第五十六話 夜の岩場で
会議が終わって半刻ほど経った頃、俺は野営地の外側、十数メートルほど離れた岩場にある大きな岩の上に腰掛けていた。
野営地の方を眺めながら、何をするでもなく、ただ座っている。
野営地の外縁部には、哨戒担当になっているイアンとライナスが周囲を警戒しながら歩いているのが見えた。
もちろん俺が野営地の外にいることはイアンたちに連絡済みだ。時折こちらを見ては、無事を確認しているのが見て取れた。
「はぁ……」
重いため息が漏れた。心臓の辺りに重しが乗ったような感じがする。
ため息の理由はさっきの会議だ。
行動監視を依頼したのは何者か。まったく思いつかないし、その意図もわからない。
そもそも俺の存在を知っている者自体、この世界では文字通り「指折り数えるほどしかいない」はずなのに、誰が自分の行動を追っているのか、気持ち悪くて仕方がない。
しかもその監視の依頼が、俺が行ったこともない王都で、騎士であったエディルの元に届いていたというのがさらに頭の中を混乱させていた。
「(一体誰なんだ……)」
空を仰ぎ見ても、星も月も見えない曇天が広がるばかりで、まるで自分の心模様のように見える。
「はぁ……」
「なにため息ついてんの?」
空に向かって二度目のため息をつくと、岩の下から少女の声がした。
視線を落とすと腰に手をやり、こっちを見上げているエリナがいる。
「どうした? フィリス様……いや、王女殿下だったんだな。あっちにいなくて良かったのか?」
会議のあと、リィゼ本人から自身が王女であることを打ち明けられ、隠していたことを謝罪されていた。
フィリスという名前は身分を隠す時の偽名らしい。
エリナには先んじて話をしていたようで、これ以上隠す意味はあまりないから、とのことだった。
「うん。誰かさんの様子が会議の途中からおかしかったからね。様子見てくるって言ってきた。なのに天幕に行ってみたらアーヴはいびきかいて寝てるし、ルカはいないしで、哨戒してたイアンさんに聞いてみたらここだって教えてくれたんだよ。」
「あのなぁ……野営地の外だぞ。危ないだろ。」
「その危ない野営地の外に一人で出てたのは誰よ。どうせ自分で周囲を確認してるんでしょ?」
「まぁな。流石に何もなしってわけにはいかないし。それでもだ、足場が悪いんだから杖ついてるやつが来るところじゃない。」
森の中ではないが、茂みや岩が点在していて、見通しがいいわけではない。
大小さまざまな石が転がり、地面も平らではないのだから、杖をついて歩くのは一苦労のはずだ。
「そんな杖をついてる美少女を立たせたままにしてるのは誰かしら? 早く座らせて欲しいなぁ~」
「……自分で美少女って言うのかよ。」
仕方なく一度岩から飛び降り、エリナを抱きかかえてから《旋揚》で岩の上に戻る。
「へぇ~、ちょっと視点が高いから、眺めもいいね。」
「そりゃ良かった。」
エリナを座らせ、その隣に腰掛ける。
二人並んで座ったまま、少しの間言葉を交わすことなく、静かに過ごす。
「で? 私の命の恩人さんは、何を悩んでいるのかしら?」
不意にエリナが口を開いた。
会議の途中、エディルが俺の行動を監視しようとしていたと分かってから、すぐ隣でエリナは俺のことをずっと見ていた。
どう思っているのかはわからないが、彼女は俺の様子がおかしいと気がついていたんだろう。
少し言葉を選ぶように考える素振りをしながら、エリナが言葉を続ける。
「やっぱり"行動監視"の話? 誰が監視を依頼したのかわからないと気持ち悪いもんね。」
「……」
膝を抱えるようにして座り、抱え込んだ膝に頬を乗せるようにして、俺の顔を見る。
何と言えばいいのか、言葉が出なくて、口を真一文字に結んだまま、俺は答えなかった。
「それとも、誰にも……私にも言えない、ルカとアリスの秘密が関係してたり……する?」
瞬間、ドキリと心臓が跳ねた。エリナが踏み込んできたことに、内心焦る。
「(勘がいいなぁ……)」
そう、確かに旧時代の話は"行動監視"の話とある意味無関係ではない。
「私だけなら、話せたりしない? もう片足突っ込んでるわけだしさ。」
「……」
話したところで何も解決はしない。ただ「わからない」という事実を二人で共有するだけにしかならない。
それに話すことを躊躇う理由は別のところにあった。
この話をするには俺の生まれに近付くことになるからだ。
エリナには明言こそしていないが、俺が旧人類であり、今の新人類とは違うということに彼女は気づいている。
それが本当のことであると確信を持たれるのはまだいい。
だが、旧人類の生体情報を元に今の時代に「創り出された生命」だというところは、できればまだ知られたくない。
頭の中でぐるぐると考えていると、多分相当酷い顔をしていたのだろう。
エリナは一瞬辛そうな表情をした後、視線を雲に覆われた空へ移し、足を投げ出した。
上空の風が強いのか、雲がほつれて少しだけ夜空の星が垣間見える。
「私ね、今日は今までの人生で一番濃い一日だったと思う。貴族の人たちと朝を迎えて、襲撃から逃げたと思ったら裏切り者と戦うことになって、殺されそうになったところを誰かさんに颯爽と助けてもらって、死の間際にいる人が奇跡みたいに助かって……そして王女様とお友達になって……」
一つ一つ、色濃くというにはあまりに濃密すぎる今日の出来事をエリナは並べていく。
「本当にすごいと思わない? もうここまで来たら、一つや二つびっくりすることが増えたところで大丈夫。どーんと来いって!」
「はははっ……随分と心配してくれるんだな……」
寄り添ってくれることは嬉しいし、笑って返してみたものの、多分あまりうまく笑えていないと思う。
