月と猫の境界線
ピイィーー!
甲高い笛の音に、Lunariaの意識は引き戻された。
警備兵達が鳴らす、警戒の音。
灯りも、足音も、少しずつ
夜の向こう側から戻ってきている。
「あ……」
黒装束が撤退した直後。
今度は近づいてくる気配に、
Lunariaは息を呑んだ。
さっきまで、
遠かった世界が近づいてくる。
荒々しい足音。
灯りをかざし、警備兵達がこちらをみる。
反射で、身体が固まった。
見つかる……!
と、思ったのも束の間。
警備兵達の灯りが、中庭を横切って行った。
「……見えてない……?」
水底にいるみたいに、あちらの声がくぐもって聞こえる。
まだどこか
辺りに薄い膜が残っているみたいだった。
「――はぁ〜〜っ。」
警戒を解いた青年が、どさっ、と仰向けに倒れ込んだ。
「……きつい。」
腕で顔を覆い、仰ぐようにして言う。
すぐ側に、先程投げた熊手が転がっていた。
青年の服は汚れ、
生地が数箇所、切り裂かれたように綻んで
いる。
左腕と、腿にも血が滲んでいた。
「――斬られたの!?」
「え?」
Lunariaが駆け寄ると、
青年は半身を起こした。
傷を確認し、当たり前のように言う。
「あぁ、これは……元々です。」
「元々?」
「だから、大丈夫です。」
頬にできた切り傷を袖口でぬぐい、
周りを見渡す。
「あー……これはまた酷いな。」
中庭の有様を見て、こぼす。
「…………」
Lunariaは言葉を失った。
どう見ても、青年の傷の方が酷いと思う。
「ねぇ。」
「ん……?」
ピイィーー!!
さっきより近い、警備の笛の音。
青年の顔が凍りついた。
Lunariaを見て、
慌てたように視線を巡らせる。
隠れる場所はない。
それから、その青い瞳で
真っ直ぐにLunariaを見つめて言った。
「……帰ってください。」
かなり、切迫した声だった。
「でも……」
「大丈夫です。」
「え。」
「いまなら、大丈夫です。」
遮るように言われた。
「大丈夫って?」
跳ね起きて、
青年は、回廊側に目を向けた。
あちらには、警備兵。
それから、Lunariaの後ろにいる"彼"を見る。
「……………」
「……………」
数秒。
沈黙。
「……聞きたいことが。」
「問題ありません。」
声を上げたLunariaに、
被せるようにして言う。
……ものすごく雑だった。
「――聞きたいことは、わかります。」
Lunariaの不満げな表情を感じたのか、
青年はものすごく早口だった。
「俺は、あの人達にとって実験動物みたいなものらしいです。」
「でも、貴女は違う。大丈夫だ。」
そして。
「俺は、何も見ませんでした。」
「あなたも、ここには来なかった。」
「では。」
一息で言い切り、さっさと踵を返す。
「待って。」
「待ちません。」
即答だった。
そして、そのまま。
「――おやすみなさい。」
足早に、
夜の向こうへ消えていった。
「……ちょっと、待ってよ……」
Lunariaは、
呆然とその背中を見た。
帰っちゃった……。
「――何あれ。」
聞きたいことが、
たくさんあった。
けれど……
遠くから警備兵達の声が近づいてくる。
「……………」
もう追いかける時間もない。
Lunariaはすぐ側にいるYuleを見た。
彼は真っ直ぐ、Lunariaを見つめている。
それから、ちら、と、
青年の消えた方に視線をやった。
一瞬、考えて。
それから――
王宮に向かって、小走りで駆け出した。
………なんなの、あの人。




