第六十三話 それぞれの夜
赤旗館に戻ってすぐのこと。
ルカとエリナがロビーに入ると、ロビー横の食堂では、すでに気の早い連中が酒盛りを始めており、ガヤガヤと騒々しい。
ただ客層が傭兵というよりは役人などが多い宿ということもあり、暴れて周囲に迷惑をかけるような輩はいないようだ。
預けてある部屋の鍵を受け取ろうとフロントの方を見ると、フロントのカウンター越しに受付担当者がこちらに気付いたところだった。
そんなカウンターの手前、どこか見覚えのある後ろ姿の女性がいるのが見える。
青い長尺のローブに、肩より少し下まで伸びた赤髪のポニーテール。
「あ、お二人が戻られましたよ。」
受付担当者が声を掛けると、その女性はくるりと振り返った。
髪色と同じ赤い目は少し目尻が下がっていて、鼻筋に薄いそばかすが残っている。
「リネット!」
彼女はヴェールスフィア王国感応術師団所属の術士の一人、リネットその人だった。
「こんばんは。昨日ぶり、ですねー。」
小さく右手を振りながら、リネットが笑顔で歩み寄ってくる。
「今日はどうしたの? ここに泊まるってわけじゃないよね?」
小首を傾げながら、エリナが問いかける。
例の事件以降、エリナはリネットともかなり仲良くなったようで、会話もかなり気安い感じになっていた。
「えぇ。今日は二人に伝えることがあって……二人とも今から少し時間を貰えますか?」
「いいよ~。ルカ、いいよね?」
「もちろん。少し騒がしいので、部屋で話しますか?」
「そうですね。あまり聞かれていい話ではないので、それでお願いします。」
食堂の方をチラリと見て苦笑いを浮かべると、リネットは部屋で話をすることに首肯した。
どんな話かはわからないが、バルディアに王女殿下がお忍びで来ていて、その事実を知る関係者たちの話となれば、どんな話であれあまり周囲に聞かれていい話にはならないということはわかる。
「わかりました。じゃあ私の部屋にしましょう。エリナは部屋に荷物を置いたら俺の部屋に来てくれ。」
「はぁい。すぐ行くね!」
ルカとエリナはそれぞれの部屋の鍵を受け取り、リネットを伴って二階にあるルカの部屋に向かう。
途中、自分たちと同じ関係者であるアーヴを呼ぶかと聞いてみたが、ルカたちが帰ってくる少し前に出掛けようとしていたところに出くわしたらしく、先に話をしておいたらしい。
部屋に着くと、ルカは持っていた手荷物をベッドの上に放り投げ、備え付けの椅子にかけるようリネットを促した。
「せっかくなので、何か飲み物を貰ってきます。エリナが来たら部屋に入れて待っていてください。」
そう言ってルカは部屋から出ていき、程なくしてエリナが、そのあとに飲み物の入ったポットと木製のマグを持ったルカが戻ってきた。
ポットに入っていたのは果実水のようで、少し甘く爽やかな香りのするそれをテーブルの上に並べられたマグに注ぐ。
残念ながら部屋の椅子は二つしかないので、椅子は女性に譲り、ルカはマグを持ってベッドの縁に座った。
「それで、伝えたいことって何ですか?」
マグに入った果実水をぐっと一口飲みながら、ルカが切り出した。
エリナもマグを両手で抱えながら、興味深そうにリネットを見ている。
「えっと……大したことではないんですけど、先日の件についての慰労を兼ねた晩餐会を催すことになったんです。なので、お二人にも出席していただけないかと……」
「晩餐会ですか……」
慰労を兼ねた、ということではあるが、そもそも王女殿下がお忍びでバルディアまで来ていることもあって、ルカはそういうことを大々的に催すとは思っていなかった。
仮にやるとしても、辺境伯自身や領都にいる貴族が参加するのであって、ルカたちのような傭兵に声がかかるというのも不思議である。
マグの中、少し減った果実水の水面を見ながら、ルカは少し迷っていた。
