苦笑いのような、そんな笑顔になっていた。
「……ふふっ」
「おい、笑うなよ……」
「だって、また"どっかから小言が飛んできて耳が痛い"って顔してるもん。」
「……まぁな。」
唐突にエリナ嬢は吹き出した。先ほどまでの不安げな表情はどこへ行ったのか、少し楽しげにも見える。
私は頭の中に疑問符を浮かべたままチラリとリネットに視線を向けてみたが、彼女もまた不思議そうな表情を浮かべており、二人の会話の真意はわからないようだ。
「……さすがに隊長を任されるほどの方ともなると、鋭いですね。」
「まぁ普通に考えれば、旅行でもない限り移動そのものが目的とは考えにくいからな。」
崩れた表情を元の柔和な笑顔に戻し、ルカ殿が口を開いた。
「いえ、それが目的ですよ。一度ぐるっと各国を見て回ろうと思ってるんです。」
「……えっと、それはどういう……? 観光ってわけじゃないんですよね?」
その言葉の真意を計りかねていると、私の代わりにリネットが問いかけた。
実のところ旅行や観光など、金が有り余っているような一部の貴族の道楽であって、一般人がやるようなものではないからだ。
「えぇ、観光ではないですね。エリナも一緒ですし、お互いの視点で世界を見て回って見識を深めようかと。広く世界を識れば、将来彼女がブレーヴェ村の雑貨屋を手伝うのにも役に立つでしょうし、ピノに頑張ってもらえば殿下たちに有益な情報や意見を伝えることもできるかも知れません。」
「ふむ……」
少し意外な答えだった。
世界を見て回る。見識を深める。将来に資する。よくある"当たり障りのない理由"だ。
だが、続けて我々にも有益になる、ときた。
「言葉通りなら喜ばしいが、立場上素直に受け取るわけにはいかんということはわかってもらえるかな?」
「ははっ……もちろんですよ。私もセオ殿の立場なら"間者の可能性"を排除はしないでしょう。」
「ルカ殿……それは一つ間違うと冗談では済まされんぞ……最悪斬らねばならなくなる。」
「でしょうね。」
疑われることはわかっている、ということらしい。
先ほどまでは楽しそうだったエリナ嬢も、不思議そうにしていたリネットも、間者だなんだと不穏な言葉が出たからか、少しハラハラと落ち着かない表情になっている。
「もちろん、皆さんに敵対する気はありませんし、ちゃんと戻ってきます。何の保証にもならないでしょうが、帰国後は真っ先に貴方の元へ伺うと約束しても構いません。」
私が何を懸念し、何を求めているのか、彼はよくわかっているのだろう。明らかに"欲しい答え"を並べて来ている。
しかし、誰かを騙そうというような、気配というか声音というか、そういったものは感じられない。
だが彼はその言葉が真かどうかを証明できないし、私もその言葉を信じるに足る確証がない。
時間を掛けるしかあるまいか。
「いや、今の時点では敵対の意思がないと分かれば良いとしよう。少し時間を掛けて君たちを見定めさせてもらうことにするよ。とはいえ、エディルの件もあって、若干人を見る目については自信がないがね。」
「それは……ヤツを褒めるようで癪ですが、向こうが一枚上手だったということでしょう。」
「であれば良いのだが……」
私とルカ殿の間に流れる空気が緩んだとわかったのか、女性陣の表情も和らいでいる。
あまり真面目な話が続くのも悪い。真面目な話はさっさと終わらせてしまうことにしよう。
「話は変わるが、二人とも。来週、殿下がバルディアから王都エレドリアへお戻りになるのだが、改めて傭兵として同行してもらえないだろうか。ギルベルト様から追加の護衛を何名か手配してもらえることにはなっているが、実績と人となりが分かっている二人に来てもらえるとありがたい。」
彼らに話したかったことの一つ目は、バルディアからエレドリアまでの護衛依頼だ。
特に意外でもなかったのか、ルカ殿は先ほどからの笑顔のまま、こちらの話に耳を傾けてくれている。
「人となりが分かっていると言いながら、その相手を見定めなければならないとは、セオ殿も難儀ですね。」
「そう言ってくれるな。わかってはいるが、これも立場上仕方のないことだ。」
「そうですね。依頼の方は……どちらにしてもリヴィエナかエレドリア経由にするつもりだったわけですし、俺は構いませんが……エリナはどうだ?」
少しいたずらっぽく冗談を挟みつつ、ルカ殿は依頼についてエリナ嬢に水を向ける。
「私は何の問題もないよ。みんなとなら楽しそうだし、リィゼと会える機会があるなら、できるだけ一緒にいたいかな。多分王都に戻っちゃったらほとんど会えなくなっちゃうだろうし……」
「ということなので、護衛依頼の件、請けさせていただきます。」
私は小さく頷いて返した。これで護衛の件は一旦決まりだ。詳細は後日詰めねばならんが。
「それとあと数日もすれば紅火工房に依頼している武器が仕上がるだろう? バルディアにいるうちに一度ゆっくり見させてもらえるだろうか。調査の関係で参考にしたい。」
二つ目は紅火工房の剣だ。ここ数日ユージンたちやリネットを使って少し調査を進めているが、工房の鍛冶師がまともな鋼を使えばどの程度の剣を打てるのか、参考に見ておきたいのだ。くず鉄で作った品でもあの出来だ、相応の品にはなるだろう。
「えぇ、構いませんよ。どちらにしても護衛依頼の詳細を詰めに登城することになるでしょうし、その時にでもお持ちしますね。」
「私の頼んでるダガーも見られますか?」
「あぁ、念のため、そちらも頼む。」
