第五十八話 "Searing Aegis"
あれから二日が経った。
エリナがどのようにセオたちと話をしたのか、詳細までは聞いていないが一応話はついたらしい。
会って聞いておきたいところではあるが、当のエリナはリィゼたちと過ごす時間が多く、会うとなるとだいたい他の女性陣や護衛についているノア、他にも立哨の兵士なんかが近くにいることもあって、近づくことはできても込み入った話はできそうにない。
もしかするとバルディアに到着して他の皆と別れてからでないと話は聞けないかもしれないが、こればかりは仕方がないと諦めた。
隊列の方は、ヴァルグレン山脈の東側をぐるりと回り込むように整備された街道を通って、その先の森林地帯も抜けた今、目的地であるロイナー辺境伯領の領都バルディアまであと一日といった程度まで進んできている。
天気はすっかり回復し、スカッと晴れた青空の下、隊列は順調に進んでいた。とはいえ、馬車を失ったこともあり、二台の荷馬車に載せていたものを調整したり、携行可能なものは体力に余裕のある警備兵が担いだりと変則的な運用になっている。これはリィゼやミリアが乗るスペースを確保するといった目的のためで、それ以外は特に大きな問題も出ていない。
強いて言えば、昨日までは例の戦闘後の疲れからかリネットがダウンしてしまい、荷馬車で過ごしていたくらいだろうか。そんな彼女も今日からはいつものメンバーと共に、隊列最後方の部隊に混じって歩いている。
また、ミリアも大事を取ってリィゼのお世話を含め、ほとんどの仕事は取り上げられてしまっているが、こちらも随分と血色も良くなり、一人でも歩けるまでに回復していた。ところがルカの治療を受けたとは言え体力が落ちているというのを良いことに、天幕内では他の三人に楽しくお世話されてしまう事態になっているようで、時折天幕の外にはミリアの嘆きやら悲鳴やらが聞こえるとか聞こえないとか。哨戒のために野営地内を巡回している兵士たちは口々に「心臓に悪い」だの「心が持たない」だのと零しているのだそうな。
そんな風に少し雰囲気も緩んだ隊列の最後方、いつものメンバーがいつものように歩いていた。
「いや~、一時はどうなることかと思ったけど、何とかここまでこれたなぁ~。」
両手を頭の後ろで組むようにしながら、ユージンがぼやいている。
「ユージン、まだ気は抜けないんだぞ。それにバルディアに到着してからもやることはたくさんあるって分かってるのか?」
即座に突っ込んでくるのは真面目なイアンだ。
「うっせぇ。わかってるよ。」
つとめて明るく振る舞ってはいるのだろうが、実際のところ、事が事だけにルカたち傭兵組以外はバルディア到着後もあれこれと忙しくはなるだろう。
おそらく改めてセオたちからエディルについての聴取はあるだろうし、リィゼが王都に戻るための準備も必要だ。
失った分の人員補充も考えねばならないが、追加する人物の素性についても過敏にならざるを得ない。
そう考えると、今頃セオは到着後のことに頭を悩ませているのではないだろうか。
「あ、あの……」
皆が軽口を叩きながら歩く中、いつも通り皆に囲まれる形で周囲の警戒や索敵を行っていたリネットが、不意にルカに話しかけた。
「はい、どうしました?」
「えっと、今日野営準備のあと、自由時間になったら少しお時間もらえませんか?」
リネットの方を振り向いたルカが聞き返すと、リネットはおずおずといった感じで夕方に時間が欲しいと言ってきた。
どういうことだろうかとルカが首を傾げていると、リネットはその意図を話し出す。
「先日、咄嗟のことだったんですが、《風の封壁》で不思議なことが出来たので、一度見ていただいてご意見貰えたらと……」
そういえば、何やらエリナが興奮気味にそんなことを言っていた気がする。「なんかね、めちゃくちゃ熱い盾だったんだよ!」となんだか要領を得ない説明だったが。
どういうものかが分かれば、何かアドバイスができるかもしれないし、個人的にも興味はある。断る理由は無さそうだ。
「ええ、良いですよ。個人的にも見せてもらいたいですし。」
「ほ、本当ですか? よ、よろしくお願いします!」
期待にその赤い瞳を輝かせ、リネットが頭を下げた。
前から好意的に見られている印象はあったが、ミリアの治療を行って以降、どうも憧れとも尊敬ともつかない視線を向けられている気がして、少しむず痒い。
