第六十話 城塞都市の朝
見渡す限りに広がる荒野。
まばらに生える木や草、茂みがあるだけで、生き物の気配は感じられない。
大地は長い間まとまった雨も降っていないのか、ところどころヒビのようなものも見受けられる。
そんな荒野の中にそびえ立つ、金属質の何かで出来た小さな塔の中の一室。
飾り気のないシンプルな室内にある椅子に、女が座っていた。
黒く光沢のある布で作られた、肩が片方だけ露出するようになっているアシンメトリーのワンピースを身に纏っている。
窓の外を眺めながら、その細くしなやかな指先で長く艶やかな黒髪を弄んでいた。
『アシェラ』
部屋の中にどこからともなく少し冷たい感じのする女性の声が響いた。
声の主と思われる姿はどこにも見当たらない。
「お母様?」
アシェラと呼ばれた女はそのことを特に気にするでもなく、視線を部屋の中へ移した。
視線の先に誰かがいるわけではない。言うなれば虚空だ。
『私の出した"課題"の方はどう?』
「ふふっ……少しトラブルはあったけど、ちゃんとできたわ。」
姿なき母へと少し微笑んでみせたアシェラは、こともなげに言い放った。
『そう? じゃあ聞かせてもらおうかしら。』
「じゃあType-Lの話から。投与個体の身体能力の調整と強化は想定通り。能力の上昇量も予想の範囲内よ。まぁ雑兵として使うなら有用かしら。」
母の声に、アシェラは腕を組み、机の上で淡く光るモニターに視線を移した。
モニターには何かの情報が表示されている。そこにはすでにこの世界では失われてしまった文字であるアルファベットが並んでいた。
画像も表示されているが、そちらは黒い狼のように見える。
「保有者とのN-Link接続が可能なのは前の"課題"でわかってたけど、今回のテストでは特定周波数帯の音波を使用してN-LinkへINXPレベル3での強制介入が可能なことも確認できたわ。」
『そう。やっぱり事前に立てた予想とほぼ変わらないわね。B.N.I.CがType-G以上だとどうかしら。』
「そっちは難しいわ。最低限とはいえ防衛機構があるもの。介入自体を防がれそうよ……まぁType-Lの話はこれくらいね。」
聞き慣れない単語を並べながら、二人の不穏な会話は続く。
ただ、それまで機嫌よく話していたアシェラの表情に少し翳りが見えた。
「でも"強制臨界化"はまだダメだわ。人もどきならもしかしたら……とも思ったけど、多少知性があったところで変わらないみたい。臨界状態への移行プロセスあたりを改善しなきゃ、今のままだとただ猛獣を作るだけにしかならないわね。」
アシェラの指が止まり、その間から黒髪が滑り落ちた。
絡まる髪から解放された指が、スッと彼女の薄い唇を撫でていく。
『そちらは私の方で考えるわ。アシェラは貴女しかできない"課題"を進めてちょうだい。』
「任せてお母様、ちゃんと頑張るから。その代わり、頑張ったらご褒美が欲しいわ。」
どんな"ご褒美"を想像しているのか、その唇は三日月のように怪しくしなる。
「早く、一目会いたいの、ルカに……」
『ふふっ……考えておきましょう。』
母の言葉に、アシェラの微笑みはその歪みを増す。
虚空を眺めるその琥珀色の瞳には、まだ見ぬ誰かを夢想する狂気が宿っていた。
◇◇◇
赤旗館で迎える初めての朝、ルカとエリナは一階にある食堂にいた。
窓際のテーブルに向かい合って座っている。
目の前にはパン、ゆで卵、塩漬け肉と根菜のスープ、生野菜のサラダ、柑橘類の香りのする果実水。一般的な宿の朝食としては可もなく不可もなくといったところだろう。
宿の従業員からは、最上級の部屋を充てがわれそうになったり、食事をわざわざ各部屋でできるように手配しようとしたりと、やたらサービスされそうになったが、すべて断った。今朝の食事が他の宿泊客同様に、食堂で普通のメニューになっているのもそのためだ。
まぁ突然辺境伯家の印章がある書状を持参した人間が現れたとなれば、しっかりと饗さないといけないとは考えるだろうし、多少は仕方のない面もあるだろうが、こちらとしては変に特別扱いされるのはなんとも居心地が悪い。
「で、アーヴはなにしてんの?」
「あいつはまだ寝てる。昨日飯食った後、夜遅くまで飲み歩いてたみたいだしな。」
スープマグに口を付けながらエリナが聞いた。
ルカの話では、アーヴは五日間の護衛依頼明けだと言うのに、夜の街に繰り出していたらしい。
元々傭兵として仕事をしているのだから、体力はあるのだろうが、それにしたっていきなり夜遅くまで飲み歩くというのは凄い。
「まぁ元々同じ依頼を請けたってだけだし、別に一緒に行動する約束もないんだ。好きにさせておけば良いさ。」
少し硬いパンを齧り、塩だけの大味なスープで胃の中に流し込む。