「当たり前でしょ。私はね、ルカに沢山助けられてここにいるんだよ。今日はもちろん、村でも、サテライトでも……」
投げ出した足をぶらぶらと揺らしながら、エリナが続ける。
「本当に沢山、助けてもらってばっかり。でもそれって……悔しいじゃない。」
「エリナ……」
手を膝の上で握りしめる。少しだけ、スカートの裾に皺が寄った。
「助けられてばっかりは嫌なの。これから一緒に旅して行くんだから、ちゃんと私も助けになりたい。」
「そうか……」
「全部じゃなくていいから、少しだけでも教えて。ね?」
刹那、雲の隙間から覗いた月の光が照らしたのは、月下で風になびく向日葵のような、明るくも優しいエリナの笑顔だった。
胸の奥の柔い部分をそっと撫でられたような、悲しくもないのに涙してしまうような、そんな何とも言えない不思議な感覚に襲われる。
「はぁ……少しだけ、だからな……?」
今日一日を通して、心身ともに疲れていたのもあったのかもしれない。
少しだけ、話してしまってもいいかもしれないと、思ってしまった。
「ふふっ……わかった。少しだけ、ね。内緒話だから、《風の封壁》で盗聴対策しないと!」
何やら楽しくなったのか、嬉しくなったのか、上機嫌になったエリナに急かされ、俺はごくごく弱く《風の封壁》を使い、周囲に会話が漏れないように風の膜を張る。
その様子を見届けたエリナは、身体を少しこちらへ向け、話を聞く体勢になっていた。
「言っとくが大した新情報は無いぞ。」
「んー、まぁどこまで話すかは、ルカ次第だしね。」
やっぱりあれこれと話すことはできない。
ただ、今の状況に関係する部分は話しておこう。
「"行動監視"の話の前に、エリナが知っている俺の知り合いは全員言えるか?」
「ルカの知り合い? 私の他だと、アリス、アーヴ、リサ、兄さん、お義姉ちゃん、陽だまり亭と役場の関係者、あと今一緒にいる人たち。知ってるのはそこまでだけど……」
「……それが全部なんだ。」
「え? どういうこと?」
目を丸くするエリナ。当然の反応だ。
「俺が生まれてから知り合った人は、今エリナが言った人たちですべてなんだよ。」
「いや、そんなわけないでしょ? 村に来る前に居た場所とか、旅の途中で出会った人とか……」
「そんな人は、いないんだ。」
わけがわからない、といった表情になっているエリナ。
気持ちはわかるが、事実だ。
「ブレーヴェ村に着く前は、とあるサテライトみたいな施設に、生まれてからずっといたんだ。そこに居たのは俺とアリスだけで、サテライトを巡るためにそこから出てきたんだよ。そのあと初めて辿り着いた場所がブレーヴェ村なんだ。途中一晩だけ野営した時、たまたま出会ったのがアーヴで、村に着いてからはほとんど一緒にいたからだいたいわかるだろ?」
「いや、言ってることはわかるけど、ご両親は?」
「両親は……」
予想された質問。この質問は少し答えづらいが、避けられるものでもない。
かといって事実も口にしづらくて、少し濁して答える。
「……もういないよ。施設の中で亡くなってる。」
遠い昔に、という言葉は飲み込んだ。
「そっか……」
エリナが申し訳なさそうな表情を浮かべるが、問題はそこじゃないし、自分の生まれについては、あまり触れられないようにしておきたいので、話題を先に進める。
「まぁそこは気にしなくていい。それより"行動監視"の話を思い出してくれ。この世界で俺のことを知っているのは、さっき挙げた人しかいないはずなのに、誰が何の目的で"行動監視"するんだ?」
「……あっ!」
俺の言わんとすることが分かったのだろう。エリナの目が見開かれる。
「わかっただろ。誰もいないんだよ、"行動監視"したがる人も、エディルと接点がありそうな人も。」
「えっと、待ってね。ちょっと考える……生まれてからずっとサテライトっぽいところに居たってのもびっくりだしちょっと信じられないけど、それが本当だとして……うーん……誰も居ないなぁ……」
「だろう? だから本当に心当たりが無いんだ。しかも俺を知ってる人が少ない理由に至っては突拍子もなさすぎてセオ殿たちに説明しようがない。」
生まれてからとある施設に引きこもってたので、誰とも知り合うことなくこの年になりました、などと言ったところで、事実を知っているアリスと、実際にサテライトに入り、俺とアリスから旧時代の話を聞かされているエリナ以外に、誰が信じられるだろうか。
「ほんとだね。そのまま説明してもセオ様たちは信じてくれないだろうし……」
説明できない、信じてもらえない、それだけならまだしも、下手をするとエディルの関係者では無いにしろ、要注意人物扱いされてしまうかもしれないと思うと、頭が痛い。
眉間を押さえながらため息をついていると、エリナが唇に指を添えるようにして、話し出した。
「うーん……セオ様たちって、ルカが術を複数同時発動できるって知ってるんだよね?」
「うん? そうだな。ノア殿と王女殿下、リネットさんは実際に見てるし、セオ殿やミリアさんあたりは報告されてると思うけど……」
「じゃあ何とかなるかも。えっとね――」
《風の封壁》の範囲内にいるのだから、外に声は漏れないのだが、エリナは楽しそうに思い付いたことをルカに耳打ちする。
「――って感じで明日の朝、私からセオ様に話しておくから。話、合わせてね!」
若干無理やりな気もするが、強弁できなくもなさそうだ。少なくとも、事実よりは。
楽しそうにしているエリナに、毒気を抜かれたようになってしまった俺は、小さなため息と共に、この悩みの解決を明日のエリナに任せてしまうことにしたのだった。




