〈閑話〉王の宝石の記憶 後編(ディアマンテ視点)
◯ヴァルミタール家 使用人部屋 (1902年 4月)
コンコン、と扉を叩く音がした。気配を探る。どうやら、若き主人だと分かった。
「ごめん。こんな夜遅くに」
若き主人は、少し困ったような顔をして、寝巻き姿で立っていた。
「どうしたんです、坊ちゃん」
「坊ちゃんはやめてよ」
アレクシスが、少し頬を膨らませる。その様子はまだ幼く、可愛らしいとさえ思った。
何か相談をしにきたのだろうが、うまく言い出せずに居る主に助け舟を出す。
「——気にしているんですか。サフィルが言ったことを」
「気にしないわけがないだろう。傷つける、だなんて」
眉が下がり、哀しそうな顔をする。
(本当に、柔らかいお方だ)
ディアマンテは、あえてふふっと不敵な笑みを作ると、明るく言った。
「ご安心ください、若旦那様」
「何?」
「ダイヤモンドは、この世で最も硬い鉱石なのです」
ディアマンテは胸に手を当てた。
「私を傷つけることなど、誰にもできないんですよ」
「僕が君を使っても、君は傷つかない?」
不安そうな若き主に、胸を張って言う。
「傷つくはずがありません。大丈夫ですとも」
主はすこしほっとしたように微笑むと、再び不安そうな表情を見せる。サフィルのことを気にしているのだろう。
「サファイアだって、ダイヤモンドの次に硬いといわれているのです。大丈夫でしょう」
「そういうものなの? 君たちジェムズって。なんか、硬度と、傷つく傷つかないって、別物だったりしない?」
(聡いお方だ)
ディアマンテは苦笑する。宝石といえども心と身体は別物だということを、この主は感づいている。だが、ここはハッタリで乗り切る。
望まれているのが不安の解消ならば、その役割を完璧に。ディアマンテはニッコリと微笑んで、告げた。
「私たちの性質は、心にも反映されます。大丈夫ですよ」
ホントかなぁ、と若き主はいぶかしげだが、その疑問をディアマンテは柔和な微笑みで覆い隠した。
「本当ですとも。若旦那様はわたくしたちとまだ出会ったばかりなのですから。これから、いろいろと学んでいけばいいでしょう」
「そっか」
アレクシスは今度こそ、肩の力を抜いて、まっすぐにディアマンテを見た。
「これから何年も一緒にいるんだもんな」
——何年も一緒に。
——何年かしか、一緒にいられない。
その大きな違いを、ディアマンテは口には出さなかった。人間にとっての十年、二十年と、自分たちにとっての十年、二十年は違う。そのことを今伝えて、何になるだろう。
ディアマンテは、完璧な笑みを崩さなかった。主はすっかり元気を取り戻して、いつもの調子に戻っている。
「ディアマンテがここに来たのは、いつ?」
「ひいおじい様の代ですよ」
「ひいおじい様か。ずっと昔、写真で見たことがある。髭のおじいちゃんだったけど」
「それはそうでしょう。人間は誰でも老いれば、髪は白くなり、髭も白くなり、顔もおじいちゃんになります」
「若い頃は、どんな人だったの?」
「なんというか、エネルギッシュな方でしたよ」
「エネルギッシュ?」
「周りをどんどん巻き込んでいくというか」
ディアマンテは、少し考えて言い直した。
「周りをどんどん厄介事に巻き込んでいくというか」
「大変な人だね、ひいおじい様」
「本当に大変でしたとも」
ディアマンテは笑いながら続けた。
「まったく、止まるということができないんです、あの人は。私たちと出会ってからは、特にそうでした」
「そんなに?」
「常に新しいことがしたくて、常に何か面白いことはないかと探しているような方でした」
「好奇心が旺盛、みたいな?」
「まあ、そうですね。ヴァルミタール家が大きくなったのも、ひいおじい様のおかげでしたよ」
「やっぱりそうなんだ」
アレクシスは納得したように言った。曽祖父が一代で財を成したということだけは、アレクシスも知っていたのだ。
「まあ、少し言わせていただければ、私たちのおかげかもしれませんが」
「君たちのおかげ?」
「ヴァルミタール・サーヴァント・レジスター」
ディアマンテが懐かしそうに言った。
「それが、私たちの名前でした」
「サーヴァント・レジスター、それが、お父様が言ってた『人材派遣業』か。仕事はなんだったの?」
「何でも屋、でしたね」
ディアマンテは指を折る。
