9. 誘拐
何とかプリシラにテストの範囲を教え込み、無事にテストは終わった。そして、彼女はまた怠惰な生活に戻っていった。一方、僕は生徒会で学園祭の準備に携わるようになった。
学園祭の準備の一環で、設備点検がある。生徒目線で設備に不備がないかを確認するものだ。プリシラの『日記』には、学園内にクィン先生が掘ったいくつかの隠し通路があると記載されていた。僕は設備点検と称して、学園内をくまなく探索することにした。
「一番長い穴は語学実習室から学外に通じるものですね」
語学実習室には人影があったので後回しにして、学園外の池のほとりにある切株の根元に向かった。
「――この穴が隠し通路」
穴は人が一人やっと通れる大きさだった。明かりを灯しながら、身をかがめて歩いていくと、やがて行き止まりと小さな梯子があった。天井から光が漏れ出ている。ここが出口か。頭上からクィン先生の声が聞こえた。
「リリアン、そうではありません」
「はい、クィン先生」
どうやら『日記』の記述どおり、この穴は語学実習室につながっているらしい。一緒にいるのは『ヒロイン』のリリアンだろうか。そういえば『日記』には『攻略対象』の誰かを『攻略』した後、クィン先生も『ヒロイン』の『攻略対象』になると書かれていた。少しだけ嫌な予感がする。
「クィン先生、もう一度お願いします」
「よい心がけです」
――授業の復習か。リリアンも『ヒロイン』である以前に学生だ。この歳から外国語の勉強を始めると授業についていくのが大変なのかも知れない。
どこに出るかをちゃんと確かめたいが、梯子を上るのは諦めて、僕は元来た道を戻った。泥だらけになりながら生徒会室に戻ると、殿下が難しい顔をして書類を見ていた。
「どうした、その格好は?」
「学園の設備点検です」
「手伝えなくて悪いな」
殿下は一つため息をついて、手元の書類を机に置いた。
「何かあったんですか?」
「――ああ。内密なんだが、父上が学園内の警備を増やすと言ってきかないんだ。学園祭の配置も考えないといけないな」
殿下が少しためらうように言った。クィン先生の顔が浮かんだ。
「どうしたんですか? もしかして学園内に『スパイ』でも?」
「モーリス、機密は人に言えないことだから機密なんだ。君にも教えることはできない」
殿下が瞼を瞬かせた。少し動揺したようだった。
「不躾な質問をして失礼しました。明日はクィン先生と学園祭に向けての話し合いですね。資料は僕が準備しておきます」
「ああ、頼む」
クィン先生は学園祭の担当教員だ。翌日、僕たちは空き教室で、学園祭当日の予定や出し物の配置を話し合った。物腰柔らかで気さくな雰囲気で、建設的な意見をくれた。
「――殿下」
話し合いが盛り上がっていると、殿下の護衛騎士の一人が部屋に入ってきた。護衛騎士が殿下に何やら耳打ちすると、殿下はアルカイックスマイルを浮かべて言った。
「陛下に呼ばれた。今日はお開きでいいかな? クィン先生、モーリス」
「ええ、僕は構いません」
「承知しました。では、また来週」
クィン先生がにこりと笑った。教室を出ると、殿下が僕の上着の裾を引き、耳打ちをした。
「緊急事態だ、あの木陰に隠れるぞ」
殿下は口元に人差し指を立てた。僕は静かに殿下の指示に従った。
「――イーディスとグレイストーン公爵令嬢が攫われた。先ほど王宮に身代金の要求があった」
「え? プリシラが攫われた? 学園でですか? それとも通学路?」
プリシラはいつもまっすぐに家に帰るはずだ。通学路で馬車が襲われたなら、家の者から何らかの連絡があってもおかしくはない。
「イーディスがエリントン男爵令嬢と空き教室に入っていくのを見た者がいた。目撃者はイーディスの友達の令嬢だ。部屋の外で彼女を待っていたそうだが、いつまで経っても出て来ないので、教室に入ると誰もいなかったそうだ」
