〈閑話〉王の宝石の記憶 前編(ディアマンテ視点)
◯ヴァルミタール家 使用人部屋 (1902年 4月)
|使用人部屋にふたつのベッド
|2つの窓の間に、仕切り家具がひとつ。
|この部屋はディアマンテとヨハンのものだ
夜。ディアマンテがふっと目を覚ますと、そこには木の天井があった。
ベルベット張りの宝石箱の中ではない。木の天井があり、ランプがあり、小さな棚があり、自分はベッドに横たわっている。
衝立の向こうではヨハンが寝息を立てているのが分かった。
窓の外を見ると、細い月が空に浮かんでいた。
「人間らしい暮らし、ですね」
思わず呟く。言葉が、人間のそれと同じように空気を震わせ、自分の耳に届く。
ディアマンテは、新しい主について思いを巡らせた。新しい主。その言葉が、妙に心に引っかかった。
人は、瞬く間に変わっていく。それは彼にとって、ごく当たり前の日常だった。もっとも、ここ七、八十年ほどは、この家にいるのだから変化は少なかった。
(――この屋敷も、もう長い。初めのころは大変だったものですが)
この家も大きくなったものだ。ディアマンテは心の中で、『昔』を思い返した。
昔。王の宝石として崇められたころ。馬の上に高く掲げられ、白馬に乗って突撃する主を見守った日のこと。
昔。一族の威信をかけた戦で主を守るべく、この世界に顕現した時のこと。
昔。戦の神と呼ばれた時のこと。
昔。千人、二千人もの民から祈りを捧げられた日のこと。
昔。自分を神として崇めた者たちが、無惨に殺されていった日のこと。
昔。石として眠りにつき、絶望していた日のこと。
昔。再び生を受け、使役された日のこと。
昔。初めて仲間に出会った日のこと。
昔。仲間とともに人の姿を取り、人としてしばし生きたこと。
昔。仲間が、生きる意味を見つけた日のこと。
昔。仲間より先に疲れて、「少し眠る」と告げた日のこと。
ディアマンテにとっての『昔』は、たくさんあった。その無数の『昔』が折り重なった層の、表面からほんの数枚目ほどのところに、この家での記憶がある。
ディアマンテがこの家にもたらされたのは、七十年ほど前のことだった。アレクシスの曾祖父にあたる、ソル・ヴァルミタールという青年が、偶然このからくり宝石箱を手に入れたところから始まった。
偶然。今となっては、それが本当に偶然だったのかも分からない。とにかく、この地で自分はしばらく身を休めることにしたのだ。
(——『今』に比べて、『昔』が多すぎますね)
人の姿で目を覚ますたびに、今いる場所がどこなのか、記憶の箱を探さなければならない。
もちろん、今ここにいるディアマンテは、ルビアの街、高台の上に建つヴァルミタール家の屋敷、その使用人部屋の一室で目を覚ましている。
ジェムズは本来、食事も睡眠も必要としない。けれど、人の姿で生きるのであれば人間の生活に合わせて暮らした方がよい。そのことを、ディアマンテは知っていた。
(仲間も、変装の名人でしたからね)
人の生活を模倣することは、仲間から教わったことでもある。自分よりも長く、人の姿を保って生きてきた男がいた。その男との記憶は、ディアマンテの数多い『昔』の中でも、ひときわ特別なものだった。
(今回の主は、大変お優しい。そして、とても傷つきやすい性分だと見える。)
これまでの主にも、いろいろな者がいた。王の宝石と呼ばれていた彼は、神として崇められていた時代が長かった。当然、人々からは神としての役割を求められた。そして、それに応えるだけの力が、自分には備わっていた。
人間が神に望むものは多い。時には、互いに相反する願いをかけることさえある。その願いが溜まりに溜まって、ついに人の姿として顕現したのが、今の彼だった。
(ずいぶんといろんな願いを、叶えてきたものですが)
今のディアマンテは、商家の執事だ。神と呼ばれて居た頃に比べればずいぶんと楽な仕事だ。
ディアマンテは大きく伸びをすると、人間のように寝具を身体から除け、立ち上がった。窓の外を見る。夜だ。
この街の夜は穏やかだった。街の中央部分にだけわずかに明かりが残り、あとは月と星の光だけ。
「人間の暮らしも、ずいぶん進んだものになりましたねえ」
七十年前と比べても雲泥の差だ。七十年前、この街はまだ今より混乱していた。交通の要衝であるこの場所は、昔から商業こそ盛んだったものの、もっと雑多で、もっと——よく言えば活気があり、悪く言えば乱暴な街だった。
その中で、ソル・ヴァルミタールは異彩を放っていた。飛び抜けて優秀だったわけではない。どちらかと言えば、アホだった。