「荷運びもさせられました。翻訳もさせられました。接待も、接客も。ダンスに駆り出されたこともありますし、『一芝居打ってくれ』と頼まれたこともあります」
「いろいろだね」
「ええ。いろいろですよ。当時はこの街ももっと雑多でしたから、泥だらけになるような仕事もありました」
「ディアマンテが?」
「サフィルもです」
眼の前の若き主人が、『エッ……』という顔をする。ディアマンテはあはは、と歯を見せて笑った。
「あの人は都合なんかお構いなしなんですよ。サフィルは苦虫を噛み潰したような顔をしていましたね。仕事だって朝から晩までずっとですよ」
「そんなに?」
「朝に荷運びをしたと思ったら、夜には晩餐会で恋人役をやってくれ、とか。」
「忙しそうだね」
「あの時、人間生活のいろいろを本当に叩き込まれました」
ディアマンテは少し楽しそうだった。
「上から下まで、相手に合わせて会話をしなければなりませんから。大変でしたよ」
「だから、あんなにマナーとかにも詳しいんだ」
「とはいえ、七十年ほど前のマナーですがね」
「今でも通用する?」
「貴族社会では、まだ通用するでしょう。彼らは伝統を重んじますから」
「そのころは、ずっと人の姿でいたの?」
「人の姿でいられる時には」
ディアマンテはうなずいた。
「人の姿でいないと、人間社会の勉強が追いつかないんですよ。仕事もね」
「ひどいね、ひいおじい様」
「本当に」
ディアマンテは笑った。
「でも、彼には感謝しています」
「感謝?」
「仲間と一緒にいられる、安全な場所が手に入った」
静かに言った。
「それだけでも、ありがたいことですよ」
そして、少し遠いものを見るように目を細めた。
「それに、人使いは荒い方でしたが、本当に太陽のような方でした」
「太陽?」
「そう」
ディアマンテは微笑んだ。そうして高く空を見た。まるでそこに彼が居るかのように。
「太陽のような方でした」
「君たちは、その《夢を見せる機械》として売られていたんだろう?」
「正確に言うと、《機械》という言葉を使い出したのは先代の頃からですね」
ディアマンテは言った。
「旦那様の頃からです。《機械》というものは、ごく最近の概念ですから」
アレクシスは「たしかにね」とうなずいた。
「ソルは、私たちを超人のようにして売りましたよ。人間として」
「人間として?」
「ええ。宝石のように貴重な人材が貴方の夢を叶えます!と言ってね」
「昼はわたくしが、夜はサフィルが活動することが多かったですね。——まぁ、わたくしが昼夜問わず働き詰めのことも多かったですが」
ディアマンテはこの家がもっと小さかった頃のことを思い出す。メイドもおらず、食事の作り方を学んだこと。洗濯に掃除だってやった。当時の仲間と共に。食事を作るのはサフィルがうまかった。文句を言いながらオーブンの調子を見ていた彼が思い出される。
「働き詰めなんて、サフィルは嫌がりそうだけど」
「でも、楽しそうでしたよ。」
「そうなの?」
「ソルに振り回されるのを楽しんでいるようでした。二人が口喧嘩をする様は、それはもう見もので。私たちもずいぶん笑ったものです」
「当時、スマグラーダはどんな子だったの?」
乗り出すようにして、アレクシスが聞いてくる。
「スマグラーダは、快活で、心の優しい少年でした」
ディアマンテの声が、少しだけ柔らかくなる。
「ただし、力はとても強かった。実際の人間の肉体を、まるで生きているかのように動かすことすらできました」
「人間の肉体を?」
「ええ」
ディアマンテはうなずいた。
「動物や物に侵入するのとは違います。人の身体を動かすというのは、振動を脈動させ、本当に血の通った肉体のように作り上げるということです」
「そんなことができるの?」
「ものすごい制御力と集中力が必要です。けれど、スマグラーダはそれをやすやすとやってのけた」
アレクシスは少し黙った。
「でも、破傷が入ってしまった……んだよね。」
「……優しすぎたんですよ、彼は」
ディアマンテは静かに言った。
「その話は、また今度にしましょう。あまり気分が明るくなるような話ではないので」
「ごめん」
アレクシスは視線を落とした。気分を害してしまったと思ったのかもしれない。
(——優しい方だ)
「若旦那様」
ディアマンテは微笑んだ。
「もう少しあなたが、私たちとの関わり方を、ご自分の中で位置づけることができるようになったら、お話ししましょう」
