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ヨルから生まれた物語【第一部完結/9.18〜第二部開始】  作者: 灯ノ森みつき
【第一部】第五章《ヨル―撚る―》

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境界の主

「だから、呼ばないでください。」


男から視線を外さないまま、青年は言った。

息が、上がっている。


「――――でも…」


「観測、継続。」


言ったLunariaの声を、

遮るように風が凪いだ。


刹那。


黒装束が、

再び踏み込んだ。


「ぐ…!」


左腕を狙われ、青年の肩が大きく揺れた。


一瞬だけ、腕から力が抜ける。


その隙を逃がさず、黒装束が踏み込んだ。


今度は、左の腿。


「……っ!!」


かろうじて身を捻り、刃を躱す。


触れては居ないのに、

青年の顔は苦痛に歪んでいた。


「……っ、ほんとに嫌な戦い方しますね!」


「ご安心を。壊しはしません。」


「俺は、実験動物ですか。」


「観測、継続。」


黒装束が、地を蹴った。


風圧に、Lunariaの髪が揺れた。


けれど。


青年の手元には、

もう何もなかった。


熊手は投げた。


木製支柱も折れている。


「――最悪だ。」


低い声だった。


黒装束の刃が、

真っ直ぐ喉元を狙う。


速い――


避け切れない……!!!


「―――」


ぐら、り。


突然。

 

Lunariaの視界が、揺れた。


《――――呼べ》


頭の中に響く、夜の声。


闇よりもずっと、深いところで。


底の知れない、金色の瞳で。


こちらを見ている。


――“彼”がいる。


《呼べ》


「――――Yule!」


瞬間。


ゴ、

と。


中庭の空気が、

沈んだ。


「――――!!」


黒装束の動きが、

ぴたりと止まる。


石畳が、

ミシミシと低い音を立てて軋んだ。


「反応、確認……!」


黒装束の声へ、わずかな熱が混じる。


中庭の地面が、目に見えて沈み込んでいく。


まるで、

そこだけに、重力が増していくように。


「それ、が、彼の方の名前ですか……!」


抑えきれないように、黒装束が声を上げた。


その時だった。


「――誰かいるのか!?」


建物の向こう側で、

警備兵の声が響いた。


「っ……!」


青年が、顔を上げる。


終わった。


完全に、そんな顔だった。


とたん。


ふっ、と。


回廊側の灯りが、

一斉に落ちた。


「――――」


空気が、

変わる。


冷たい。


いや、それよりも。


深い――


暗い夜そのものが、

帳のように中庭へ満ちていく。


「なっ……」


青年が、

思わず息を呑む。


音が、

遠ざかっていく。


さっきまで聞こえていた警備兵達の足音も。


灯りも。


気配も。


まるで、

分厚い水の底へ沈んでいくみたいに。


届かない。


こちらへ。


「………Yule。」


――ずるり、と。


更に濃い闇が、収束する。


曖昧な輪郭。


けれど確かに。


それは、人の形を成していた。


《――――――》


"彼"は、何も言わない。


ただ、そこに立っている。


黒装束は、

震えるような呼吸を押し殺していた。


「特異点を中心に、空間隔離を確認。」


「反応、質量変化による空間沈下を確認。」


「領域干渉を開始。輪郭維持……」


「反応……」


その声が、

僅かに揺らぐ。


「……人型へ変化。」


初めて、男の呼吸が乱れた。


「……初観測。」


「Yule。」


Lunariaは、"彼"に駆け寄った。


まるで、母を見つけた子猫のように。

そこには、恐れも躊躇もない。


「………………」


呆気に取られていた青年は、その背中を見る。


「――その人があなたの探し人、ですか。」


落ちた声は、掠れていた。


荒い呼吸を整えながら、

それでも視線は、警戒を解いていない。


黒い衣。

曖昧な輪郭。

夜を溶かしたような長い黒髪に

底の知れない、金色の瞳。


目を逸らせば、

またただの影へ戻ってしまいそうな。


――夜の姿。


青年の青い瞳は、

驚いたように見開かれていた。


「夜の君。」


黒装束が、

ゆっくり片膝をついた。


古い祈りの形に指を組み、そして。


排する。


これ以上、

青年に危害を加えるつもりはないようだった。


「ここまでとは…」


圧倒的な“現象”そのものを前に、

膝を折ってしまったみたいに。


初めて、黒装束の声に感情が滲んだ。


《――――》


"彼"は何も言わない。


ただ、そこにいる。


「Yule。」


Lunariaは、夜の袖に触れる。


「触れられるのか、それ……」


青年の声はこわばっていた。

表情が凍りついているみたいだった。


「――特異点からの、"ヨル"への接触を確認。」


黒装束の声が、掠れる。


「接続強度、中程度。」


「特異点への固定状態は、極めて不安定。」


その間にも、

空間の重さは少しずつ増していく。


黒装束の身体が、

僅かに崩れた。


「…っ、

観測対象への干渉により、

特異点から、の、反応を確認……」


ぐらっ、と地面が揺れているような。


平衡感覚が、狂い始めている。


重力の方向が、曖昧だった。


息が、うまく吸えない…。


それでも

 

黒装束は"彼"から視線を逸らさない。


「現在…次世代座標、は、いまだ未確定……」


そう言い終えると、

男は弾けるように距離を置いた。


「…………ぐ……」


肩で息をしながら、かろうじて立っている。

口元を拭うと、側に唾を吐き出した。


……血。


「――観測分岐点の発生を認める。」


低い声が、

静かな夜へ落ちる。


「世界は、どこへ収束するのか……」


その声だけを残して。


男は、ゆっくり後退した。


夜へ沈むみたいに。


静かに。

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