近づく
《――お前でいい》
どこかで。
声が聞こえた気がした。
◆
「…………」
目を開けた瞬間。
自分が、
どこにいるのかわからなかった。
薄暗い天蓋。
閉ざされた帳。
ぼんやりと視線を彷徨わせてから、
ようやく自室だと気づく。
――頭が重い。
身体も。
まるで、
深い水の底へ沈んだまま浮かび上がれていないようだった。
ゆっくりと息を吐く。
その音だけが、部屋に響いた。
……静かすぎる。
昨日までの城は、
来賓達の気配で満ちていた。
足音。
声。
楽師達の奏でる音。
絶えず誰かが動き、
誰かが言葉を交わしていたはずなのに。
今日は、
それらが遠い。
まるで城そのものが、
息を潜め始めているようだった。
帳の向こうで、
控えめな気配が動いた。
「姫様。」
年嵩の侍女だった。
「お加減はいかがですか。」
Lunariaは、
すぐには答えなかった。
良いとは、とても言えない。
けれど。
「……大丈夫。」
やや遅れて、小さく声を返した。
継承の儀まで、あと半日。
戴冠式まで、あと一日。
大丈夫。
それしか言えない。
侍女は何も言わなかった。
音を立てぬよう、
水差しを卓へ置く。
その横には、
手のつけられていない朝食が残されていた。
……朝食?
Lunariaは、
ぼんやりと窓へ視線を向ける。
閉ざされた薄布の向こう。
差し込む光は、
すでに昼へ近かった。
「……私、
こんな時間まで。」
掠れた声に、
若い侍女がそっと頭を下げる。
「本日のご予定は、
昼前からへ変更されております。」
穏やかな声音だった。
まるで最初から、
そう決まっていたかのように。
「そうなの。」
Lunariaは、
ゆっくりと瞼を閉じた。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
安心したのかもしれない。
今日はもう、
晩餐会へ出なくていい。
誰かへ微笑み続けなくていい。
判断を急かされない。
肩の力が、わずかに緩んだ。
けれど。
ずん、と。
頭の奥が、
再び重く痛む。
――部屋のどこかで。
何か大きなものが、
ゆっくりと動いた気がした。
音ではない。
気配でもない。
もっと――――
暗い水の底で、
巨大な何かが動いた時のような。
ひどく鈍い質量だけが伝わってくる。
Lunariaは、反射的に視線を巡らせた。
……部屋には誰もいない。
Lunariaと、侍女達以外には。
「…………」
濃紫の瞳の先で。
ただ閉ざされた帳だけが、
僅かに揺れていた。