ルカ自身、自分が相当なことをやらかした自覚はあるので、感応術士でありながら自分に自信が無さそうなリネットからそういう風に見られるのはわからなくはないのだが、かといって嬉しいかというと少し違うわけで。
とはいえ、依頼達成となるバルディアまでの一日二日の辛抱だろうと、ルカは我慢することにする。
「わかりました。じゃあまた夕食後に。」
そういうとルカはリネットと反対方向に視線を向け、遠くの方を警戒するように頭を巡らせる。
心持ち二人の間に距離が開いたように見えた。なんというか、尊敬の眼差しが刺さってどうにもいたたまれないのだ。
リネットに見えない角度で苦虫を噛み潰したような表情になっているルカを、最後方を歩くアーヴはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら眺めている。
そうやって何とも言えない空気感漂う中、太陽は西の方へ傾き、隊列は今夜の野営地と定めた街道沿いの広場に止まった。
セオの指示の下、各々担当の準備作業に取り掛かり、ルカもこれまでの野営同様、ノアと野営地の周囲の状況を確認しながら石壁づくりを進めていく。
程なくして野営の準備が完了し、夕食が終わると、一部の哨戒担当の人員を除いては自由時間だ。
特に仕事のない者は各々思い思いに過ごしているが、ルカとリネットは野営地から少し離れた場所に来ていた。
「ルカさん、お時間とっていただいてありがとうございます! ……で、えーっと、これは一体……」
リネットが視線を巡らせると、何故かルカの他にエリナやリィゼ、セオ、さらにはノアまでもがこの場にいる。
「ぞろぞろとすまない。先日の報告の中で殿下やミリア殿、エリナ嬢からお前の感応術が何やら凄いとの話があったのでな。私も一度見ておきたかったのだ。」
ニカッと歯を見せて笑うセオの横で、エリナとリィゼはこくこくと頷いている。
「せめて我々だけにしたかったんですが、殿下がエリナ嬢と一緒にどうしても、と……」
「う、うぅ……」
一人ノアだけは申し訳なさそうにしているが、いずれにせよリネットにとっては想定外のギャラリーが増えてしまい、なんとも居心地が悪そうである。
「リネットさん、すいません。夕食の時に私がうっかり口を滑らせたせいで……」
夕食の時のこと、セオとノアに誘われたことから食事を共にしていたのだが、その際にリネットの感応術を見せてもらうという話をポロッと漏らしてしまったのである。
結果、それならば是非にとセオが食いつき、さらにセオがこのために野営地を少し離れる旨をリィゼに伝えたことで彼女が食いつき、芋づる式にエリナまでついてくることになったのだ。そうなるとリィゼの護衛にとノアも着いてくることになってしまい、総勢五人のギャラリーが集まってしまったのであった。
「でもエリナからはなにやら凄いらしいとは聞いていますので、せっかくですから皆さんにも見てもらいましょう。もしかしたら高評価を得られるかもしれませんし、ね?」
もうここまで来たらリネットには悪いが頑張ってもらうしか無いだろう。
ルカは少しでも彼女が落ち着けるようにと、つとめて穏やかに装いながら、笑顔で促した。
「うぅ……わ、わかりましたぁ……頑張ってみます……」
少し涙目のようにも見えるが、なんとかリネットはやる気になってくれたようだ。
ルカも心の内でホッと安堵のため息をつく。
「それで、早速なんですが、"《風の封壁》で不思議なことが出来た"と言われてましたけど、具体的に何が出来たんですか?」
やる気になってくれているうちに話を進めてしまおうと、ルカが水を向けると、リネットはルカ以外の面々の視線を気にしつつも話し出した。
「あ、えっとですね。前に《音波探査》の範囲を敢えて絞ってみてはどうか、という話があったじゃないですか。」
「えぇ、感応術の指向性を意識してみましょう、という話でしたね。」
ブレーヴェ村を出発した翌日の移動中に話していた内容だ。その話のあと、リネットは《音波探査》を通常通り使いつつ、後方だけなど一定の範囲に絞って使ってみるなどして、自分なりに訓練していたことをルカも覚えている。
「はい。咄嗟のことだったんですが、それを《風の封壁》でやってみたんです。」
基本的に《風の封壁》は自分や任意の場所を中心にした周囲全方向に向かって空気で作られた障壁を生成する感応術だ。
リネットは何らかの指向性か、それに近い考え方で感応術を使ってみた、ということらしい。
