プロローグⅡ
宵の国――
王弟邸の訓練場では、
朝から木剣の打ち合う乾いた音が響いていた。
「怯むな。」
低い声が飛ぶ。
次兄の振るう木剣を紙一重で交わし、
Elliottは踏み込んだ。
空いている脇は、罠だろう。
繰り出した突きは、
やはり、あっさり流される。
――隙がない。
どこから攻めればいいのか、
毎朝のことながら見つからない。
「周りを見ろ。」
言われ、Elliottは視線を巡らせた。
「相手に隙がなければ、作れ。」
剣技のための訓練場。
周りに、使えそうなものは何もない。
「だが、目を離すな。」
相変わらず、無茶を言う。
いや、それを言ったのは小兄上でしょう。
心の中で返しながら、
次兄の剣撃を受け止める。
重い――!
押し返そうと踏ん張る。
石畳の上を、
靴底がじり、と滑った。
木剣越しに、
次兄の深緑の瞳と視線がぶつかる。
「Elliott。」
「……っ、なんでしょう!?」
「見ろ。」
「え。」
その瞬間。
視界の端で砂が跳ねた。
「っ――!」
反射的に目を細めた。
すかさず、左腕で袖を引かれる。
重心が崩れ、脚が払われた。
「ぐっ!」
地面に倒れ込んだとたん。
兄の全体重が一気にのしかかる――!
「終わりだ。」
喉元に突きつけられる、木剣。
「…………。」
Elliottの首筋を、汗が伝った。
……やられた。
稽古が始まる前から、
あそこに砂を寄せていたようだった。
兄は、まだ力を緩めない。
「――参りました。」
Elliottの言葉に、次兄はやっと手を離した。
完敗だった。
「あー、今日もダメか。」
Elliottは、仰向けに倒れたまま息をついた。
四年前から始まった、毎朝の稽古。
一度も、勝てた試しがない。
「毎回、よくそんな手を思いつきますね。」
「部下達からの受け売りだな。」
苦笑しながら、兄は木剣を納めた。
「お前は真面目すぎる。」
そう言う次兄は、
汗もかいていないようだった。
「……小兄上も、人のこと言えますか。」
Elliottも苦い顔をした。
次兄は、騎士だった。
言い訳はしない。
どんな時も、必ず綺麗に騎士として勝つ。
もしも、この稽古を兄の部下が見たら、
きっと腰を抜かすだろう。
ふと、身なりを整える次兄に目をやる。
黒にも見える濃い茶の髪。
険しそうに見える緑の瞳は、
父の若い頃によく似ているらしい。
左耳だけに、
瞳と同じ色の一粒石の耳飾りをしていた。
「……そう言えば。」
倒れ込んだままのElliottに向かって、
次兄が呟いた。
「劍国女王陛下の元へ、各国から縁談の申し込みが殺到しているらしい。」
「……。」
また、その話か。
一瞬、Elliottは黙った。
「そうでしょうね。」
ゆっくり、半身を起こす。
戴冠したばかりの若い女王――
各国の反応としては、当たり前だろう。
平然とした様子のElliottに、
次兄は眉を寄せた。
「前劍国王は……。」
「――俺は。」
Elliottは立ち上がった。
「Leonisから、何も聞いてません。」
「……そうか。」
兄は、それ以上何も言わなかった。
――十年前。
当時、まだ九歳だった劍国王女の元へ、
神殿側から将来の王配候補を各国に求める話があった。
宵の国側から提示されたのは、
十九歳だった王弟家の長男。
Elliottの兄だった。
すぐに婚姻を進めるような話ではなかったそうだが、それでもその後、取り下げられたという話もない。
ならば、自分が考える話ではない――
Elliottはそう思っていた。
だが。
「お前――」
「やあ。今日もやってるね。」
何か言おうとした次兄の言葉は、
次の瞬間、かき消された。
侍従を従えた長兄だった。
朝一番だと言うのに、
爽やかな笑みを浮かべている。
長兄の後ろに控える侍従は、他の侍従とは違い、兄と揃いのお仕着せを着ていた。
――二人の姿は、いつも華やかで完璧だ。
「Elliott、一緒に行くかい?」
用意された王宮行きの馬車を示しながら、
長兄は肩をすくめた。
そうだった。
もうすぐ、仕事が始まる。
「行きます。」
慌てて木剣を納め、
軽く埃を払って上着を羽織る。
そのまま侍従に続こうとすると、
長兄は信じられないような顔をした。
「君、それで行くの?」
「……問題ありますか?」
きょとんとするElliottに、
そっと、侍従から手巾が渡される。
「せめて、汗くらい拭いてからにしてよね。」
「……?」
拭いたつもりなんだけど……。
渡された手巾で汗を拭うと、
長兄がElliottに向かって香水を吹き付けていた。
「……いってきます。」
「ああ。」
その様子を見た次兄は、
誰にもわからないほど小さく笑っていた。




