3. 日記
チェスはただお茶をするより、自然な会話ができるし、プリシラの警戒を解くのに都合が良かった。彼女はいつも自室に僕を招いてくれた。居間や中庭などでチェスを指していると、母親である公爵夫人に見つかり、いつも良い顔をされないそうだ。
ある日の昼下がり、プリシラとチェスを楽しんでいると、公爵夫人が彼女の部屋まで訪ねて来た。
「プリシラ、今日はアンダーソン侯爵令息とのお茶会があると言ったでしょう! 早く準備なさい」
「え、嫌です」
「あなたまた、チェスを指しているの! モーリスもこの子の相手をしなくていいわよ。早く行きましょう、プリシラ」
「だから、嫌です」
プリシラは嫌だ嫌だとわめいていたが、引きずられるようにして部屋から連れ出された。
僕は残された盤面を見た。
アンダーソン侯爵家の長男は婚約者が決まっている。多分次男の方だろう。利発な令息だと聞いたことがある。辺境にある家で、最近その領内に新たな鉄の鉱脈が見つかった。公爵家は婚姻関係を結び、開発を援助する代わりに、安価で鉄を融通させるつもりだろう。――つまり政略的にもプリシラの優良な婿候補ということだ。
一方、自分は公爵家の遠戚だ。だが寄子の我が家にそのような旨味がない。だから社交が苦手で白痴と噂される令嬢を追い出して、養子としてこの家を乗っ取ろうと考えた。けれど、もしプリシラに優秀な婚約者が決まれば、公爵家を継ぐ道は閉ざされてしまう。
まあ、その時は文官の道に進めばいい。もともと、そのつもりだった。国内外の貴族に顔が利くグレイストーン公爵から推薦状をもらえれば、採用に有利に働くだろう。
でも、どうしてか胸がざわついた。言葉では説明がつかない感情だった。
結局、アンダーソン侯爵令息とプリシラのお茶会はうまくいかなかったらしい。使用人の話では、お茶会はプリシラが近くの木の葉の枚数を数え始めて、強制終了となったそうだ。それからも、公爵夫妻は何人かの令息を連れて来てはプリシラとお茶をさせたが、彼女はいずれの令息にも興味を示さなかった。それにどこかほっとしている自分がいた。
そんなある日、プリシラの専属侍女がプリシラの秘密を一つ教えてくれた。
「お嬢様ってこの世の全てに興味が無さそうなのに、実は『日記』をつけられているんですよ」
「『日記』をですか?」
「ええ。いつも一人になってから書いてらして、私が部屋に入るとしまわれてしまうんです」
「へぇ、僕とのチェスの結果でも書いているんですかね」
「うふふ、そうかも知れませんわね。二回連続で負けたと悔しがってましたし」
「――いいことを教えてくれてありがとうございます」
昼下がりにチェスをしていると、また公爵夫人が彼女を呼びに来た。
「プリシラ! またチェスをやっているの! 今日は新しい家庭教師が王都から来てくださると言ったでしょう」
「この領から出る気はないので、外国語の勉強はしたくないです」
「もう、わがままはいい加減になさい」
また、プリシラが部屋から引きずり出された。その光景を見届けると、僕は彼女の机を漁った。そして、二番目の引き出しの奥に分厚い日記を見つけた。
「――これが、プリシラの日記」
恐る恐る日記を開く。
乙女ゲーム
リリアンの謎解き学園
攻略対象
悪役令嬢
スパイ
断罪
シナリオ
ニート……
この世界にはない言葉が並んでいた。これはただの『日記』ではない。何らかの暗号文なのか。
難解な単語がたくさんあって困惑したが、必死に読み解いた。彼女は『ニート』とやらになるために、『悪役令嬢』になるという運命を捻じ曲げているそうだ。
『日記』には、本当の『シナリオ』では、プリシラは王太子・ライナス殿下の婚約者になるはずだったとあった。確かに彼女は同年代の令嬢の中で最も身分が高く、有力候補ではあった。だが、ライナス殿下の婚約者を決めるためのお茶会をグレイストーン公爵が辞退したと聞いている。あまりに怠惰な彼女を王宮に出すのをためらったのだろう。
「――『義兄』モーリス?」
自分のことか。プリシラが王族に嫁ぐために、グレイストーン公爵が嫡男として遠戚から引き取った養子とあった。プリシラとは昔から折り合いが悪く、公爵家を乗っ取ろうとしているとも。僕は焦った。彼女はライナス殿下の婚約者ではないし、自分も彼女の義兄ではない。だが誰にも言っていないはずの自分の野望がそこに記されていた。
震える手でページをめくると、次のページに彼女の"作戦"が走り書きにされていた。
『まずモーリスの行動を監視する。たとえ家督を奪われたとしても、ニートとして生きていける程度の予算は組んでもらえるように、とにかく媚びる』
これはプリシラの『妄想』なのか? 『預言』の類なのか?
「そうですか。思っていたより、はるかに面白い方ですね」
初めての胸の高鳴りに、一気に興味がプリシラに向いた。
「――では、僕も作戦を変更させていただきます。その『シナリオ』を一緒に捻じ曲げてやりましょう」
僕は、元の場所に『日記』を戻した。そして何回かに分けて『日記』の内容を自分のノートに写した。彼女の日記にあった人物については、公爵家の使用人で特に口が堅い者に、お小遣いを渡し調べさせることにした。




