失われた神官章
宿場町の外れ。
林の影から、
数人の人影が街道を見下ろしていた。
誰も口を開かない。
視線の先には宿屋がある。
そして。
宿の前から一頭の馬が駆け出した。
王宮監察官だった。
数名の護衛を伴い、
王都へ向かっている。
先頭に立つ神官が、
静かにその背を見送る。
やがて。
「……間に合わなかったようです。」
誰かが呟いた。
他に、声を上げる者はいない。
宿の周囲には兵がいる。
現場保存の縄も張られ始めている。
既に手遅れ――
若い神官が唇を噛む。
「昨日の時点で場所さえ分かっていれば……」
拳が震えていた。
「あと半日早ければ……」
本来の潜伏先に、彼はいなかった。
接触役も決めた。
保護の準備も整えていた。
約束の日は、今日だった。
間に合う。
そう思っていた。
なのに。
「…………っ」
言葉が続かない。
先頭の神官は黙って宿屋を見ていた。
二階の窓に、白いカーテンが揺れている。
だがその向こうに、
かつての仲間はいない。
「迎えに行くと伝えていた。」
静かな声だった。
「待っていてください、と。」
男の手には、
汚れて傷ついた神官章が握られていた。
木々が揺れる。
返事はない。
もう、届かない。
沈黙が落ちる。
若い神官が顔を伏せた。
「申し訳ありません……」
その言葉は、
死者へ向けられたものだった。
先頭の神官は目を閉じる。
悔しさはあった。
怒りもあった。
だが。
今ここで感情を優先することは出来ない。
それを最も理解しているのも、
また彼だった。
「……戻るぞ。」
若い神官が顔を上げる。
「しかし。」
「監察官が動いた。」
短い言葉だった。
「現場も押さえられている。」
周囲には既に人が増えている。
この先、
劍国の調査はさらに広がるだろう。
「ここで我々の存在が確認されれば、
今まで守ってきたものまで失う。」
先頭の神官は静かに言った。
異を唱えられる者はいない。
――出来なかった。
彼らが守ろうとしているものは、
まだ残っている。
ならば、ここで終わる訳にはいかない。
先頭の神官は最後にもう一度だけ、
二階の窓を見た。
そして。
胸の前で静かに手を組む。
――古い祈りの形だった。
隣にいた神官達も、
何も言わず同じように手を組む。
「……夜があなたを見失わぬように。」
仲間へ向けた、最後の祈り。
それ以上は何も言わない。
言葉にすれば、
立ち去れなくなる気がした。
先頭の神官は踵を返す。
「行くぞ。」
林の奥へ。
朝靄の向こうへ。
誰一人振り返らずに、
彼らの姿は静かに消えていった。