「前後左右や上などすべての方向ではなくて、"目の前だけ"に集中できれば、薄くて弱い私の《風の封壁》でもある程度攻撃を防げるんじゃないかと思って……」
「なるほど……《音波探査》も《風の封壁》も全方向に効果を発揮するという意味では同じなので、指向性の話はイメージしやすいかもしれませんね。じゃあ一度やって見せてもらえますか?」
「あ、はい!」
感応術を見せて欲しいと言われ、リネットは少し嬉しそうにしながら、ルカたちから少し離れて背を向けた。
「じゃあやりますので、見ていてくださいね。あ、あと前の方には出ないで下さい。ものすごく熱いみたいなので……」
肩越しにこちらを見て注意事項を口にすると、リネットはその両手を前方の虚空に向けて突き出した。
「(《風の封壁》なのに"ものすごく熱い"か……)」
エリナも言っていたが、リネットの言う"熱い"が一体どういったものなのか。
《風の封壁》と言っている以上、風や空気を扱っているだけのはずだ。
「いきます……」
リネットが集中しながら、大きく息を吸う。そうして少しだけ息を止めたあと、感応術の名を口にした。
「《風の封壁》!!」
リネットが感応術を発動した直後、一瞬だけ彼女の周囲にふわりと浮かび上がった風の障壁が、みるみるうちに突き出された両手の前に収束し、縦横一メートル程のひし形に結集していく。
暗がりではあまり良く見えないはずの風の障壁は、収束し結集する過程で赤く煌々と輝きだす。
よく見るとひし形の障壁は幾重にも重なっており、赤い輝きが眩しいせいもあるが、果たして何層重なっているのか、数えることも出来ない。
盾の手前、つまりリネット自身やその後ろにいるルカたちはさほど熱を感じないが、盾の向こう側は異常な高熱に熱せられた空気が揺らぎ、その先の風景が歪に揺らめいていた。
「こ、これは……凄いな……」
ルカがポツリと呟いた。エリナの説明があまりにも拙かったというのもあるかもしれないが、それを差し引いても想像以上のものを見せられたように思う。
その呟きが聞こえたからかはわからないが、リネットは感応術の維持をやめ、脱力する。
瞬間、バシュッという音と共に、赤い盾は圧縮された空気が解き放たれるように霧散し消えていく。
「はぁ~~……ルカさん、いかがでしたかぁ?」
短い時間だったとは言え、術の維持はかなり大変なのだろう。大きく息を吐き、額に汗を滲ませながら、リネットが振り返った。
「なんと言いますか、想像以上でした……」
「ほ、ほんとですか!?」
純粋に驚いたといった表情と言葉に、リネットは嬉しそうに笑ってみせる。
「ただ、よくわからないことがあって……」
「よくわからないこと、ですか?」
嬉しそうにして見せたあと、リネットは腕を組むと小首を傾げて考え込むようにしている。
「はい、使っているのは《風の封壁》ですし、風を操っているはずなのに、何故か赤く光って高熱を出すんですよね……」
確かに原理を知らない者からすると、風が熱を発する原因になるというのはイメージが結びつきにくいだろう。
ルカは先程リネットが見せてくれた光景を思い返し、すぐに事象の原因に思い当たった。
この世界の人々にはまだ解明されていない事象なのだろうが、概要を口にするくらいであれば、さしたる問題はないだろう。
「そうですね……あまり知られてはいないと思いますが、空気でも何でも"圧縮すると発熱する"って知ってましたか?」
「あ、いや、知りませんでした……」
旧時代の実験器具のようなものがあるわけではないので、どう説明したものかと思案する。
「まぁ言われてもよくわかりませんよね。じゃあこうしてみましょう。――《風の封壁》」
そう言いながら、ルカは両手を大きく広げてみせると、目の前に大きな風船のように《風の封壁》でできた球体を作り出した。
見た目上はわざと小さく作った《風の封壁》という感じに見える。直径はおよそ一メートルといったところだろうか。
「では、一度、この中に手を入れてみてもらっていいですか?」
ルカに促されて、リネットや他の面々が代わる代わる風の球体の中に手を入れてみる。
「どうでしょう。特におかしなことはないですよね?」
「ああ、ただ空気の膜に手を入れただけでしか無いな。」
セオが素直な感想を口にした。他の皆も特に違和感など無いようだ。
「では、これをこのまま、中にある空気を一切外に出さないように注意しながら効果範囲を少しだけ絞ります。」
そう言いながらルカは目の前の球体を両手を狭めるようにしながらギュッと少し小さくしてみせる。小さくといっても減った直径は十センチくらいだろうか。
