手遅れかもしれない
――その日の王宮の空気も、
いたたまれないものだった。
砂を噛むような朝食を終えた後、
Elliottは資料室へ向かう回廊を、
重い足取りで歩いていた。
先日、従者から、
妙な噂を聞かされた。
正直、
意味が分からなかった。
ただ。
王宮内の空気が、
かなりおかしなことになっていることは、
昨日でだいたい理解した。
だから多少は、
覚悟していたのだ。
……いたのだが。
「おはようございます。」
「……っ、
お、おはようございます。」
前方から来た侍女へ、
軽く会釈すると、
彼女は不自然に背筋を伸ばした。
そして、
目線を泳がせた後、
そのまま足早に去っていく。
「……………」
Elliottは、振り返ってその背中を見送った。
……昨日より、ひどくなってる。
再び歩き出すと、
今度は文官控室前で、
若い官僚達が何か話していた。
Elliottの姿を見るなり、
ぴたりと声が止まる。
「――おはようございます。」
「……………」
軽く、
会釈だけが返ってきた。
そのまま通り過ぎる。
背後で。
「……やっぱり、
あの方だよな……」
「しぃっ!聞こえるぞ。」
「いやでも、西棟の……」
小声が、
途切れ途切れに聞こえた。
「……………」
Elliottは、そっと唇を噛んだ。
――最悪だ。
……いや、
待ってください。
何なんですか。
本当に、
全く身に覚えがない。
にも関わらず、
どうやら噂は固まってしまったらしい。
『西棟に滞在する宵の国の政務官が、
夜な夜な女王の部屋へ通っているらしい』と。
息苦しさを感じたまま、
何とか資料室へ辿り着く。
扉を開くと、
書庫特有の、
少し埃っぽい空気が流れてきた。
「……………」
落ち着く。
やっと、
息ができる。
Elliottは、
そっと書棚へ手を伸ばした。
古地図。
黎明国旧王統時代の祭祀記録。
擦り切れた神殿搬入記録。
「……女王陛下も、
今はそんな場合じゃないと思うんですけどね」
ぽつりと、
そう零す。
神殿地下から、黎明側へ抜ける旧連絡経路。
もし本当に、
失踪神官が移動しているなら。
すでに、
国境側へ近づいている可能性が高い――
黎明側へ入った瞬間、
この件は外交問題へ変わる。
もし本当に、そうなったとしたら……
「一番お困りになるのは、陛下でしょう。」
Elliottは、頁を閉じた。
時間が、
あまり残されていなかった。
そうなる前に、
出来ることは全てしておかないと。
次の資料を探しながら、
ゆっくり棚の間を歩く。
――穏やかな時間も束の間。
「……っ、
お、おはようございますっ!」
資料棚の陰にいた書記官が、
ぎこちなく頭を下げる。
「……………」
Elliottは、
静かに目を閉じた。
……もう、手遅れかもしれない。




