第五十七話 交渉したいこと
翌朝、エリナはセオたちの天幕を訪れていた。
昨日は一日中大変で、心身ともに疲労困憊と言っても良い状態だったし、できるだけ長く布団に潜っていたかったのだが、ルカのことだけは早めに話を通しておきたかったからだ。
左足もまだズキズキ痛むし、身体中が筋肉痛で、倦怠感が酷く、さらには強打した部分が内出血で鈍く痛むのだけど、なんとか頑張って早起きした。
「――で、ルカ殿の話とは何かな?」
天幕の奥、執務用に置かれた机の向こうで椅子に腰掛けたセオが、問いかけた。
右手にはノアもいる。
「はい。昨日の会議で話していたルカの行動を監視しているのはだれか、という話についてなんですが……」
「君はその相手を知っているのか?」
エリナが切り出した話題に、セオは求めていた答えを期待するような眼差しをエリナに向けた。
「いいえ。知っているという話ではないんです。ただ……ルカが答えられなかった理由について、私の推測をお伝えしておこうかと思ったので。」
「答えられなかった、とはどういうことでしょう? 特定の相手や組織が思いつくかどうかという話ではないのですか?」
エリナの言うことにノアはいまいちピンとこないようで、訝しむように首を傾げている。
「ノア、質問はあとだ。まずはエリナ嬢、君が我々に伝えようと思ったことを話してくれ。」
今このタイミングで頭を捻っても意味はない。セオは即座に頭を切り替え、エリナに続きを促した。
「はい……」
エリナの表情にうっすらと緊張の様子が見える。
ルカを監視しようとしている相手は、おそらく今後もリィゼへ何らかのアプローチを行うだろう。少なくともセオたちはそう見ている。
であれば、黒狼の側の調査でわかる可能性があるとは言え、それとは別にルカからも情報が得られるものなら得たいはずだ。
だが、実際問題として、ルカから情報が出せない以上、セオたちにはある意味で"諦めてもらう"必要がある。
そのために、ルカの事情をうまく避けつつ、情報が出ないと分かってもらうための方便を、エリナは考えてきた。
「ルカが昨日答えられなかったのは、おそらく彼がブレーヴェ村を訪れる前、たぶんかなり最近だと思うんですけど……ある時点より前の記憶が無いんだと思います。」
ノアが怪訝そうな表情になったのがわかる。
「それは……記憶喪失、というやつですか。たしかに症例を聞いたことはありますが……ルカ殿がそのように言っていたのですか?」
「いいえ、彼がそう言っているわけではありません。ただ、幅広くいろいろと知っていて頭はいいのに、一部の常識的なこと、村や町、食材などの名前など、知識がまばらに抜けているんです。他にも一緒に過ごしている時に、私や兄夫婦が昔の話をしたりしてたんですが、彼自身の昔の話は、二、三か月前のものまでしか出てこなくて……」
エリナが口にしたのは、ルカに記憶喪失、もしくは記憶障害の疑いがある、という疑念だった。
もちろんルカが記憶喪失だということはない。だが、頭はいいのにちょっと抜けていることがあるとか、昔のことは一切口にしないこととか、そういったところは"疑わしい症状"として見えなくもない。
「本当に記憶喪失かどうか、聞く話だけでは判断がつかんな。」
「そうですね。」
セオもノアもまだ懐疑的だ。たしかにエリナが言っていることだけでは、記憶に問題があるというには弱い。
実はこの"言い訳"をルカに耳打ちしたあと、ルカにも指摘されたことだった。
だから、少し違う角度から自分の考えを補強し、押し通せるレベルまで持っていかなければならない。
それもルカと相談し、ちゃんと考えてきた。
「確かに私もそれだけなら大して気にもしないんですが……ただ、セオ様もノア様も、ルカが感応術を複数同時に使えることや、明らかに高度な独自の術を使うことはご存知ですよね?」
「えぇ。信じられませんが、目の前で実際にその様子を見てしまいましたからね。私が見たのは《膂力強化》と《敏捷性強化》、あと《風爆》の三つの同時使用でした。」
ノアは感応術の複数同時使用について口にした。これまでの自身の常識を覆されたわけで、印象も強かったのだろう。
その様子を確認し、エリナは続ける。
