↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

39/49

〈閑話〉高級娼婦の首飾り 前編(サフィル視点)

◯ヴァルミタール家 屋敷裏の丘 夜 (1902年 5月)


    白い花を咲かせた木の下に

    サフィルが佇んでいる

 


 久しぶりに人の姿になって外へ出ると、月がレモンのような形をしていた。

 だんだんと満月に近づいていく月。


 アレクシスの父であるグレゴールに庭の掃除を命じられたあと。サフィルは宝石の姿に戻らずにひとりで外に出たのだ。

 ヴァルミタール家の裏には、春になると花を咲かせる木々が自生している。

 この花は一斉に咲いて、数日後には落ちる。今はちょうど花頃。いくつかの花は落ちて、整えられた芝の緑色を白く染めていた。

 アレクシスは仕事で出かけていた。グレゴールは「掃除を頼む」と言うと、サフィルとジョーヌの二人を少年挿入(キャスト・インサート)し、人の姿に変えた。前の主人(グレゴール)は、以前から、ちょっとした家の手伝いに、このふたりを揃って使うことが多かった。


 たいした用事でもないから、仕事はすぐに終わった。グレゴールは「ふたりとも、自由な時間を余り過ごしていないだろう、今日は夜までゆっくりするといい」と言って、執務室へと戻っていった。


(ぼくの主人(ドミヌス)と、何かあった――と、感づいているのかもしれないな)


 サフィルはふっと笑う。若くて、素直すぎる、新しい主。満月の夜に青く光り、人の精を食らう自分を見て、どう思ったことだろうか。

 


(――満月の夜は、嫌いだ。いろいろなことを思い出すから。)


 花を咲かせる木の下で、目を閉じる。宝石として箱の中で眠るのとは違う、周囲の風のにおい。冷たい地面が背中に固く触れる。

 閉じた目の中で、レモンの形の月はだんだんと満ちて、満月になる。

 まどろみのなかで浮かぶのは、遠い、遠い記憶。


 ◇ ◇ ◇


◯過去の夢 (1XXX年) 娼館


 まぶたの裏に浮かんだのは、月の光を受け浮かび上がる、女の横顔だった。

 遥か昔の記憶。僕の初めての女主人だった人。

 彼女の本当の名前は覚えていない。ただ、天使(アンジェロ)、と名乗っていた。彼女は人気のある高級娼婦だった。

 

 いつのことだったか、錬金術師を名乗る客が、サファイアのネックレスを彼女にプレゼントした。

 豪奢な金具の中央にサファイアがあしらわれたデザインで、金具が少し呪術的な印象があるもの。

 繰り返し通ってくるその男は、君のお守りだ、と言ってそれを渡した。

 いささか奇抜なデザインだったが、彼女は仕事柄笑顔で受け取った。


 僕は、笑顔の彼女を見ていた。彼女の美しい顔が、僕の磨かれた面に映りこんで、割れた面のように光った。


 人の姿になる前。宝石だった時の記憶は曖昧だ。僕たちは、そもそも無生物だ。魂など持つはずがない。けれど、いつの間にか。彼女の魂が僕に移っていくかのように、僕は意識を持ち始めた。

 

 初めは、まどろむような感覚だった。

 まどろみの中から、ぼうっと彼女の暮らしを眺める。

 美しく着飾って微笑む、美しい女。

 その微笑みの中に、青く静謐な、冷たい感情が混ざっていることに、僕は気づいた。


 彼女は明るい花のように振る舞っていた。けれど、その奥底には深い青が、悲しみが横たわっていた。

 彼女は多くを語らなかった。今思えば、語るべき人生もなかったのかもしれない。

 

 娼館というところには、いろいろな者がいる。高級娼婦を売りにしている娼館にだって、下級の娼婦がいる。

 高級娼婦たるにふさわしい教養を身につけられなかった者。

 まだ幼くて、高くは売れない者。

 元々は売れっ子だったのに、年を取って客が取れなくなっていった者。様々だ。


 高級娼婦という職業は、時に憧れられることもあった。美しく着飾り、微笑み、多くの男性から貢ぎ物を受ける。絵姿が配られ、まるでちょっとした崇拝対象――偶像の女神のようだった。偶像。きらきらと宝石で塗り固められた偶像が、彼女の悲しみを深くしていった。