食べられなくはないが、美味しいかと言われると、微妙だ。スープの塩気がきつすぎる。いや、軍人も多いから塩分補給の意味もあるかもしれないが、だからといって朝からこんなに濃くなくても良いと思う。
「(森で食べたエリナのスープの方が塩加減も良かったし、少しだけ足されていたハーブか何かのお陰で味が引き締まってて旨かったよなぁ……)」
目の前のスープマグを眺めながら、ほんの一ヶ月ほど前のことを思い出す。
「で、今日なんだけど。」
唐突にエリナが少し身体を前に乗り出した。
「報酬のこともあるし、役場、行くよね?」
そういえば、と昨日ノアから渡された書面のことを思い出す。
元々は基本報酬として金貨三枚だったが、野営地での支援、黒狼襲撃に対する遅滞戦での活躍、裏切り者の討伐に負傷者の治療など、詳細はわからないように伏せつつもめざましい働きがあったと書かれている。
エリナの方の書面もなにやら追記されているようだが、そちらは見せてもらってはいない。対象が王女殿下であることは伏せられているだろうが、ちゃんと護衛任務を達成したことが書かれているのだろう。
「あぁ、早めに手続きして、旅に必要な物資の購入資金を作っておきたいしな。俺の剣は一本折れたし、エリナのダガーももうダメだろ?」
眉尻を下げ、少し困ったような表情でルカが言った。
ブレーヴェ村を出る時にマリウスから買っておいた武器のうち、ショートソードはエディルと戦った時に折れてしまっている。同じものを予備としてもう一本持っているが、軍の支給品レベルでしかないので、できればもう少し質の良いものを調達しておきたいのだ。
サテライトで入手した例のナイフもあるが、切れ味が異常すぎるせいで、常用するとまず間違いなく良からぬ注目を集めることになってしまう。
加えて旧時代の技術で作られている以上、今の世界ではメンテナンスも修復もできそうにないし、下手に使いすぎていざという時に役立たないという事態は避けたかった。
「そうだね。私のダガー、訓練用と間違いそうになるくらい刃先がダメになってるし……」
エリナのダガーはエディルと戦った現場を通る時に回収してあったのだが、エディルの剣と何度も打ち合ったためか、刃毀れが酷く刃物と呼ぶのも躊躇われるほどであった。
まさか村で調達してわずか一週間でダメになるとは思っていなかったらしく、財布の心配をしているのかエリナは大きくため息をついている。
「まぁ幸か不幸かバルディアは辺境の守護を目的にした城塞都市だし、腕のいい職人や質のいい武器を扱う店があるだろ。役場の後で回ってみればいいさ。」
「その分高そうなんだけど……」
エリナは自分の財布のことを思い出していた。独り立ちに向けて少しだけ貯めていたお金が入っているが、銀貨が三十枚ほどのはずだ。
護衛依頼の報酬は出るが、武器を一新できるほどの金額にはなりそうにない。いや、どう考えても足りない。
「報酬も出るんだし、ブレーヴェ村でも害獣討伐でそこそこ儲けてたから、足りるよ。」
「いやいや、それはルカのお金でしょ?」
何やらさもルカがお金を出すことが当たり前のように言い放つものだから、エリナは慌てて止めに入る。
お互い依頼もシングルで受注しているし、無理を言って旅に同行させてもらっているだけなのだから、自分の分は何とかしなければならないはずだ。
「といってもなぁ……俺は村に着いた時に金なんて持ってなかったし、サテライトに行く前も村に戻った後も、害獣討伐はほぼ一緒にこなしたんだから、今俺が持ってる金は二人で稼いだ金だろ?」
「いや、それはそうかもだけど……」
言われてみればそうだ。害獣討伐は一緒にやっていた。といっても討伐数はルカの方が圧倒的に多かったけれども。
「一緒に行動して得た金なんだし、とりあえずしばらく一緒に旅をするんだから、金は共有財産ってことにしとけばいい。」
「うーん……そうかなぁ……」
ルカの言っていることはわかるものの、少し釈然としない。共有財産だとしても、収入への貢献度が高いのがルカだということは確かであって、エリナとしては自分のために使うことがどうしても躊躇われる。
「別に好き放題使って良いって話じゃなくてな。この前みたいに突然戦わなきゃならなくなる事はあるわけだし、どっちかの所持金が少ないせいで装備が揃えられなくて、大怪我を負うことになったり……なんて笑い話にもならないだろ? 一緒にいる以上、財布は一つにしてその中でお互いが一番いい状態で旅ができるようにしておこうって事だよ。」
「うん……わかった。」
小さく呟いたエリナの手が、テーブルの上で所在なさげにしている。
言われていることは痛いほど理解できるし、この場合、金が足りなくて困るのはおそらくエリナの方だ。
旅を続ける上で、「傭兵」としては、多分実力もそれ以外もルカの方が上だろうし、エリナの方が高い報酬を得ることは難しい。