「エリントン男爵令嬢が関わっているということですか? 空き教室とはどこですか?」
「1階の予備教室だ。我々の学年では使っていたが、今年は使っていない部屋だ」
僕はメモをめくった。
「確かにあの部屋には中庭に通じる隠し通路があるという情報がありますね」
「隠し通路?」
「――匿名の『怪文書』が投書箱に投函されていたんです。その真偽を確かめるために、設備点検の際に一つ一つ確認していたんですが、予備教室の隠し通路はまだ確認できていません」
まさかプリシラの『日記』とは言えないので、僕は『怪文書』と説明した。
「もし本当に隠し通路を使った犯行なら、随分と手慣れている……」
「エリントン男爵令嬢単独の犯行ではないでしょう。動機の説明がつかない」
僕はクィン先生を指さした。
「お前、どこかで聞いたのか? まあいい。彼にはスパイの嫌疑がかけられている。彼を招聘した学園長は反発しているが。だからまず学園の警備を増員するという話になった」
僕たちは静かに彼を追った。彼は居室である語学準備室に入っていった。
そしてその時、物音と甲高い叫び声が語学実習室からした。
「プリシラ……!」
「待て、敵が何を持っているか分からない。人質に危害を加えられたら最悪だ。まずは状況を確認しよう」
殿下が制した。教室の扉に耳を近づけ、中の様子を探る。クィン先生がリリアンを嗜めている。
「こらこら、リリアンやめなさい。まだ学校の中なのだから」
「クィン先生! すみません。つい」
おそらくあの隠し通路から外に連れていくつもりなのだろう。僕は昨日確認した語学実習室に続く抜け穴について、殿下とその護衛騎士に伝えた。
プリシラを早く助けてやりたい。はやる気持ちを抑え、騎士団の報告を待った。
クィン先生がプリシラに向かって言った。
「どうして自分が捕まったのか分からない、という顔をしているね。殺す前に教えてあげよう」
その言葉に背筋が凍った。教室を取り囲んだ騎士たちにも緊張が走る。
「君もリリアンと同じように、不思議な記憶を持っているようだからね――」
『記憶』――リリアンにも、プリシラと同じ『記憶』があるのか。昨日、あの隠し通路で二人の声を聞いた時に、もっと警戒していれば。ただの授業の復習だと考えた自分の判断が恨めしかった。
「我々の邪魔をされると困ると思って、一緒に誘拐させてもらった。君たち二人を同時に誘拐することで、こちらの本当の狙いを悟られにくくすることもできるからね」
『本当の狙い』? その時、隠し通路に侵入した騎士たちから、教室の下に到着したと連絡があった。
「よし、行くぞ」
殿下が勢いよく扉を開けた。
「全て聞かせてもらった。そこまでだ!」
抜け穴から飛び出した騎士たちが、リリアンとクィン先生を捕らえた。
「で、殿下!?」
クィン先生は戸惑った様子だが、これで言い逃れはできないだろう。
「ど、どうして? モーリスが助けに来るのよ! あんた義妹と仲悪かったんじゃないの?」
リリアンが叫んだ。
「何を言っているんだ。彼女は僕の婚約者だ」
リリアンとクィン先生は、騎士たちに速やかに連行されていった。僕は慌ててプリシラに駆け寄った。自分がついていながら彼女を危険な目に遭わせてしまった。大失態だ。
「プリシラ、大丈夫か? 無事でよかった」
「ありがとう。助かったわ。お腹を蹴られたけど、大丈夫。モーリスはどうして、ここが分かったの?」
「目撃者がいたんだ。もともとクィン先生はマークされていたから、すぐに動けた」
殿下もイーディスに駆け寄り、彼女を抱きかかえている。彼女は気を失ったままだが、ぱっと見大きな怪我はなさそうだ。
「そんなことより、腹は大丈夫か? さ、帰ろう。僕たちの邸へ」
「うん」
小さく頷く彼女を抱きかかえて、馬車に向かった。




