二子山の共闘と、体制側の反逆者
第15話:二子山の共闘と、体制側の反逆者(推敲版)
生辰綱の強奪を許し、任務に失敗してからというもの、青柳志郎は州都へと戻ってはいなかった。
梁田のもとへ戻れば、待っているのは軍籍復帰どころか極刑に近い処罰であることは火を見るより明らかだった。
それでも武人として戻るべきかと葛藤を抱えながら、青柳は街道を大きく外れ、彷徨っていた。
行く先も生きる目的も定められぬまま辿り着いたのは、鬱蒼とした木々に覆われた『二子山』の麓だった。
山上の古寺は凶悪な山賊どもに占拠され、近隣の村から強引に食糧を奪い、取り返しに来た村人を捕らえて虐待しているという。
青柳は静かに刀の柄に手をかけ、険しい山道を上った。
古寺の重厚な門の向こうから、粗暴な山賊たちの怒鳴り声が響いていた。
青柳が静かに真剣を抜きかけたその瞬間、背後の草むらがサッと鳴った。
「青柳。一人で踏み込むな」
重々しい声とともに現れたのは、花田和人だった。
さらにその隣には、変質した三節棍を肩に担いだ篠田進が不敵な笑みを浮かべて立っていた。
青柳の切れ上がった顔が、一瞬で鋭く強張った。
「……松江に言われて、私を追ってきたのか」
「そうだ」
花田がまっすぐに答えた。
「恵太が『青柳を捜して、無事を確認してくれ』って言ったんだ」
「……私を出し抜いて生辰綱を奪った相手が、今度は私を哀れんで救うつもりか」
花田は言葉を詰まらせ、静かに黙り込んだ。
篠田が何か言い返そうと口を開きかけたが、花田が静かに手を出してそれを制した。
「……そう言われて突き放されても、仕方ないと思っている」
「ならば失せろ。私に構うな」
「だが、お前をこんな山奥で一人死なせたくないのは、俺たちにとっても本気なんだ」
青柳は刀の柄を強く握り締めたまま、二人の真摯な瞳を見据えた。
その時――門の奥で激しい物体が倒れる音が響いた。
続いて、痛々しい若い女性の叫び声が夜気に弾けた。
「やめて……! もう、お父さんを叩かないでっ……!」
青柳の視線が、瞬時に古寺の境内へと引き戻された。
「……中に、捕まっている無辜の民がいる」
「聞いたぜ」
篠田が三節棍を疾風のように構え直した。
「まずはあの連中を助け出して、外へ逃がすのが先決だな!」
青柳はしばらくの沈黙の後、真剣の柄からそっと指を離した。
「……私の指揮に従えるか」
「へっ、無茶な命じゃなけりゃな!」
篠田がニヤリと笑い、花田も深く首肯した。
*
門を勢いよく蹴り破ると、広大な境内に奪われた米俵が乱雑に積み上げられていた。
その前で、凶暴な山賊が太い木棒を振り上げ、地面に倒れ伏す老人を容赦なく打ち据えようとしていた。若い娘が泣きながらその老人に覆いかぶさって庇っている。
「やめろ、無抵抗の者を打つな!」
青柳の氷のように冴え渡る一喝が境内を震わせた。
山賊が驚愕して振り向く。奥の堂宇からも、刃物を手にした十数人の男たちが雪崩を打って飛び出してきた。
「何だてめえらは! 総督府の犬か!?」
青柳は返事をする猶予も与えず、冷徹に状況を把握した。
「花田、右から迂回して老人と娘を確保しろ! 篠田は私とともに前線を押し戻す!」
山賊の一人が娘の髪を掴もうと手を伸ばした。
間髪容れず、篠田が三節棍を短く持ち替え、その隙間へと弾丸のように突き進んだ。
ガツンっ! と振り下ろされた山賊の棍棒を強烈な衝撃で受け止め、天微星の剛力で一気に押し返す。
その僅かな隙を見逃さず、花田が巨躯を滑り込ませて老人と娘を優しく抱え上げた。
天孤星の荒ぶる力が暴走しないよう、深く息を吐き出して慎重に抱きすくめる。
「……歩けるか。怪我はないか」
娘が驚きつつも力強く頷いた。
「なら、一刻も早く門の外へ逃げろ!」
青柳の刀身が月光を裂いた。
襲いかかる長槍の切っ先を、最小限の太刀筋で滑らかに外へ受け流す。
相手が態勢を崩した一瞬の隙を見逃さず、刀の柄頭で相手の顎を正確に打ち抜き、膝から崩れ落ちさせた。
篠田が青柳の背中へと跳び戻ってきた。
「青柳! 奥の堂宇にもまだ囚われてる奴らが大勢いるぞ!」
「深追いはするな。脱出路の確保を最優先にする!」
古寺の重々しい扉が内側から突き破られ、縄で縛られた大勢の村人たちが怯えながら顔を出した。
青柳は血のついた真剣を、取り囲む山賊どもへ真っ直ぐに突きつけた。
「武器を捨てろ。逃げる人々を追う者は、この私が容赦なく斬る」
圧倒的な剣気と、花田・篠田の異能の圧威に、山賊たちの間に冷たい沈黙が走った。
やがて一人、また一人と、山賊たちが恐怖に青ざめて刀を石畳へ投げ捨てていった。
*
茜色の西日が傾く頃、二子山の古寺の庭には、山賊から奪還した膨大な食糧や家財が整然と並べられていた。
救出された村人たちが、涙を流しながら自分の荷を確かめ合う声が行き交っていた。
青柳は静かに真剣を鞘へと収めた。
「……私は、この二子山に残る」
花田がハッと顔を上げた。
「……葦ヶ原の砦には、来ないのか」
「行かない」
青柳は迷いのない声で答えた。
「私は……松江たちのやり方を完全に許したわけではない。略奪者に与するつもりはない」