彼がジェムズを見て、最初に言ったのはこうだった。
「寝なくていい! 食べなくていい! それで、そんなにいろんなことができるのか!」
そして、こう続けた。
「だったら稼ごうぜ! みんなで稼いで、いい暮らしをしよう! うまいもん食おう!」
そもそも、食事を必要としない者に対して「うまいものを食おう」と言っても、何の報酬にもならない。論理的には明白なのだが、彼にとってはどうでもよいことだったらしい。
彼と出会い、彼に振り回された数十年間は、なかなか面白いものだった。仲間たちも一緒だった。
この家に来たころ、宝石箱の中には、まだ破傷の入る前のスマグラーダと、サフィル、ディアマンテ。三人に対して、鋳造心臓はひとつだけ。残る二人は、子どもと気難し屋だったのだから、働くのは自然、ディアマンテとなった。とにかくがむしゃらに働いた。
ソルは、次から次へと仕事を持ってきた。力仕事はどうだ。接客は。専門技能は。一つ一つ試し、一つ一つに値段をつける、そうしてまた次の仕事を探してきた。
心底、商人だった。それも、かなり強引な。労働環境はお世辞にも良いとは言えない。
「それでも、憎めなかったんですよね」
ディアマンテは、ふふっと笑った。
サフィルも同じだ。考えなしのソルにいつも文句を言っていたが、サフィルはソルのことを好ましく思っていた。
アメティスの言っていた、不思議な性質。生命拡散性と生命収束性。その組み合わせをディアマンテは当時、目の当たりにしたことがある。
(……触れられたくない、ということなんでしょうかね)
ディアマンテは、きらりと虹色に光る瞳を、主人の部屋がある方向へ向けた。主人の部屋には、仲間がいる。生命の力を集める静謐な青い宝石が。
ふう、とため息をついた。
「磨くことは、傷つけることと同じか」
自分の仲間がつぶやいた言葉を反芻する。
ディアマンテは、太古の昔、自分が掘り出され、磨かれた時のことを思い出してみた。そこには、人間がいた。何の面白みもない岩を前に、そこに何かがあると信じて掘り続ける――何か強い情熱を注いだ人間がいたことだけは確かだ。けれど、もう詳しくは覚えていない。
暗闇から掘り出される。割られる。そして、何度も何度も擦りつけられ、磨かれる。
数百年にわたって磨かれ続けた彼のファセットは、まさに王者の輝きだった。
(傷つくことが、磨くことなら――私を傷つけられる者など、もういない)
もう変化しない、ということは、安心であり平和であり——退屈でもあった。
ディアマンテは口の端を柔らかく持ち上げた。微笑みさえ浮かべていれば、余計な追求をされることはない。
新しい主との暮らし。新しい時代との出会い。ひとつひとつに、小さな喜びを感じている用に振る舞うのは難しくはないのだ。
ただどこまでいっても、人と宝石の時間の流れは違う。人間が一年で枯れる花のひとつひとつにドラマを感じはしないように、小さな喜びがそこにあることと、退屈や諦めとは両立する。
(今回の主人には、ご迷惑をおかけするかもしれませんね……)
ディアマンテは優しい青年の顔を思い浮かべた。彼が自分をただ使用人として、道具として使ってくれるならばよい。けれど多少でも心を通わせてしまえば、傷つく時が来るだろう。
隣ではヨハンが寝息を立てている。宝石の番人として、代々この家に仕える男は、このことをどう思っているのだろうか。
すると、ドアに近づく気配があった。
『ディスポーザブル・キャスト-夢を見せる宝石少年-』
原案:神田明子
作:西瓜すいか・差異等たかひ子
企画・制作:Hisshigumi Project
※本作は複数の小説投稿サイト・媒体にて同時掲載しています。
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第一章が完結し、本日はディアマンテのSS小説をお読みいただき、ありがとうございます!
明日はSS小説の後編をお届けいたします。
そして、ディアマンテは11月公演の朗読劇にも登場します!
朗読劇では、WEB小説から約70年前の物語が描かれます。
小説をきっかけに『ディスポーザブル・キャスト』の世界が気になった方は、ぜひ朗読劇もチェックしていただけたら嬉しいです!
朗読劇『ディスポーザブル・キャスト -ヴァルミタールの宝石少年-』
2026年11月27日(金)~29日(日)
会場:シアターシャイン
公演詳細・チケットはこちら
Hisshigumi Project公式HPをご覧ください




