高校編・第10話「小物という名の、嫉妬の刃」
七月。
朝、楓が凛の部屋のドアを叩いた。
「お姉ちゃん、途中まで一緒に行こー」
「……今行く」
数日前、楓はクラスの友達に「お姉ちゃん美人だね」と言われたのがすごく嬉しかったらしく、それ以来いつも以上にまとわりついてくるようになった。
「お姉ちゃん、一緒にお風呂入ろー」
「お姉ちゃん今日一緒に寝よー」。
凛としては少し困惑しているが、悪い気はしなかった。
学校に着いて、自分の机の前に立った時、気づいた。
引き出しの中身が、荒らされていた。
教科書が逆さに入れられ、ノートのページが数枚、折られていた。
消しゴムが見当たらなかった。
(……なるほど)
凛は少し考えた。
小物のいたずらだ。前世であれば、これは領土への小規模な嫌がらせに相当する。
対処法は簡単だ。
捨て置けばいい。
相手にした瞬間、向こうに手応えを与えることになる。
机の中を整えて、席に着いた。
「どうしたの?」
「いや、机の中が……」
「え、何これ?どうしたの?」
胡桃の顔が、少し険しくなった。
「小物の戯言だ、気にするな」
「気にするよ」
「捨て置け」
「捨て置くなー」
「胡桃どうしたの?」
聖良が近寄ってきた。
聖良と真美は、凛と胡桃とかなり打ち解けており、お互いの名前を呼び捨てに出来るくらいに仲良くなっていた。
「聖良ー、見てこれ、ひどくない?」
「これはひどいね」
昼休み、真美と聖良が凛のところにやってきた。
「昨日、雪代くんのこと話してた子が怪しいって」
真美が、険しい顔で言った。
「凛、大丈夫?」
「問題ない」
「問題あるよ!」
真美が、珍しく強い口調で言った。
「誰がやったか、だいたいわかってる。ちゃんと言った方がいいよ」
「小物のいたずらだ。捨て置く」
「凛がそう言っても、私たちは納得できない」
聖良も、静かに言った。
「こういうことは、最初に止めないとエスカレートするから」
真美が、凛にぎゅっと抱きついた。
「もう、本当にひどい。絶対許さないから」
このやりとりを見て、胡桃の怒りもだいぶん収まってきた。
「ふーっ、とにかく私たちが凛を守る!」
三人の言葉は、凛には少し過剰に感じた。
しかし、三人がそれほど怒っているという事実は、素直に受け取った。
(……仲間というのは、こういうものか)
午後のホームルームが始まった。
担任が連絡事項を読み上げていた。
その時だった。
湊人が、静かに立ち上がった。
担任が、きょとんとした顔で湊人を見た。
「雪代くん?」
湊人は担任に軽く頷いてから、教壇の前に進んだ。
クラスが、しんとなった。
湊人は、ゆっくりとクラス全体を見渡した。
「一つだけ言わせてください」
その声は、静かだった。しかし、空気が変わった。凛は、その変化に気づいた。
(……これは)
前世で、感じたことのある気配だった。
「いたずらであろうと、嫌がらせであろうと、朝霧を傷つける者は許さない」
教室が、水を打ったように静まり返った。
「委員長として言っているのではない。個人として言っている。以上だ」
湊人は、静かに席に戻った。
「......」
しばらく誰も声を出せなかった。
担任が、ハッとしたように慌てて場を取りなした。
「え、えーと、では続きを......」
全員が悟った。
この二人に余計なちょっかいを出すと、ただでは済まない、と。
凛は、少しの間、何も言わなかった。
(……魔王だ)
あの時会った魔王の片鱗が、今の湊人と重なった。
「……雪代」
放課後、廊下で湊人に声をかけた。
「なんだ」
「さっきのは、大げさだ」
「そうか」
「傷ついていない」
「知っている」
「ならばなぜ」
湊人は、少し間を置いた。
「傷ついていないからといって、許していいことにはならない」
凛は、その言葉を少し考えた。
(……そういうものか)
「……魔王らしい考え方だ」
「褒めているのか」
「事実を言っている」
湊人が、小さく笑った。
廊下の端から二人のやりとりを見ていた胡桃が、掛けてきて凛に言った。
「ねえ、今日の雪代くん、すごかったね」
「そうか」
「ちょっと怖いくらいの凄みがあった」
「そうだな」
「あの雰囲気、普通じゃなかったよ」
凛は少し考えた。
「……知っている。あれが、本来のあいつだ」
胡桃が、少し目を丸くした。
「本来の?」
「昔からああいう奴だったようだ」
「? ふーん、そうなんだ」
胡桃は少し間を置いてから、ぽつりと言った。
「なんか雪代くんって、凛には甘いよね」
「そうか」
「うん。他の人とは明らかに違う」
「……そうか」
「凛は気にならないの?」
「特に」
胡桃が、少し笑った。何かを言いたそうな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
凛は、傷ついていないからといって、許していいことにはならない、という湊人の言葉を心の中で何度も反芻していた。
(……あいつは、信頼できる)
凛は、そう思いながら歩き続けた。