「承知しました!」
ルカ殿と一緒にエリナ嬢もダガーの作成を依頼しているのは聞いていたが、見せてくれるのであれば、その言葉に甘えておこう。
表情を見る限り、純粋に協力しようというよりは、初めてのオーダーメイド品を誰かに見てもらいたくて仕方ない、といったようにも見えるが、そこは言わぬが花だと黙っておく。
「あと、最後にもう一つ。こちらはリネットからだ。」
私から伝える話が終わり、リネットに水を向けると同時に、全員の視線が一気にリネットへと向いた。
小皿に取り分けた料理を今まさに口に運ぶ瞬間だったらしく、可愛らしい口を開けたままリネットが固まっている。
「あ、えっと……え、えへへ……」
羞恥心に顔を赤く染めて、リネットは照れ隠しに笑ってみせた。
タイミングが悪かったか……
「ごはん。美味しいもんね?」
「私が行くような店よりランクが高いとこだから、つい……」
ニヤニヤと少し意地の悪い笑顔のエリナ嬢に突っ込まれ、リネットは何とも言えない表情になっている。
口へ運ぶつもりだった料理を皿に戻すと、リネットは居住まいを正してルカ殿へと視線を向けた。
少し緊張した面持ちで、呼吸を整えるように小さく息を吸う。
「えっと、不躾なお願いで申し訳ないんですが……ルカさん、明日からしばらくの間、私に感応術を指導してもらえないでしょうか? もちろんお時間のある時だけで構いません。謝礼も多くは出せませんが、私が出せる範囲でお渡ししますので……」
傭兵を生業とする者は、過度に自分の能力を晒すことをしない。それは自分の能力が知れ渡ることで依頼主から足元を見られたり、敵対関係にある者と相対した時のリスクが上がってしまったりと、あまり良いことがないからだ。同様に信頼を置けない者への指導依頼もノウハウの開示である以上、良い顔はされない。
そういう意味では今回のリネットの依頼も、ルカ殿から見れば敬遠される話ではある。普通なら嫌がられるだろうし、結果心証が悪くなると今後に響くのだが、彼ならば請けてくれるような気がして、敢えて止めることはしなかった。
元からエリナ嬢に手ほどきをしていたことや、アーヴ殿と手合わせしていたことから考えて、何かを教えることに抵抗感はなさそうだし、感応術に関して言えば誰も並び立てないような高みにいるわけで、多少ノウハウを漏らしたところで目をつけられてしまうこと以外の問題はないはずだ。
だが、その点も我々であれば、すでに知っていることであって、新たなリスクにはならない。
であれば、リネットのこの依頼は、我々と彼らの関係性をよりよくする一手になりうるのではないだろうか。
「指導ですか……教えるのは得意じゃないですし、成長を保証できませんよ?」
「大丈夫です! 成長できるかどうかは私の方の問題ですし!」
ルカ殿の言葉にリネットが食いついた。
机の上に覆いかぶさるかのようにその身を乗り出し、じっと彼の目を見つめている。
一方のルカ殿は少し思案するかのように瞑目していた。
「はぁ……わかりました。」
「ホントですか!? ありがとうございますぅ~! よかったぁ~……」
小さくため息をついてから、ルカ殿が承諾する。
その様子を見て、一安心したのか、リネットは椅子の背もたれにだらりと身体を預けた。
なんともだらしのない格好だが、改まった席でもない、今夜のところは目を瞑っておこう。
「それと、謝礼は結構です。その代わりと言っては何ですが、今後できる限りエリナを助けてやってください。殿下と友人関係になった以上、今後は何かと立ち回りが難しい立場になりますし、その根回しということで。」
「えっ? あ、はい! それはもちろん!」
ルカ殿は特に悩むことなく、あっさりと謝礼を辞した。そのこと自体は私もあり得ると考えていたが、代わりに彼が願い出た内容に私は驚き目を細めた。謝礼の話が出てから、ほんの一~二分しか経っていないというのに、この場にいる誰もが得をし、誰もが損をしない形へ話の落とし所を持っていったのだから。
リネットの希望を叶え、エリナ嬢の持つリスクを抑制し、私との関係性を確立しながらも、自身の行動に大きく影響しない程度に抑える。
それをこの一瞬で考え出したというのか。
その気があったかどうかはわからないが……少なくとも、無意識ではあるまい。
真意の程はわからないが、おそらくこちらが良き隣人である限りは……ということか。
であれば、こちらも少し懐に飛び込んでみても良いかもしれない。
「ルカ殿、リネットの件、私からも伏して頼む。目一杯鍛えてやってくれ。」
私はルカ殿へと頭を下げた。
リネットがルカ殿の元で成長できるのなら、この程度は安いものだ。
「セオ殿、頭を上げてください。そこまでしていただかなくてもいいですから。」
「いやいや、私が頭を下げた分だけビシバシ鍛えてくれ!」
慌ててルカ殿が止めに入ったので頭は上げたが、この際しっかりと鍛えてもらうことにした。
しっかりと実力がつくようならば、その差配を考える余地も生まれるのだから。
「えっ!? えぇ~!? 隊長、なんか厳しくしてくれって言ってませんかぁ~?」
「あたりまえだ! 明日から一日中指導してもらえるよう、お前の仕事はすべて外しといてやる。嬉しいだろう?」
「そんなぁ~~! 嬉しくなんかないです~!」
私の言葉に反応して、リネットがなんとも気の抜けた情けない声を上げる。
だがその声は、周囲の笑い声にあっさりと飲み込まれていった。