「さて、もう一度中に手を入れてみてもらえますか?」
ルカの言葉を合図に、一人、また一人と手を差し出していく。
「うわっ! すごいあったかい。」
「た、たしかに……」
最初に反応を見せたのはエリナだった。続けて手を差し込んだノアも声を上げる。
特定範囲内にある物質、今回の場合は空気だが、それを周囲へ熱が発散しない状態で圧縮すると、加わったエネルギーは外に逃げずに内側に蓄積されるのだ。結果としてそのエネルギーが温度の上昇という形で表出する現象――それは旧時代に"断熱圧縮"と呼ばれていたものである。コンプレッサーで気体を圧縮した時に熱が出たりするのもそうだし、隕石が落ちる時に隕石前方の空気が圧縮されて赤く輝くのもそうだ。
「今はほんの少し圧縮しただけなのでこの程度ですが、強く圧縮すればするほどその熱量は大きくなります。それこそ強く発光するほどに。」
「そんなことがあるんですね……ミリアの友人が聞いたら飛びつきそう……」
リィゼが感心するように零した。後半は何やら特定個人を思い浮かべながらのようだが、ミリアもいなければその友人とやらは同行していないだろうし、誰なのかと問うこともしないが。
「リネットさん、あの赤い盾ですけど、いつもの《風の封壁》で発生する空気の障壁をすべて重ねて"その場に押し留めよう"としませんでしたか?」
「ぁ――」
どうやら思い当たる節があるのだろう。リネットが小さく声を漏らす。
エディルの攻撃を通すまいと自身が作り出した障壁をすべて重ねて並べ、強固な障壁になれと願い、すべてを一枚に纏めようと、あの時のリネットは確かに考えた。
「薄い紙一枚では何も防げなくても、何十枚、何百枚、何千枚と重ねれば、それは板になりやがて強固な"壁"になり得ます。それを風の障壁でやろうとしたんでしょう? しかも障壁一枚分の領域に発生した障壁をすべて押し込もうとした。扱ったものは風ですが、極端に狭い範囲に短時間で無理やり押し込んだのであれば、強く光り、異常な高熱を生み出したのも理解できます。」
「なるほど、リネットの術の制御が特別なのではなく、なるべくしてなった現象、ということか……」
右手で顎先を撫でるようにしながら、セオが少し納得するような表情を見せている。
リネットが見せたものが風と火を合成したりするようなものではなく、シンプルに風を操った結果副次的に発生した熱だということを理解したのだろう。前者であれば感応術士としての技量が飛び抜けて高いということになるが、後者であれば感応術士としての技量で再現した部分とそうでない部分が渾然一体となったということになる。ただ、そもそも複数の系統を扱う感応術士などかなり少ない上、合成するような使い方ができる感応術士など確認されていない。
ルカのように複数同時発動をこなせればその目もあろうが、その件は他言無用ということになっている。
「あぁ、すまん。この言い方だとリネットの術が大したことの無いように聞こえてしまうな。現象の原因が何であれ、既存の枠を超えて何かを成すというのは、どのような物事であっても簡単では無い。お前は既存の術を独自に昇華させた結果、ただの防壁から相手に損害すら与えうる強固な盾を得たのだ。そしてそれで殿下や己の身を守った。称賛に値すべきだし、お前自身も胸を張るべきだ。」
「ええ、私もそう思います。おかげで殿下は守られ、私たちが駆けつけるきっかけを作れた。本当に素晴らしい術ですよ。」
セオとノアからの心からの称賛を浴び、一瞬呆けたような表情になったリネットの赤い瞳がみるみる潤んでいく。
大した障壁も作れず、できることといえば索敵者として最低限の役目である《音波探査》での探査のみ。自分に自信など持てるわけもなく、ただ必死に役目をこなすだけだった自分が、独自の感応術を生み出し、周囲の役に立つことができ、讃えられるようなことになるなんて。
リネットの目尻から雫が零れ落ちそうになるのを堪えていると、リィゼが隣にやってきて優しく抱擁していた。
「褒められて当然です。皆を守った素晴らしい力ですもの。」
「はい……えへへ……」
二人の横へ寄り添うようにエリナも歩み寄って、三人で微笑み合っているのを眺めながら、男性陣三人も頬を緩めていた。
リネットが成長し、それを実感できたことも、三人が年相応の様子で寄り添っていられることも、何より彼女たちが誰一人欠けることなく助かったことも。
