表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヨルから生まれた物語  作者: 灯ノ森みつき
第二章《波紋》

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
27/70

水音

水の音だけが響いていた。


地下水路を流れる水は、

夜そのものみたいに冷たかった。


石壁を伝う水が、

絶えず低く鳴っている。


男は、

乱れた呼吸のまま灯を掲げた。


指が震えている。


灯が揺れるたび、

濡れた石壁へ影が歪んだ。


その先に。


――屍がある。


白布に包まれた身体。


だが。


顔は、

もう原型を留めていなかった。


男は思わず後ずさる。


喉の奥が、

ひくりと痙攣した。


「……っ」


込み上げた吐き気を、

必死に飲み込む。


違う。


こんなはずではなかった。


本当に。


こんなはずでは――。


男は、

乱暴に頭を振る。


予定では。


入れ替えるだけだった。


禊の間へ入る前に、

付き添い人を隔離する。


儀式が終われば、

戻す。


それだけだった。


黎明は、

正されるべきだった。


王権は、

本来あるべき場所へ戻るべきだった。


そのための、

小さな協力。


……そのはずだった。


なのに。


男は、

震える目で遺体を見る。


冷たい。


動かない。


もう、

戻らない。


「何故だ……」


掠れた声が落ちる。


「何故、

殺す必要があった……!」


返事はない。


当然だ。


男は、

荒く息を吐く。


その時。


脳裏へ、

あの青年の姿が蘇る。


禊の間へ招き入れた時だった。


若かった。


まだ、

少年のような輪郭すら残していた。


それなのに。


目だけが、

異様なほど静かだった。


まるで。


初めから、

全て知っているみたいに。


「…………」


ぶるりと、

肩が震える。


恐ろしかった。


あの目を、

思い出すだけで。


理解してしまった。


これは。


王権争いではない。


儀式でもない。


“世界”だ。


足元の水が、

低く鳴る。


男は、

震える指で顔を覆った。


「こんなことをする為じゃない……」


声が、

崩れる。


「私はただ……

正したかっただけだ……!」


だが。


もう遅い。


遺体は、

そこにある。


焼かれた顔。


名前さえ奪われた。


もう、

誰だったのかも判別できない。


男は、

半ば乱暴に白布を掴む。


震える。


指も。


呼吸も。


思考も。


止まらない。


違う。


違う。


違う。


こんなはずではなかった。


その時だった。


ふいに。


水音が、

止んだ気がした。


男の呼吸が止まる。


静寂。


暗闇。


その奥で、

何かがこちらを伺っている。


男は、

ゆっくりと顔を上げる。


誰もいない。


だが。


夜そのものが、そこに在る――


喉の奥から、

小さな悲鳴が漏れた。


次の瞬間。


脳裏へ、

別の現実が閃く。


ここへ誰かが来れば。


最初に疑われるのは、

自分だ。


神殿。


儀式。


閉ざされた場所。


そして。


この遺体。


「…………っ」


帰らなければ。


ふいに。


その言葉だけが、

頭へ浮かんだ。


帰らなければ。


このままでは。


自分は、

ここで終わる。


男は、

震える手で白布を掴む。


重い。


冷たい。


水路へ、

半ば転がすように遺体を押し込む。


黒い水が静かに揺れた。


白布がゆっくりと、

闇の奥へ流れていく。


男は、

その姿を見送れなかった。


足音が聞こえる。


誰かが来る……


もう、時間がない。


濡れた石床を蹴るように立ち上がる。


水音が乱れた。


闇の奥へ。


逃げるように。


男の影が、

消えていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