「……そうか」
「だが……ここへ高田の苛政から逃げてくる人々を、見捨てるつもりも毛頭ない。山賊が再びここを占拠するなら、私が防ぎ切らねばならん」
篠田が周囲の境内に視線を走らせた。
崩れかけた土塀。足りない寝具や防寒具。山賊から取り返した米俵の山。
「……一人で守るには手が足りねえぞ、青柳」
「人手を借りるというなら、相応の対等な条件を決める」
青柳は花田に向き直り、力強く言った。
「私は葦ヶ原の指図も命令も一切受けない。だが……互いに追われた弱者をかくまい、総督府の軍が動けば即座に知らせ合う『相互防衛の同盟』ならば、結ぶ価値がある」
花田の目線が温かく緩み、強く頷いた。
「……ああ。恵太に、そのまま伝える」
最初から仲良しのグループに戻るための対話ではなかった。
けれど……二子山と葦ヶ原という二つの反逆の拠点を繋ぐ固い絆が、この時初めて交わされたのだった。
*
同じ頃、沿岸の遠山浦の隠れ家では、長谷川蓋人が人々の緊急避難を不眠不休で指揮していた。
生辰綱の強奪戦を終えた後、長谷川は元いた自営の拠点へ戻り、残してきた仲間や避難民を連れて葦ヶ原砦へと完全移住する準備を進めていたのだ。
だが、荷造りが終わる直前、見張りの少年が息を切らせて飛び込んできた。
「長谷川先輩! 州警察の本格的な包囲網が来ています! 東の街道も封鎖されました!」
長谷川は即座に木棒を手にした。
同じく潜伏していた公文勝也が、壁際に身を寄せる避難民の人数を手際よく数え上げる。
「重い荷物はすべて捨ててください! 歩けない老人と子供を最優先で連れ出します!」
――トントンっ!
その時、裏口の木戸が激しく、けれど規則正しい暗号の叩き方で鳴らされた。
長谷川が警戒しながら戸を開けると、そこに立っていたのは……山陰州警察の絢爛豪華な軍服に身を包んだ一人の少年だった。
「……宗像……!?」
元・中学校の生徒会長であり、今は体制側の頂点に立つ宗像だった。
宗像は滑り込むように中へ入ると、即座に戸を固く閉ざした。
長谷川は警察長官の漆黒の制服を前に、警戒の構えを解かなかった。
「……投降しろと、高田の犬として言いに来たのか?」
「……急いでここから逃げてください」
宗像の口から出たのは、意外すぎる切り詰められた声だった。
「南側の包囲部隊の交代時間を、私が故意に遅らせてあります。今なら裏の沢筋から脱出できます」
「お前が……裏切ったというのか!?」
「私は長官として指揮を執っています。ですが……周囲には高田総督が付けた教育係や目付けが常に目を光らせている。いつまでも不自然な理由で捜索を遅らせられるわけではありません!」
宗像の綺麗な額には、命がけの極度の緊張による汗が滲んでいた。
権力と地位は与えられた。けれど、その周囲はすべて敵と裏切り者ばかり。誰一人として、自分の本当の目的を明かせる人間など存在しなかったのだ。
「……私には、逃亡中の先輩方に密告を届ける確実な使者がいませんでした。だから自ら来ました」
長谷川はその冷徹な生徒会長の顔を凝視した。
「……お前も一緒に来い! こんな腐った奴らの警察など辞めて、俺たちと合流しろ!」
宗像は静かに、けれど固く首を横に振った。
「……私が今ここで消えれば、これまでの工作がすべて無駄になり、総督府の本隊が即座に動きます」
「残って……一体何をする気だ!」
「……高田に捕らえられた、未だ行方不明の同級生たちの収容先を調べています。まだ……どこへ送られたか分からない仲間が大勢いるのです」
外の通りから、州兵たちの靴音が靴底を鳴らし、緊迫した号令が響いた。
宗像が裏戸へ目を向けた。
「……もう行ってください。限界です」
公文が長谷川へ力強く告げた。
「全員、裏道から脱出できます! 長谷川先輩!」
長谷川は歯を喰い破らんばかりに噛み締め、構えていた武器を下ろした。
「……宗像。次に会うまで……絶対に死ぬなよ」
宗像は一瞬だけ目元を緩め、短く首肯した。
「……長谷川先輩も」
*
長谷川たちが屋敷を脱出して数分後、背後の夜空に激しい火の手が上がった。
踏み込んだ州兵たちの怒声と、無人の屋敷が激しく燃える音が遠く聞こえた。
長谷川は走りながら振り返った。
「……全員無事か!?」
「全員います!」
公文が声を張り上げた。
「屋敷を出た時と、今。怪我人も含めて人数は完璧に同じです!」
長谷川は力強く頷いた。
宗像は……あの燃え上がる火炎と、冷酷な兵たちの待つ追撃の渦中へと一人戻っていったのだ。
その命がけの選択と犠牲を、絶対に無駄にするわけにはいかなかった。
「……葦ヶ原の砦へ向かうぞ!」
長谷川は先頭に立ち、夜の深山へと避難民たちを引っ張った。
「遅れても構わん! 歩けなくなったら遠慮なく叫べ!」
人々が再び、希望の光を求めて歩き出した。
砦へ辿り着けば、冷たい雨風は凌げるかもしれない。
けれど――そこには更なる食糧不足と、追手との過酷な戦いが待ち受けているのだ。
長谷川は闇を突き破るように先頭に立ち続けた。
合流したからといって、それで物語が終わるわけでは決してなかった。




