化け猫の噂
「姫様……」
若侍女の声がする。
Lunariaは、
鏡の前へ座っていた。
「ん……」
まだ眠い。
目が開かない。
ぼんやりしているLunariaの髪へ、
若い侍女が櫛を通していた。
「昨夜は、あまり眠れませんでしたか……?」
「……大丈夫……」
明らかに寝不足のLunariaの前へ、
年嵩の侍女が温かな紅茶を置く。
さらさらと。
髪に櫛を通す規則正しい音だけが、
静かな朝の部屋へ響いていた。
「……………」
昨日の出来事は、
夢だったのかしら。
そう思うくらいに、
いつも通りの朝だった。
無意識に、
西側の窓へ目を向ける。
すると。
「……そういえば。」
若侍女が、
ぽつりと話し出した。
「西棟の方、朝から大変だったみたいですよ。」
一瞬、ぎくりと心臓が跳ねた。
けれど、
Lunariaは何事もないように問い返す。
「そうなの?」
「はい。」
侍女は頷いた。
「昨夜、中庭で大きな物音がしたらしくて。」
「巡回の警備兵さん達が、
慌てて駆けつけたそうなんです。」
「……それで?」
「その時はなんともなかったそうなんですが……
朝になって見てみると、猫達がたくさん集まっていた形跡があったとか。」
「庭道具もいくつか荒らされていたみたいで……」
若侍女は少し声を潜めた。
「なんでも、
石畳が大きく沈んでいたそうですよ。」
「……………」
Lunariaは黙ったまま、
紅茶へ口をつける。
「見回りに行った兵士さん達も、
今日は何人か体調を崩されたらしくて。」
「どうやら化け猫が現れたんじゃないかって……」
「……化け猫。」
思わず、復唱した。
若い侍女は真面目な顔で頷く。
「西棟の使用人達の間では、
そういう話になってるみたいです。」
鏡越しに、
Lunariaは瞬きをした。
……化け猫。
昨夜の光景が、
頭を過る。
月明かりの中の、たくさんの猫。
青年がいて。
黒い服を着た男が、突然現れた。
沈んだ石畳。
重くなった空気。
闇の底にある、金色の瞳…。
「……そう。」
小さく呟く。
そういうことに、
なったのね。
Lunariaの肩から力が抜けた。
少なくとも、
誰も昨夜の出来事を、
正しく理解してはいないらしい。
「それで、西棟の臨時政務室の人達が――」
コンコン。
その時、控えめなノックの音がした。
若い侍女の声が止まる。
「姫様。」
扉の向こうから聞こえたのは、
確認に行った年嵩の侍女の声だった。
「どうしたの?」
鏡越しに問い返す。
返事はすぐには来なかった。
ほんの僅かな沈黙。
「――王宮監察官より、
早急の連絡が入っております。」
部屋の空気が変わった。
「……………」
王宮監察官。
この時間に。
Lunariaの表情から、
眠気が消える。
「監察官殿が、
至急ご判断を仰ぎたいと。」
「……………」
鏡の中の女王が、
ゆっくりと顔を上げる。
胸の奥が、ざわついた。
「……分かったわ。」
Lunariaは静かに立ち上がった。




