#9 ただいまの絵
病院の白い廊下を、僕は静かに歩いていた。
昨日、翼のお母さんから連絡があった。
「手術は無事に終わったわ。少しだけど、面会できると思うわよ。」
胸の奥がじんわりと熱くなった。
無事に終わった…たったそれだけの言葉が、
こんなにも大きな光になるなんて思わなかった。
病室のドアをノックすると、小さな声が返ってきた。
「どうぞ…」
ドアを開けると、ベッドの上に翼がいた。
少し顔色はまだ戻っていないけれど、その目は、
しっかりとこちらを見ていた。
「翔くん…来てくれたんだ」
「うん…おかえり、翼」
そう言った瞬間、翼の目がゆるんで、涙がにじんだ。
「ただいま」
その言葉が聞きたくて、ずっと描いていたんだと思った。
「どう?元気そうに見える?」
翼が冗談っぽく笑う。
「うん…まぁ、60点くらいかな」
「えー、ひどーい」
笑いながら、少し声が震えているように聞こえた。
僕も、笑いながら、喉がつまっていた。
「…これ、見てほしいものがあって」
僕はバッグからスケッチブックを取りだした。
そこには、昨日描いた絵がある。
未来の、まだ来ていない、でも来てほしい翼の姿。
笑っている。風に髪がゆれている。
そして、どこかへ向かって歩いているような、そんな後ろ姿。翼は、しばらくその絵を見ていた。
そして、ぽつりと言った。
「これって…私?」
「うん。まだ未完成だけど、いつか完成させたいんだ。ちゃんと元気になったら、またモデルになってよ」
「うん、約束」
小指と小指が、そっと触れ合った。
その瞬間、僕の中で、ようやく"線"が繋がったような気がした。描くことと、想うこと。未来と、今。
全部が、繋がっていくような気がした。
(#10に続く)