2-35話 あの時の、猫の人は。
第二部 撰択編
「陛下。」
いつもより固い音で、
休憩室の扉が叩かれた。
「宵の国の皆様が、接見室へお揃いです。」
「ええ、わかったわ。」
Lunariaは読みかけの本を閉じた。
若い侍女が立ち上がり、
Lunariaの衣装の裾を整えた。
髪飾りの位置を確認し、最後に全体を見渡す。
「大丈夫です。」
Lunariaは立ち上がった。
高官が先導し、接見室へ向かう。
ほどなくして、
重厚な扉の前で足が止まった。
近衛兵が一礼する。
「劍国女王陛下、入室されます。」
ゆっくりと扉が開かれた。
宵の国の一行は、
既に揃っていた。
接見室には、
深い色合いの衣装が並んでいる。
華やかさよりも、
実務を重んじた装いだった。
Lunariaは接見室へ足を踏み入れる。
宵の国の者達が立ち上がり、
頭を下げた。
その中を、
Lunariaはゆっくり歩みを進める。
数歩ほど歩いたところで。
……いた。
Lunariaの視線が止まった。
――あの人だ。
西棟の中庭で猫に餌をやっていた、
あの人だった。
深く首を下げていて、
今は淡い茶色の髪しか見えない。
でも、確実にあの人だ。
知らず、
Lunariaの口角が少しだけ上がった。
そのまま、
Lunariaは上座へ腰を下ろす。
「皆様、楽になさってください。」
短く告げる。
宵の国の者達が着席した。
「…………。」
ただ一人を除いて。
その青年だけは、
まだ頭を下げたままだった。
隣に座る男性が、
ちらりと横を見る。
無言のまま、肘で小さく青年の脇腹を突いた。
ごつ。
「痛っ。」
小さな声が漏れる。
そして、ようやく青年が顔を上げた。
ちょうど彼を見つめていたLunariaと、
真正面から目が合った。
「…………。」
「…………。」
そして、ふいに視線を横に逸らした。
――何、あれ。
Lunariaの眉が、わずかに上がった。
王弟付き高官が一歩前へ出る。
「この度は、夏至祭準備室一同をお招きいただき――」
挨拶が始まる。
Lunariaは、頷きながらそれを受けた。
――だが。
Lunariaの意識は、
全く別のところに向いていた。
あの人。
淡い茶の髪をした青年は、
終始目線を横に逸らし、
一向にこちらを見ようとしない。
その口元は、気まずそうに固く結ばれていた。
……すぐにでも逃げ出したそうな様子が、
だんだん腹立たしくなってくる。
なんなの、この人。
Lunariaにはわからなかった。
どうして、そこまで自分を避けるのか。
Lunariaは、彼に何をしたわけでもなかった。
ただ、少し話しかけただけだ。
なのに。
宵の国側の最前列で、
身を縮めるように目線を逸らしている。
本当になんなの、この人。
失礼だわ。
前列にいるんだから、
もっと堂々としてればいいのに――
「……?」
そこまで思って。
訪れた違和感に、Lunariaの視線が揺れた。
――前列?
「――まずは王弟家次男殿下。」
王弟付き高官が紹介する。
青年の隣の、濃茶の髪の男性が立ち上がった。
宵の国の王弟殿下にとてもよく似ていた。
この人が、王弟家の次男。
そこまでは理解できた。
だが――
そのすぐ隣。
猫に餌をやっていた青年が、
居心地悪そうに座っている。
猫の人。
前列。
王弟家、次男の隣。
「……っ。」
とたん、Lunariaの視線が泳いだ。
まって。
後列を見る。
戴冠の前の晩餐会。
そこで、王弟子息長男の隣にいた男性がいた。
……後列。
後列。
――え?
「ん?」
Lunariaの視線の動きに気づいたのか、
青年も後ろを振り返った。
晩餐会で長男殿下の隣にいた男性もまた、
二人からの視線に気づいて顔を上げた。
Lunariaの視線は、何度も往復する。
青年と、男性の間を。
前列。
後列。
前列。
後列。
青年、前列。
男性、後列。
「…………。」
「…………。」
――え?
その瞬間。
言葉はなくとも、
Lunariaと青年はおそらく同じことを考えていた。
接見室に、王弟付き高官の声が響く。
「次にこちら――」
Lunariaの視線が止まる。
青年もまた、
何かを察したように目を瞬いた。
「王弟子息三男――」
呼ばれ、青年は立ち上がった。
「……っ!」
その瞬間。
Lunariaは息を呑んだ。
熱が一気に顔へ集まる。
とたんに、全てが繋がった。
どうしよう――恥ずかしい!
「………Elliottです。」
名乗った青年は、静かに一礼した。
その表情は、どこか複雑そうだった。