この五日間、共に過ごした人たちは皆良い人たちだったし、身分の差はあっても、会食の場を持つこと自体は構わない。自身の能力の話もあるから、権力者と距離感を置いておきたいが、その辺りはセオから仕官の誘いがあったくらいで、強引にどうにかしようという気はないようだし、仲良くしておく分にはそれほどデメリットもないとも言える。
問題はそれ以外の人間だ。権力を笠に着てあれこれと無理を言ってくるような者がいないとも限らない。
「リネット……私たち平民だし、お城のパーティーに着ていくようなドレスとかもないよ?」
「あ、その辺りは大丈夫。本当に慰労のためだけだから、出席者の中で二人が知らない人はギルベルト様だけよ。ドレスコードとかも一切なしで気楽に来てって。」
ギルベルト・ロイナー辺境伯。
この辺境一帯を治める領主だ。他の人間はいないようだが、さすがに領主本人は出てくるらしい。
「さすがに領主様だし、何と言っても殿下のお祖父様だから、可愛い孫を無事に連れてきてくれた皆にちゃんとお礼を言わないと、立場がないって仰ってるみたい。」
「殿下のお祖父様?」
リネットの言葉に思わずルカは聞き返した。こういう生の情報とも言うべきものはラボやB.N.I.Cから得られるものではないし、生きていく上で常識なのであればやはり押さえておきたい。
「あ、そっか。ルカは知らないんだっけ。えっとね、リィゼのお母様って第二妃のセレス様なんだけど、ギルベルト様ってセレス様のお父さんなんだよ。」
「セレス様は以前文官として王城に勤めてらっしゃったんですけど、当時からすごく聡明な方で、お勤めなさっている姿をご覧になった国王陛下に見初められたんですよ。でもご本人は当時平民だったから、国王陛下の古くからの友人だったギルベルト様が養女としてお迎えになって、辺境伯家子女として輿入れなさったんです。」
どうやら血の繋がりがある、というわけではないようだ。見る人にもよるだろうが、かなりのシンデレラストーリーである。
「平民から王妃になるだなんて、凄いよねぇ……」
「ね、ちょっと憧れちゃう。」
こういう話になると年頃の女子は憧れがあるようで、二人楽しそうに話を弾ませている。
ルカはしばらくの間、目を細めて二人の様子を眺めていたが、さすがに話題がかなり脱線してきたので、少し申し訳ない気持ちになりながらも会話に割って入った。
「で、晩餐会の話はどうすればいいですか? 服装や王侯貴族相手の過度な儀礼などは求められないようですし、出席者も辺境伯様以外は見知った人しかいないなら、出席しても構いませんが……」
「あ、本当ですか? 良かった~。断られちゃったらどうしようかと思ってたんですよ~。」
リネットはホッと胸を撫で下ろしたように、微笑んでみせた。
「ん? 是が非にでも連れてこいとか言われてました?」
「いえいえ、そういうのじゃないです! でも殿下が会場のすぐ隣の応接室で男子禁制の女子会するんだって意気込んでらっしゃったので……」
「ほんと!? わぁ! 楽しみ!」
「でしょ? ミリアさんもだいぶ回復されてて、女子会の時には自分がお茶を準備するんだって張り切ってたよ!」
「そうなの? じゃあもう一安心だね!」
また話題が脱線してしまっているが、こうなってしまうとどうにも止められる気がしない。
とは言え、リネットの帰りがあまり遅くなるのは考えものだし、自分たちはもちろん、彼女も夕食は食べていないだろう。
どうせ楽しく話すのであれば、とルカは二人を食事に誘うことにした。
「どうもこのまま話が尽きそうにないですし、せっかくですからその辺の店で食事でもどうです?」
「あ、それなら近くに美味しい郷土料理を出す店知ってるんで、行きましょう!」
「そうなの? いいね! 行こう行こう!」
