2-3話 誰もいない。
夜はまだ涼しかった。
けれど風の匂いだけは、確かに夏へ向かっている。
「ね、Yule。」
一段。
また一段。
北側のテラスから屋上へ続く、
石造りの階段を上る。
ついてくる気配に話しかけながら、
Lunariaの足取りは軽かった。
やっと解放された――
今だけ、Lunariaは自由だった。
釣書も、書類の山も、面倒な厄介ごとも。
ここには何もない。
屋上に上がると、視界が開けた。
風が吹く。
遠く、王都の灯が瞬いている。
そして。
いつものように、側には夜の気配。
Lunariaは何も言わない。
Yuleも何も言わない。
ただ、そこにいる。
そのことが、
Lunariaの心を少しだけ自由にしていた。
「気持ちいい夜ね。」
Lunariaは屋上の縁へ歩み寄った。
対岸にある、東側のテラスに視線を向ける。
そのすぐ下にある兄の部屋。
今はもう、真っ暗だった。
――誰もいない。
生前の兄は、夜遅くまで仕事をしていた。
眠る時間になっても、
あの部屋の灯りがついていたのを、
Lunariaは知っている。
私には、
お酒を飲んでいる姿しか見せなかったのに。
こうしてテラスに出てくると、
時折対岸に兄が居ることがあった。
向こう側から、大きく手を振って。
『早く寝ろよー!』
って。
「……ねえ、Yule。」
Lunariaは、
先ほど侍女達に聞いた話を思い出す。
「好きになるって、どういうことなのかしら。」
Yuleの視線の先は、
暗いままの屋上にとどめられている。
今は、誰もいない場所。
「Leonisなら、どうしたと思う?」
兄の名前を呼んでみた。
風に、Yuleの長い黒髪が揺れている。
綺麗だな、と思って自然と目が細まる。
……顔が良くて。
安心できて。
仕事ができる人。
「そんなの、兄様くらいしか思いつかないんだけど。」
《――――》
金色の瞳が、ほんの僅かに揺れた。
……ような気がした。
困ってる?
なんとなく。
……兄様みたいに。
「…………。」
Lunariaは、ふと思った。
――顔が良くて。
――安心できて。
――仕事ができる………
のかは、わからないけれど。
「……あなたが、人だったらよかったのに。」
Yuleは、何も言わなかった。
ただ二人で。
しばらくの間、夜の風に吹かれていた。