本当に良かったと心から思う。
「ではせっかくですし、術には新しい名前をつけましょうか。」
「……ぇ?」
突然のルカの提案に、リネットが素っ頓狂な声を上げる。
「いや、でも《風の封壁》ですし……変えてしまったらうまく発動しなくなるんじゃ……」
「そんなことはありませんよ。そもそも術の発動はイメージに合っていれば"なんでもいい"んですから。」
「「「はぁ!?」」」
ルカが何の気なしに言った言葉に、周囲から驚きの声が上がった。
どうやら世間一般では感応術の発動のための言葉は変えられないもの、と思われているようだ。
「いやいや、そもそも最初の感応術を使った人や新しい感応術を作り出した人が、最初から正解の名前を知っていたとか、導き出していたなんて、考えにくいでしょう?」
「そ、それはそうですが、術の名前と発生する効果は決まっているものと感応術の先生も仰っていましたし……」
ルカはさも当たり前のように説明するが、リィゼは自身についている感応術の師からそのようには聞いていないらしい。
「要は術を使う時に何をしたいのかちゃんとイメージできていればいいんですよ。同じ名前でも効果範囲や威力、発動する場所なんかを変えられるんですから、逆に名前を変えても同じ効果範囲や威力、発動する場所を設定することもできるはずです。ですから――」
ルカは説明を続けながら皆から少し距離を取り、背を向ける。
左手を大地にかざして、この数日皆が散々目にしてきた感応術を発動させる。
「《石壁》!」
ルカの左手が翳された先に小さな石壁が迫り上がった。
そしてルカは右手を大地にかざし、続ける。
「壁よ」
先ほどとは全く異なる言葉。ただ壁を呼びつけただけのようにも聞こえる。
他の面々の常識では、何も起こらないはずだが、ルカの右手が翳された先には、左手側同様に小さな石壁が迫り上がる。
大きさも形も、もっと言えば発動速度も、特に大きな違いは何も見受けられない。
「……ほ、本当に? ルカ、すごい……」
後ろの方でエリナが呟いているのが聞こえた。
ルカがくるりと振り返ると、皆一様に驚いた顔をしているのがわかる。まぁちょっとやらかしたような気がしないでもない。
ただルカ自身、この面子に限って言えばまぁいいんじゃないかとちょっと思っていたりする。
「こんな感じです。感応術は術士のイメージを具現化する能力みたいなものですし、イメージと紐づけられれば言葉は違っても大丈夫なんですよ。ただ、術の名前と効果に何の関連性もなかったりすると、うまく術をイメージしづらくなるので、効果が弱くなったり、最悪発動しなくなったりしますけどね……というわけで、リネットさんの術もそれらしい名前にしちゃいましょう。」
本当は再現する事象の本質を理解することが大事なのだけれど、という部分は飲み込んでおく。残念ながら説明してわかるようなものでもないのだから仕方がない。
ルカが笑顔で促すと、そこからは皆で顔を突き合わせ、あれが良いだのこれが良いだのと、特にリィゼとエリナが中心になって新しい術の名前を考える会議が始まった。
リィゼもそうだが、それなりに学のあるセオやノアはしっかりとした意見を述べてくれるので、意外にも早くに候補は絞り込まれていく。
ちなみにリネットは恐れ多いやら恥ずかしいやらでずっと恐縮しきりの様子だった。
「じゃあ《灼空の封盾》ってとこでどうでしょう?」
「空を焼き切り邪を封じる盾……いいじゃない!」
「そ、そんな大層な名前……」
勝手に盛り上がって決められてしまった名前に、リネットはオロオロしているが、リィゼはお構いなしだ。
「実際に鋼の剣を溶かした程なんだから、いいんじゃない?」
「そ、そうでしょうかぁ……」
エリナにまでやり込められてしまい、困ったような照れたような何とも言えない表情でリネットは少し垂れた目尻を更に下げていた。
「あ、そう言えば、大丈夫だとは思いますが、その術を使う時は攻撃を防ぐというか、押し返すようなイメージを忘れないようにしてくださいね。」
「……?」
唐突にルカに念押しされ、リネットは小首を傾げてこちらを見ている。
わからないのは仕方が無いが、幾重にも重ねられた風の障壁は"空気の層"だ。内側から外側へ"押し出す"ことで圧縮された外側に高熱が発生する。
ある意味内側は風の障壁を押し込んでいる途中になっていて"空気の層"が断熱材の代わりになっているのだ。
「単純にその場で風の障壁を圧縮してしまうと、発生した高熱が自分の方にも来ますよ?」