 彼女は夜、一人になると僕を宝石箱に戻す。彼女の宝石箱には、いろいろな石があった。

 指輪、ネックレス、イヤリング、髪飾り。様々な宝飾品に、様々な宝石がついていた。


 彼女は赤が似合った。ダイヤモンドも似合った。

 ブルーの宝石は、あまり持っていなかった。彼女はどちらかというと、快活で優しく、明るい女として売っていたからだ。


 けれど、彼女の本質は違った。冷徹な理性と、静かな抵抗を心に秘めていた。


 そのせいかは分からないけれど、彼女は青い宝石、つまり僕を好んだ。

 数ある宝石の中で、僕の出番は多かった。明るい色のドレスを着ている時でさえ、彼女は胸元には僕を選んだ。

 一時期、そんなちぐはぐなコーディネートが、巷で流行るまでになった。天使さま(ミス・アンジェロ)の、胸元のブルー。

 ブルーの宝石やらガラス玉が、飛ぶように売れたそうだ。


 そんなある日。

 彼女に僕をプレゼントした錬金術師が死んだ。


 錬金術師は彼女より随分上の年だったから、きっと病気か何かで死んだのだろう。娼館に簡素な報せが届いた。

 彼女は泣きもしなかった。けれど、その報せの送り元を調べ、彼の墓を訪れた。黒いドレスで、僕を胸に。


 墓の前で、眉の一つも動かさず、彼女は一言。


「プレゼントを、ありがとう」


 そう言って、僕を握りしめた。

 僕の身体に、彼女の心のようなものが染み込んだ。

 

 それは、寂しさだった。


 彼女にブルー(さみしさ)をプレゼントした、初めての人。

 それはもしかしたら、彼女の本質を見抜いていたからではなかったか。他の者たちが、やたらと大きい宝石や、花や、派手なドレスなんかを贈っている時に。彼は、僕だけを贈った。

 それに彼女が気づいたのは、錬金術師の足が娼館から遠のいて、もう五年も経った頃だった。


 死人には口がない。単に錬金術師が持っていた宝石が僕だけだったのかもしれない。だいたい、その錬金術なるものも、証明されていなければ、奇跡を起こしたわけでもない。

 死の報せを聞き、身元を聞き回って分かったことだったが、彼は錬金術師と言いながら、実際は小さな町の教師だった。娼館に来る時には、貴族らしく着飾っていたのだと分かった。

 彼は独り身だった。訪れた墓には、花のひとつもなかった。


「誰とも交わらず、死んでいくのね」


 彼女は言った。


 彼女はその頃には、もう子供が産めない身体になっていた。もちろん、娼館にいる女たちにとって、それは珍しいことでもなんでもなかった。だから彼女も普段、それをことさらに悲劇のように取り扱うことはなかった。

 彼女は、錬金術師の墓に手を伸ばして言った。


「繋がれなかったわね」


 僕は不思議に思った。

 人間は、いつだって何かと繋がっているように見えていたから。

 

 僕らと違って体温がある。

 体温を分け合って。肌と触れ合い。

 手を繋ぎ。時には、もっと深い部分で繋がり。

 そうして、僕には魂がないから分からないけれど、心が繋がる。

 人間の間には「魂をひとつに」、なんていう言葉が溢れている。


 だから、繋がれるんだと思っていた。人間なら、誰だって繋がれるんだと思っていた。


 いろんな繋がりがあった。最も多く見たのは、男と女の繋がり。けれど、僕のいたところは面白いところで。女と女との繋がりを楽しむ者もいたし、男同士の繋がりを楽しむ者もいた。いずれにせよ、人間はつながりあって生きていた。それが当然だと思っていた。《意識》ともいえないような、ほのかな知覚で、僕は彼らと自分の違いを認識していた。


 僕は石だ。

 誰とも繋がらない。

 何も残さない。


 けれど。


 彼女は、僕と心を繋げようとした。

 錬金術師が死んでから、彼女は僕に、毎日、今日あったことを話すようになった。


 今日あったこと。それは、彼女が外向けに見せる姿ではなくて。どちらかというと、寂しさや、悔しさや、悲しみや怒り。そういう感情だった。それを僕は、ただひたすら聞いていた。


