逃亡者の行先
夕空は、
ゆっくり群青へ沈み始めていた。
森沿いの街道へ、
冷えた風が吹き抜ける。
その先に見える小教会は、
薄暗い空の下で、
半ば影のように佇んでいた。
古い石造りの建物だった。
鐘は既に鳴らず、
蔦が壁を覆っている。
「……ここか」
先頭の警備兵が、
低く呟く。
王宮監察官は、
静かに教会を見上げた。
人の気配はない。
けれど。
扉には、
最近触れられた痕跡が残っていた。
軋む音を立て、
古い扉が開く。
冷えた空気が、
ゆっくり流れ出てきた。
地下礼拝堂。
崩れた旧水路。
湿った石壁。
灯りを掲げた警備兵達が、
慎重に地下へ降りていく。
その奥だった。
「……待機室があります」
低い声が響く。
小さな空間だった。
簡易寝台。
水瓶。
乱れた毛布と、燃え尽きる前に消された蝋燭。
誰かが、
ここで息を潜めていた痕跡だけが残されている。
部下の一人が、
壁へ目を止めた。
「……傷?」
薄暗い石壁。
そこには、
浅い線が幾つも刻まれていた。
王宮監察官は、
静かにその壁へ近づく。
指先で、
傷をなぞった。
まだ新しい。
石粉が、
僅かに指へ残る。
古い傷ではなかった。
ここ数日のうちに、
刻まれたものだ。
「……………」
縦に十二本。
規則的に刻まれている。
そのうちの、
十本の傷を掻き消すかのように、
更に横線が重ねられている。
――何を数えていた。
日数か。
それとも……
誰かが来るまでの時間か。
地下礼拝堂の奥は、
しんと静まり返っていた。
監察官は、
ゆっくり周囲を見回す。
「最近までいたな。」
低い声だった。
地下には、
まだ人の熱が残っているようだった。
その時、地上から慌てた足音が響く。
「監察官!」
息を切らせた警備兵が、
地下へ駆け込んでくる。
「目撃情報です!
日暮れ前、
酷く汚れた男が、宿場町方面へ向かったと!」
空気が、
ぴんと張り詰めた。
監察官は、
ゆっくり振り返る。
「確かなのか。」
「はい。
街道沿いの商人が。」
静かな沈黙。
監察官は、
地下礼拝堂の暗がりを見る。
……あと少しだった。
けれど。
外は既に暗くなり始めている。
森沿いの街道は、
夜になると視界が極端に悪くなる。
「……今夜の深追いは危険です。」
神殿側随員が、
低く告げた。
夜風が、
崩れた地下水路を吹き抜けていく。
監察官は、
しばらく黙っていた。
それから。
「王宮へ伝令を。」
静かな声だった。
「地下待機室を確認。
失踪神官は既に移動済み。
宿場町側へ向かった可能性が高い、と。」
警備兵達が、
素早く頷く。
「夜明けと同時に、
宿場側を再捜索する。」
監察官は、
もう一度だけ地下礼拝堂を振り返った。
「…………」
おそらく誰かが、
ここで十日生き延びていた。
冷えた風が、
静かに廃教会を吹き抜けていく。
遠くで、野鳥が鳴いていた。