「君たちとの関わり方?」
「そうです」
ディアマンテは言った。
「私たちと、あなたたち人間は、交わることはないんです」
「交わることはない?」
「交わることはないんです」
ディアマンテは、もう一度繰り返した。まるで自分自身に言い聞かせるように。
「交わることはない、か。サフィルも?」
その時、ディアマンテの目元が、ぴくりと動いたのが分かった。その微かな筋肉の動きを悟られないように、宝石の王は微笑みを返した。
「そうですね」
彼は、命を収束させる性質を持っている。例の伝説が本当ならば、彼だけは人と交わることもできるのかもしれない。
「まあ、例の伝説が本当なら、ですけれどね」
冗談めかして、ディアマンテが言った。
「つまり、あの伝説って、ただのおとぎ話ってこと?」
「さあ。私には分かりかねます」
ディアマンテは、少しゆっくりと、噛んで含めるように言った。
「実際に生命拡散性や生命収束性なる性質を持った者がいて、その二人が子を成したという例を、私は見たことがありませんので」
「ふーん。なかなかロマンチックだと思うんだけどね」
アレクシスは、少しつまらなさそうに言った。
「若旦那様は物語がお好きですからね」
「なんだよ。からかうみたいに」
少し不機嫌になる。そんな様子も、ディアマンテには可愛らしく見えた。
「禁断の恋。ありえぬはずの交わり。物語の中だけで十分です。そんなものは、いささか甘すぎますよ」
「そうかなあ。やっぱり甘いか」
アレクシスは苦笑した。
「またロマンチスト——《むっつり君》って呼ばれちゃうな」
「《むっつり君》は言い過ぎでも、ロマンチストは事実だと思います」
「おい、待てよ」
アレクシスはディアマンテを小突いて笑った。まるで人間の青年同士がそうするように。
若き主。許嫁のいる主。きっと真っ当にこの家を継ぎ、伴侶を持ち、この家をつなぎ、そうしてまた命を繰り返していくであろう主人。
そして、いつかはまた、過去の人の一人になるであろう主人。
「邪魔して悪かった。おやすみ」
そう言って去っていく主人の背中を、ディアマンテは見送った。
十分だ。十分だ。十分だ。
今の自分の幸せは、これで十分なのだ。
身近な誰かが死ぬわけでもない。過剰な重責や期待をかけられるわけでもない。奇跡を起こせと、せがまれるわけでもない。
十分な暮らしだ。仲間もいる。主人は悪人ではない。自分を巡って誰かが争うこともない。
傷つくこともない。磨かれることもない。変わることはない。
変わりゆく人間たちの中で。私は変わらない。
宝石の王は。ぽたり、と涙を落とした。
人間というのは、孤独を感じた時に、このようにするのだ。涙は、ぽたり、と落ちたかと思うと、衣服を濡らすこともなく消えた。
「ふふ」
ディアマンテは笑った。もう一度、ぽたりと涙が落ちる。今度は、それは美しいダイヤモンドになった。それも手で拭えば、かき消える。
自ら眠りについてしまいたいと思ったこともあった。けれど、それは、この身体を与えてくれた人への裏切りになりかねないから。
「わたくしは、いつでも、なんでも、完璧に演じてみせましょう」
静かに呟く。
「あなたのために」
『ディスポーザブル・キャスト-夢を見せる宝石少年-』
原案:神田明子
作:西瓜すいか・差異等たかひ子
企画・制作:Hisshigumi Project
※本作は複数の小説投稿サイト・媒体にて同時掲載しています。
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第一章、そしてSS小説までお読みいただき、ありがとうございます!
9月11日に連載がスタートしてから、あっという間にここまでやってきました。
そして、明日10月15日より、いよいよ第二章がスタートします!
第一章では西瓜すいかがメインライターを担当しましたが、第二章からは差異等たかひ子がメインライターを務めます。さらに、新しいジェムズたちも登場します!
これまでとはまた違った『ディスポーザブル・キャスト』の世界を、ぜひ楽しんでいただけたら嬉しいです。
ここまでお付き合いいただいた皆さま、本当にありがとうございます!
第二章も、★評価やブックマークで応援していただけると、制作チーム一同とても励みになります。
明日からの第二章も、どうぞよろしくお願いいたします!