「ひっ……!」
空を焼き切るだの、実際に金属を溶かしただのと持て囃していたそれが、扱いを誤ると自身にも牙を剥くと言われ、女子三人は一斉に顔を引きつらせる。
そこへ、落ち着いた様子でありながらも力強い調子でセオがリネットに話しかけた。
「しかし、守りながら敵にダメージを与えられるという意味では、ある意味守り手としては強力な盾だ。なんとしても使いこなせるように精進してもらいたい。リネット、頼むぞ。」
「……はい! 必ず!」
強い期待を込められた眼差しに、リネットの背筋が伸びる。
呼応するかのように発せられた声は、いつもの気弱なリネットらしからぬ自信に満ち溢れたものであった。
その後、程なくしてこの場は解散となり、それぞれが自分の天幕なりに戻っていく。
「ルカ殿。」
その姿を眺めながら、自分も割り当てられた天幕へ戻ろうとしたルカを、セオが呼び止めた。
他の皆はセオの声が聞こえなかったのか、特にこちらを気にすることなく進んでいく。
「セオ殿? どうかされましたか?」
振り返ってみると、やけに真剣な表情をしてセオが立っていた。ルカは怪訝そうな表情を浮かべ、何事かと問いかける。
一瞬逡巡するような表情を見せたが、すぐにもとの真剣な様子に戻ったセオは、改めてルカに向き直った。
「良ければこの先王都まで共に戻り、王家に仕えてみないか?」
「……セオ殿、本気ですか?」
突然の申し出に、ルカは思わず冗談なのではないかと疑ってしまう。
出会って十日も経たない、出自のわからぬ男を招聘し仕官するように勧めるなど、正気の沙汰とは思えない。
「そもそも例の行動監視しようとしている相手の話もあります。手元に置くにはリスクが高すぎるでしょう?」
「いや、貴殿の能力や知識を鑑みれば、リスクを取っても十分に釣りがくるような気がしてならんのでな。」
ルカが懸念を口にするも、セオはそれすら織り込み済みであるという。
流石に評価しすぎではないかと思うが、他言無用を願い出ているあれこれのことも含めれば、殿下の護衛としてはリスクでも、国家としては必要な人材だと考えたのかもしれない。
だが、ルカにも目的がある。セオやノア、彼らが主君と仰ぐリィゼが善人であることはわかるが、おいそれと要請に応じることはできない。
「高く評価いただいたことは身に余る光栄なことではありますが、私は世界各地を回らねばなりません。それが何故かは私にも良くわかってはいないのですが……」
「ふむ……相応の地位や報酬は約束するが、それでもか?」
ありきたりではあるが、やはりまずは地位と金を提示するのはいつの時代もかわらないようだ。
だがルカが旅をするのはそこを求めてのことではない。
「ええ、金が欲しくて旅をしているわけではありませんので。ですが……」
なんとなく、だ。
良い国で、居心地が良くて、数少ない出会ってきた人たちも心根の善い人が多くて。
もしかするとこの先もっと良い国や居心地の良い場所があるのかもしれないが、自分がこの時代この国で目覚めたのも何かの縁のような気がして。
だから――
「すべて終わったら、この国には戻ってきます。そうしたら色々と手伝わせて下さい。と言っても仕えるってのは柄じゃないので、外からにさせてもらいますが。」
と、ルカは答えた。
まだそんな未来を思い描くことがどうにもできないが、アリスの依頼をこなし、"妹"を迎えに行ったら、帰ってくる場所がこの国だというのも、ちょっとはモチベーションに繋がる。そんな気がするのだ。
「なるほど、振られてはしまったが、この国に帰ると言ってくれるのであれば、まぁ良しとしておこう。」
小さくため息をつくと、セオは食い下がることもなく、野営地の方へ向かって歩き出した。
そうして立ち止まっていたルカの隣を通り過ぎるその時、少しだけ足を止め、肩にポンとその手を置いた。
「残り短い時間ではあるかもしれんが、その間リネットにいろいろと教えてやってくれ。自信のないところが玉に瑕だが、伸びしろがあるような気がするんでな。」
「ええ、彼女の伸びしろについては、私も同じように感じます。微力ながら協力させていただきます。」
「……頼んだ。」
そこまで言って、セオはルカの肩から手を離し、悠然と立ち去っていく。
彼にとってリネットは直属の部下ではないが、上官として、指揮官として、少しでも若手が育ってくれればと願っているのであろう男の背中を、ルカは眺め続けていた。




