兄からの手紙
喪は、すでに明けていた。
――兄王が亡くなった。
その事実だけが、未だ現実感のないまま時間が過ぎていった。
Lunariaは、ぼうっと手元の封筒を見ていた。
兄からの手紙。
訃報を受けてすぐ、
隣国の使者が届けてくれたものだった。
開けられずに、
そのままずっと置いてあった。
昨日も。
その前も。
葬儀の日よりも、前からずっと。
「……もう、さすがに限界よね。」
ぽつり、と。
つぶやき、彼女は乱雑な机の上にある書簡用の小刀に手を伸ばした。
すでに、弔いの時間は終わっている。
三日後には、Lunariaの戴冠式だ。
劍国王都には、式へ参列する各国の使節が次々と到着している。
世界は、
何事もなかったかのように動き始めていた。
……けど。
濃紫の瞳を燻らせ、
Lunariaは窓の外を見た。
開け放した窓から入ってくる夜風が、
彼女の淡い灰銀の髪を冷たく撫でる。
ゆるく波打つ長めの髪は、
結われないまま少し乱れていた。
静かな部屋だった。
壁際へ追いやられた書類箱。
脱ぎ捨てたままの外套。
飲みかけで冷えた茶。
ここ数日、
まともに眠った記憶も曖昧だった。
――Lunariaの時間は、
あの日からずっと止まっている。
窓から、
ざわり、と夜風が吹き込む。
長い灰銀の髪が揺れた。
次の瞬間――
机の端へ積み上げられていた書類束が、
ばさり、と大きな音を立てて崩れる。
重たく落ちた紙束が、
机の上を滑った。
その衝撃で、
数枚の書類が床へ散る。
遅れて、乾いた紙の音が部屋へ広がった。
「…………」
拾う気にはなれなかった。
かさかさと、書類は風の余韻にはためいている。
……中、見なきゃ。
さすがに。
二ヶ月近くも、読む気になれなくて。
「…………」
大切なことが、書いてあるかもしれない。
後からじゃ遅いかもしれない。
「わかってるの……」
頭では。
でも。
封へ触れた指先が、
僅かに止まった。
ためらうように。
開ければ、戻れない。
――でも。
彼女は静かに目を閉じ。
ひとつだけ息を吸ってから。
それから、ゆっくりと封を切った。
かさ……。
中には、羊皮紙が1枚だけだった。
飾り気のない字。
乱暴で。
少し崩れていて。
急いで書き殴ったみたいな字。
王族の書簡らしい美しさなど、
どこにもない。
けれど――
見間違えるはずもない。
兄の字だ。
――――――――――――――――――――
かしこまった手紙は書けない性分だ、許せ。
お前はちゃんと悲しむだろう。
それでいい。
だが長くは立ち止まるな。向いてない。
仕事は溜めるな。多分溜まる。やれ。
アイツは来るだろう。
きたら追い返すな。いい奴だ。
お前よりは手がかかるが、悪くない。
それから、夜も来るだろう。
それでもお前なら大丈夫だ。
ちゃんと生きろ。
それで十分だ。
――――――――――――――――――――
「……何これ。」
ちっとも意味がわからない。
誰宛とも、
誰からとも書いていない手紙。
およそ。
国を収めていた人間が書いたとは、
思えない文章だった。
なのに。
それが余計に兄らしくて。
ぽたり、と。
羊皮紙へ、雫が落ちた。
「……っ……」
そこで初めて。
Lunariaは、
自分が泣いていることに気づいた。
一度溢れてしまえば、もう止まらなかった。
「……っ、……ぅ……」
喉の奥で声が震える。
泣いてはいけないみたいに。
誰に聞かれるわけでもないのに。
零れた涙が、
次々と羊皮紙へ染み込んでいく。
ざわ……。
その背後で。
――夜が揺れた。
開け放たれた窓の外。
闇が、僅かに軋む。
風ではない。
もっと粘つくような、
異質な気配。
それは静かに。
泣き続けるLunariaの背後で、
息を潜めるように揺れていた。