ルカの提案を聞き、目を輝かせるリネットに連れられて、三人は赤旗館近くの食堂へと繰り出すのであった。
◇◇◇
そろそろ日付も変わろうかという頃合いに、私は宿の自室に帰ってきていた。
あれからルカとリネットの二人と一緒に、彼女が勧めてくれた食堂に行って、あれこれと会話に花を咲かせながらバルディアの郷土料理を食べて……
あとは晩餐会の話を少しだけ。もちろん晩餐会だとか、どこでやるだとか、聞かれるとマズい内容は話さずに、日時と集合場所とかの確認をしただけだけど。
バルディアの郷土料理は近くの海で取れる魚介類がメインらしくって、クラムという貝やブリームという魚の料理だった。ブレーヴェ村だとガリナ鳥の立ち位置なのかな。
魚介類って村ではまずお目にかかれないから珍しさが先に立ってしまったけど、あれはあれで美味しかったなぁ。
いろんな調理法があるみたいだし、機会があれば誰かに教えてもらえるかな。前に森の中でスープ作った時、ルカはかなり喜んでくれてたし、美味しく作れそうならまた何か作ってあげたいしね。
そんなことをぼんやり考えながら、一階の食堂で貰ってきた果実水入りのポットとマグ、あとは昼間に買っておいた小さめの紙とペンを、部屋に備え付けられたテーブルの上に置く。
椅子に腰掛け、果実水をマグに注いで一口飲んでから、私は兄さんとお義姉ちゃん、あとリサの三人へ手紙を書くことにした。
セオ様たちとの連絡手段としてネクサバードの所有許可を貰ったんだけど、それ以外での扱いについては特に制限されてないし、せっかくだからピノに手紙を運んでもらうことにしようと思って。
村を離れて最初の街に着いたから、その報告をしておきたいしね。
移動中のことはさすがに秘密にしなきゃならないことばっかりだし、例の戦いの話なんかは兄さんが卒倒しそうだからほとんど何も書けないんだけど、そもそもピノが運べる量のことも考えると、あんまりたくさん書けないんだよね……
そんなことを考えながら、私はペンを走らせた。
「兄さん、お義姉ちゃん。元気? 私とルカは無事目的地のバルディアに着きました。移動中は大変なこともあったけど、ちゃんと依頼は達成したよ……っと……」
あとは何を書こうか。
リィゼと友達になったなんて書けないし、騎士団一行が王女付き護衛騎士団だったなんてのもマズいし。
伏せて書いちゃうか。素敵な友達ができたとか、女子だけ集まって女子会したとか。
バルディアの魚介類が美味しかったとかもありかな? いや、これはリサへの自慢にしよう。旅先で美味しいもの食べられるの羨ましいでしょ!? って感じで。
「ふふっ……里帰りしたら、怒られそうだなぁ……」
そんな小さな独り言を零しながら、サラサラとペンを走らせる。
書けないことが多かったはずなのに、あれもこれもと考えているうちにすぐに紙は埋まってしまった。
もう少し書きたかったけど、これ以上はピノが運べなくなりそうだし、これくらいかな。
明日の朝になったら、ピノに手紙を託すことにして、今夜は休もうと思う。
私は晩餐会と女子会のことを考えながら、柔らかな布団に潜り込んだ。毎日ちゃんと干されてふかふかの布団は心地良い。
一日街中を歩き回ったからか、私の意識が夜に溶けていくのに時間はかからなかった。
◇◇◇
そろそろ日付も変わろうかという頃合いに、俺は宿の自室に帰ってきていた。
あれからエリナとリネットの二人と共に、リネットがお勧めだと紹介してくれた食堂へ行き、あれこれと会話に花を咲かせる二人を眺めながら郷土料理に舌鼓を打っていた。
あとは晩餐会の話を少ししたくらいだ。もちろん晩餐会自体や場所の詳細など、周囲に聞かれるとマズい内容は伏せ、日時や集合場所の確認をするくらいだったが。
バルディアの郷土料理とやらは近隣の海で取れる魚介類をベースにしたものが多いらしく、今日はクラムという貝とブリームという魚がメインのものだった。旧時代だとアサリと鯛辺りが近いんじゃないだろうか。