「他には《石壁》の乱発や細かい制御、あと私は現場を見ていませんけど、ミリアさんを救ったのもルカ独自の感応術、ですよね?」
「あぁ、あんな感応術は見たことも聞いたこともない。ベルゼア教の関係者でも居ようものなら神の御業と囃し立てるだろうな。だが、それがどうかしたのか?」
セオが口にしたのはルカがミリアに対して使った独自の感応術についてだった。こちらもかなり強い印象を与えているのだとわかる。
エリナが何を言わんとしているのかと、騎士二人は訝しんでいるが、エリナは構わず続けた。
「実はルカと出会ってから、彼は私の目の前で、何度も当たり前のように術を複数同時に使ってるんです。驚いて何故できるのか聞いてみたんですが、ルカはそれが驚かれるようなことだと知りませんでした。普通に生きていれば、私のような辺境の村の村娘ですら知っているようなことを知らない……でもルカの感応術士としての能力は、素人の私からみてもわかるくらいに高い。なら、隠れていたのに何かがあって記憶を失ってしまって、放浪していたんじゃないか、って。」
「確かに、感応術を同時に複数扱えるなら、様々なところから声がかかるだろう。少なくとも感応術師団は放っておくまい。防性術で身を守りながら敵陣に突っ込み攻性術を放つ、なんてことが現実として出来てしまうからな。一度その存在が知られてしまえば、たちまち彼の争奪戦が始まり、結果、敵勢力からは暗殺のリスクを負い続けることになる。そう考えると、隠れ潜んでいた可能性は高そうに思えるな……」
「(暗殺のリスク!? そうだ……奪い合いに負けた側からは邪魔者になるから……)」
セオの口から語られたのは軍属の人間らしい考えだった。
ノアも同じ意見なのか、小さく頷いている。
しかし、話の方向性自体はエリナの狙った方向ではあったものの、彼女自身「暗殺のリスク」までは頭が回っていなかった。
エリナはルカからの情報を記憶喪失のせいにして、セオたちに"諦めてもらう"だけのつもりだった。
どこかで「記憶が戻ったら伝える」ということにしておけば、急場は凌げると考えていたのだ。
だが目の前にいるのはまさに軍属の人間。ルカと自分がこの先予定通りに旅を続けるのであれば、それはすなわち彼らが"暗殺を計画する側になる"という可能性を孕むことになる。セオやノア、彼らの主君であるリィゼの人となりを考えれば、そんなことを考えることはなさそうだが、その周囲にどのような人物がいるのかはわからない以上、危険性を無視するのは得策ではない。
「なるほど、そうなるとルカ殿の行動を追っているのは、隠れ潜んでいた時の関係者という可能性が高そうですが……その前提に立つと、やはりルカ殿がご自身の能力を隠そうとする考えがなかったというのは、エリナ嬢の推測を裏付けているとも取れますね……」
「あ、あの!」
焦りが出たのか、少し上擦った声が出てしまった。
記憶喪失の話で押し通せるなら、セオたちとの会話で狙っていた落とし所を、何とか少し変えたい。
「エリナ嬢?」
「今までの話を前提とするなら、なんですが……ルカのこと、今は見逃してもらえませんか? もちろん、ルカが何か思い出した時には、真っ先にセオ様にお伝えするようにします。なので、私の分の報奨金、それを辞退する代わりに私にネクサバードを一羽、登録することを認めてください!」
エリナが深く頭を下げた。
ネクサバードは自由に遠くとやり取りすることができる手段だ。
だが、それは同時にエディルのように裏でのやり取りにも使えることから、どの国でも使い手に登録を義務付けていた。
これの所有と登録を認めてもらえれば、どこにいてもセオたちに情報提供が可能になり、彼らがルカを手元に置いておくための口実を一つ減らせる。
あとはルカと自分がリィゼの側にいると理解してもらえれば、彼らは分かってくれるはず。エリナはそう考えた。
セオもノアも、他の人たちも、皆理解あるいい人だと知っているからこそ、エリナは変な小細工無しに真っ直ぐ頼み込むことを選んだ。
「なるほど……エリナ嬢、君は彼を守るために自分が間に入ると、そう言うんだな?」
覚悟を問うているのか、セオは目を細めながらエリナを見据えている。
「軍に籍を置く者としては、情報源としても戦力としても、すべて却下して彼を取り込んでしまうのが正解なのだが……」