 もちろん、相槌を打つことなんてできない。僕にただ話しかけている彼女の姿は、傍から見たらおかしかっただろう。

 少し盛りを過ぎてしまった娼婦が、夜な夜な、昔の男にもらったネックレスに話しかけている。

 その姿は、滑稽なものとして噂になった。高級娼婦だった彼女が評判を落とすまで、時間はかからなかった。


 評判が落ちれば、もう高級な娼婦ではいられない。彼女には幸い多少の財産があったから、少しずつ衣類や宝飾品を売ることで、暮らし自体は成り立っていた。

 けれど、以前のような豊かな暮らしはできなくなった。

 娼館の片隅の部屋に追いやられ。それでも、彼女は僕を売らなかった。当時の売り出し文句を覚えている。


「往年のレディー(夜の天使)を、この金額で!」

「皆様、手が届かぬ高嶺の花を、お安く召し上がってみませんか」


 下品なキャッチフレーズだ。

 けれど彼女は、毎日笑顔で対応した。それを僕は、美しいと思った。

 そんなことを長く続けるうちに、ある月の夜。僕は、自分の身体がほんのりと光を放っていることに気づいた。

 彼女はそれに気づくと、目を見開いて、僕に手を伸ばした。


「あなた、帰ってきてくれたの」


 そこで言う「あなた」とは、例の錬金術師のことだと、すぐにわかった。

 今となっては、彼が何を考えて僕を渡したのかも分からない。本当に彼女のことを理解していたのか。ただお金がなかったのか。本気で彼女のお守りになると思って、これを渡したのか。それとも。けれど彼女にとっては、そんなことはどうでもよかった。

 

 求めていたのは、偶像だった。

 彼女が欲していたのは、夢だった。

 僕は。僕の魂は、彼女の思いでできている。

 ならば僕は、彼女がそうしてきたように、夢を見せるべきだと思った。


 彼女は、いつも言っていた。


「高級娼婦というのはね、お客に夢を見せるのが仕事なの」

「お客さん方は、高いお金を払って私たちに夢を見る」

「美しい女。美しくて、穏やかで、賢くて。それでいて殿方の邪魔をしなくて。昼は淑女で、夜は娼婦で。何をしたって許してくれるまるでママみたいな存在で。なのに、少しからかうと、乙女のように柔らかな反応を返す――そんな夢を求めているの」


 ならば。僕は演じようと思った。


 僕は、まだその時は人の姿を取ることはできなかった。ただ、彼女のために演じようとした。すると僕に《声》が生まれた。


『僕を呼びましたか』


 それは、貴族服を着て彼女の元を訪れていた、朴訥な男の口調そのままだった。


 頭の中に響く声に、彼女は目を見開いた。その日から、僕は彼女の、偶像になった。


 彼女はそれから、僕と毎日会話をするようになった。

 

 初めは、月のある日だけ。

 満月の日が、一番成功率が高かった。


 じきに、月の光が大きく夜空に輝くほど、僕は話がしやすくなることに気がついた。その法則に気づいてから、彼女と話ができる日々は増えていった。

 話ができる日が増えると、彼女の感情が、思いが、より多く流れ込んでくるせいだろうか。僕の力は、強くなっていった。


 僕はじきに、昼間でも彼女と会話をすることができるようになっていた。


 初めて出会ってから、十年が経っていた。

 出会ってから、というのはおかしいのかもしれない。十年前に渡された僕は、ただの物で。何の魂も、心もなかったのだから。

 二十一だった彼女は、もう三十を超えていた。

 三十を超えた女が娼婦を続けるのは、並大抵のことではない。売れるのは、もう身体や若さではなかった。売れるのは、包容力——と言えば、聞こえはいいけれど。彼女の今の仕事は、あらゆる欲望を受け止める捌け口になることだった。


 彼女はそれでも、夢を見せようとする姿勢を崩さなかった。もちろん、昔馴染みのいい客もいた。彼女を、わざわざ寝かせてくれるような客もいた。本当に下級の、身体を売っている女たちに比べたら。衣食住が保証され、それなりのドレスを着て仕事をしている彼女は、それでも羨ましがられる存在だった。


 それからさらに数年が過ぎた頃。彼女に一人の客がついた。

 

 その客は、金を持っていた。

 彼女の部屋は一気にランクが上がり、昔の高級娼婦だった頃とまでは言わなくても、かなり豊かな暮らしができるようになっていた。

 彼女は彼に感謝した。周囲からは、愛されていると言われていた。もしかしたら、妾になれるのかもしれない。彼の領地に邸宅を与えられ、引き取ってもらえるのかもしれない。それは名誉なことではないけれど——子供を産めず、身分もない彼女にとっては、願ってもない待遇だった。