つまり装備品が買えなくて、困るのも自分ということになる。多分その辺りもわかった上でルカは言ってくれているのだろう。
そう考えると、釈然としない気持ちは、次第に申し訳ない気持ちに変わってくる。
「(なんか違うところで助けになるように頑張らないとなぁ……)」
心の中で独りごちながら、果実水で喉を潤す。
するとエリナが果実水を飲み干すのを見届けたルカが席を立った。
「さぁ、準備したら出かけようか。」
数日ぶりにゆっくりと休めたからか、バルディアという新しい街へ繰り出すのが楽しみなのか、ルカは穏やかに微笑んでいる。
「りょーかいっ!」
悶々と考えるのはやめて、エリナも勢いよく椅子から立ち上がる。
「(あれこれ考えるのは一旦なし! できることから頑張ろっと!)」
ルカとエリナはそれぞれの部屋に戻り簡単に準備を済ませると、初夏の陽気の中、連れ立って街へ繰り出していった。
◇◇◇
赤旗館を出て街並みを眺めながら歩く。
ルカにとっても、エリナにとっても、初めて訪れる大きな都市だ。昨日いくらか歩いたとはいえ、まだまだ慣れないこともあり、その風景や雰囲気に多少圧倒されつつも、二人は街並みを楽しみながら、さながら散歩のように進んでいた。
バルディアという街は、大きく三つに分かれている。東にある領主の居城であるバルディア城、西にあるバルディア西砦と軍関連施設、そして中央から南にかけて、その両方に挟まれる形の一般街区だ。
一般街区とは言うが、これも場所によって性格が異なる。城に近い東寄りの区画は、貴族や官僚の住居だったり、そういった身分の者向けに商売をしている店が集まり、軍関連施設に近い西寄りの区画は、武器や防具を扱う鍛冶屋や職人の店を中心に、幅広く商店が集まっている。
そして北寄りの区画は役場を中心に宿、飲食店や酒場といった店舗が集まり、南寄りの区画が平民たちの居住地といった感じだ。
分かりやすく言えば、東が貴族街、西が商店街、北が役場と繁華街、南が住宅街、というところか。
また、メインストリートは一般街区の真ん中にある噴水広場を通過してバルディア城に向かってゆるやかにカーブしている。
ルカとエリナは東寄りの街区の中でも南の方に位置する赤旗館から、噴水広場を通って北側にある役場へ向かって移動していた。噴水広場は住民たちの憩いの場なのだろう。子どもの姿も多く、穏やかな空気が流れている。
「人も建物もすごく多いね。ブレーヴェ村はもちろんだけど、リヴィエナとも比べ物にならないや……」
そもそも一万を超える辺境の防衛軍を抱える都市である。兵士が一万いるのであれば、そこには彼らの家族やその生活を支える商店、行政を取り仕切る官僚など、他の様々な人々が集まってくるし、その人々すべてが生活するだけの住居や基盤があるということだ。人口が百人にも満たない辺境の村とは何もかもが違う。
「なんか圧倒されちゃうけど、王都はもっとすごいんだろうなぁ……」
辺境の防衛のためにある城塞都市ということもあり、都市全体としては武器や防具など軍人や傭兵を相手にする店が多いのだが、メインストリートや噴水広場の並びは、オシャレな飲食店や服飾雑貨の店が多く、先ほどからずっとエリナの目を楽しませている。
そんな中、店頭に飾られた、丈の短いワンピースに目を奪われ、エリナは思わず少しの間、足を止めてしまった。
見とれてしまっていることに気付き、エリナは慌てて少し先に進んでしまったであろうルカに目を向けた。
「……あれ? ルカ~?」
先ほどまで隣を歩いていて、自分が足を止めた分だけ先に進んでいるはずの彼の姿がない。
どこに行ったのかとぐるりと首を巡らせてみると、ルカは少し後方に立っていた。
エリナが足を止めるよりも前に立ち止まっていたらしい。
「……?」
彼は右手で頭を軽く押さえ、俯き加減のままその足を止めていた。
その表情はよく見えない。
「ルカ、どうかした?」
歩み寄って覗き込むと、彼は目を閉じ眉間に皺を寄せていた。
小さく頭を振って答える。
「いや、ちょっといきなり頭痛がして……うん、もう大丈夫。」
「ほんと? 熱があるとか体調が悪いとか、ない?」
エリナの知る限り、体調を崩すようなことはなかったが、護衛依頼ではあれこれと動き回ってはいたわけだし、何か疲れでも出たのかと心配してみたものの、ルカは「大丈夫だよ」と言って一笑に付してしまった。
「さぁ、役場はまだ先みたいだし、行こうか。」
本人の言う通り、もう何の痛みも無いのか、ルカは先ほどまでと変わらない笑顔でエリナを促すと、また役場に向かって歩き始めた。
「まぁ本人が大丈夫っていうなら、いっか。」
頭痛持ちかもしれないしね、などと独りごちながら、エリナはルカの後を追いかけていく。
二人は噴水広場からバルディア城に向かって伸びるメインストリートの大通りではなく、役場のある北へ伸びる通りを進んでいった。




