第9話 恋の予感と炎の記憶
◯教会 女子棟 (1902年 4月)
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シスター・ベルは洗濯を終え
自室に戻った。
シスターの女子棟は
何人かの相部屋だが、
今は彼女ひとりだ。
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(なんて素敵な殿方でしょう)
シスター・ベルは、自室のベッドに腰掛け、静かに胸に手を当てていた。
シスター・ベルは今年十九歳。デアリスと同じく孤児院で育ち、ここに残って子供たちの面倒を見ることに決めたシスターだ。
彼女は若干、人見知りなところがある。彼女は街の外に出るよりも、慣れた場所で働くことを望んだのだ。
絵を描いたり、子供たちに勉強を教えたりすることが得意で、皆から慕われている。
(マルス――様)
この教会で暮らしていて、男の人を見ることは、実はそれほど珍しくない。
男性もこの教会では働いているし、何よりここは、この街の公共施設を兼ねている。
人の出入りも多い。生活する部分は女子棟と男子棟に分かれているものの、食堂や教育施設、祈りの場などは、特に男女別にはなっていなかった。
とくに、春にある復活祭と、秋にある収穫祭。この二つの祭りの前には、人の出入りが普段より多くなるのが常だった。
だから、シスター・ベル自身も、男性に不慣れ、というわけではなかった。
その中でも、先ほど出会った殿方――マルスは、珍しい存在だった。
まず、肌の色。この街は歴史的な経緯から、さまざまな国の人が暮らしている。髪や目の色は様々だ。けれど、彼のような者はほとんどいない。黒い髪に、光沢を帯びた褐色の肌。まるで彫刻のように鍛えられた筋肉も、普段の暮らしでは見ないものだった。
(どんな方なのでしょう。また――会えるかしら?)
顔を赤らめる彼女は、完全に恋する乙女だ。
この教会でのシスターとは、もちろん信仰を守る者ではある。けれど、ずっと教会に身を置かなければならないわけではない。
ある程度の年齢になれば、シスターを辞めて独り立ちしたり、家庭を持ったりする者も多い。
特に、この教会では孤児院出身の若い女性がシスターになることも多いため、
幸せな縁を見つけて外へ出ていくことは悪いことではなく、むしろ喜ばしいことと考えられていた。
教会で働いている間は、神の御心に従い、子供たちを育てる。
そしていつか良い縁があれば、その縁を大切にして外へ出ていく。そういう生き方を選ぶ者は少なくないのだ。
抱きとめられた手の大きさ、腕の硬さを思い出して、目をつぶる。すると、背後から声がした。
「どーしたの、ベル。熱でもあるの?」
「シスター・アイリーン!」
声をかけてきたのは、ベルの先輩にあたるシスター、アイリーンだった。
「今はもう、シスターじゃないわよ」
アイリーンは笑った。そう、アイリーンがシスターだったのは去年までの話。今は街のお屋敷へ働きに出ている。実家ともいえるこの場所に、《卒業生》が顔を出すのは、珍しいことではない。
「久しぶりね、元気なの?」
「もちろん」
そう言って胸を張る彼女は、嘘をついているようには見えなかった。
「そっちこそ、顔がやたら赤いけど、大丈夫?風邪?」
「いえ……これは……」
言い淀むベルに、アイリーンはピンときたようだ。
「何? 恋の予感?」
からかうように言う。
「そんなのじゃ……」
ベルは否定しかけて、しゅんと肩を落とした。
「いえ。そんなのです」
あはは、とアイリーンが笑う。彼女はシスター時代から、俗に言う恋バナが好きだった。
誰が相手かまでは言わなかったが、彼女自身も恋愛経験があるようで、
同僚が悩んでいるとアドバイスをすることもあった。
「わたくしは今はまだ、シスターという身なのに、こんな……」
小さくなるベルに、アイリーンはあっけらかんと言う。
「いいんじゃない?当ててあげよっか。――さっきの黒い人でしょ?」
的中。シスター・ベルはピャッ!と、ベッドから飛び上がりそうになった。
「どうして、わかるのですか?」
「見てたから」
アイリーンはにやにやしている。
「さっき、シーツ片付けるの手伝ってもらってたじゃない。あの人、何なの?この辺では見ないタイプだけど」
「デアリスといっしょに仕事をする予定の方、なのですって」
「デアリスが」
アイリーンにとっても、デアリスは知り合いだった。
アイリーンと同期だった二人の少女。クラテルとリディア。仲の良い三人娘が、幼いころから可愛がっていたのがデアリスだったのだ。
「そうか、あの子ももう、独り立ちの頃かあ」
アイリーンが感慨深げに言う。
「もう、七年かぁ……」
七年前。大火事があった日のことを思い出したのだろう。アイリーンは遠い目をした。
「そう、ですね」
「ほんと、無事に大きくなってよかったよ。あの子――生死の境をさまよったものね」
デアリスは七年前の感謝祭で、大火事に巻き込まれ、大怪我を負った。
首から背中にかけての火傷。アイリーンは当時、デアリスの看護にあたっていたのだ。
熱が出て、なかなか意識が戻らなかった。まさに、生きるか死ぬかの瀬戸際だった。
もちろん、怪我をしたのはデアリスだけではない。ほかにも怪我を負った者がいたし、亡くなった者もいた。
「あの子だけでも助かって、良かった」
祭りの中央で焚かれていた大きな焚き火。
それが突然燃え上がり、黒煙が竜のような形になって、辺りへ火を噴いた。
「あんなに恐ろしいことはありませんでしたわ」
シスター・ベルは当時を思い出し、身震いをした。そのころ、彼女は十二歳だった。