 僕も、彼女と庇護者との出会いを喜んだ。彼女は本当に、彼を愛し始めていた。僕に話しかけることも、少し減るくらいに。


 けれど。ある、満月の晩。

 彼女の庇護者は、豹変した。


 彼女はまず、頬を叩かれた。

 次に、髪を掴まれた。

 僕は見ていられなかった。彼女の白く細い喉。僕を飾った胸元が痛々しく窓から差し込む月の光に照らされた。


 彼女は責め立てられて、深く、深く傷ついた。

 身体だけではなく、魂が、悲鳴をあげていた。その悲鳴を、僕は彼女の胸元で聞いていた。


 彼女は僕に、強く願った。


 助けて。


 誰か、


 助けて。


 彼女が願っていた。


 私を愛しているはずの人が、こんなことをするはずがない。

 ここで責められているのは、わたしじゃない(・・・・・・・)。そう思いたい。

 

(――身代わりが、欲しい。)

 

 彼女は、そう願った。


 僕は、その願いを聞き入れた。

 だって、そうだ。僕は彼女に夢を見せることが仕事だ。

 それだけがぼくの、存在意義なのだから。


 その瞬間。ネックレスが光り輝いた。

 僕を囲む金属の台座は、僕の骨となり、肉となった。

 石の台座を骨に。装飾は、僕の肉に。

 細いチェーンの飾りは、僕の髪になった。

 

 ——僕は、少女の姿をしていた。

 身代わりを望んだのだから、当然だろう。


 突然、二人の間に現れた少女に、男はふと手を止めた。


 僕は、何をするべきかよく分かっていた。

 十年以上、彼女を見てきたのだもの。


 僕は月を背に、うっとりと微笑んだ。

 僕の身体から、青い炎のようなものが立ち上る。その炎が、男を包んだ。男はふらふらと、僕のもとにやってきた。


 ――勝った、と思った。


 男は、僕の髪を掴んだ。彼女にしたのと、まったく同じことを僕にも、綺麗に繰り返した。

 僕は、痛くなかった。

 彼女はベッドの端に身を小さくして。ほっと、安堵したような息をついた。


 彼女の横顔を、月が優しく照らしていた。


 僕は、その顔が忘れられない。僕は、このためにこの姿になったんだと思った。


 人間である彼女の肌は、打たれたところが赤く、あるいは青黒く染まって、痛々しい。髪は抜け、シーツの上に散っている。でも。

 僕は傷つかない。だって、人ではないから。


 彼女の部屋に現れる不思議な少女の話は、あっという間に広まった。彼女を嬲った、その男の手によって。

 彼女自身は、魔女と言われるのを怖がっていた。だから代わりに、僕が言ってやった。


「この女には、何の力もないよ」

「僕が、貴男たちに会いたくて、ここに来たんだ」

「ねえ、僕を――可愛がってよ」


 はったりだった。


 でも、何でもよかった。彼女を救うという役割を全うする。それが、僕に与えられた役だった。


 その役が果たせるなら。何でもよかった。そんな日々は、ある日、終わりを告げた。

『ディスポーザブル・キャスト-夢を見せる宝石少年-』

原案:神田明子

作:西瓜すいか・差異等たかひ子

企画・制作:Hisshigumi Project


※本作は複数の小説投稿サイト・媒体にて同時掲載しています。



____________________


本日もお読みいただき、ありがとうございます!

今回は第二章を一旦お休みして、第一章に登場したジェムズ・サフィルのSS小説をお届けしました。

第一章では描ききれなかったサフィルの一面も、楽しんでいただけたら嬉しいです。

第二章のデアリスとジェムズたちの物語も、引き続きよろしくお願いいたします!


─────────────

【朗読劇 チケット一般発売のお知らせ】


いよいよ明日、10月24日(土)12:00より、朗読劇のチケット一般発売がスタートします!

今回は先着順での販売となります。


朗読劇『ディスポーザブル・キャスト -ヴァルミタールの宝石少年-』

2026年11月27日(金)~29日(日)

会場:シアターシャイン


朗読劇で描かれるのは、WEB小説から約70年前の物語。

小説とはまた違った宝石少年《ジェムズ》たちの物語を、ぜひ劇場でもお楽しみください!


詳細はHisshugmi Project公式HPをご覧ください

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。