「――っ!」
「まぁ、それはあくまでも"普通の場合"だ。ルカ殿の能力は優秀どころか、もはや"異質"……無理に取り込もうとして取り込めるものでもあるまい。それならばできるだけ良好な関係を築いておいて、相手側に回られないように立ち回るのが得策だろう。」
セオは執務用の品々が入っているであろうケースから、筆記具と紙を取り出し、サラサラと何かを書き始めた。
「一つ、条件を追加させてもらおう。いついかなる時であっても、君が"リィゼ王女殿下と敵対しない"こと、だ。まぁ、拘束力のある条件とは言い難いが……彼とも良好な関係を築けているようだし、君が常に殿下の側に立ってくれるのであれば、そうそう彼が敵側に回ることも無いだろう。仮にそうなったとしても、事前に情報共有さえしてくれれば、対策は取れる。どうかね?」
そう言って紙面にエリナへのネクサバード所有と登録を許可する内容をしたためると、最後に自身のサインを書き込み、執務机の上でくるりと百八十度回してエリナに見えるように置いた。
その内容を確認するように促してみせる。
「は……はいっ! わかりました! ありがとうございます!」
エリナがもう一度頭を下げる様子を見たセオは、紙面を手早く封筒に入れて封蝋で封印を施した。
「では決まりだな。バルディアに着いたら役所へ行って、報奨金の受領と併せてこれを提出するように。」
セオは椅子から立ち上がると、エリナへ歩み寄り、手に持って封筒を差し出した。
「えっと、報奨金の代わりにネクサバードを、ということだったのでは……?」
封筒を受け取りながら、エリナは報奨金という言葉に小首を傾げる。
そんなエリナに対して、騎士二人は笑顔を見せた。セオに至っては珍しく声を上げて笑っている。
「ハッハッハ! 君は王女殿下の命の危機をその身をもって守った恩人だろう? これでも私たちは言葉にならぬほど感謝しているのだよ。立場上譲れないこともあるが、殿下の恩人であり、その"友人"でもある君から報奨金を巻き上げるような真似はせんさ。難しいこともあるだろうが、末永く殿下の御心に寄り添って差し上げてくれ。」
普段は真面目で、自分でも堅物だと言ってのけるセオが豪快に笑い声を上げるのも珍しい。
少し驚きはしたものの、自分の働きのこともリィゼの友人という立場も、いくらか認められたような気がして、なんだかむず痒い。
「……はい。こんな私ですけど、精一杯頑張ります!」
エリナは少し照れつつも封筒を胸に抱えるようにしながら、天幕の入口まで進むと、くるりと振り返った。
そうして二人にもう一度頭を下げると、満面の笑顔で天幕を出ていった。
エリナが出ていく様子を見送ったノアは、その足音が遠のくのを確認し、セオの方に向き直る。
「隊長、どうされますか?」
ゆっくりと椅子まで戻って座り直したセオは、ノアの方へ視線を向ける。
「先ほど彼女と合意した通りだ。彼女に仲介してもらう形でルカ殿から情報が出れば共有してもらう。とはいえ、警戒を弱めるわけにはいかん。バルディア到着後もしばらくの間は、うまく依頼や予定を絡めて目の届く範囲に留め置けるように調整することになるだろう。流石にいきなり自由にはしてやれん。」
エリナへの言葉に嘘はないが、ルカを監視する者についての情報が皆無であることに変わりはない。
エリナやルカには知られぬ形を取りつつも、ある程度はこちらの影響下に置けるようにはしておく必要がある。
そうしてある程度時間を掛けることができれば、エリナやルカとの関係性を今以上に良好にすることも可能になるだろう。
「わかりました。ではバルディアでの滞在用の宿と晩餐会を手配して、しばらくバルディアに留まってもらいましょう。」
「流石は優秀な副官殿だな。手配の方、頼んだ。」
「はっ!」
セオの指示を受けたノアは、バルディアへ手配内容を連絡するため足早に天幕を出ていった。
そもそも隊列には索敵者の一部など、エディルのようなもぐりではない正規のネクサバードを扱える者が帯同している。
ノアが向かったのはその担当者のところだろう。
「バルディアに着いてからも忙しくなりそうだ……」
少し疲れた表情で独りごちながら、セオは執務机の上を片付けると、自身も今日の移動のための準備に取り掛かるのであった。