「わたくしもバケツで水を持ってきたんですけど、全然火が消えなくて。友達がすぐ近くにいるのに、火ばかりが広がって……」
あれ以来、同じようなことは起きていない。けれど今でも、ベルは火を扱うたびに少しだけ恐怖を感じる。
アイリーンはベルの背を優しく撫でた。
「私も、お屋敷でランプの火を見ると、ちょっと怖い時あるよ」
「アイリーンも?」
「みんな、そうだよ。あの火を経験した人は、さ」
優しく添えられた手に、ベルの気持ちもだんだんと落ち着いてきた。
アイリーンは、雰囲気を変えるかのように、「そうそう!実はね」と、明るい声を出した。
「私、結婚するんだ」
「まあ!おめでとうございます!」
シスター・ベルの顔がぱあっと明るくなった。仲間の吉報は嬉しいものだ。
なるほど、結婚の報告をするためにアイリーンは教会に顔を出したのだな、とベルは合点がいった。
教会を出て、孤児院を離れ、外で働く。そして、そこで誰かと出会い、やがて結婚する。理想ともいえる道だった。
「ベルはしばらくここで働くことにしたみたいだけど、いい出会いがあったら、外に出て家庭を持つといいよ」
アイリーンは笑った。穏やかな、大人の女性の顔になっている。
「やっぱり、生きてるって感じするじゃん。恋をするとか、子供を育てるとかさ」
「そう、ですね」
ベルは噛みしめるようにつぶやいた。好きな人と結婚して、子どもを育てる。
そんな《ふつう》の幸せの価値を、ここで育った者たちはよく解っていた。
この時代、社会の仕組みは少しずつ整ってきていたものの、病気や飢えは、まだ身近なものだった。
流行り病や事故で、父母を亡くしてしまう子供も多い。それは貧しい家の子供だけではなく、豊かな家の子供でも同じだ。
稼ぎ頭がいなくなれば、たちまち困窮する。
それに私生児というものも、いつの時代にも存在する。
貴族が愛人を持つことは、大っぴらに言うことではないにしても、必ずしも激しく責められることではなかった。
そうした貴族の私生児も、母親を亡くしたり、父親の家が傾いたりすれば、庇護を失うことがある。
上の階級から下の階級まで、様々な理由で《つながり》を失った子供たちが行き着く場所。
それが、この孤児院だった。
「そーれーで。ベル、あの人の話、しよ」
「あの人、って」
「あの黒い人だよ!恋の予感なんでしょ?」
アイリーンはふふふん、といたずらっぽく笑う。赤面して黙るベル。アイリーンはそんなベルを追い込むように、言葉をつづけた。
「あの人、いくつくらいなんだろ。あたしと同じか、ちょっと上くらいかなぁ。あの肌の色、珍しいね。あたし、お屋敷で遠い国から来たお客様を見たことはあるけど、あんな人はいなかったな。あ、肌の黒い人ならいたよ。南の国から来た人たちでさ。でも、あんな感じじゃなかったっていうか……ちょっと不思議だよね。あの人の肌とか、目とか」
確かに、遠い南の国の人たちは、ベルも見かけたことがあった。
教会で宿を貸した代わりに、この辺りでは見たこともない、鮮やかな色の果物をいただいたことがある。
けれどマルスは、その人達とも違っていた。
顔立ちは、この辺りの人々とそれほど離れているようには見えない。
それなのに、黒々とした髪と、黒曜石のような瞳。
そして何より、中から光るように黒い肌と、大きな体躯はひどく目を引いた。
「体つきだけなら、軍人とか漁師さん、あとは用心棒、とか、かしらね。」
シスター・ベルよりも外の世界を知っているアイリーンが、いろいろと考察を巡らせた。
「戦う人……」
ベルには、軍人、というのが一番しっくりくるような気がした。
「でも、その人がなんでデアリスと知り合ったのでしょう」
「さあ、わかんないけど……デアリスってさ、結構、人との縁ができやすいじゃない」
確かにそうだった。快活で、物怖じしない性格のデアリスは教会でも街でも可愛がられるタイプだ。
「だから、偶然仕事を探しているカレに街で出会って、オレも仕事探してるんだ、一緒にやらないか、とか言った――みたいな感じじゃない?それであの人と意気投合!そんな感じかも」
「そうですね」
「ただの想像だけどねー。やっぱり男の子の方が、行動範囲も広いし。全然違ったらゴメンねー」
からっというアイリーンに、ベルは無言だった。
(軍人、用心棒――?どんな過去がおありなのでしょう)
ベルはマルスの過去に思いを馳せていた。
「心配?」
「いえ、どんな人か、気になっただけで」
アイリーンはあはは、と笑ってベルの背中をポン、とたたく。
「聞けばいいじゃんデアリスに。それにさ」
アイリーンは少し、真剣な顔になった。
「ここの中で仕事をするんだったら、神父様には話した方がいいよ。デアリスに言っておいてあげてよ。あの子、そういうとこヌケてるから。」
「そうですね」
シスター・ベルも同意した。デアリスは、そういうところが完全に抜けている。
アイリーンは「じゃ、あたし、結婚の報告に言ってくるね」といって、神父様の部屋へと向かった。
(後で、デアリスにもきちんと神父様に挨拶へ行くよう伝えなければ。)
ベルはそう思い、顔をあわせたら言おう、と決めた。そろそろ子どもたちに文字を教えてやる時間だ。
ベルは自室をあとにして、教育院へと向かった。
『ディスポーザブル・キャスト-夢を見せる宝石少年-』
原案:神田明子
作:西瓜すいか・差異等たかひ子
企画・制作:Hisshigumi Project
※本作は複数の小説投稿サイト・媒体にて同時掲載しています。
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