伝承◆プロローグⅠ
第二部 撰択編
王は、種を蒔く。
畑から生まれた果実は、全て私の子供だった。
子供もまた、種を蒔く。
その果実もまた、私の子供となる。
そうした果実を礎に、
幾代にも渡って夜は繋がれてきた。
――収穫の女王は、夜に変えられた。
◆
劍国王宮の政務室。
開かれた窓から差し込む柔らかな陽光が、
お気に入りの紅茶の水面で煌めいていた。
吹き込む初夏のそよ風が、
机の上の書類をわずかに揺らす。
Lunariaは裁可印を押しながら、
小さく息を吐いた。
「いいお天気ね。」
その表情は、とても穏やかだった。
傍らに控える側近が顔を上げる。
「はい。」
「昨日より暖かいわ。」
「そのようですね。」
「明日もきっと、暖かいかしら。」
「ええ、おそらく。」
中身がない。
側近も、少々呆れ顔だった。
だが、
そんな何でもない会話をしたくなるほど、Lunariaの心は平和に満ちていた。
何も、問題がない。
それは少し前まで、
張り詰めた空気の中にいたLunariaにとって、何よりも幸せを感じられる時間だった。
――その時までは。
「失礼いたします。」
いつものように、政務室の扉が叩かれた。
入室した政務官達を見て、
Lunariaはわずかに眉を上げた。
人数が多い。
しかも全員、何かを抱えている。
……嫌な予感がした。
「陛下。」
「何?」
「至急、ご確認いただきたい案件がございます。」
Lunariaは、訝しみながらも頷いた。
急に案件が持ち込まれるのは、
いつものことだった。
「――先送りにできなくなりましたので。」
「…………。」
何か、待たせていた仕事でもあったのかしら。
Lunariaは、片眉を上げながら尋ねた。
「――何を?」
返事の代わりに。
政務官達は、
手にした書簡を机の上へ積み重ねていく。
どさ。
どさどさっ。
どさどさどさっ、と。
積まれ続ける大量の書簡を、
Lunariaは無言で見つめた。
「……何これ。」
筆頭政務官は静かに答える。
「陛下への、縁談の申し込み一覧になります。」
縁談。
Lunariaは固まった。
「……聞いてない。」
「先王の時代から、届いてはいたのですが――」
「知らないわ。」
「……左様でしたか。」
筆頭政務官は、驚きもせずに静かに答えた。
――初耳だった。
昔、Lunariaには婚約者がいたらしい事は侍女達から聞いていた。
だがその話は、
兄が即位する少し前に白紙になったのだ。
当時五歳だったLunariaは、
ほとんど何も覚えていない。
「陛下のご即位以前から、神殿側より再三の催促がございます。」
ということは、兄が差し留めていたのだろう。
「……わかったわ。」
Lunariaは諦めるように、息をついた。
女王となった以上、
避け続けられる問題ではない。
まったく、気乗りはしないけれど。
政務官から差し出された釣書を受け取り、
その先にある積まれた書簡の山に目を向けた。
どう見ても、一覧ではなさそうだった。
「なお、各候補者の釣書と肖像画を——」
「肖像画もあるの。」
「ございます。」
目を落とすと、
そこには若い貴族が描かれていた。
整った顔立ち。
柔らかな微笑み。
見事な筆致。
Lunariaは黙って、しばらく眺めた。
そして、次を取る。
「……。」
同じようなものだった。
そして、更に次を取る。
「…………。」
思わず、Lunariaの手が止まった。
「……違う。」
政務官達が顔を上げる。
「は?」
「この人のことは知っているけれど。」
皆に見えるように、
肖像画を持ち上げて言った。
「――全っ然、違う。」
政務室が静まり返った。
「本人はこんな顔をしていなかった。」
その釣書には、
非常に整った顔立ちの美青年が描かれていた。
「……ですが、王宮画師による正式な——」
「違う。」
即答だった。
Lunariaは次の肖像画へ目を落とす。
「……知ってる。」
そして、その次。
「この人も。」
書簡の山から見覚えのある名前のものをいくつか手に取り、じっくり見た。
穴の開くほど。
じっくりと。
そして――
黙って束を閉じた。
「……当てにならない。」
誰も反論できなかった。
本人を知る人間に言われてしまえば弱い。
Lunariaは、
肖像画の束を机の端へ押しやった。
「もう、いいわ。」
「陛下?」
「釣書だけ持ってきて。」
政務官達が顔を見合わせる。
「ですが、外見も判断材料かと。」
「顔は会えば分かるでしょう。」
Lunariaは言い放った。
正論だ。
正論だったが、
官僚達は皆、
誰も納得していない顔をしている。
Lunariaは、
机の上へ積み上がった書類へ視線を向けた。
近隣諸国の王族。
国内の有力貴族。
神殿関係者。
王配候補。
王配候補、王配候補――
それが、どこまでも続いている。
しばらく黙り込み。
盛大にため息をついた。
「……ほんとに選ばなきゃダメ?」
政務室が静まり返った。
ややあって、筆頭政務官が答えた。
「はい。」
「……自分で?」
「最終的には。」
そうだろう。
Lunariaは、目を閉じた。
自分の代わりに決めてくれる父母は、
もういない。
「……兄は?」
すがるような声で聞いてみる。
筆頭政務官は一瞬だけ言葉を選んだ。
しかし。
「何も。」
「…………。」
Lunariaはしばらく黙った。
それから盛大なため息を吐いた。
やっぱり。
「でしょうね。」
実に、兄らしい。
机の上の書類へ視線を落とす。
王配候補、王配候補、王配候補。
――全部、そうらしい。
「なら、そちらである程度絞って欲しいわ。」
「……良いのですか?」
「ええ、これで全部?」
「いえ……おそらく、まだ来るかと。」
「なら、なおさらよ。」
Lunariaは、目の前に置かれた書簡を閉じた。
「経歴、家系、国内外での評価、政治的な問題の有無。」
淡々と指を折る。
「最低限の選定は、
私よりそちらの方が詳しいでしょう。」
筆頭政務官が困ったように、眉を顰めた。
「しかし最終的なご判断は——」
「わかってる、私がするわ。」
「……承知いたしました。」
Lunariaは頷いた。
一口だけ、紅茶に口をつけ気持ちを取り直す。
「――次の書簡。」
そして片手を出しながら、
何事もなかったように言った。