郷土料理というと少し違うかもしれないが、ブレーヴェ村なら陽だまり亭のガリナ鳥料理のようなものかもしれないなと考える。うーん……夕食は食べて来たところだし空腹感なんてないが、また食べたいなと考えてしまう。
もちろんバルディアの魚介類もなかなかの味だった。レシピの一つでもあれば作れたりするだろうか。
自分で作っても良いけど、エリナの方が上手く作りそうだな……
そんなことを考えながら、羽織っていた上着を椅子の背もたれに掛け、ベッドに身体を大の字に投げ出す。
何とはなしにブレーヴェ村を出てから今日までのことをいろいろと思い返してみた。大事件はあったし、あわやというシーンもあったものの、自分もエリナも大した怪我無くここまでこれたのは良かった。いきなりエリナが大怪我なり万が一なんてことになっていたら、信じて預けてくれたマリウスやセリーナに申し訳が立たないし。
『(おや? どうやら会話可能なエリアに到着していたみたいですね。)』
唐突に頭の中に響く声。アリスだ。
「(昨日バルディアに着いたんだ。ここだと通信波は届くんだな。)」
『(ええ、ブレーヴェ村のサテライトとは別のサテライトからギリギリ届くみたいです。)』
「(通信範囲内に入ったらすぐに話しかけてくると思ってたよ。)」
『(電力事情を考えるとそこまでは……三日ごとくらいの間隔で試していましたよ。)』
それほど日が経ったわけではないとはいえ、久しぶりに聞く声に、少し気持ちが和らぐ。
『(で、エリナはどうですか? 元気にしていますか?)』
「(俺よりエリナが先かよ……途中危ない場面もあったけど、無事だし元気にしてるよ。)」
『(貴方は多少のことでどうにかなるほどヤワじゃないでしょう? エリナは普通の女の子なのですから、彼女の方を心配するべきですよ。)』
「(そういうもんかな。)」
『(そういうもんです。)』
開口一番、話題になったのは俺のことではなくエリナだった。アリスの心配の向く先は彼女らしい。
まぁ確かにそうなのかもしれないが、やはりというかアリスは結構エリナを気に入っているのだろう。
そんな軽口を叩きながら、俺とアリスはしばらくの間、ブレーヴェ村からバルディアまでの間にあった出来事を取り留めもなく話していた。
野営地では感応術で支援したこと、内部の人間の裏切りでエリナにかなり危ない場面があったこと、そして俺の知らない誰かが行動監視しようとしていること。
『(貴方の行動を追っている者がいる? そんなはずは……)』
さすがに最後の点については、アリスにも思い当たらないようだ。
当たり前と言えば当たり前だろう。そもそも俺が出会ったことのある人間自体がほとんどいないのだから。
『(貴方が外の世界に出てからまだ二ヶ月ですよ。いくらなんでもわざわざ行動を追おうとする者が出るとは考えられません……)』
「(だよなぁ……)」
あまりにも情報が無さすぎるし、どこまで想像を膨らませても、そんな相手は思い浮かばない。
「(実はエリナたちの動揺を誘うための方便だった、とか?)」
『(そうですね。現状だとその線が一番可能性が高い……というよりも、それ以外に考えられませんね。)』
「(もう深く考えるのはやめにして、どこか頭の片隅に置いておくくらいにしておくかぁ……)」
『(それがいいでしょう。)』
ベッドに寝転がったままアリスと話していると、宿の従業員が整えてくれた布団のおかげか、一日歩き回ったからか、何とも心地良い眠気が襲ってくる。
「(今夜はもう休むことにするよ……おやすみ。)」
『(ええ、おやすみなさい。)』
目を閉じて身体中の筋肉を弛緩させると、眠気が柔らかい布団の感触と共に、俺の意識を眠りの中に誘っていくのだった。




